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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第三十話 重耳、戻らず

筆者は古代中国が好きなだけで、教養と呼べるほどの知識はなく

ほぼ雑学です。足りない分はググったり、図書館で資料を借りて読んだり。


未読の史料や書籍を読むたび、新たな発見や解釈を目にして

自分の勉強不足を痛感してます。


Wikipediaなど、ネットで簡単に手に入る情報は

鵜呑みに出来ない事に気づいたのも、ここ最近の事です。




        *     *     *




 公子・重耳ちょうじを慕っててきに集結した者は

いずれも若く血気盛んだが、特に魏犨ぎしゅうはその筆頭であろう。

彼の提言を却下した重耳に「公子は驪姫りきの一派を畏れておいでか。

それでは大事は成せませんぞ」と語った。


 咎犯きゅうはんは魏犨に「公子は驪姫を畏れているのではない。

大義名分を気にしておられるのだ」となだめた。

咎犯も若い時分には魏犨に劣らぬ短慮であったが

今では重耳の家臣らを纏める立場にあって

彼らを鎮める事が自らの責務と自覚し、抑える側に立つ。

ともかく、魏犨は黙った。


 重耳は幼少の頃から謙譲の徳篤く、その性向は仁にして

下に礼を尽し、内外の人と交際し、伯父の咎犯に仕え、趙衰ちょうすいに師事した。

ために、国を逐われても、こうして晋の賢人が重耳の徳を慕って集うのである。



 一方、重耳の異母弟・公子・夷吾いごはどうなったか。

晋の大夫・郤芮げきぜい呂甥りょせい、そして夷吾のしゅうと虢射かくしゃ

屈邑くつゆうに向かい、公子夷吾の側に付いた。


 晋候の命を受けた賈華かかの軍が屈に向かっていると聞き

夷吾は屈城の防衛準備に入った。


 しかし、賈華に夷吾を捕える意図は無く、屈城に到着すると

包囲せず、公子夷吾に使者を送って出奔を促した。


 使者に面会し、賈華の本意を知った夷吾は

「兄上は翟に居ると聞く。わしも翟へ行くべきであろうか」と郤芮に尋ねた。

「我が君が二公子に兵を向けたのは、共謀していると疑ったからです。

同じ国へ向かえば、驪姫の思惑通りになるでしょう。

ここは別々になるべきです。我らはりょうへ行きましょう」


「梁はここから近いが、小国だ。わしを受け容れるであろうか」


「梁は秦と境を接し、その属国。そして秦候夫人は公子の姉君。

いざとなれば帰国の支援をしてくれるでしょう」


郤芮の意見に従い、夷吾は梁へ行くことにした。




      *     *     *




 夷吾が屈を出奔したのを確認した賈華は、晋都に戻った。

晋候には、追撃が間に合わず、夷吾に逃げられたと復命した。


 晋献公は怒り「重耳と夷吾、共に捕えそこなうとは」と賈華を斬ろうとした。


邳鄭ひていが「我が君はかつて蒲と屈に堅固な城を築かせました。

賈華の罪ばかりとは申せません」と弁護した。


さらに梁五りょうごが「夷吾は短慮で凡庸。脅威ではありません。

しかし、重耳は君子で知られ、多くの者が彼にしたがっております。

しかも重耳の出奔先は、我が国と境を接する翟国です。

ここは翟を討ち、重耳を除いて将来の禍根を断つべきです」と言う。


 献公はひとまず賈華を赦し、翟国を討つと言ったが

「二公子の罪が確定しているわけではなく、両者とも我が君の公子です。

国君が実子を討てば諸侯の非難を招くでしょう。

すでに国外へ逃避しているのであれば、強いて討伐する必要もないと思われます」

と邳鄭が進言したので、献公も気持ちを入れ替え、討伐は中止にした。


 晋には他にも公子がいるが、いずれも重耳、夷吾派である。

献公は彼らが驪姫の子・奚斉けいせいの邪魔になると考え

全員を国外に追放して、その後、奚斉を世子に立てた。


 荀息じゅんそくを除く晋の国人、大夫たちは失望した。

周の襄王2年(紀元前651年)、晋献公26年のことである。




       *     *     *




 この年の九月、晋献公は葵丘ききゅうの会盟に向かったが

途中で病にかかり、帰国すると、驪姫は献公に泣いて訴えた。

「我が子、奚斉はまだ幼い。我が君が亡くなられたら

国外の公子が攻めて来るでしょう。私たち母子は誰を頼りにしましょうか」

「太傅の荀息に後事を託す。あれは有能で忠臣だから心配ない」


 翌日、献公は荀息を枕元に呼んだ。

「わしが死んだ後は、汝が太子を盛り立ててくれ」

「ご心配なく。死力を尽くしてお守りいたします」

「よくぞ申した。これでわしも驪姫も奚斉も安心である」


 献公は荀息を上卿に、梁五と東関五とうかんごを左右の司馬に任じた。

