第二十八話 唇亡び、歯寒くして、五羖大夫は処を得る
春秋時代に生まれて、未だに使われてる四字熟語は結構あります。
切磋琢磨、羊頭狗肉、臥薪嘗胆、温故知新、呉越同舟など。
* * *
時は10年ほど遡り、斉桓公が覇道を邁進していた頃の晋について書く。
晋献公は愛妾・驪姫に絆され、その子・奚斉を愛し
世子・申生を粗略に扱うようになった。
しかし、申生は主君に忠良かつ恭順であり、孝心篤く
武功も多いので、今なお晋の世子であり続けている。
驪姫が目指すのは申生を廃嫡し、実子の奚斉を世継にする事だが
申生には付け入る隙がなく、徒に時を重ねて来たのである。
驪姫は苛立ち、俳優の施に相談した。
「申生を廃し、奚斉を立てる方法はないか」
「世子は晋都におりません。策はいくらでもありましょう」
「我が君の子は申生の他に重耳、夷吾もおる。いずれも優秀で支持する大夫も多い」
「その二人も辺境にいます。気にする事はありません。まず世子申生を除きましょう。
申生は自身の名声を利用して、晋君を弑逆しようとしている、と吹き込むのです」
驪姫は施の策を用い、毎夜、献公に泣きつき、言葉巧みに申生を誹謗した。
献公は次第に申生を憎むようになった。
折しも、晋の北方に勢力を持つ東山の皋落氏がしばしば国境を侵している。
献公は申生に皋落の討伐を命じたが、大夫の里克が反対した。
「世子が戦死しては一大事。他の将を向けては如何でしょう」
「まだ申生がわしの後嗣と決まったわけではない」
里克は退出し、世子が危ういと感じて大夫の狐突に相談した。
狐突はかつて申生の教育係であった。
狐突は申生に手紙を送った。
「この戦、勝てば主君の妬みを買い、負ければ戦死し
仮に生き延びても世子を廃されるでしょう。いっそ他国へ出奔なされては」
世子申生は手紙を読んで「我が君が私を戦に向かわせるのは
私を信頼しておられるからだ。君命に逆らうほどの大罪はない。
主君の命に従い、それで死ぬ事と相成っても名は残る」と返書した。
申生は曲沃から出陣し、稷桑で皋落と戦い、これを敗走させた。
この戦勝により、晋の領土は北へ拡大した。
驪姫は申生の敗北か戦死を期待していたので落胆した。
「あの赤狄に打ち勝つとは、世子はなんと強いのか」
戦いを好み、晋の拡大を望む献公は
申生を妬むよりも、その強さを見直す気持ちが勝った。
驪姫はいよいよ焦った。
狐突は晋国に乱が起きると予感し、病を理由に閉門した。
* * *
晋の南に境を接する、虞と虢という二つの国がある。
虢公・丑は驕慢で戦が強く、以前より晋の南境を度々侵してきた。
晋献公は自分の在世中に、何としても虢を滅ぼしたかった。
晋、虞、虢、いずれも周王室からの分枝で姫姓だが
諸侯として分封され、すでに数百年が経ち
同姓など、遠い祖先が共通である証に過ぎず
目前の利欲のために相争うのは、この時代の常態である。
献公は大夫の荀息に相談した。
「晋は虢に勝てると思うか」
「虞と虢は友好で、互いに援け合っています。
虢を攻めれば虞が援軍を出すでしょう。勝つのは厳しいかと」
「何か策はないか」
「虢公は女色に弱いとか。我が国の美女を虢に贈り届け
和平を求めれば虢公は受け入れるでしょう。
その美女に溺れさせ、政を疎かにして忠臣を遠ざけ
犬戎に賄賂を贈って虢の国境を侵させ、その隙に攻め込むのです」
献公はその策を採用して、女楽士を虢公に送り届けた。
虢公は受取ろうとしたが、虢の大夫・舟之僑が反対した。
「これは晋が虢を滅ぼそうとする策略です。受け取ってはなりません」
