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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第二十五話 斉楚の対立

この頃から、鄭が苦境に立たされ続けます。

南方の楚が北上すれば、鄭に侵攻する形になり

黄河流域の諸侯がこれを迎え撃てば、鄭の領内が戦場になります。


この過酷な挟み撃ちの状況下から、後年に

「立法者」子産が登場する事になります。




        *     *     *




 中原にあって、斉候が天下に号令していた頃、南の楚は

賢臣・闘谷於菟とうこくおと(字は子文)が令尹れいいんになり、国力を増大させた事で

楚成王は野心を抱き、北へ目を向けるようになった。

 

 斉侯がけいを救い、衛を復国させた噂を聞いた成王は子文に言った。

「斉侯は徳業を積み、天下の万民に慕われている。

楚は斉に劣らぬ大国だが、わしはまだ、そこまで徳を積めていない」


「斉侯は即位して30年近く、その間に多くの覇業を成し

また常に周王を尊ぶので、中原の諸侯はみな彼に従います。

悔しい事ですが、我が楚は今の斉に敵いません。

王が中原へ進みたいと望まれるなら、まず鄭を取るべきでしょう」


「誰か鄭を討てる者はいないか」


「では、それがしが参りましょう」大夫・闘章とうしょうが名乗りを上げた。

成王は闘章に兵車200乗を与え、鄭に向けた。




        *     *     *



 

