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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第三十三話 晋君夷吾、兄を逐う

いつの時代でも、為政者は醒めているというか、綺麗事だけで政治は出来ません。


ただ、綺麗に見せる必要はあると、マキャベリの「君主論」に書いています。




       *     *     *




 韓原の役で大勝を収めた秦穆公は、将を一人一人労っていると

白乙丙はくおつへいがいない事に気づき、兵に探させた。


 ようやく見つかったのは、秦晋両軍が最も激しく衝突した戦場であった。

白乙丙は晋将の屠岸夷とがんいと組み合ったままたおれていた。

屠岸夷はすでに事切れていたが、白乙丙は辛うじて息がある。

兵士は両名を車に載せ、秦軍の陣営へ連れて行った。


 白乙丙は重体で、寝かされたまま、喋る事も出来ない。

穆公は「この晋将を知る者はいるか」と周囲の者に聞いた。

公子・ちゅうが「屠岸夷と申す者です」と答えた。

穆公は屠岸夷の遺体を自分が着用している錦袍きんぽうで包み、晋に送り返した。



 翌日、秦軍は順次、秦都へと帰国を開始した。

捕えられた晋侯・夷吾いご檻車かんしゃに入れられ

秦までの道程は公孫枝こうそんしが兵車百乗で護送する。

そのすぐ後ろを晋の降将がついて歩いた。

虢射かくしゃ韓簡かんかん梁由靡りょうゆうび家僕徒かぼくと郤歩揚げきほようらである。

穆公は「晋候は薄徳の君であるが、それでも晋に忠臣はいる」と感心した。


 秦の国境で一時留まり、穆公は群臣に相談した。

「かつて、わしは公子・夷吾の帰国を援け、晋君の位に就かせた。

しかし、晋君は恩に背き、此度の天罰を受けた。

わしは晋君を天帝の犠牲に捧げようと思うが、卿らはどう思う」


 邳豹ひひょうと公子縶は賛成したが、公孫枝が反対した。

「晋候をとりこにした事で、秦は晋人の恨みを買いました。

晋君を殺せば、晋人の恨みはさらに膨らみ、秦に仇をなすでしょう」


 それに公子縶が反論した。

「晋人の恨みは晋君にこそ集まっている。これを処刑するに躊躇ちゅうちょはいらぬ。

その後は公子・重耳ちょうじを迎え、新たな晋君に立てれば良い。

晋人は秦に感謝して、その恨みを得る事はないだろう」


 これに対して公孫枝は「公子重耳は仁徳の人である。

父・献公が崩御し、驪姫りきの乱が終結した後、多くの晋人は即位を薦めたが

公子は動かなかった。身内の禍に乗じて位に就くを恥としたからである。

そんな公子が弟の死に乗じるであろうか」と返す。


 穆公が両者を制し、口を開いた。

「この件は一旦置こう。秦都で改めて協議する」

秦軍は都へと向かった。




         *     *     *




 秦都の城壁が見えて来た頃、穆公の元に使者が訪れた。

蹇叔けんしゅくからの使いか。誰か死んだのか」

「夫人が死ぬと申されております」

穆公は驚き「つまは病にかかったか」と尋ねた。

「そうではございません。詳しくは我が君に直接話すと申されております」


 穆公は軍を郊外に待機させ、大急ぎで宮殿に向かった。

穆姫は喪服を着て、世子・おう、公子・弘、娘の簡璧かんへきを連れ、まきを敷いた台に登っている。