しかし虢公は女楽士を受け取り、晋と和平した。
荀息の思惑通り、虢公は昼夜となく美女に耽り、政治から離れた。
舟之僑が諌言したが、虢公は彼を遠ざけ、門番の地位に落とした。
これを知った晋献公は犬戎に賄賂を渡して虢を攻めさせた。
犬戎の軍は渭汭まで攻込んだが、虢軍に撃退され、一旦は退いた。
だが犬戎の主は諦めず、再び虢へ侵攻した。
虢公は桑田で長期間、犬戎と対峙する事になった。
献公は荀息に尋ねた。「今なら虢を討伐できよう」
「その前に虞と虢を切り離さねばなりません。臣に策があります。
虞公に虢を討つための道を借りるのです」
「我が国は虢に美女を送って和平を結んだ。虞は信用すまい」
「晋と虢の国境で小競り合いを起こさせ、それを口実にします。
ただ、虞公には賄賂として、我が君が大切にしている
垂棘の玉璧と、屈産の名馬を献上する必要があります」
「それらはわしの宝だ。手放す訳にはいかん」
「一時、虞公に預けておくだけです。いずれ取り戻します」
大夫の里克が口を開いた。
「虞には宮之奇と百里奚という賢臣がいる。こちらの策を見破るであろう」
「虞公は貪欲で利口ではありません。諌言は無視するでしょう」
晋献公は璧と馬を荀息に渡し、虞へ交渉に行かせた。
虞公は、虢を討つために道を借りたいという荀息の要求を、一度は断ったが
献上された璧と馬を見て、受け入れようとしたが、宮之奇が諌めた。
「我が君、晋の要求を受け入れてはなりません。
我が国と虢は、謂わば唇と歯の関係。晋が虢を滅ぼせば、次は我が国の番です」
「晋候は大事な宝を手放してまで我が国に交誼を求めて参った。
道を譲るぐらい構うまい」
宮之奇は更に言おうとしたが、百里奚がそれを止め、引き下がらせた。
「百里よ、なぜ、わしの諫言を止めた」
「いくら言っても我が君は聞き届けないだろう。
その昔、関龍逢は夏の桀王に、比干は殷の紂王に誅殺された。
共に名臣であったが、暴君に対し、過ぎた諫言を行ったせいだ。
虞は間もなく滅びるであろう」
宮之奇は一族を引き連れ、行き先を告げずに虞を去った。
すでに年老いて家族のいない百里奚は虞に残った。
荀息は帰国して晋侯に復命した。
「虞公は璧と馬を受取り、借道を了承しました」
献公は自ら出陣して虢を攻めようと思ったが、里克が反対した。
「今なら虢を破るのは容易。我が君が出るまでもございません。
虢の都城は上陽ですが、必ず下陽を通る必要があります。
私が下陽を攻めます。下陽を取れば虢は亡んだも同然です」
献公は同意して、里克と荀息に四百乗の兵車を与え、虢を攻撃させた。
虞国を通過する時、虞公が晋軍へ協力を申し出たので
共に下陽に向かい、下陽の門番をしていた舟之僑に虞の援軍であると偽った。
舟之僑が城門を開いた時、虞公の兵車に隠れていた晋兵が城内に突入した。
下陽はあっけなく陥落した。舟之僑は降伏した。
桑田で犬戎と対峙を続けていた虢公は
下陽の陥落を知らされると、急いで戻ろうとしたが
退路を犬戎に追撃されて大敗を喫した。
それでも虢公は生き残った敗兵を率いて上陽に戻り
そこへ籠城したので、晋、虞、犬戎の軍で包囲した。
里克は舟之僑に降伏を促す文書を書かせ、城中へ放ったが
虢公は「虢は代々、周王の卿士であった。諸侯には降れない」と拒否した。
深夜、虢公は家族と共に黄河の南へ逃亡し、虢は滅んだ。
晋、虞、犬戎の軍勢は上陽へ入城した。
里克と荀息は城内での略奪を禁じたので民衆は安心した。
国庫に収蔵されている宝物は虞公と犬戎の主に半分ずつ譲った。