 鄭は純門の戦い以来、楚に対して警戒を強めている。

楚が攻めて来た事を確認した鄭文公は

臨戦態勢を整え、斉に急使を送った。


斉桓公はこれに応じ、諸侯を率いて鄭救援に向かった。



 闘章は鄭に戦の用意がある事を見て

更に斉が救援に来るのを知るに及び、国境まで兵を退いた。


楚成王は怒り、いていた剣を抜くと

闘章の弟・闘廉とうれんに渡し、闘章の首を切れと命じた。


 闘廉は闘章の陣へ行き、王命を伝えた。

「いかに王命とはいえ、兄上を斬るは忍びない」

「処分を免れるには、鄭軍を破り、功を立てるしかない」

「我々が撤退したから、鄭は油断しているはずだ。奇襲を仕掛けよう」

闘章が先鋒、闘廉が後詰となった。


 闘章は深夜、密かに鄭の国境まで来た時

国境警備をしていた鄭軍に遭遇し、そのまま楚と鄭の戦いが始まった。

後詰の闘廉が鄭軍の背後に回って鄭軍を挟撃したので楚軍の勝利となった。

鄭の将・耼伯たんはくは捕虜となった。


 闘章はこの勢いで鄭城を攻めようとしたが、闘廉は反対した。

「この勝利は偶然に過ぎません。

我々はすでに十分な戦果を挙げました。

鄭都の城壁は堅牢と聞き及んでいます。ここで退きましょう」

闘章は弟の説得に従い、楚へ帰国した。




      *     *     *




 闘章の報告を受けた成王は

「敵将を捕えた功により、卿の罪は免じる事にしよう。

だが戦果には満足していない。兵を倍に増やす。

今度は鄭都を陥とし、鄭伯を捕えるのだ」


 闘章と闘廉の兄弟は400乗の兵車を率い、鄭に再侵攻した。

鄭伯は再び斉に救援の使者を出した。



 管仲が桓公に進言した。

「鄭を救うなら、禍根を絶つために楚を攻めましょう」

「楚は大国だ。諸侯軍を結集しても勝てるかどうか」

「まず、楚のすぐ北にある蔡国を討つと宣言するのです。

我が国は蔡とは盟を結んでいません。それを口実にします。

蔡を攻撃すると見せかけ、楚の不意を突きます」

「仲父の言には従うが、わしは蔡候を赦したわけではないぞ」



 かつて蔡穆公は妹を斉桓公の第三夫人として嫁に出した。

ある日、桓公と蔡姫が一緒に小船に乗って池で遊んでいた時

蔡姫が戯れに船を揺り動かして桓公を怖がらせ、蔡姫はそれを見て笑った。

桓公は怒って蔡姫を蔡に送り返した。

これに蔡穆公も怒り、蔡姫を楚に嫁がせ、成王夫人にした。

桓公は蔡侯を憎んだ。


管仲は、斉と蔡の軋轢を利用しようとしたのである。



 斉桓公が提案した。「漢水にある江、黄の二国は

楚の横暴に耐えられなくなり、我が国と誼を通じている。

楚を討つなら、この二国と盟約を結び、内応させようと思う」


「江、黄は楚に近く、斉から遠いので、ずっと楚に従属してきました。

斉に従ったとあらば、楚は必ず二国を討伐するでしょう。

これを救うには遠すぎます。といって同盟国を見捨てる事も出来ません。

盟約は結ばない方が斉にとって幸いでしょう」


「遠方から徳を慕って来る者を断るなど、覇者の行いとは言えぬ」

「ですが、後日に江、黄が攻められた時、我が君は後悔なされると思います」


結局、桓公は管仲の意見を聞かず江、黄両国と盟約を結んだ。


 二国の君主は斉桓公と面会した。

「我々は楚の隷下にあるじょ国に苦しめられています。

舒は荊蛮の地。これは討伐しないといけません」


 桓公は舒の近くにある徐国に密書を送った。

徐の公女・徐嬴じょえいは桓公の第二夫人であるため

徐に命じて舒を攻め取らせ、徐君を舒城に入れて有事に備えさせた。


 江、黄二君は兵を調えて斉からの命令を待った。



 魯僖公は斉に使者として宰相の季友きゆうを送った。

「我が国はちゅうきょ両国とのいさかいがあり

けい、衛の戦役に参加できず、申し訳ありません。

今、貴国は江、黄と同盟を結ばれ、南へ征伐に出られるとか。

此度は弊国も協力させて頂きます」


斉桓公は喜び、季友と楚討伐の密約をした。



 その頃、楚の闘章と闘廉が再び鄭へ攻め込んできた。

鄭文公は楚と講和して民衆に災禍が及ぶのを防ごうとした。


「それはいけません。斉は鄭のために楚を討つ準備をしています。

ここは堅く守って、斉の救援を待つべきです」

鄭の大夫・孔叔こうしゅくは斉に急使を送った。


 桓公はすぐ救援を出すと大々的に伝え、楚を警戒させよと指示して

諸侯軍を率いて蔡に集まり、楚を攻撃する事を言い含めた。


 一方で桓公は宋、魯、陳、衛、許に使者を送り

蔡討伐を口実に楚を討つという約を交わした。




     *     *     *




 翌年、周恵王の21年(紀元前656年)正月

斉桓公は元日の朝賀が終わると、蔡討伐の出師を発した。


 斉軍の先鋒隊を率いる豎刁じゅちょうは蔡を攻撃した。

蔡は楚に頼り切っているので、戦の準備を怠っており

斉軍の攻撃を受けて蔡城は陥落寸前となった。

蔡候は斉軍の将が豎刁と知って、深夜こっそり斉軍の陣中に賄賂を届けた。


 豎刁は賄賂を受取り、斉侯が七ヵ国の諸侯と連合して

先ず蔡を攻め、次いで楚を討つ計画を教えた。


 蔡候はその夜のうちに家族を連れて楚へ出奔した。

翌日、君主のいない蔡城はあっけなく陥ちた。



 楚へ亡命した蔡侯は楚成王に会って、豎刁の話を告げた。

成王は鄭に出兵していた闘章に帰還を命じた。


 数日後、斉軍の本隊と諸侯軍が蔡に到着した。

蔡に集結した諸侯は宋桓公、魯僖公、陳宣公、衛文公、鄭文公、曹昭公、許穆公である。

これをに斉桓公を入れると8人の諸侯が蔡に集まった事になる。


 許穆公は病気であったが、病をして一番に蔡に到着した。

しかし無理が祟ったのか、その夜、許穆公は亡く なった。


斉侯は蔡に三日間留まり、許公の葬儀を行なった。


 その後、諸侯軍は南へ向かって進軍し

楚の国境まで達すると、一人の男がいる。

「斉候、お待ちしておりました。

それがしは楚王の使者、屈完くつかんと申します」


 桓公は傍らの管仲に尋ねる。

「楚の者がなぜ、わしが来るのが分かっていたのか」

