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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第十七話 桃花夫人と、北杏の会盟

古代ギリシャに、神々が美女を奪い合う、トロイア戦争というのがありますが

古代中国にも美女が原因で起きた戦争は結構あります。


実際のところは、単なる侵略戦争だったりしますが

それだと身も蓋もないので、様々な美談や大義名分で誤魔化すのは

古今東西で変わりません。





       *     *     *



 

 長勺の役に敗れた斉桓公は以後、兵事を含めた国政を

全て管仲に任せ、自身は美女と酒を楽しむことにした。

もし国事に関して聞く者あらば「仲父とはかれ」とのみ告げた。


 この頃、斉桓公は豎刁じゅちょうという者を寵愛していた。

内宮に近づくため、自ら去勢して宦官となった者である。


 斉の雍邑ようゆうの人で名を巫、字を易牙えきがという多芸多才な男がいる。

権謀術数に長け、物作り、弓術、車御、さらには料理にも造詣が深い。

ある日、桓公の夫人・衛姫が病気にかかった時には

易牙の料理で回復した事があり、以来、彼女の寵を得て

彼女を通じて桓公に紹介してもらった。


「卿は料理に心得があるそうだな」

「些か、自負しております」

「わしは鳥獣に魚など、大抵の物は食した。他に珍味はないか」

「お任せ下さい。我が君が未だ味わった事のない料理をご用意しましょう」


 数日後、易牙は桓公の食卓に蒸し肉を出した。

桓公はそれを平らげて「美味であった。何の肉であるか」と尋ねた。

「それがしの息子でございます」

と易牙が答えたので、桓公は仰天した。

「君への忠の前に、家は二の次でございます。

我が君は人肉の味をご存知ないと思われたので、我が子をお出し致しました」


 以後、桓公は易牙を重用するようにな った。

こうして豎刁と易牙は権力を振るうようになり、管仲と対立することになる。


 ある時、両名は桓公に、管仲を讒言した。

 「『命は君より発し、臣はこれに従う』と申します。

しかるに、今の我が君は全てを仲父に任せておられ

斉には君主なきが如し。これでは内外に示しがつかないのでは」


「仲父は我が手足の如し。わしは仲父あっての斉君である。

お前たちはわしを楽しませればよい。政は全て仲父に任せておけ」


豎刁と易牙は、それ以上、何も言えなかった。


 