荀息は晋侯へ報告するために帰国したが
里克は兵の休息と治安維持を理由に上陽に留まり、一ヶ月が経過した。
犬戎はすでに帰国したが、虞公はいまだ留まっている。
* * *
ある日、虞国からの急使が上陽に滞在している虞公に届いた。
晋候の軍勢が虞を攻撃している、との報せであった。
虞公が驚くとほぼ同時に、里克が晋兵を率いて乱入し、虞公を捕えた。
里克は虞公を連行して上陽から虞国に移動した。
虞の都は炎上し、百里奚も晋軍に捕えられていた。
虞公は百里奚に「わしが宮之奇の諫言を聞かなかったせいだ。
なぜ、卿は何も言わなかった」と泣きながら尋ねた。
「宮之奇の諫言を聞かぬのなら、私の諫言も聞かないと思ったからです」
捕えられた主従の元に晋候が現れた。
「お貸しした玉壁と馬を返して頂きます」
そう言うと、虞公の首を刎ねた。虞は滅び、その社稷は絶えた。
百里奚は釈放された。
そこへ荀息が玉壁と馬を持って献公の前に現れた。
献公は「璧は以前のままだが、馬は老いた」と呟いた。
晋献公は虞に入城して民衆の不安を取り除いた。
晋の大夫になった虢の降将・舟之僑は
「百里奚は賢臣です。用いるべきでは」と助言した。
「わしは虞を滅ぼした。よもや、わしには従うまい」
「それがしが説得します」
舟之僑は百里奚の自宅に向かった。
「虞公は卿や宮之奇に従わなかったから滅んだ。
晋候は立派なお方。卿もお仕えせぬか」
「君子は仇の国には付かず。仕官するとしても晋以外の国にする」
この言葉には舟之僑への皮肉と批判も混じっている。
舟之僑もそれに気づき、それ以上は何も言わず、立ち去った。
宮之奇の諫言を聞かなかったせいで、虞は晋に滅ぼされた。
この時に宮之奇は、虢が滅ぼされれば、次は虞が滅ぼされる
という警告を「唇亡びて歯寒し」と表現した。
互いに助け合う関係の一方がなくなれば、もう片方も危険に晒される
という意味の四字熟語「唇亡歯寒」の語源である。
また「仮道伐虢」という熟語も唇亡歯寒と共に生まれた。
虞に道を仮りた晋が虢を伐ち、孤立した虞をも伐った事に由来する。
* * *
晋が虢と虞を滅ぼしたのは周の恵王23年(紀元前654年)である。
その頃、秦の穆公は即位して6年になるが、まだ夫人を迎えていない。
秦候は晋侯の長女・伯姫を夫人にしたいと思い
使者として公子・縶を晋に送った。
晋献公は娘を秦候に嫁がせるべきか、太史の蘇に筮卜(占い)を命じた。
「雷澤、卦第六爻」その繇は「士、羊を割くに亦血無し。
女、筐を承るも亦賜り物なし。西隣より責言を受け償うあたわず」と出た。
太史蘇は「西方(秦)から咎めあり、晋と秦は和せず。
士が羊を犠牲に捧げるも、乾いて血が出ず、盟約を結べない。
女が竹籠を受けても中身が無い。この婚姻は凶です」と解釈した。
続いて晋献公は太卜の郭偃に亀卜で占わせた。
「松柏は隣り合わせ、代々舅婿の関係を産み
三度我が君を定む。婚姻は吉、犯すべからず」と出た。
太史蘇は筮卜の結果を主張したが、献公は
「昔から筮は亀に如かずと言う。亀卜が吉ならば、それに従おう」
そう言って秦候の求婚を認めることにした。
公子縶が帰国の途中、二本の巨きな鋤で田を耕している大男を見かけた。
興味が湧いたので名を聞くと、公孫枝、字を桑、晋室の縁戚だという。
公子縶は公孫枝を同じ車に乗せて帰国し、穆公に推薦すると、彼を大夫にした。
秦穆公は晋候が伯姫との婚姻を承諾したしたことを聞き
具体的な日取りを決めるため、再び公子縶を晋へ派遣した
晋献公は娘に付ける臣を誰にするか相談した。