それから数日後、晋献公は薨去こうきょした。



 驪姫は15歳の奚斉を荀息に預けた。

荀息は遺命を守って、奚斉を喪主として、先君の葬儀を主宰した。


 荀息は奚斉を晋君に擁立し、晋の百官は葬儀に参加したが

狐突ことつは重病を理由に出席しなかった。


里克りこくは邳鄭に言った。「国外の公子はどうなるだろうか」

「上卿の荀息に尋ねよう」


 二人は荀息の屋敷へ行き、荀息に意見した。

「公子重耳、公子夷吾が国外におられ、晋の国人は驪姫と奚斉を憎んでいる。

上卿は奚斉を晋君に就かせたが、これで晋が安定するとは思えない。

ここは、年長で賢才との誉れある公子重耳を晋君に擁立すべきでは」


「わしは先君の遺託を受け、奚斉を晋君に就けた。これ以外の事は考えられん。

もし、力が及ばなければ、死んで先君にお詫び申し上げるつもりだ」


「上卿が死ぬには及ばない。お考えを改めて頂きたい」

「何と言われようと、先君との約束を違えることはできん」


 里克と邳鄭は再三説得したが、荀息の考えは変わらなかった。

やむを得ず、二人は覚悟を決めた。

「上卿は奚斉を、我らは公子重耳を推す。分かり合う事は出来ぬ」



 喪主は葬儀の間、霊堂にて寝食をする決まりである。

深夜、里克と邳鄭は密かに兵を率いて霊堂に突入し、奚斉を殺した。


この時、奚斉の側で護衛をしていた驪姫の寵臣・も殺された。



 翌朝、荀息は異変を聞き、先君の霊前に赴いて

遺命を果たせなかった事を報告し、自害しようとしたが、驪姫が止めた。

「奚斉が死んでも、まだ卓子とうしがいます。あの子を晋君に立てて下さい」

卓子とは驪姫の妹・少姫の子である。


 荀息は臨時の朝議を開き、卓子の晋君即位を宣言した。

里克と邳鄭は会議に参加しなかった。


「晋君・奚斉を弑逆したのは里克と邳鄭に違いない。

共太子(申生)の仇討ちのつもりであろう。それがしが逆賊を討ちます」

と梁五が言ったが、荀息は反対した。

「二人は晋の重臣で支持する大夫も多い。早まってはならん。

今はまず、新君即位と先君の葬儀が先決である。

里克と邳鄭の件はそれからだ」


 荀息の方針に納得いかない梁五と東関五は

先君の葬儀に里克と邳鄭が出席した時に暗殺する事に決めた。


 東関五の家臣に屠岸夷とがんいという怪力の大男がいる。

葬儀で武器の所持は許されないが

この男であれば、素手で容易くくびり殺す事も出来ると判断し

葬儀で里、邳の両名を始末せよと命令を与えた。


 しかし、屠岸夷は公子重耳を支持しているので

里克と邳鄭を殺す事に反対の考えであった。

どうすべきか悩んだ末、友人の騅遄すいぜんに相談した。


「晋の国人で、亡き共太子が冤罪であったと知らぬ者はない。

全ての元凶は驪姫である。里克と邳鄭は驪姫の一派を片付けて

公子重耳を帰国させ、晋君に迎えようとしている。これを害してはならぬ」

「ならば、東関五の命令を拒むべきか」

「知ってしまった以上、もし卿が断われば

口封じに殺され、この件は別の者に頼むであろう。

ここは承諾したふりをして、この件を里克と邳鄭に報告すべきだ。

さすれば、逆に佞臣を誅殺する好機となろう」




     *     *     *




 数日後、先君・晋献公の葬儀が執り行われた。

里克は病と称し、葬儀に参加しなかった。

葬儀にかこつけて里克を暗殺する予定だった東関五にとっては誤算であったが

屠岸夷は東関五に提案した。

「里克だけ出席していないのは好機です。晋の大夫はみな葬儀に参列しており

今なら容易く里克のやしきを襲撃できます」

東関五はなるほどと感心し、屠岸夷に兵を与えて里克の屋敷に向かわせた。



 やがて葬儀が終わり、荀息は卓子を連れて朝堂へ昇った。

屠岸夷は戻ってきて、東関五に報告するために近づき、首を捻じ切って殺した。

周囲は騒然となったので、屠岸夷は叫んだ。


「わしは里克の命を受け、共太子の冤罪を雪ぎ、仇を討つために佞臣を誅殺した。

間もなく公子重耳が帰国なさり、新たな晋君となるであろう」


 その場にいた者たちは重耳の帰国を聞き、みな喜んだ。


 東関五が殺されたと知った梁五は急いで朝堂へ奔ったが

屠岸夷に捕まり、切り捨てられた。

間もなく里克、邳鄭、騅遄らが私兵を率いて朝堂に向かった。


 荀息は卓子を庇って立っていた。

「卿らは晋君を弑逆するのか」

「共太子を冤罪で殺した妖姫の子を晋君とは認めぬ」

荀息が怯んだ隙に里克は卓子を奪い取り、その首を刎ねた。


 「まだ驪姫がいる。先君を惑わした妖姫を生かしてはならん」

里克らはその場を去り、宮中へ向かった。



 卓子が殺されたと知った驪姫は全て諦め、池に身を投げて死んだ。

驪姫の妹で、卓子の実母である少姫も、施の一族も殺された。


