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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第三十四話 乞食公子

周王、楚王の血を引く者を王子、そして諸侯の一族を公子と総称します。

大抵は国君の次男以下、弟、従弟などです。


諸侯の数は、滅ぼされたり、併呑されたりして年々減っていますが

それでも春秋時代の前期には100近くあったと推定されます。

なので、公子の人数も相当多く、千人は下らなかったでしょう。


君主になる者を除けば、地位の高い公子は大夫、つまり貴族として遇されますが

公子の数がこれだけ多いと、王侯の血筋であっても

全員を高位には出来ないので、庶民になって農民や職人になったり

他国へ出奔して就職口を探したり。


とはいえ、何が起きるかわからないのが世の中で

どん底暮らしの貧乏公子が思いがけず、一国の君主に成り上がる幸運な者もいます。




       *     *     *




 12年前、勃鞮ぼっていは晋献公の命令で、邑へ重耳ちょうじを逮捕に来た事があった。


重耳は間一髪で勃鞮の剣先を逃れ、たもとを切られただけで済んだが

九死に一生を得た恐怖が脳裏から離れた事はない。


 その勃鞮が、重耳や咎犯きゅうはんの想定を上回る速さでてきに到着したと聞き

もはや一刻の猶予もなく、ろくに準備もせず早急に斉へ向かった。



 一方、重耳を追う勃鞮の方にも焦りがある。

重耳を逮捕する君命を全うしなかった事で

処刑こそ免れたが、献公より叱責を受け、遠ざけられた過去がある。

しかも、自分は重耳には怨まれていると思い込んでいるため

重耳が晋君に即位するなど、あってはならない事である。


 晋恵公から重耳の暗殺を命じられたのは勃鞮にとって幸いであった。

これが成功すれば、功になるだけでなく、重耳という最大の懸念も払拭できる。

何としても成功せねばならぬと、大急ぎで翟に向かったのだ。


 