「百里奚にしましょう。晋には仕えたくないと言っていましたので」
言ったのは舟之僑であった。献公はそれを容れた。
この時、百里奚はすでに70歳である。
この屈辱に耐えられず、途中で一行から脱出した。
無事に逃げた百里奚は、旧友の蹇叔を頼って
東の宋に向かおうと思ったが、遠すぎるので南の楚へ向かった。
やがて楚領の宛邑に辿り着き、仕官を求めた。
「どこから来た」
「虞です。国が滅びたので、ここまで逃げてきました」
「ずいぶん年を取っているな。牛飼いでもしておれ」
百里奚は楚で牛飼いになった。
かつて虞国で卿まで昇ったというのに、晋の公女の付き人から逃れて
奴隷同然にまで落ちぶれた我が身を呪った。
しかし、牛飼いもやってみると、なかなか奥深く、面白い。
百里奚の育てる牛は他と比べ、どれもよく肥えて立派に育つ。
やがて彼の噂が広まり、楚王から呼び出しを受けた。
「良い牛を育てる秘訣は何だ」
「決まった時間に餌を与え、心を牛と一つにする事です」
「その方法は馬にも通じるようだな」
楚王は百里奚を馬飼いにした。
* * *
秦の穆公は、晋から降嫁した伯姫の付き人に百里奚がいると聞いたが
見当たらないので理由を聞いた。
「屈辱に耐えられず、途中で逃げたようです」と公子縶が言った。
穆公は公孫枝に尋ねた。
「子桑(公孫枝)は晋にいたから百里奚を知っていよう。どういう男だ」
「経世の才を持つ賢人ですが、それを発揮する時と場所を得られていません」
穆公は百里奚を探した。
楚から帰って来た使者が「楚で馬飼いをやっています」と報告した。
「金と布帛で彼を買い取ろう」
「それでは百里奚は来ません」
「なぜだ」
「楚が百里奚を馬飼いにしているのは彼の賢才を知らないからです。
大金を持って行けば、楚王にそれを教える事になります。
夫人の付き人から逃げた罪を問う、という理由で安く買い叩いた方がいいでしょう」
「なるほど、斉の鮑叔牙が管仲を魯から取り戻した方法だな」
穆公は使者を楚に遣わした。
「弊国の百里奚という賎臣が貴国に逃げて来ております。
逃亡者への見せしめとして罰したいので、五枚の牡羊の皮と交換して頂けませんか」
楚王はやや惜しいと思ったが、秦との友好を考慮して百里奚を秦に引渡した。
秦との国境で公孫枝が百里奚を迎え、穆公と接見した。
「卿は幾つになられる」
「70歳です」
「だいぶ年を召しておいでだ」
「太公望呂尚が渭水の河岸で周文王に見出された時は80歳でした」
穆公は苦笑し、なるほどと感心した。
「秦は中原から西の外れにあり、戎と狄の脅威に怯え
諸侯との会盟にも参加しておらぬ。どうすれば良いか教えて頂きたい」
「秦の領内には雍、岐あり。これらの地は周の開祖が興った地。
周は東遷に際し、これを守りきれずに秦に与えたのです。
戎、狄の間にあって兵は強く、秦に与する西戎の族は数十余り。
中原に向けては山川の険に守られており、覇業は秦候の掌中にあります」
穆公は感動して
「わしが卿を得たのは斉侯が管仲を得たようなものだ」
両者は三日三晩に及んで話を続けた。
穆公は百里奚を上卿に任じ、国政を任せることにした。
秦人は百里奚を「五羖大夫」と呼んだ。
楚で馬飼いをしていた百里奚を
穆公が五枚の牡羊の皮で買い取ったからである。
秦は後年の戦国時代、圧倒的な大国となり
最後は始皇帝によって天下統一されます。
春秋時代の時点で大国でしたが
中原諸国の開催する会盟にはあまり参加しておらず
楚と同様に異民族扱いされ、一段低く見られていたようです。