     *     *     *




 この頃、南の大国・楚はますます盛んであり

とうを滅ぼした後は権、ずいうんこう、息らを従属させて

今や漢水の小国群は、ことごとく楚に臣従している。

ただ蔡のみ、斉との姻戚関係を持ち、中原諸侯とも盟約を結んでいる事から

未だ楚に服従していなかった。


 楚は周王を無視して自ら王を称し、今の文王・熊貲ゆうしは二代目である。

文王は令尹・闘伯比とうはくひを筆頭に

多くの名臣を従え、中原への進出を目論んでいた。



 蔡候と息候は、共に陳国から夫人を迎えている。

先に娶ったのは蔡候で、後から息に嫁いだ嬀氏ぎしは絶世の美女である。


 ある時、息公夫人・息嬀そくぎ(嬀氏)が陳へ里帰りする途中、蔡を通過した。

蔡哀公は息嬀の美貌を見て、これと私通しようとしたので

息嬀は怒り、すぐ蔡を出て陳に向かい、帰りは蔡を通らなかった。


 息候は妻が蔡候にかどわかされようとした事を恨み

共に蔡を攻めようと、楚に援軍を申し出た。



 楚文王は息の申し出を快諾し、兵を出した。


楚と息の大軍に攻められた蔡は大敗し、蔡哀公は楚軍に捕えられた。


 楚王は捕えた蔡候を煮殺そうとしたが、家臣の鬻拳いくけんが反対した。

「蔡候を殺すと、諸侯が王を恐れ、離反するでしょう。

ここは蔡と盟約を結ぶ方が楚のためになります」


しかし楚王は鬻拳の諫めを聞かなかったので

鬻拳は片手に剣を持ち、もう片方の手で王の腕を掴み

「ならば我が君を弑し、臣も黄泉へお供致しましょう」と脅迫した。


「わかった。汝に従う」楚文王は蔡候を赦した。


鬻拳は「我が君が臣の意見を容れてくださった事は

楚国にとって吉事でございます。

しかし、臣が君を脅迫した罪は万死に値します」と言って自害しようとした。

「卿の行いは忠心からである。死ぬには及ばない」

「王がお赦しになられても、臣は自分を赦せません」

鬻拳は自分の足を切断し「主君に礼を失した者はこうなる」と叫んだ。


 楚王はその足を宮殿に飾り

「わしは常にこれを見て、我が過ちを忘れぬようにする」と言った。

楚王は足を失った鬻拳を大閽たいびん(門の責任者)にして

城門を管掌させ、太伯と尊称したという。



 楚王は蔡侯を帰国させる前に送別の宴を開いた。

その席上、女性の楽隊の中に、琴を弾く美女がいた。

楚王はその美女を呼んで蔡侯に酌をさせた。

蔡侯は酒を飲み干すと、楚王の長寿を祝って返杯した。


「蔡候は絶世の美女というのを見たことがあるか」と楚王が聞いたので、

蔡侯は息侯が楚を扇動して蔡を討たせた事を思い出した。

「息候夫人を凌ぐ美女は天下におりますまい」と答えた。



 蔡候が帰国した後、楚文王は息候の夫人を見たくなり、巡視の名目で息を訪問した。

息侯は楚王を迎えて拝謁し、朝堂で歓迎の宴を開いた。

息侯は爵(古代の杯)を持って楚王の前に出て、王の長寿を祝った。

「候の夫人に酌をして頂きたい」

息侯は承知して、息嬀を呼んで楚王に挨拶した。

噂に違わぬ息侯夫人の美しさに楚王は驚き

宴が終わった後も楚王は息嬀の美貌が脳裏から離れなかった。



 翌日、楚王は兵を率いて息侯に迫り「候の夫人を貰い受けたい」と伝えた。

息候は拒否したので、楚王は兵に命じて息侯を捕え、息嬀を探させた。


 異変を知った息嬀は井戸に飛び込んで自害しようとしたが

楚の将・闘丹とうたんが遮り、彼女を楚王の元へ連れて行った。


楚王は息嬀を夫人に立て、桃花夫人と名付けた。



 数年後、楚王は息国を滅ぼして息侯を汝水に移し

十戸の邑を封じて息国の祖先を祀らせたが、息侯は怒りで憤死した。


 桃花夫人は文王との間に堵敖とごう熊惲ゆうこんのニ子を生んだが

自国が滅び、夫が死んだと聞き、以後二度と文王と口を利かなかったと言う。


     現在、湖北省武漢市に桃花夫人の廟がある。




           *     *     *




 周釐王の元年(紀元前681年)、斉桓公は管仲に尋ねた。

「仲父の改革により、斉は豊かになった。

そろそろ諸侯と盟約を結んで覇者になりたいと思うが、どうか」


「諸侯の中でも、北の晋、西の秦、南の楚などは斉より強大です。

また、衰えたりとはいえ、まだ周は王であり、天子です。

周平王による東遷以来、朝貢は絶え、桓王は鄭荘公との戦に敗れ

五国が荘王の命に従わず、諸国で臣下が主君を弑逆する事件が多発し

楚は無断で王を僭称するなど、天下に礼が失われております」


「わしは、何をすればよいのだ」


「宋では南宮長万の乱が終結して新君が即位しましたが

まだ天子より正式に認可されておりません。

我が君が周室に使者を送り、これを認めさせるのです。

これを機に、天子の名の元で諸侯を招集すれば

いずれ斉が天下に号令する立場となるでしょう」


「なるほど、そうか」


 斉桓公は十分な贈物を持たせた使者を周都に送り

新王即位の祝賀と、宋公の諸侯承認を請願した。



 周の釐王は喜び「斉候の尊王の意思、しかと確認した。

泗水しすいの諸侯は斉候に任せる」と宣言した。

これにより、斉桓公は王の公認で諸侯を招集する権限を得た。


 周王の東遷以来、幾度となく行われてきた諸侯同士の会盟は

本来、周王が招集すべきものであるが、もはや周王にそんな力はない。

そのため、諸侯は王に無断で会盟を行ってきたのである。


 今回、斉桓公は諸侯を招集する権限を、周王より正式に認められた。

もはや、王命に対する後ろめたさを抱く必要もない。


 桓公は早速、宋、魯、陳、蔡、衛、鄭、曹、ちゅうに対し

3月に北杏ほくきょう(現在の山東省東阿県)にて会盟を行う旨を伝えた。


