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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第十四話 斉の桓公、起つ

サブタイトルの通り、斉の桓公が登場します。

春秋五覇の筆頭にして、この時代を代表する英雄の一人です。


もっとも、桓公には割と辛い評価を下す人も多く

一方、管仲は中国史でもトップクラスの名宰相という最大級の賛辞を

当時から現在に至るまで変わる事がありませんが。





       *     *     *




 管至父かんしほは斉君・無知に、国をよく治める賢人を集めるよう勧めた。

自身は一族から管仲を推薦し、斉候に紹介した。



 氏は管、名は夷吾いご、字は仲。

博覧強記にして明晰な頭脳を持ち

古典の教養に深く通じ、当代屈指の賢者である。


 彼の親友に鮑叔牙ほうしゅくがという者がいる。

二人で商売をした事があるが、いつも管仲が儲けの倍以上を取っていた。

ある者がそれを非難したが、鮑叔は咎めなかった。

「仲の家は貧しい。私は貯えがある。彼が多く取るのは家族の為である」


 二人で戦に出た事がある。

管仲はいつも後方にいて、敵と戦おうとはしなかった。

人は管仲を臆病と罵ったが、鮑叔は彼を擁護した。

「仲には老いた母がいる。彼が戦死したら誰が母を養うのか」


 管仲は鮑叔の友情に感動し

「我を生むは父母なるも、我を知るは鮑子なり」と語った。



 公孫無知に弑逆された斉の先君・襄公には子がいなかったが、二人の弟がいた。

上の弟はきゅうと言い、下の弟を小白と言った。


 管仲は公子・糾の(教育係)、鮑叔は公子・小白の傅であった。




        *     *     *




 かつて、斉襄公が文姜としょうで会っていた頃

鮑叔牙は主君の小白にこう言ったという。

「国君の淫楽は人に嘲笑されます。これを諫めるべきでしょう」


 小白はこれに従い、襄公を諫めた。

「魯候が亡くなられた事について諸人が噂しております。

男女の間で疑義を招く行動は慎まれた方がよろしいかと」

だが襄公は聞かなかった。


 鮑叔牙は小白に進言した。

「斉候はいずれ禍に遭うでしょう。難を避けて他国へ逃れるべきです」

「何処へ行くべきか」

きょがいいでしょう。小国ながら斉に近い。有事あらばすぐ戻れます」

小白は莒へ出奔した。



 ほどなく鮑叔牙の予測は当たり

公孫無知が襄公を弑逆して、新たな斉君となった。


 斉候・公孫無知は亜卿・管至父の推薦する管仲を招聘した。

管仲は仕官に応じたが、先君を弑した斉候・公孫無知に仕えるつもりはない。


 そこで、公子・糾を魯へ避難させることにして

管仲も糾に従って魯へ行った。


魯候は公子・糾を生竇しょうとくに住まわせた。



 魯の荘公にとって、弑逆された斉襄公は父の仇であったため

新たな斉君となった公孫無知の即位を祝って、斉を訪問した。


連称と管至父が斉君の左右に侍る様子を

斉の百官が不快気な表情で眺めているのを見て

斉国の臣・雍廩ようりんは、斉の群臣が二人に心服していない事を知った。


 雍廩は一計を案じ、斉の大臣に虚偽の質問をした。

「魯君の側にある臣が『魯へ出奔した公子・糾が、魯軍を率いて

斉を攻めるであろう』という噂をしている事をご存知でしょうか」


「斯様な噂、聞いた事がないが」

と、斉の大臣らは声を揃えて答え、雍廩はそれ以上何も言わなかった。



