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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第二話 周都炎上

扱っている時代が非常に古いため、馴染みのない単語が頻出しますが

それら全てに注釈をつけると、非常に読み難くなると思い

最低限度に抑えています。ご了承下さい。



さて、幽王の舅・申侯である。


侯は幽王が申后を廃し、褒妃を立てたと聞き、上奏文を書いて諌言した。


「昔、桀王は妹喜を寵愛して夏王朝を亡ぼし

紂王は妲己を溺愛して商王朝を亡ぼしました。

今、王が褒妃を溺愛され、嫡子を廃して庶子を立てるは

桀紂の悲劇を繰り返し、周に夏商の災いを招く行い。

どうか亡国の源を除かれますように」



幽王はこれを読んで激怒した。

「何という暴言であるか」


「申侯は太子を追放されてから、王を恨んでおります。

さらに王后、太子共に廃されたので、謀反の気持ちがありましょう。

だから過去の暴君の過ちを持ち出したのす」


「申侯をどうするか」


「申侯は功績なく、ただ娘が王后になって爵位を得たのみ。

今は王后、太子ともに廃されたのですから、爵位を元の伯に戻しましょう。

もし従わねば討伐するのです」


幽王は虢石父の進言を認めた。




申侯が上表した後、申侯の家臣が鎬京を探り

幽王が虢公を将として、近く申を討とうとしているという噂を聞いて

急ぎ、夜を徹して帰国し、申侯に報告した。


申侯は驚き「申は小国で兵も少ない。王軍を防げぬ」


大夫・呂章が進言した。

「嫡子を廃し、庶子を太子に立てるという、道を外れた王の行動に

天下の忠臣は下野し、万民の怨嗟の声は高く、天子は孤立しています。

今は西戎が強く、我が国にも近い。彼らの兵を借りて、鎬京を攻め

王后を救い、宜臼様を再び太子に復位せよと天子に要求するのです。

これは、かの伊尹、周公旦の故事に沿うものです」


「よかろう」

申侯は直ちに国書と金、銀、絹を持たせて西戎に使者を派遣した。

また、鎬京を落としたら都中の金銀財宝は好きにしてかまわないと約束した。


 