「我が君、もし晋君を処刑なさるのであれば、私は下の薪に火をつけ、子と共に死にます。

晋君は幾度も恩を仇で返し、ついに兵火を交え、秦と晋の兵が多く死にました。

我が君のお怒りは御尤もですが、それを曲げて、弟の助命を請います」


 「帰国の途上で晋君を処刑していたら危ういところであった」

穆公は晋候の乗った檻車を郊外の霊台に置き

改めて臣下に晋候の処遇について協議した。


 穆公は「晋候が死ねば、つまと世子まで死ぬ事に相成る。

わしは喪服を着たくはない。処刑はとりやめる。

諸国へ追放か、監禁か、晋に復帰かのいずれかにすべきであろう」


 公孫枝が答えた。

「監禁は国君に対する行いではなく、秦の信用を下げます。

追放すれば、晋の国人に帰国を謀る者が現れましょう。

ならば、復帰させるのが一番の得策です」


「それでは此度の戦の意味がなくなる」穆公が難色を示す。


公孫枝が続ける。

「晋君を無事に帰国させる代わりに、河西の五城を割譲させ

晋候の世子・ぎょを人質として秦に引き渡す条件で講和するのです。

これで晋君は終生、秦を攻める事は出来なくなり

その後、圉を晋に帰国させて、次代の晋君に即位すれば

秦は晋に徳を施し、しかも長年にわたって大きな利を得る事になります」


子桑しそう(公孫枝の字)の思慮は深淵なり」

穆公は公孫枝の進言に従う事に決めた。


穆姫にも弟を帰国させると説明したので、彼女は喪服を脱いだ。


 

 一方、晋恵公は囚われの身となっている間、穆姫が自分のために喪服を着て

穆公に助命を請うていた事など知る由もない。


 恵公は韓簡に言った。

「昔、先君が秦との婚姻を占った事があった。

史蘇しその占いでは凶と出たが、先君はそれを無視して、姉上を秦候に嫁がせた。

占いに従っておれば、こんな目に遭わずに済んだのだ」


 韓簡は反論した。

「約定を破ったのは晋であり、秦との婚姻は関係ありません」


恵公は沈黙した。



 間もなく公孫枝が晋恵公を訪れ、晋侯の帰国が許された事を伝えた。

「我が君は晋候の罪を赦されました。殊に夫人の必死のお願いもあり

晋秦両国の婚姻の誼を大切にしておられます。

河西の五城の割譲を速やかに実行し、太子・圉を質として秦に引き渡す。

この二点を誓約されれば、ご帰国頂けます」


 恵公は穆姫が自分の罪をとりなしてくれた事を知り、自身の浅慮を恥じた。

すぐ郤乞げきこつを晋に帰し、呂甥りょせいに土地の割譲と人質の件を指示した。


 呂甥は秦都へ出向き、秦穆公に五城の地図、地租、戸数の記録を献納した。

そして世子圉を秦に送る事を条件に、恵公の帰国を頼んだ。


「なぜ世子は来ておらぬ」


「国内が不穏ですので、太子は今少しお待ち頂きたい。

我が君が無事に帰国できますれば、直ちにお引渡し致します」


「晋国内にはどういう不和があるのか」


「晋の賢臣は自分の過ちを知り、貴国の恩を感じていますが

小人達はそれをわきまえず、貴国を仇として報復を考えています。

これが不和の原因です」


 穆公は呂甥の条件を認めた。

孟明視もうめいしを河西に送り、五城を正式に秦の領土とした。


晋侯は郊外の公館に移され、客人として礼遇され

友好の証として七牢(牛、豚、羊を七頭ずつ)を贈り

他の家臣と共に晋へ帰国した。11月の事である。




      *     *     *



 

