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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第十八話 宋公と鄭伯、斉に下る

曹沫と曹劌は別人として扱ってきたけど

やっぱり同一人物かなあ、と今になって後悔したり。


なお、曹沫を主役にした宮城谷昌光先生の短編小説「侠骨記」では同一人物です。




        *     *     *




 魯荘公は曹沫そうばつを伴ってに到着すると

斉侯はすでに壇を築いて待っていた。


魯侯はまず、会盟に参加しなかった罪を詫び

改めて盟約への参加を願い出たので

斉侯はこれを容れ、同盟を結ぶ吉日を決めた。



 そして約束の日が来た。斉侯は精兵を壇下に並べ

壇上には「方伯」と大書された旗が立ち、厳粛な雰囲気であった。


 斉侯は、魯候と部下一人のみ登壇を許し

他の者は壇下で待機させるよう指示した。


斉候には管仲、魯候に従うのは曹沫である。

魯荘公は緊張していたが、曹沫にその様子はない。


 両君が相見え、誓約を交わし、友好を約した直後に、事は起きた。

突然、曹沫が斉桓公に迫り、喉元に短刀を突き付けた。


 管仲は桓公を庇おうとするが、曹沫は「近づくと斉君を刺す」

と脅したので、それ以上は近づけない。

壇下にいる斉の兵士も凍り付いたように動けない。


斉桓公は「魯候の臣よ、何をするか」と叫んだ。


「我が国は何度も貴国より攻撃を受け、今や危うきにあります。

斉君は、済弱扶傾さいじゃくふけいの志で会盟を催したとか。

されば、どうか魯に寛大なる処置をお頼み申す」


「卿の望みは何だ」


「斉国は力で小国を蹂躙し、乾時かんじの役において

汶陽ふんようの地を魯国より奪いました。

これをお返し頂きたい。さもなくば此度の同盟は結べませぬ。

もし、斉候が認めぬと申されるなら

この剣で貴君を刺し貫き、私も死にましょう」


「我が君、どうかご承諾を」管仲は桓公に進言した。


「おぬしの要求、相分かった」


 斉桓公は「汶陽を魯に返し、斉魯は永く友好にある」

と改めて誓約を立て、斉候、魯候、管仲、そして曹沫も誓って、儀式が終った。




        *     *     *




 無論、斉の臣たちは、主君を脅して地を返還させられる約定に納得がいかない。

王子成父おうじせいほたちは斉候に、魯侯との盟約を破棄して

曹沫の身柄を要求し、拒否すれば魯を攻めるべしと進言した。


「曹沫の手段はともかく、天も照覧される中で誓約を結んだ。

一国の君主が盟約を破るわけにはいかぬ」

と桓公は言ったので、それ以上は何も言えなかった。


桓公は斉に帰国して、約束通り汶陽を魯に返還した。これを柯の会盟という。



 斉桓公は曹沫の要求を呑み、恨まなかった。

この事は瞬く間に諸侯の間に広まり、桓公の名声を大いに高めた。


 北杏の会盟に参加しなかった衛と曹は斉に使者を送って謝罪し

改めて斉と盟約を結びたいと、同盟参加を願い出た。



 魯との一件が片付いた事で、斉桓公は宋討伐を決め

諸侯と会して、宋攻撃の日取りを取決めた。


使者を周に送り、宋公が会盟を途中で放棄したので

宋の罪を問うと、王に告訴した。