 その夜、大臣たちは雍廩の邸宅を訪ねて

公子・糾が攻めてくるというのは真であるかと尋ねた。


「卿らは、この噂について、どう思っておられるのでしょうか」


「私は、公子・糾が斉に戻られる事を期待している」

大臣の一人、東郭牙とうかくががそう言うと、他の大臣も同意した。


 雍廩は「臣も、国君を弑逆した賊徒に従う気はない。

諸卿の協力が得られるならば、協力して公孫無知を除き

公子・糾を新たな斉君に擁立したいと考えております」


 東郭牙が尋ねる。「具体的な方法はありますか」

「斉に代々仕える高氏の一族、高敬仲こうけいちゅうは賢才で人望もあります。

斉君の側に侍る連・管の二人も、高子を味方にしたいと思っている。

高子が二人を招待すれば、必ず行くでしょう。

公孫無知の味方はあの二人だけ。後は容易い事」



 翌日、東郭牙は雍廩の計画を高敬仲に話し、了解を取った。


更に東郭牙は連・管両家へ行き、高敬仲からの招待の案内をした。

二人は予定通りやってきた。


 高敬仲は二人に「先君は徳に欠け、斉国の将来を憂いていたが

お二方が新君を擁立してくださり、安んじて先祖を祀れる」と語った。


連称と管至父は「高子と酒を楽しめるは光栄にございます」と謙遜する。



 一方、雍廩は宮門に入り、斉君・公孫無知に面会した。

「我が君、公子・糾が魯軍を率いて斉に向かっているとの報告です」


「国舅の連称はどこにいるか」

「国舅と管大夫は酒宴に出ておりますが

百官は皆参内して、我が君の参上をお待ちしております」


 公孫無知はこれを信じて朝堂に出た。


諸大夫が斉君の前に出て、雍廩が背後に回り

後ろから公孫無知を刺殺した。


斉候の死を確認すると、続いて雍廩は烽火のろしを上げた。


その合図を見た高敬仲は宴席に兵士を送り込み

連称と管至父連の二人を斬って捨てた。


異変を知った連夫人は、宮中で自害して果てた。


雍廩と大夫たちは高敬仲の屋敷に集まった。

二人の心臓と肝臓を切取り、 姑棼こふんの離宮から襄公の遺体を引取って

襄公の祭壇に祭って改葬した。


15代目の斉候・公孫無知の在位は、僅か二ヶ月に満たなかった。




         *     *     *




 続いて斉の大臣らは、公子・糾を新たな斉君に迎えるため

魯へ使者を出した。


魯侯は喜び、糾のために兵を出そうとしたが、魯の大夫・施伯せいはくは反対した。

「斉に君主がいないことは魯にとって好都合。

ここは様子を見るべきです」と進言した。


 魯荘公は判断に悩んだが、母である文姜が出兵を促した。

文姜は兄の斉襄公を弑逆して斉君に就いた公孫無知を憎んでいたので

公孫無知が殺され、公子・糾を迎えに来たと聞いて喜んだのである。


 結局、荘公は母の催促に従い、施伯の忠告を無視して

曹沫そうばつ、秦子、梁子を将として

兵車300乗を率いさせ、公子・糾を斉に送り届けた。


 公子・糾の臣・管仲は魯侯に進言した。

「我が主の弟である公子・小白が莒に居ます。

莒は魯よりも斉に近いので、彼らが先に斉に入るかもしれません。

そこで、私が莒から斉の道に行き、これを遮りましょう」


「よかろう、兵車30乗をそなたに貸し与える」



 その頃、公子・小白は斉が内乱で君主の居ない状態であると聞いて

莒君から兵車100乗を借用し、斉への帰国を急いでいた。



    なお、斉の都・臨淄は現在の山東省淄博市臨淄区

    莒国は現在の山東省日照市莒県

