第三十八話 宋襄の仁
筆者がネット利用を始めたのは2006年。
この間に、世界もすっかり様変わりしました。
ネット時代以前は、知らない事を調べるには、それなりの労力を要しましたが
今はスマホでググれば大抵の事は簡単に分かる時代です。
とはいえ、情報の真贋を見極める能力が必要なのは変わりません。
春秋時代の創作を始めた頃、ウィキペディアを利用していましたが
図書館で近年の資料を読むようになってから、あの記述はあまり信じていません。
* * *
宋軍が鄭に侵攻してきたので、鄭文公は楚に急使を送った。
楚成王は鄭を救うべく出陣しようとすると、子玉が進言した。
「鄭を救うには、宋軍と戦わず、空になっている宋都を攻めましょう。
我々が宋に向かえば、宋軍は鄭攻略を諦めて引き返してきます。
それを返り討ちにすれば、鄭を救い、宋も討てます」
「なるほど、それは妙案である」
楚王は子玉に軍を与え、宋を攻めさせた。
鄭軍と対峙していた宋襄公は、楚軍が宋都に向かっていると聞き
すぐに陣を払い、急いで帰国の途についた。
宋軍は楚軍を迎え撃つため、泓水の北に布陣した。
宋の司馬・公孫固が宋襄公に進言する。
「楚の目的は鄭の救援です。我々が鄭から退いたことで楚は目的を達しました。
楚王に謝すれば戦う必要はありません」
襄公は反対した。
「昔、斉桓公は楚を討伐した。楚が攻めて来たのに戦わず謝罪などすれば
わしは桓公の覇業を継いだ事にならぬ」
なおも公孫固が諫める。
「宋は商(殷)の遺民が建てた国です。天が商を見放して四百年が過ぎました。
商民が再び興隆する事はないでしょう。
楚は宋より栄え、楚の兵は宋より多く、堅く、強い。
楚と戦えば、宋は一敗地に塗れるでしょう」
襄公がこれに反論する。
「楚兵は強くとも仁義がない。宋兵はいかに寡なくとも仁義がある。
昔、周武王は3万で殷紂王の70万を破った。武王は有道、紂王は無道であったからだ。
有道の君が無道の臣(子玉)を避けるわけには行かん」
公孫固は嘆き、将の楽僕伊に心中を吐露した。
「我が君は戦を知らぬ。戦に仁義を掲げてどうすると言うのだ。
天は宋公を見捨てたかもしれないが、我々は国を損なわぬように心掛けよう」
* * *
楚軍の将・子玉は泓水の南に布陣した。
門勃が子玉に進言した。
「宋を討つには北上する必要があり、それには泓水を渡らねばいけません。
宋軍の妨害を避けるには、夜明け前に渡河しましょう」
「宋公は楚の北上を妨害する気はないだろう。夜が明けてからでも構わない」
翌日、東の空が明るくなってから楚軍は泓水を渡り始めた。
これを見た公孫固は襄公に進言した。
「楚は宋を軽視し、油断しています。楚軍が渡り切る前に攻撃すれば勝てます」
しかし襄公は進言を無視した。
「わしは堂々と楚軍と対峙した上で破りたい。それが仁義である」
公孫固は嘆息した。
やがて楚兵は渡河を終え、布陣を開始した。
公孫固は再度、襄公に進言した。
「楚は布陣を始めたばかりで隊列が乱れています。
今、楚軍を攻撃すれば勝てるでしょう」
襄公はこの進言も却下した。
「準備の整っていない相手を討つのは仁義に悖る」
公孫固は歯噛みしながら、楚軍の陣が整うのを見ていた。
ほどなく泓水を南に臨んで、陣形を調えた楚・宋の両軍が激突した。
宋襄公は自ら先陣を切って楚軍へ突進し
公子・蕩と向訾守の二将が襄公に続く。
君公自ら敵陣に向かうのを見た宋の将兵は士気を高め
この時、勢いは宋軍が楚軍に勝っていた。
子玉は陣形を拡げ、わざと襄公の率いる宋軍の先鋒を招き入れた。
襄公の眼前に楚将・門勃が現れ、公孫固がこれに当たる。