 周釐王は大夫・単蔑ぜんべつに軍を率いさせ

斉とともに宋を討つよう命じた。


陳、曹の二国も宋征討に従軍したいと申し出があったので

管仲が一軍を率いて先行し、陳、曹と合流した。


続いて桓公自らが隰朋しゅうほう、王子成父、東郭牙とうかくがらを将として

斉の大軍を率い、商丘に集結した。


時に、周釐王の2年(紀元前680年)春であった。




        *     *     *




 さて、管仲にはせいという才媛のめかけがいて、軍中まで伴ってきた。

管仲の率いる一軍は三十里ほど進軍して

峱山どうざんまで進み、そこで一人の農夫に出遭った。


管仲は車から彼を見て、部下に酒食を与えて労うように命じた。

農夫は食べ終って「相国様にお会いしたい」と懇願した。

「相国様はもう行ってしまった」

「では『浩浩乎白水(浩々かな白水)』と、相国様にお伝えください」


 部下は管仲の軍に追いつき、その詞を伝えた。

管仲はその意味が分からないので婧に尋ねた。

「『白水』という詩を聞いた事があります。

『浩浩白水 鯈鯈之魚 君来召我 我将安居』

という詩です。この方は仕官を希望されているのでしょう」


 管仲は軍を止めて農夫を呼んだ。

農夫は管仲に面会して「わしは衛の出身で寧戚ねいせきと申します。

相国様の高名を聞き、斉まで来たのですが

仕官の方法がなく、農夫をやっていました」


管仲は寧戚にいくつかの問答をしたが、実に明晰な回答で

尋常ならざる学識を持つ者であることを知り

桓公への推薦状を書いて渡した。



 三日後、斉桓公の軍がやってきた。

寧戚は推薦状を出す前に、多くの故事を披露して、桓公の政治を批判した。

桓公は怒って寧戚を斬ろうとしたが、寧戚は恐れる気配もない。

それを見た桓公は彼の勇気に感じ入って、赦した。

ここで初めて寧戚は管仲から頂いた推薦状を見せた。


「なぜ、最初にこれを出さなかった」

「賢君は良き家臣を選び、賢臣は良き主君を選びます。

斉候が怒ったままであれば、臣はこれを出さず、死ぬつもりでした」

「大変な賢臣を失うところであった」



 斉軍が宋の国境に着くと、すでに陳、曹の両軍は到着していた。

まもなく周の単蔑の軍も到着し、互いに挨拶をして、会議に入った。


 ここで寧戚が進言した。

「我らは天子の命を奉じて諸侯を糾合しています。

ここは力に頼らず、徳をこそ用いるべきです。

臣を宋公の説得に遣わしていただきたい」


桓公は寧戚の提案を許可し、寧戚を宋に送り込んだ。




        *     *     *




 寧戚は宋都・睢陽すいよう(現在の河南省商丘県)に到着した。


 宋桓公は戴叔皮たいしゅくひを呼び

「寧戚とは初めて聞く名だが、どういう男だ」と聞いた。


「元は衛の者で、農夫であったのを、斉侯が抜擢したそうです。

あの管仲が斉候に推挙したので、油断ならぬ者かと」


「我々は、どう対処すればいい」


「まず適当にあしらって様子を見ましょう。彼の発言に無礼があれば捕えます」

宋公は同意した。



 寧戚は宋公に面会し、拱手の礼を取ったが、宋公は何も答えなかった。

「宋は危うい」と寧戚は嘆いた。

「我が国の何が危ういのか」

「宋公と周公旦、いずれが賢人でしょう」

「周公はいにしえの聖人だ。わしと比較はできん」