    そして魯の都・曲阜は現在の山東省曲阜市である。


    小白が莒国から臨淄に入るには

    北方へ約160km(約400里)向かえば到着する。

    一方、糾が曲阜から臨淄へ入城するには

    北東へ約230km(約560里)あり、70kmほど遠い。


    この時代、一日の行軍距離は一舎(30里)とされ

    もし、糾と小白が同時に出国すると

    小白の方が5日ほど早く臨淄に入る事となるので

    管仲はこれを妨害しようとしている。



 管仲は兵を引連れて東へ急行し、小白の率いる莒兵に追い付いた。

「公子、どちらへお出掛けでございますか」

「先君の葬儀に行くところである」

「古来の習わしで、葬儀を仕切る喪主は長男の役割。

公子は末子ゆえ、ごゆっくりなされませ」


 そこへ鮑叔牙が来た。

「管仲、下がるがよい。公子に余計な口出しは控えられよ」


管仲は踵を返し、引下がった。

しかし、退きつつ弓を取出し、矢を番える。

そして振り返りざま、小白に矢を放った。


管仲の射た矢は見事、小白に命中した。

公子・小白は車上に倒れ、そのまま動く気配かない。


それを見た管仲は急いで立ち去った。




         *     *     *




 管仲は魯に戻り、魯侯に報告して、公子・糾と酒を交わした。

「咄嗟に放った矢が当たるとは、公子・糾は強運の持ち主でございます」


 管仲も糾も安心して、斉への道中、立ち寄る地の長が

次々と献納してくるので、それを受け取りながらゆっくりと斉に向った。



 ところが、管仲の放った矢は、小白の命を奪ってはいなかった。

矢が当たったのは小白が着ている帯のかぎ

小白は咄嗟に倒れて、やられた擬態をしていたのである。


 鮑叔牙は小白が生きていたのを知って喜び

「管仲は去ったが、確認に来るかもしれん」

と、小白の服を着替えさせ、柩車に載せ

見つからぬように裏道を通って臨淄へ急行した。


 鮑叔牙は自分だけ先に入城し

諸大夫に会って小白の良い噂を吹聴した。


「魯から公子・糾が来る、どう対処するか」と大夫たちが心配した。


「斉は二度も君主の弑逆が続きました。

正道を取り戻すには君子でなければなりません。

公子・糾を迎えていながら小白が先に帰国された。これは天意です。

魯君は公子・糾を支援しています。もし公子・糾が斉候となれば

高額の報酬を要求し、また斉は魯の風下に立つ事となるでしょう。


昔、宋公が鄭の公子・突を即位させた時、 宋の飽くなき要求で

宋と鄭は数年にわたって戦争が続きました。

わが国も国難が続き、魯からの要求に耐える力がありましょうか」


「しかし、どうやって魯侯を断るのか」


「すでに小白が斉君になったのです。魯は引揚げるでしょう」



 大夫の隰朋しゅうほうと東郭牙は「鮑叔の申す通りである」

と言ったので、公子・小白は城内へ迎えられ、斉君に即位した。

これが斉の16代・桓公である。




         *     *     *




 鮑叔牙は「公子・糾の率いる魯軍を止めなければなりません」

と、仲孫湫ちゅうそんしゅうを使者として魯候の元へ行き

小白が即位したことを報告させた。

 


 魯荘公は小白が生きていた事を知ると

「長男を差し置いて少子が斉君になるのは道理に合わない」と怒った。


 仲孫湫は帰って報告すると、桓公は鮑叔牙に聞いた。

「魯軍は引かないようだ。どうする」

「戦うしかありません」


 