 晋恵公と共に帰国した大夫の蛾晢がせき慶鄭けいていの邸に向かった。

「卿は韓簡や梁由靡に誤った指示をして、我が君が捕えられる結果を招いた。

我が君はきっと卿を赦さないであろう。今のうちに他国へ出奔するべきだ」


 「わしは我が君に処罰されるために生きてきた。

もし、我が君が秦で処刑されていたら、兵を率いて秦を攻め

そこで戦って死ぬつもりであった。罪を抱いたまま逃げるつもりはない」


蛾晳は嘆息して去った。



 恵公が絳の都へ帰って来ると、太子圉、狐突ことつ郤芮げきぜい、慶鄭、勃鞮ぼっていらが出迎えた。

恵公は慶鄭を見つけると怒りがこみ上げた。


「卿はなぜ、他の将と共に秦に降らなかった」


「我が君が秦君の虜囚となったのは

臣の諫言をお聞きにならなかったせいです。

だから従う必要がないと思いました」


 恵公は梁由靡りょうゆうびを呼んで、慶鄭の罪状を言わせた。

「卿には三つの罪がある。我が君からの援けを無視した事。

それがしに誤った指示をした事。戦が終われば無断で帰国した事である」


 慶鄭は罪に服し、処刑された。遺体は蛾晳が埋葬した。

忠臣の死を晋の国人は嘆き悲しみ、その日は大雨が降ったという。



 帰国した恵公は、世子圉を秦に人質に出した。

また、秦から屠岸夷の遺体をもらい請け、上大夫の礼をもって葬り

その子に中大夫を継がせた。


 恵公は郤芮に語った。

「国内では以前から重耳を帰国させ、晋君に就けよという声が根強い。

わしが秦にいる間もそれを懸念していた」


「重耳はずっとてきにいます。翟は晋に近く、我が君は心休まる事が出来ません。

いっそ、不安の根を絶つべきでは」


「当分、戦は出来ぬ。暗殺するなら、誰を向かわせばよいか」


「勃鞮がいいでしょう。かつて蒲城へ重耳を逮捕に行かせて

着物の袂を切り取った事があるので、もし重耳が帰国すれば

その件で罰せられるのでは、と畏れていますので」


「それは適任であるな」


恵公は勃鞮に数人の屈強な兵を与え、翟へと送り込んだ。


 だが、国舅・狐突が恵公と郤芮の密謀を知った。

狐突は密書を認め、翟に急使を送ってこの件を重耳に知らせた。




       *     *     *




 重耳はこの日、翟君と渭水いすいの河岸へ狩猟に行っていた。

夕方、咎犯きゅうはんが重耳を訪れ、国舅からの手紙を重耳に渡した。


 手紙を読み終えた重耳は翟君に

「申し訳ございませんが、火急の用が出来ました」

と言って、咎犯と共に夜を徹して翟へ戻った。


 戻った重耳は家臣を集め、手紙の内容について協議した。

「国舅が申されるに、晋候はわしを暗殺すべく、勃鞮を刺客として

翟に向けた。すぐ他国へ出奔せよとの事である」


狐毛こもうが語った。

「公子夷吾が晋君に就き、公子は翟に住んで既に12年になります。

翟君の娘を娶り、この地に骨を埋める覚悟でいたと言うのに

なぜ晋君は刺客を寄こすのか」


趙衰ちょうすいが口を開いた。

「我々が翟国まで来たのは、公子を晋君に就かせるためです。

此処は単なる足休めの地に過ぎません。勃鞮が来るのは

天が公子にそれを促しているという事に違いありません」


「翟を出るなら、何処へ行くべきであろう」


咎犯が意見した。

「晋への帰国を支援してくれる大国に行くべきです。

諸侯の盟主で、天下に号令する斉国が良いでしょう。

斉では管仲、隰朋しゅうほうが亡くなり、斉候は賢臣を求めておいでだとか。

公子が斉に行けば、必ず礼遇してくださるでしょう」


重耳は納得し、斉に向かう事を決めた。



 出発の前日、重耳は妻の季隗きかいに語った。

「晋君がわしに刺客を向けたそうだ。斉に行くことにする。

斉は遠く、危険な旅になるだろうから、そなたと二人の子はここに置いていく。

必ず戻って来るが、25年待っても来なければ、好きに生きよ」


「25年も待てば、私の墓に植える苗木も大木となっているでしょう。

いつまでも待っています」


 趙衰は季隗の姉・叔隗しゅくかいを妻にしており、とんという子がいるが

重耳と同じく、妻子を置いて重耳と共に斉へ向かう。


 翌朝、重耳は壷叔こしゅくに車を用意させ

里頭須りとうしゅに財産を車に積むよう指示していた。

そこへ咎犯が来て「勃鞮は既に翟に入ったそうです、お急ぎください」と告げた。


 重耳は咎犯と先に出発し、その後を狐毛、趙衰、壷叔らが追った。

だが、里頭須はいつまでも来なかった。


 「里頭須はなぜ来ない」

と重耳が聞くと、彼は蔵にある財産を全て持ち逃げして行方不明だという。

重耳は腹を立てたが、戻る事も出来ない。


 翌日、事情を知った翟君が重耳に旅費を送ろうとしたが間に合わなかった。

仕方なく、一行は着の身着のままで、遥か東にある斉まで行くしかなかった。



春秋時代に関する文献資料の多くは戦国時代以降に編まれたもので

その内容を完全に鵜呑みにはできません。

明らかに結果ありきな記述も多く目立ちます。


現代でも、汚職政治家、ブラック企業経営者、高齢者を狙った詐欺師などを

ネット上で悪し様に罵る様は枚挙に暇がありません。

「悪人は地獄へ堕ちろ」的な、因果応報を望む感情は古今東西で共通しているようで

後年に書かれた春秋時代の人物評も、書いた人の気持ちがよく表れています。

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