さらに宋将・楽僕伊も参戦し、楚は呂臣が対応した。
公孫固は門勃の隙を狙って楚の本陣に駆け込む。
この戦で勝つには楚の大将・子玉を虜にする以外ないと思った。
門勃が公孫固を追うが、そうはさせじと宋将・華秀老が塞いだ。
しかし楚軍の兵は多く、公孫固が子玉の本陣に辿り着く前に
楚軍は突撃してきた宋軍を完全に包囲した。
公孫固は楚本陣で左右の敵を薙ぎ払い、子玉の本陣に迫るが
宋襄公の本隊が幾重にも及ぶ楚軍に包囲されているのを見て取った。
公孫固と向訾守は子玉を諦め、宋公を救援すべく包囲網に突入した。
包囲網の中では、公子蕩が襄公を守りつつ、楚軍と激戦を繰り広げている。
ほどなく公子蕩は楚兵の放った矢に射られて戦死した。
すでに襄公も無数の傷を負っている。
包囲網は徐々に縮まり、時が経つほどに宋軍の敗色は濃くなっていった。
公孫固は襄公を自分の兵車に乗せ、楚軍の包囲を突破した。
残った宋兵を向訾守、楽僕伊、華秀老らが率いて退路を援護した。
宋軍は戦いながら退却し、どうにか襄公を楚陣から脱出させたが
宋兵と兵車の八割が失われた。
子玉は勢いに乗じて宋軍を追撃した。
宋軍は輜重を棄て、武器や甲冑を捨て、身軽になって逃走する。
宋公は命からがら、宋都まで逃げおおせたが、失ったものは計り知れない。
もはや、覇者の地位など、望むべくもなかった。
畢竟、泓水の戦いは楚の大勝に終わった。
宋襄公の掲げた仁義など、戦場では何の役にも立たず
いたずらに宋国の数多の将兵を死地に追いやったのみである。
後世、敵に対して無用の情けや哀れみをかけ、手ひどい目に遭う事を
宋の襄公の失策から『宋襄の仁』と呼ぶ。
* * *
戦死した宋兵の家族を持つ宋の国人は襄公を非難して
家臣の諫言を聞かず、大敗を招いたことを怨んだ。
襄公は「君子は負傷した者を再び傷つけることはしない。
わしは仁義を以て楚と戦った。相手の危難を利用するようなことは出来ない」
天下の民は襄公を嘲笑した。
一方、宋に大勝した楚軍は多くの戦利品を抱えて楚へ凱旋した。
柯沢(鄭地)で、楚成王が自ら子玉を出迎えた。
子玉は柯沢に入って楚王に謁見し、戦利品を献上して勝利を報告した。
楚王は上機嫌で
「明日、鄭君が我が軍の慰労に参る。大いに勝利を喧伝しよう」と語った。
翌日、鄭文公は文芈と文姜のニ夫人を伴って
柯沢で楚成王の勝利を祝福した。
さらに翌日、楚成王は鄭都・新鄭に入って歓迎を受けた。
この時、鄭文公とニ夫人は自ら城外に出て楚王を城内に迎え入れ
楚王のために宴を開き、九献(主に酒を九回献じる事)し
籩豆(祭祀で用いる器)六品を贈った。
いずれも諸侯が周王に対して行う礼である。
成王は帰国の際、宴で一目見て気に入った鄭の公女二人を連れて帰った。
文芈が楚王を陣まで送った。
鄭の上卿・叔詹が楚王を見て語った。
「楚王は宴で礼を行ったが、終われば礼を失し、男女の別がなくなった。
最後を全うする事はないだろう」
諸侯は鄭都における楚成王の振舞いを聞き
所詮、楚は王を僭称する、礼を知らぬ蛮夷の国
斉桓公の如き覇者には相応しくない、と語った。
* * *
楚・宋の事は一旦置いて、再び晋の公子・重耳の身の上について語る。
重耳が翟から斉に移り、すでに5年の歳月が過ぎた。
その5年の間に、覇者・斉桓公は薨去し、その後は後継者争いが勃発して
諸公子が国君の地位を争い、斉は大乱に陥った。
結局は世子・昭が斉君に就き、斉孝公となって乱は終結したが
もはや斉は桓公の覇業を取り戻す事は出来ず、諸侯は斉から離れた。
重耳の家臣である咎犯、趙衰たちは相談した。