 重耳は妻と一男一女を置いて出国した。

この時、重耳の財産を管理していた頭須とうしゅは資産を持ち逃げした。

少なくとも重耳とその家臣はそう認識したが、頭須は重耳の妻子を

重耳が帰国するまでの間、その資産で養い続けたため

決して私利私欲で重耳の財産を奪ったわけではない。


 重耳と勃鞮は、ほとんど入れ替わるような差に過ぎなかった。

勃鞮は翟に着くとすぐ重耳の消息を尋ねたが

すでに重耳は斉に向かったと聞き、これを追跡しようと斉への道を探ったが

重耳を君子として敬愛する翟君は、晋候の差し向けた刺客を快く思わず

勃鞮に詰問の使者を送るなどして妨害を行ったので、諦めて晋に戻った。


 復命を受けた恵公も、暗殺は失敗したものの、重耳は斉国に向かったと聞き

ならば当面の脅威は去ったとして、そのままにした。




      *     *     *




 さて、斉への長い道のりを行く重耳とその一行である。


 翟から斉に向かうには、衛国を通過する必要がある。

頭須に金を盗まれたため、翟の国境を出てからの旅は苦しかった。

ほぼ飲まず食わずで、ようやく衛の国境まで来た。


 衛の関所にかかり、関守は一行の経歴を問うた。

「我らは晋国の公子・重耳と、その家臣である。

現下、斉へ向かう途上ゆえ、貴国に道をお借りしたい」

趙衰ちょうすいが言うと、看守は開門して入れ、衛侯に伝えた。


 衛の上卿・寧速ねいそくは重耳一行を迎え入れて面倒を見るべきだと進言したが

「わしが楚丘そきゅうで即位した時、晋は援助してくれなかった。

衛と晋は同じ姫姓とはいえ、長く交流はなく、盟約も結んでおらん。

まして国外を流浪している乞食のような連中ではないか。

衛はまだ復興の途上にあるというのに、彼らを引き留めたら贈物で物入りになる」

と、衛文公は重耳の入城を拒否した。


 重耳は已む無しと、城外を迂回して斉への旅程を続けたが

「衛公と言えば名君の噂が高いが、同姓の公子も受け入れぬほど狭量とは」

と、珍しく怒りを露わにした。


 「衛公は北狄に国を攻め滅ぼされ、斉候の号令で諸侯が協力して

衛を復刻させ、民と共に辛酸を舐めて来たはずだ。

住む地もない、流浪する者の辛さを、誰よりも知っているはずではないか」

魏犨ぎしゅう顛頡てんけつは憤慨したが、趙衰が彼らをなだめた。



 重耳らは飢えにさいなまれつつ、斉への道を進んだ。

中天に差し掛かった頃、五鹿ごろくという地を通りかかり

数人の農夫が昼飯を食っているのを見かけた。

重耳は空腹に耐えられず、咎犯に命じて食を分けてくれるよう頼みにやった。


「あんた方は何処から来た」

「我らは晋から来た。斉に向かう途上であるが、食が尽きた。

すまないが飯を少し分けてもらえぬか。

今は手持ちがないが、いずれ必ず数倍にして返そう」


「人に分けてやれるほどの飯はない。これでも食ってくれ」

農民の一人が器に土を入れて咎犯に渡した。


それを見た重耳は腹を立て、他の者も農民に殴りかかろうとしたが

趙衰がそれを押し留め「これは吉兆です」と喜んで

咎犯が貰った、土の入った器を受け取り、天に掲げた。


「趙衰、土くれの何が吉兆であるか」


「土を貰ったというのは、その土地を頂いたという事です。

公子はいずれ、この国を手に入れるでしょう」


重耳はなるほどと思い、車を降りて土入りの器を拝受し、他の者も重耳に倣った。

農夫らはそれを見て大笑いした。



 しかし、今の彼らが欲しいのは国よりも飯である。

更に進むと、全員空腹で歩けなくなり、休憩を取った。


 休んで少し体力が回復した一行は

「『采薇さいびの歌』というのがある。ここは山中だ。わらびぜんまいぐらい生えてるだろう」

「我々はいにしえの聖人・伯夷はくい叔斉しゅくせいであるか」

「伯夷叔斉の兄弟は周のぞくを食わずに餓死した。我々は斉に行くという目標がある」

と言い、みんなで山菜を採って食った。


 遅れて戻って来た介推かいすいスープを重耳に捧げ持ってきた。

見ると肉が入っている。


 重耳は夢中で食い、食べ終わって介推に尋ねた。

「これは何処で手に入れた」

「この奥で捕まえた兎の肉でございます」

重耳は喜び「これは卿の大手柄である、必ず報いよう」


 一行は斉への旅程を再開した。

だが、介推の歩みがどうにも遅い。

咎犯がいぶかしんで介推の足を見ると、太腿が割かれていた。

「その足はどうした」

「実は、先ほど公子に差し上げたのは、それがしの腿肉です。

孝子は身を殺して親に仕え、忠臣はその身を殺して君に仕えるのです」


咎犯は驚いて「卿は至忠の臣である」と言い、介推を重耳の車に乗せた。



 翌日、趙衰が近くの農夫に頼んで、数人分の飯を恵んでもらった。

「全員の分はないな。公子、趙衰、咎犯、狐毛こもうぐらいか」

趙衰は飯を大量の水で煮て、粥にして全員に与えた。


 こうして一行は僅かな飯を探し、それを分け合いながら斉を目指した。




      *     *     *




 空腹を抱えながら、ようやく一行は斉国に到着した。

斉都・臨淄りんしの城門で役人に説明し、すぐ桓公に知らされた。


 桓公は晋の重耳が君子という噂を聞いている。

斉の重臣を集め、宴を催して重耳の一行を歓待した。


 宴席で桓公が重耳に質問した。「公子に妻子はおられるか」

「家族は翟に残して参りました」

 

 桓公は娘の一人を重耳に娶らせた。

さらに屋敷を重耳とその家臣らに与え、馬車二十乗を贈った。


 重耳は感動して「斉侯は賢人を大切にされるという噂は真実であった。

天下の覇者となられたのも当然である」と涙した。


 かつて桓公は陳から斉に出奔した公子・完を厚遇し、斉の大夫にした。

重耳も同様に厚遇を与え、斉の臣として用いる事にしたのである。


 桓公の目に、重耳は管仲の代わりが勤まる逸材と見えた。

内は重耳、外は宋公に太子・元を託せば

自分の死後も斉は安泰であると、心休まる気持ちであった。


 この年は周襄王の8年(紀元前644年)で

斉桓公が即位して既に42年の歳月が流れていた。



 桓公は前年から鮑叔牙ほうしゅくがに国政を任せていた。

管仲の遺言に随い、易牙えきが豎刁じゅちょう、開方の三人を追放した後

桓公は往々と楽しまぬ日々が続いていた。


 易牙以外の料理人の作る食事は口に合わず

豎刁の後任で身の回りの世話をする者は気が利かなくて夜はよく寝られず

いつも桓公を楽しませていた開方がいなくなって、笑わぬ日が増えた。


 その様子を見た長衛姫ちょうえいき夫人は

「我が君は豎刁らを追放した後、憔悴しょうすいしているご様子。

三名をお戻しになられてはいかがでしょう」と語った。


「そうしたい所であるが、鮑叔牙は許可しないであろう」


「我が君は斉候で、天下に号令する者。

鮑叔牙は斉の家臣に過ぎません。

お年を召され、すでに先は長くないというのに

斯様に苦しまれるのは見てて辛うございます」


 桓公は夫人の甘言に負けて三人を復職させた。


 鮑叔牙は怒って、桓公に諫言した。

「我が君、亡き仲父の遺言をお忘れですか。

あの三名は斉国に仇なす者です」


「あの三人はわしに必要である。

それに公子・重耳などの賢臣もいる。国に害を及ぼす事はあるまい」

と言って諫言を無視した。


 元より、鮑叔牙は善悪に厳しい性格であるため

桓公への強い憤懣ふんまんを抱き、ほどなく亡くなった。



 こうして、斉の桓公の覇道を支えた

寧戚ねいせき賓須無ひんしゅむ、管仲、隰朋、鮑叔牙の全員が天上へと去った。


間もなく、天下に冠たる大国・斉は、大いに乱れる事となる。



作中にある、介子推が空腹の重耳に

自分の腿肉を割いて食べさせるエピソードは

正直なところ、書いていいかどうか悩みましたが

東周時代の雰囲気を出そうと思い、書くことにしました。


易牙が斉の桓公に自分の子を蒸し焼きにして馳走した話と同様

紀元前の中国では美談でも

現代日本の感覚では受け入れがたいグロテスクな話です。

とはいえ、似通ったエピソードは無数にあるし

今後も同様の話が出て来ると思います。

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