「周公旦の頃、周は盛んでした。天下の賢臣、名臣を受け入れたからです。

だが昨今は諸侯が争い、貴国は二代続けて弑逆事件を起こしながら

周公に倣わず、賢人や客人を疎かにする。故に危ういと申し上げました」


 戴叔皮は、寧戚は無礼であるとして捕えようとしたが、宋桓公が制止した。

「わしは即位して日が浅く、君子の教えを聞いていない。赦してほしい。

宋が危うきから逃れる方法を教示して頂きたい」


「先般、斉侯は王命を承って諸侯の会盟を催しました。

貴君も参加され、宋君の位を天子より公認されながら、盟を全うせずに違背を行いました。

天子はお怒りになられ、王臣を派遣し、諸侯を率いて貴国の討伐に来ております。

大義は此方ではなく彼方にあり、勝ち目はありますまい」


「その通りである。いかにして宋を救うべきか」


「斉と会盟し、天子に礼を尽くし、盟を結べばよいのです。

斉侯は心のひろいお方。過去の過ちにはこだわりません。

魯は会盟に参加しませんでしたが、柯で盟約を結び

しかも、かつて戦で掠奪した地を返還しました。

貴国は会盟に参加されていたのです。斉候は必ず受け入れるでしょう」


 宋公は喜び、寧戚を使者と同行させて斉候に講和を申し入れた。

「今度の出師は天子の命によるもの。宋公の意思は周王にお伝えする」


 斉桓公は王帥を率いて来た単蔑に

宋公から贈られた玉壁と黄金を全て渡した。

「王は斉候に全て任せると申されておいでです。

斉候が宋公をお赦しになられるのであれば、王に復命致します」


 斉桓公は宋公の使者に、まず宋公が周王を謁見して

その上で宋を含む諸侯で盟約を結ぶと伝えた。


宋の使者は帰還し、単蔑は周に戻り、斉、衛、曹もそれぞれ帰国した。

寧戚の功により、五国は戦わずして平和的に問題を解決したのである。




      *     *     *




 斉軍が帰国して、管仲は桓公に進言した。

「今、中原諸侯で特に手強いのは鄭です。

東虢とうかくを滅ぼして以来、前は嵩山すうざん、後は黄河、右は洛水、左は済水に守られて

その堅固なるは天下に知れ渡っています。

かの鄭荘公は宋を破り、許を滅ぼし、周王をも一敗地に塗れさせました。


そして今、鄭は王を僭称する楚と盟を結んでいます。

楚は土地広く、軍は精強にして、漢水の諸侯を併呑し

周に入朝する全ての諸侯とも対峙しようとしています。


もし、我が君が覇道を歩まんと欲するならば

いずれは楚を討たねばなりません。

そのために、まず鄭を討つ必要があります」


「それは分かっておる。鄭は中原の要地にあるからの。

だが、良い策が浮かばん」


 ここで寧戚が進言した。

「鄭は荘公を継いだ昭公が2か月で退位して

公子・突が立つも、3年で祭足に追放されて昭公が復位。

これも2年で高渠弥こうきょびに弑逆されて、公子・を立てましたが

間もなく我が国の先君・襄公が子亹と高渠弥を誅殺。

その後、祭足が子儀を立て、今に至ります。


祭足は臣下でありながら主君を追放し

子儀は弟でありながら兄から君位を簒奪した。

いずれも人倫に背く行為。討伐に値します。


今、鄭の公子・突は檪邑らくゆうにあって

鄭君への復位を目論んでいます。

賢臣・祭足はすでに亡く、今の鄭には人材がいません。

檪に将兵を送り、公子突を鄭君に就ければ、鄭は斉に従うでしょう」

 