「恐らく、蔡候が楚王に伝えたのでしょう。この者とは臣が相対します」


 屈完は管仲と相対して、先に口を開いた。

「楚君は、諸侯が弊国を攻めようとしているとの噂を聞き

何故、斉が楚に干渉するのか聞いて参れと、それがしを遣わしました」と語る。


 管仲はそれに対し「昔、周成王は、太公望呂尚を斉に封じられた際

王命に従わぬ者を征討せよとの権限を与えられ、周室を守るよう命じられました。

周室の東遷以来、諸侯は勝手な振舞いが増えたために

大公望の子孫たる我が君は、王命を奉じて盟主となられたのです。

楚国は毎年周王に包茅ほうぼう(束ねたチガヤ)を貢納する事になっているにもかかわらず

周王に服さず、貢納を拒絶してきたため、討伐に参りました」と返す。


 屈完は「今や周王に力なく、諸侯が朝貢をしないのは南荊(楚)に限りません。

されど、包茅を収めていないのはこちらの落度でした。

王命に従って貢納する様、君に復命いたします」と言って去った。


 管仲は「楚人は強情で、対話では屈しません。進みましょう」

と桓公に進言し、軍を進めた。


 諸侯連合軍は陘山けいざん(現在の湖北省広水市)まで進んだ。

「ここで駐屯する」と管仲は命じた。

「まだ漢水も渉っておらぬではないか。なぜもっと進まぬ」桓公は聞いた。

「使者が来たという事は、楚はすでに防衛体制が出来ているはず。

楚が我々の大軍を見て恐れたら、また使者をよこすでしょう。

その時、楚と和解して帰順させます」



 一方、楚成王は漢水の南に駐屯して、諸侯軍が漢水を渉るのを待っていた。

そこへ敵情視察に行った物見が戻って来た。

連合軍は陘山に駐屯して動かないと言う。


成王は「諸侯軍には管仲がいる。何か計があるに違いない」と語る。

「もう一度使者を送り、敵の考えを見た上で和戦いずれか決めましょう」

と子文が言うと、成王は誰を使者にすべきか尋ねた。

「屈完は管仲と面識があります。今回も彼にしましょう」


「包茅を貢納していないことは、こちらの落度と認めています。

王が講和を求めるおつもりであれば全力を尽くしますが

戦を望まれるのであれば、別の者を遣わして下さい」 と屈完は成王に言った。

「和戦いずれにするかは卿の考えに任せる」

成王の言葉を受け、屈完は再び斉軍の陣営に向かった。



 諸侯軍の陣営を再度訪れた屈完は、斉桓公との面会を求めた。

管仲は「楚の使者は和平を求めに来たのでしょう。

礼を以て偶するべきです」と桓公に告げた。


 屈完は斉候に面会し、鄭重に挨拶を交わした。

「卿が訪うたのは二度目であるが、用向きは何であるか」

「我が君は、周室へ献納の責務を怠った罪に服し

今こうして斉候より制裁を受け、その罪を認めております。

斉候が軍を一舎(30里・1日分の行軍距離)下げて頂ければ、命に従うとの事」

「それで楚と和解出来るのであれば、否やはない」


 屈完は感謝して帰国し、楚王に復命した。

「臣は軍を退けよと要求し、斉候はそれを了承しました。

ならば、我が方も献納の約束を履行せねばなりません」


 ほどなく斥候から報告があり、諸侯軍は軍を30里下げ、召陵しょうりょうに退いたという。

「斉候は約束を守ったか。なら、わしも周王に献納せねばならんな。

だが、力を失い、諸侯に支えられている周朝に屈するのは、どうも気に入らん」

「国君を騙すは無礼の極み。戦わずして楚は諸侯に屈した事になります」

子文は楚成王を諫めたので、楚は三度、屈完を使者として献納を召陵に送った。



 出陣の前に病没した許君・穆公は、棺に入れられて許国に運ばれたが

世子・業が後を継いで本葬を行い、許君に就いた。許僖公である。

僖公は大夫・百佗ひゃくだに兵を与え、召陵へ派遣した。


 屈完が諸侯軍を訪れ、楚王から諸侯への贈物を献上し、周王への献納を授けた。

「卿は中原の軍容を見た事があるか」

「いえ、ございません」

斉桓公は屈完に諸侯軍の閲兵の様子を見学させた。


「楚の軍と比べて、どうであったか」

桓公は得意気に屈完に言うと、屈完はこれに答えて

「斉侯が中原諸侯の盟主になられたのは、周王を補佐し

その恩徳を広め、民を大切になさったからであります。

いかな小国も、武力のみで屈する事はございません」


 屈完の話を聞き、桓公は反省した。

「卿は楚の賢臣である。貴国と盟約を結びたい」

「斉候が楚の民を思われるのであれば、楚王も反対なさらないでしょう」

桓公はその夜、屈完のために酒宴を設けて款待した。




        *     *     *




 翌日、召陵に壇を築き、桓公が盟主となり管仲が司会した。

屈完は楚王の命により、盟約書に署名した。

まず桓公が盟約の血を啜り、次いで七ヵ国と屈完が続いた。


 管仲は屈完に、鄭の大夫・耼伯を返すよう頼んだ。

屈完は蔡侯を許すよう頼み、両者はそれを了承した。


 これは後世、召陵の会盟と言われる。



 諸侯軍は引揚げ、帰国の途に着いた。

途中、鮑叔牙が管仲に質問した。

「楚の最大の罪は王を僭称せんしょうしている事。

周王への貢納など些事に過ぎない」

「楚は王を称して三代に及ぶ。もはや蛮夷と同じ。

これを咎めれば楚との戦は避けられず、幾年続くかも知れない。

そうなれば、どれほどの犠牲が出るか分からぬ。

貢納を納めなかった程度であれば楚も受け入れると思った。

戦を回避し、楚に過ちを認めさせ、諸侯も納得のいく結果になったではないか」

鮑叔牙は管仲の判断に感嘆した。


 しかし、諸侯が撤兵した後、楚は従前通りに中原への侵犯を続けた。

斉桓公、管仲は再び楚に対して討伐軍を出すことはできなかった。


長江流域を支配する楚国は、旧習が残っており

戦争を行う際に、卜いを立てる決まりがあります。


これは殷王朝の時代から続く伝統ですが、黄河流域の中原諸侯の間では

西周末期の頃から徐々に廃れていきました。


斉の管仲は常に即断即決で、卜いに判断を委ねる事は

あまりなかったようです。

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