晋の国人にとって驪姫を思い出す存在は全て根絶され

それらの首は晋都の市に晒された。



 荀息は先君・献公の棺に北面して拝跪はいきし、自刎して果てた。


   「玉の傷は磨けば消える。だが言葉の傷は消せない」


 妖姫に惑わされた哀れな国君の遺言に盲従し

国を危うきに陥れた荀息が、死に際に語ったとされる一文である。



 こうして、多くの犠牲と悲劇を生んだ「驪姫の乱」は終結した。




   *     *     *




 里克は百官を朝堂に集めた。

「妾の子は除いた。空位となっている晋君だが

先君の子のうち、公子・重耳が最年長。晋君に相応しいと思われる」

「同意であるが、公子重耳の祖父であれらる狐突のご意見も伺うべきでは」

邳鄭がそう言ったので、里克は狐突に使者を出した。


 狐突は「わしは二人の息子を公子に随従させている。

公子の帰国に賛成すれば、弑逆に加担したことになろう。

ただ、諸卿で話し合って決めた事に従う」と語った。


 晋の大夫ほとんどが重耳の帰国に賛成し、署名に名を連ねた者は30人を超えた。

屠岸夷はその署名を持って翟へ向かった。



 署名を一読した重耳は、狐突の名がないのをいぶかしみ、帰国に難色を示した。


 魏犨は「晋の重臣は尽く公子の帰国を心待ちにしておられ

こうしてお迎えまで来ているというのに

なぜ、お帰りにならないのでしょうか」と尋ねた。


 重耳は「晋の公子はわしの他にも多くいる。

晋君が必ずしもわしでなければならない理由はない。

しかも幼い公子が二人も殺されたばかりで、その支持者もいる。

今はまだ時期尚早であろう」と語った。


 咎犯も、葬儀に乗じた反乱で大義名分がないから

帰国すべきではないと言い、重耳は屠岸夷に謝罪して帰国を断った。


「わしは先君の罪を得て逃げた不孝者である。

先君が生きておられる間に再会も出来ず

亡くなられても葬儀に出席して弔うことさえ出来なかった。

今、乱に乗じて国を取るというような真似は出来ない。

どうか、別の公子を擁立されるよう、お伝え頂きたい」


 屠岸夷は帰国し、復命した。



 里克はもう一度重耳に使者を出そうと思ったが

大夫の梁繇靡りょうゆうびが異議を唱えた。

「公子であれば皆君主になる資格はあります。公子・夷吾を迎えては如何でしょう」

「夷吾は重耳に比べ、色々と劣る。晋君に相応しくない」

「ですが、重耳は帰国を断ったのです。何度送っても答えは変わらないでしょう」


 他の大夫も同意したので、里克は屠岸夷と梁繇靡を梁へ向かわせた。




        *     *     *




 公子夷吾は梁へ亡命して梁伯の娘を妻にし、ぎょという息子が生まれた。

晋献公が崩御したと聞いた時、呂甥に命じて屈城を襲撃し、これを接収した。

「屈はわしの領地である。文句を言われる筋合いはない」

荀息は奚斉や卓子の即位問題でそれを構う余裕はなかった。


 その後、奚斉、卓子が殺され、荀息も自害した後に

諸大夫が重耳を迎えようとしている事を知って

夷吾は虢射、郤芮と相談し、重耳との晋君争奪を考えていた。


 その時に屠岸夷と梁繇靡が梁に来たので

夷吾は大いに喜び「天は兄から国を取り上げ、わしに与えるか」と言った。


 しかし郤芮は夷吾が即答するのを引き止めた。

「重耳が国を手に入れたくないはずはありません。

断ったのは何か策があるのでしょう。簡単に信じてはなりません。

今の晋は里克、邳鄭が専横しています。両者に賄賂を贈りましょう」


「だがそれだと、わしが晋君になっても里克、邳鄭の言いなりにならぬか」


「今、我々のいる梁は秦の属国。秦は晋の西隣にある大国です。

そこで秦候に使者を出し、援助を願い出るのです。

秦候夫人は公子の姉君。きっと援助してくださるでしょう。

秦の後ろ盾で帰国すれば、里克、邳鄭も強くは出られません」


 夷吾はその意見に従って秦に手紙を届けた。

一方で里克には汾陽ふんようの田百万畝

邳鄭には負葵ふきの田七十万畝を与える約束をした。


は農業に使われる単位で、日本でも中国でも

古代から現代まで使われていますが、サイズは時代ごとに異なります。


現代日本での一畝は約1アール(100平方m)で

周尺が使われていた春秋時代では、6尺(約140cm)四方を1歩(約1.96平方m)

そして100歩(約196平方m)が1畝だったようです。


作中で里克が約束された田百万畝は、1.96万ヘクタール(196平方km)

滋賀県彦根市ぐらいの広さ。


なお、田というのは、田んぼというより、土地そのものを意味します。

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