桓公は寧戚の提案に同意し、賓須無ひんしゅむに二百乗の戦車を預けた。



 賓須無は檪城から二十数里のところに陣を設営して

公子突に使者を出し、斉君の意向を伝えた。


突は祭足の没後、腹心を鄭に送り込ませて鄭の内情を探っていたので

斉侯が自身の帰国を支援してくれると聞き、大いに喜んだ。


 公子突は賓須無を檪城に迎えて宴を開いた。

鄭攻略について二人が話し合っていた時、鄭に潜伏させている腹心から報告があった。

祭足の後を継いで上大夫になったのが叔詹しゅくせんであるという。


「叔詹とはどういう者ですかな」賓須無が訊ねた。

「賎妾に産ませ、市井で育てた、私の子です」と、突が答えた。



 この頃、鄭都で怪異があった。

南門の城内に長さ八尺(約184cm)、青い頭で尾が黄色の大蛇が現れ

城外には長さ一丈(約2.3m)、頭が赤く尾が緑の大蛇が現れて

この二匹の大蛇が17日に渡って争い続けた末に

外の蛇が内の蛇を噛み殺し、その蛇は城内に入り

祖廟に入って行って見えなくなったと言う。



 この怪異を聞いた賓須無は公子突を寿ことほいだ。

「公子が再び鄭君になるのは決まりました」

「どういう事でしょうか」

「城外の蛇とは貴公です。城内の蛇は鄭君・子儀です。

17日目に城外の蛇が入城したのは、貴公が鄭国を出て17年目、つまり今年です。

城外の蛇が、城内の蛇を噛殺し、祖廟に入ったと言うのは

公子が鄭君・子儀を逐って祖廟を祀る事

即ち、鄭君に就く事を顕しているのです」


公子突は賓須無に感謝した。




      *     *     *




 ほどなく公子突と賓須無は共同で大陵に夜襲をかけた。

鄭将・傅瑕ふかが城を出て公子突と応戦している間

賓須無が後方に回って大陵を陥とし、斉の旗を立てた。

傅瑕は投降した。


 公子突と傅瑕は17年間、敵対してきた間柄である。

突は傅瑕を斬ろうとしたが、傅瑕が命乞いをした。

「お赦しいただければ、鄭君の首級を獲って参ります」

「わしを騙して鄭都へ逃げ帰る心算ではないのか」

「大陵には私の家族がおります。彼らを人質として預けます」

「よし、いいだろう」



 傅瑕は鄭都・新鄭に帰り、叔詹に会った。

「貴殿は大陵を守っていたはず、なぜ此処にいる」

「斉侯は公子・突が正当な鄭君であるとして、鄭に攻めて来ました。

大陵は陥落して、それがしは逃げて参りました。

斉兵と公子突は間もなく鄭都へ攻め込んできます。 勝ち目はありません。

ここは鄭君の首級を獲り、開城するべきです」


 叔詹は「私は以前、父上を鄭君にお迎えしようと主張したが

祭子(祭足)は否と申された。今や祭子は亡い。これぞ天佑」と語った。


 叔詹は傅瑕に同意したという手紙を公子突に届けた。

傅瑕は鄭君・子儀に謁見し、斉軍と公子突が大陵を陥としたことを告げた。

子儀は驚いて「楚に救援を要請しよう。楚軍と内外から挟撃すれば勝てる」


だが、叔詹は救援の使者を出したと偽り、楚に向かわせなかった。



 いくら待っても楚軍は来ず、檪と斉の軍は鄭城下に迫って来た。

深夜密かに、鄭君・子儀は鄭都から逃げようとしたが

叔詹と傅瑕が見つけ、背後から刺し殺した。

同時に子儀の二人の子も殺された。



 傅瑕は城門を開けて公子・突、賓須無が揃って入城した。

鄭の国人は公子突を出迎え、復位して再び鄭厲公となった。


 厲公は賓須無に多大な礼物を贈り、斉へ出向いて盟約を結ぶ約定をして

賓須無は斉に帰国した。


 鄭厲公は傅瑕を呼び「卿は大陵を守っていた17年の間

わしを拒んできたのは、先君に忠実であったからだ。

しかし、卿は先君を裏切って殺した。わしは先君に代わって復讐する」

そう言うと、厲公は傅瑕を処刑した。だが妻子は赦した。


大夫の原繁は、かつて先君・子儀を擁立した事を責められて自害させられた。


厲公の追放に加わった公子・閼も処刑された。


厲公の子・叔詹は正卿として、鄭の国政を任される事になった。


衛に出奔して3年になる公父定叔こうほていしゅく(鄭荘公の弟・共叔段の孫)を

呼び戻し、共叔段の祭祀を継がせた。


鄭の君主は、三代目の荘公が死んでから

28年間で、四代目から九代目まで、全員が荘公の子です。


10代目でやっと荘公の孫の代になるというグダグダ展開。

この時代では、ほとんどの国で最低一度は起きる事ですが。


やっぱ、国君の血を引いてると、チャンスがあれば国君になりたいんです。

そこに家臣や女が絡んで、ドロドロした宮廷政治が展開されると。

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