 「天子に失政あり、無道の王を倒して太子を擁立するべしと

国舅・申侯から依頼があった。わしも同意する」


戎主はそう言って、数万の戎兵を自ら率いて出陣した。

申侯もまた軍を出して、戎主と連携し、鎬京に侵攻した。



意表をつかれた王都は何重にも包囲された。


幽王は驚き「虢公の策は申侯に知られていたようだ。

準備ができる前に戎兵に先行されてしまった。 どうしたらよいか」


「王よ、直ちに驪山の烽火を上げ、諸侯の救援を呼びましょう。

内外から敵を挟撃すれば必ず勝てるでしょう」

と、虢石父が進言した。


幽王はその意見に従い、烽火を上げたが、どの諸侯もやって来ない。


かつて褒妃の笑顔見たさに戯れで烽火を上げ、諸侯を嘲笑した報いである。




救援軍は来ず、犬戎の攻撃は昼夜と絶え間なく続く。


「虢公、敵の勢いが如何ほどか、試しに一当てせよ。わしは後に続く」


虢公は将の器ではない。 しかし王命には従わねばならぬ。

数百乗の兵車を率いて城門を開き、突撃した。


申侯は城から虢石父が出てきたのを見て戎主に伝えた。

「あやつが王を騙し、国を誤らせた国賊である」


戎主の率いる軍に剛力の士がいる。


単身、兵車に乗って石父の前まで進み、一刀で石父を斬って捨てた。



将を失った軍勢は城へと逃げ戻る。

それを逃すまいと、戎主は全軍で城へ雪崩れ込む。


鎬京の家はことごとく焼かれ、人を見れば有無を言わさず殺され

申侯もこれを抑える事は出来ず、都城は大いに混乱した。



幽王は出陣する前に情勢が悪化したので

密かに褒姒と伯服を馬車に載せ、後方の門から城外へ脱出した。


司徒の鄭伯友が後から追ってきた。

「王よ、ご心配なく。私がお守りします」

と言って、北門を出て驪山へ逃亡した。


途中、後を追ってきた尹球に遇った。

「戎は宮殿に火をつけ、蔵の財宝を略奪し、祭公は戦死しました」

と、尹球が言うのを聞き、幽王は落胆した。


鄭伯友は再び烽火を挙げたが、やはり諸侯の援軍は来ない。


戎の兵は驪山の下まで追ってきて、驪宮を何重にも包囲した。



畏れ慄く幽王と褒姒に、鄭伯友は進言した。

「王よ、ひとまず臣の国・鄭に避難しましょう」


「すべて、叔父に任せる」



鄭伯は驪宮に火をつけて戎を動揺させ、幽王を連れて驪宮の後方から飛び出した。


鄭伯は先に立ち、尹球は褒后と太子を守りながら幽王に随った。


一行はほどなく戎の将に阻まれたが

鄭伯は将を一撃で倒し、戎兵は鄭伯の勇猛に驚いて逃げ去った。



しばらく行くと、再び後方から戎の大軍が迫って来た。

鄭伯は尹球に王の車を守って先に行かせ、自分は戦いながら退いたが

四方から包囲され、全身を矢で射られて戦死した。


間もなく王の車も取押えられ、幽王と伯服は殺された。

車の中に隠れていた尹球も斬殺された。

褒姒は殺されず、戎主の慰み物にされた。






かくして周は滅んだ。幽王の在位は11年であった。




桑の弓と箕の箙を売っていた男に清水河辺で拾われて

褒国へ逃げた妖女・褒姒は

君心を蠱惑し、王后を凌辱し、周を破滅に追い込んだ。




     「檿弧箕箙、其亡周国」  (山桑の弓と箕の矢筒、それが周を滅ぼすだろう)