 斉桓公は500乗の兵車を率いて出陣した。


鮑叔牙が桓公に進言する。

「魯君も我らが攻めて来るのは承知しているでしょう。

乾時かんじ(現在の山東省淄博)に伏兵を置き、不意をつけば勝てます」


「いいだろう」



 寧越ねいえつと仲孫湫を乾時に待伏せさせ

王子成父おうじせいほと東郭牙は魯軍の後方に回らせ

雍廩ようりんには魯軍の正面から対峙して、敵を誘導するように命じた。



 魯軍は乾時で停止して

魯侯は前方に、公子・糾は後方二十里ほど離れて陣地を設営した。


 翌朝、斉軍の先鋒、雍廩が到着した。

魯候は先陣に上がり、雍廩に向かって叫んだ。

「斉人は賊を始末したから君主を帰してくれと魯へ言ってきた。

なぜ今、兵を率いて魯を阻むのか」


 魯軍は突撃を開始すると雍廩が逃げだしたので、魯将の曹沫が追撃した。

雍廩は車を返して数合打合い、又逃げた。

曹沫は敵将逃がさじと、さらに斉軍を追うと

いつの間にか鮑叔牙の軍に囲まれていた。


 曹沫を救うべく、魯将・秦子と梁子が救出に向かうと

突然、左右から斉将の寧越と仲孫湫の伏兵が魯軍を襲った。


さらに正面からは鮑叔牙が中軍を率いて押し寄せる。

魯軍は三方向から攻撃を受け、支えきれずに退却した。


 魯軍の後方では、前方の魯軍が敗れたのを見て

召忽しょうこつと公子・糾を待機させ、管仲が救援に向かった。


 退却してきた魯候と曹沫と合流したが

すでに兵力は3割まで減っていたので

もはや勝ち目なしとみて、魯軍は撤退を決めた。



 だが翌日、王子成父と東郭牙が魯軍を襲った。

魯候を無事帰国させるため、魯の将は斉軍に当たり

この戦いで秦子と梁子は戦死した。


 管仲は輜重の積荷を捨てながら退却し

斉兵がそれらを拾っている間に逃げおおせた。


 隰朋、東郭牙はさらに魯軍を追撃し、汶水ぶんすいまで追って魯の汶陽ぶんようを占領した。

乾時の役は斉の大勝に終わった。




       *     *     *




 斉桓公は祝賀を受けたが、鮑叔牙はまだ不安がある。

「公子・糾は魯にあり、管仲、召忽がこれを補佐しており

魯侯も再び兵を出すでしょう、まだ安心はできません」


「どう対処すべきか」


「乾時の戦で敗れた魯候は気落ちしております。

斉の大軍を魯の国境に陣取らせて

公子・糾の始末を要請すれば、魯は怖れて承諾します」


「そなたに任せよう」



 鮑叔牙は大軍を率いて汶陽へ行き

隰朋を使者として魯侯へ書簡を届けさせた。



    以下、その書簡の内容である。

「斉候の臣・鮑叔牙が謹んで魯侯に申し上げます。

家に二主なく、国に二君なし。

わが主は斉の祖廟を奉じ、君主となりました。

しかるに公子糾、未だ争って簒奪を図るは許し難き事なれど

我が君に兄弟の情あり、公子糾を殺すには忍びないと申され

貴国にて処置をお願いたしたく存じます。

また、管仲と召忽はわが主君の仇。両人のお引渡しを申し上げます」



 魯侯は書簡を読み、施伯を呼んだ。

「お主の忠告を聞かず、斉に大敗してしまった。

斉候は糾を始末せよと言ってきたが、従うべきであろうか」

「今、魯は斉の大軍に国境を圧迫されています。

公子・糾を始末し、斉と講和を結ぶべきでしょう」


 魯候は公子・えんに命じて、生竇にいる公子糾を処分し

管仲と召忽を捕え、魯へ連行させたが

召忽は捕まる前に、公子・糾に殉じて自害した。


管仲は「主君に殉じるも忠、生きて主君に仕えるも忠。

私は生きて公子の冤罪を晴らす」と言った。



 それを聞いた施伯は

「管仲は天下の奇才。斉に返してはなりません。

斉候と鮑叔は管仲を重用するつもりです。

そうなれば、斉は天下に覇を唱え、魯は斉に下るでしょう。

管仲は我が国で用いるべきです」


「管仲は斉候を殺そうとした仇ではないか。それを許すとは思えん」


「では、我が方で管仲を殺し、遺体を斉に返しましょう」


 それを聞いた隰朋は急いで魯候に会い

「我が君は管仲への恨み一方ならず。

是が非でも、自らの手で恨みを晴らしたいとの事」と告げた。


魯候はそれを信じ、管仲を斉に送り返した。




春秋時代の行軍距離は一舎(30里)、つまり12~13kmとされています。


最初にこれを知った時、12kmって3時間ぐらいだし

ちょっと遅いんじゃないのかと思ったんですが

この時代の道路事情、道案内の不備、食事等の栄養状態

兵士らの重い装備と荷物を考慮すれば、これでも大変な負担で

10里歩いて休憩、を1日3回繰り返すペースだったとか。


方角については太陽や月、それに星座で確認していたでしょう。

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