「我々が斉に来たのは、斉候の力を借りて晋に帰国するのが目的であった。
しかし、今の斉にそんな力はない。他の国に移るべきではないか」
趙衰は公子・重耳にこの事を話した。
しかし、重耳は桓公の娘・斉姜を溺愛し、すっかり堕落していたので
「晋は弟の夷吾が治めている。わしは斉から出るつもりはない」
と言って出奔を拒否した。
咎犯が重耳を諫めた。
「晋は秦と戦って敗れ、河西の五城を失い、世子も秦に人質に取られているとか。
公子が晋君にならねば晋は安定しないでしょう」
だが重耳は聞かなかった。
数日後、重耳の家臣たちは、桑の木が並ぶ桑陰に集って密議を行った。
「こうなれば、我らで公子を連れ出すしかない」
「何か良い方法はあるか」
「各々は旅の準備を済ませておけ。それが済んだら
わしは公子に狩猟に行くと誘って斉都を出る。そのまま旅に出るのだ」
「斉を出れば、どこの国へ行くべきであろうか」
「まず宋へ行こう。宋公は覇業を目指していると聞く」
「よし、決まりだ」
一行は解散した。
しかし、この密談を聞いている者がいた。
重耳の妻・斉姜の婢妾が樹の上で桑を採っており
密議は丁度、彼女の真下で行われていたのであった。
婢妾は斉姜の元へ戻り、これを報告した。
その夜、斉姜は重耳と話をした。
「公子は晋に帰国するおつもりはございませんか」
「わしは斉から出る気はない。ここで生涯を終えるつもりだ。
そろそろ、翟にいるわしの家族も呼び寄せようかと思っておる」
「公子が出奔してから、晋は乱れていると聞いております。
今の晋君は無道で晋の社稷を辱め、国人に恨まれ、隣国とも親しくありません。
これは、晋の先君が公子を戻そうとしておられるのです」
「わしは弟から君位を簒奪する気はない」
斉姜は、その後も毎夜、重耳に晋への帰国を促したが
重耳は諾とは言わなかった。
それから数日後の早朝、趙衰と狐偃は重耳の邸を訪れた。
しかし、重耳はまだ寝ていたので、斉姜が出てきた。
「公子に急用ですか」
「久しく狩りをしていませんので、久々に郊外へ出て
公子と狩猟でも催そうかと思いまして」
「狩猟をするのに宋まで行くのですか」
「そんな遠くまでは参りません。お戯れを」
「卿らの桑陰での企ては全て聞き及んでおります。
公子を斉から連れ出すおつもりでしょう」
「知られておいでとは、迂闊でした」
「私も公子に毎夜、晋への帰国を促していますが
公子は斉での安逸な暮らしに満足して、なかなか首肯しません。
今夜、私は公子にお酒を薦め、大酔させますから
公子が眠っている間に車に乗せ、斉を出奔してください」
「夫人は斉に残られるのですか」
「公子が出奔すれば、その事情を斉候に説明する者が必要です。
卿らの密議を聞いた婢妾は、すでに私が殺しましたから
他に知られる心配はありません」
趙衰と咎犯は夫人に拝礼して感謝した。
「夫人の賢才により、公子は必ず大業を成すでしょう」
その夜、斉姜は重耳に普段より多くの酒を飲ませ、泥酔させた。
邸の外ではすでに準備を終えた家臣が待機している。
怪力の魏犨と顛頡が、酩酊した重耳を静かに抱え上げ、車に乗せた。
重耳の家臣一同は斉姜に拝礼して別れた。
咎犯たちは重耳が目覚めないよう、静かに車を動かし
夜半のうちに斉都・臨淄を出て、遥かな宋を目指し、地平の彼方へと去った。
人類の歴史は酒の歴史と言われるほど、みんなお酒が大好きです。
禁酒法や酒税が原因で戦争が起きるほどです。
中国でも、見事な装飾が施された青銅の酒器が多く発掘されており
単なる嗜好品に留まらず、儀式、祭祀にも酒が欠かせなかった事が分かります。
なお、筆者は下戸で酒がほとんど飲めません。