宣王末期に流行った童歌は現実となったのである。









だが、周が滅ぼうと、人の歴史は続く。



申侯は宮中に火がついたのを見て、急いで消火に当たり、申后を冷宮から救出した。


だが、幽王、褒姒の行方は分からない。


「北門から出て行かれました」

という者がいたので、驪山へ逃げたのだろうと思い、後を追ったが

途中で戎主と出会い、暗君は誅したと聞いて落胆した。


「わしは王を諫めたかっただけだ。こんな事になってしまうとは思わなかった。

わしは不忠者として後世に名を残すだろう」と嘆いた。


申侯は兵に命じて幽王の遺体を納棺し、丁重に葬った。



約束通り、蔵の財宝は全て運び出して戎主に与え、帰国させようと思ったが

戎主は幽王を殺したことを類稀なる功と自画自賛し

軍を都に留めて歓楽に耽り、帰国する様子がない。


戎兵は都で乱暴狼藉を働き、民は申侯を恨んだ。



申侯は三人の諸侯に密書を届けた。

晋侯・姫仇、衛侯・姫和、秦候・嬴開である。


それと別に、鄭伯・友の子、掘突に父の戦死を知らせ、復讐の兵を挙げるよう要請した。


掘突は齢23、身長は八尺(約180cm)の偉丈夫で才気煥発な人である。



掘突は喪服を着て300乗の戦車を率い、昼夜兼行で都に向かった。


都に近づくと、物見が戎主に知らせたので、戎の方でも準備を整えていた。



掘突は到着するとすぐ攻撃をしようとしたが、公子成が諌めた。

「兵は疲れています。溝を深く掘り、塁を固め

諸侯の軍が集まってから一緒に攻撃するのが万全と考えます」


「この挙兵は王と父上の仇討ちである。

戎は驕り、油断している。我が精鋭で攻めれば負けることはない。

諸侯が来るのを待っていては士気が緩む」


直ちに兵に命じて城下に迫ったが、城は静まり、何の動きもないので

掘突は城攻めの用意を命じた。


すると突然、両方の林の茂みから戎軍の伏兵が飛び出し

掘突は挟撃され、大敗を喫して逃げた。



掘突は残兵を集めて公子成に言った。

「卿の忠告を無視して損害を受けてしまった。何か案はあるか」



「ここからは濮陽が近い。衛侯を頼りましょう。

鄭と衛が兵を合わせれば戎に勝てましょう」


掘突はその意見に従い、濮陽に向った。


二日ほど進むと、砂塵を巻き上げて無数の兵や戦車が見えた。

中央に老齢の偉丈夫が兵車に坐っている。衛の武公・姫和である。


掘突は車を止めて挨拶した。

「私は鄭の世子・掘突です。戎軍が都を侵し、父は戦死しました。

我が兵も敗れ、救援をお願いに参るところでした」


「衛は国を挙げて勤王に励もう。

秦、晋両国の兵も間もなく来ると聞く。戎軍など心配に及ばぬ」



掘突は衛侯と共に鎬京に戻り、都城から二十里の外で分かれて陣を張った。


やがて西から秦の軍勢が到着した。

「秦は周に属するものの、風習は西戎に倣い、兵は勇猛と聞く」


北からも晋軍が到着し、北門付近で陣を張った。


武公は喜び「これで勝った」と呟いた。




深夜の三更(午後11時~午前1時)、諸侯の軍勢は都城に夜襲を仕掛けた。


東から衛、南から秦、北から晋が城門を攻撃、城内からは申侯が呼応した。

油断していた戎兵は組織的な抵抗も出来ず、諸侯の軍勢に容易く討ち取られていく。


戎主は驚いて城を出ようとしたが、西の城門を出た直後で待ち伏せていた掘突に阻まれた。

あわや敗死かと思われたが、戎の残兵が身を挺して主を守り

戎主は僅かな手勢と共に西方の根拠地へと逃げ帰った。掘突は追撃はしなかった。




やがて戦いが終わり、夜が明けた。褒姒の行方は誰も知らない。






申侯は宴を設けて四諸侯をもてなした。


主席の衛武公が諸侯に言った。

「王は亡くなり、国破れた今、我ら臣下は酒を飲んでいる時でしょうか」


晋文候は「国は一日たりとも主なくしては成立ちません。

前の太子が申におられます、あの方に王位を継承していただきましょう」と同意する。


「仰る通りです。それこそ周の先王の御霊に叶うでしょう」

秦襄公がそう言うと、鄭の世子掘突が申し出た。


「此度、私には功がありません。

せめて司徒(鄭伯友)の志を継ぎ、新王をお迎えに参りたいと存じます」


武公は杯を上げて労った。



奏上文を作り、法駕(王の車) の準備が出来ると

掘突は太子・宜臼を王に迎えるため、申国へ向かった。




一方、宜臼は申国にあり、国舅・申侯の様子が分からず不安な日々を送っていた。


そこへ鄭の世子が国舅と共に、諸侯の連名で都に迎えるという上申書をもたらしたので

宜臼は驚くと同時に、王が戎に殺されたことを知って泣いた。


掘突は太子に奏上した。

「太子、どうか周の社稷のため、一刻も早く王位にお就きになられ

人心を安んじさせていただきたく、お願い申し上げます」



数日後、宜臼は鎬京に着いた。


国舅・申侯は衛、晋、秦三国の諸侯と鄭の世子ならびに文武の朝臣を引率して

城外三十里まで出て迎え、吉日を占って入城した。


宜臼は宮室が無残に破壊されているのを見て涙した。


先ず申侯に会って指示をし、天子の礼服を着て宗廟に報告し

正式に即位して、宜臼は周の平王となった。



平王は昇殿し、諸侯百官は参内して祝賀を述べた。


それが終わると平王は申候を昇殿させて

「一度は廃嫡された身であったが、今こうして王位を継承した。全て国舅のお陰である」

と言って爵位を昇格させ、申公にしようとした。


申侯は「それは正しい評価とは申せません、国政の汚濁によって滅びた

鎬京が復活できたのは、諸侯の勤王によるものです。

臣は犬戎の暴虐を制止することができず、しかも先王からは罰を受け

むしろ万死に当たります。とても賞をお受けすることはできません」


と言って三度固辞した。そこで平王は元の侯爵に封じた。





  

著者自身、全く勉強不足で、未熟な文章ではありますが

古代中国の物語を書くのは若い頃からの悲願でした。


このような形で夢が叶い、拙作が読者の皆様の耳目に晒されているのは

嬉しくもあり、同時に緊張と不安も抱いています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 当時、戦車(馬車に革の装甲を施し、御者、剣士、弓兵が乗る)一台(一乗)に兵百名が付き従う。 三百乗というと約三万の軍勢。 のような豆知識を掲載してはいかがでしょう?
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