「仲父よ、兵車は何乗ほど動員すべきか」

「王命を奉じ、諸侯にお集まりいただくのです。必要ありません。

衣裳いしょうの会(武器を持たない会合)にしましょう」

「わかった」



 斉候は北杏に入ると、壇を築き

仮の玉座をしつらえ、会盟の準備を整えた。


 最初に北杏に到着したのは宋桓公・御説ぎょせつである。

宋公は斉候に、宋君即位を周王に承認して頂いた事に感謝した。


続いて陳宣公・杵臼しょきゅうと、さらに邾の君主・克が到着した。

楚に恨みを持つ蔡哀公・献舞けんぶも参加した。


四国の国君は、斉の兵車がないのを見て驚き

斉候は力ではなく、誠意を以て諸侯に対する者であるとして

彼らが率いて来た兵車を北杏より一舎(30里・約12.5km)退けた。


 2月の終わりが近いが、他の諸侯はまだ来ない。

「期日を延期すべきであろうか」

「すでに五国が集まっています。十分でしょう。

期日を変えれば信を失い、それでも集まらねば王命を汚します。

「いいだろう。では予定通り行う」



 予定通り3月1日、古来の儀式に則って会盟は開催された。

まず斉候がことばを述べた。

「王政失われて久しく、ために天下は治まらず、各地で反乱が続いています。

これをただすべく、天子を奉じて王室を補佐するため

此度、諸侯にお集まり願いました」


次に宋公が発言した。

「宋の爵位は最上位の公。天子を補佐する立場である。

盟主となるべきは宋であろう」


「宋公は即位して間もない。また斉候の尽力で君位を王より公認された経緯もある。

やはり斉が相応しかろう」と反論が出た。


さらに陳宣公が発言した。

「天子は斉侯に糾合の命を下された。やはり盟主は斉侯では」


「陳侯の言われる通り、斉侯が適任です」


 斉桓公は再三遠慮したが、結局登壇して

斉侯が主席、次に宋公、陳侯、蔡侯、邾子という席次に決まり

最後に仲孫湫ちゅうそんしゅうが盟約書を読み上げた。


「斉小白、宋御説、陳杵臼、蔡献舞、邾克、天子の命を奉じ

北杏にて会盟し、共に尊王、済弱扶傾さいじゃくふけいを誓い

これに反する者あれば、和して伐する」


 管仲は「魯、衛、鄭、曹の四国は王命に従わず、本会に欠席しました。

これを討伐しなければなりません」と提案した。


斉桓公は「斉一国のみで四国に当たるのは心もとない。

諸侯との連合で合力してこれに臨みたい」と要請した。


陳、蔡、邾の三君は同意したが、宋桓公は態度を明らかにしなかった。



 その夜、宋公は大夫・戴叔皮たいしゅくひに語った。

「斉侯は爵位の順を越えて会盟を仕切り、各国の兵を用いようとしている。

斉候によって宋が疲弊させられては堪らない」


「斉候が覇業を成せば、わが国は斉の下風に立つ事になります。

宋は斉に次ぐ大国。その立場に甘んじる事もありますまい。

我が国が兵を出さなければ、他の三国も出さないでしょう。

北杏の会盟は周王の認証を受けるのが目的。

すでにそれは達成しました。長居は無用です」


 宋公は戴叔皮に従い、夜が明ける前に帰国した。



 斉桓公は宋公が会を抜けて逃げ帰ったことを聞いて怒り

仲孫湫に追撃させようとしたが、管仲が反対した。

「宋を討つならば、王の認可を得た上で討伐すべきです。

そうでなければ大義名分が立ちません。今討つべきは宋よりも魯です」


「なぜ魯を先に討つのだ」


「宋は斉から遠いが魯は隣国。しかも周王と同じ姫姓の国でありながら

周王を奉じた北杏の会盟に参加しなかった。

その名分で魯を抑えれば宋も服するでしょう」


「ふむ、わかった」



 斉桓公は済水せいすいの東北にある魯の属国・すいを攻め、半日で陥落させた。


 魯候は斉を恐れて家臣らに対策を諮った。


公子・慶父が勇んで語る。

「我が魯は過去2回も斉軍を撃退しております。斉軍に戦いを挑みましょう」


これに施伯せいはくが反対した。「それはなりません」


「そなたに良案があるのか」


「今、斉軍の陣中には管仲がおります。戦っても勝てないでしょう。

斉は魯に対し、王命を奉じた北杏の会盟に対する

王命への背任を譴責けんせきして攻めて来たのです。

つまり、戦の大義名分は斉にあります。

斉と兵火を交えれば、公子・きゅうを弑した功や

王姫との婚儀の労など、過去の功労が仇怨になってしまいます。

今は斉と講和して、北杏の会盟に参加しなかった事を謝罪し

正式に盟約に加われば、斉は軍を引くでしょう」


曹劌そうかいも施伯に同意した。



 魯で議論が続く最中、斉侯からの手紙が届いた。

斉と魯で盟約を結びたいとの内容であった。


魯候は同意して、斉候に返書を書いた。


斉侯は魯候からの手紙を受取り、盟約を結ぶため、まで兵を退いた。


 魯侯が柯へ向かう前に、魯将の曹沫そうばつが同行を求めた。

「そなたは斉国と三度戦い、三度敗れた。

斉人に嗤われるかもしれぬが、構わぬか」

「我が君にお連れ頂ければ、これまでの恥は一気に雪辱いたします」

「ほう、どのようにして」

「臣に考えがあります」

「いいだろう」


魯候は曹沫と共に柯へ向かった。



斉の桓公の料理人・易牙は

自分の子を蒸し焼きにして主君の膳に出したという

当時ですら、誰もがドン引きした奴として有名です。


多芸多才な人物だった事は事実なようで

今日の中華料理の創始者と言われています。

もう少し言うと、火加減、水加減、塩加減といった

中華料理の味付けを考案した人物、でしょうか。

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