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葵姫物語  作者: 蔵人藻袮
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第二話

蝉の声がやや虚しく聞こえた。

「葵って言っても、植物の葵と違う。昔昔、葵という名の姫がおったんじゃな。その姫の名に因んで、葵という名がついたんじゃ」

「戦国時代の初めごろ、ここらは南川(みなみかわ)という一族が治めておったんじゃが、隣の蒲郡(がまごうり)というのとしょっちゅう揉めておったそうで」

「聞いたことあるわ。蒲郡って昔ここら辺を治めていた戦国大名でしょう?」

「これはまだ蒲郡が大名になる前の話じゃ。蒲郡が名を挙げるようになったのは、南川氏を倒してからじゃ」

陽はさらに傾いてきた。

「時の南川の当主が南川惣右衛門(そうえもん)と言った。惣右衛門は来る年来る年攻めてくる蒲郡に手を焼いていた。その頃生まれたのが娘の葵じゃ。葵には9つほど歳の離れた兄がおる。彼の名は成政(なりまさ)といった」

和尚さんはお茶をすすった。

永正(えいしょう)9年、すなわち1512年、葵、15の夏、とうとう城から半里のところまで惣右衛門の軍は追い詰められてしまったんじゃ。それはそれは、館には葵たち家族がおるから、惣右衛門も焦られたことじゃろう」

私たちは、羊羹を摘む手を止めた。

「夜になって、惣右衛門は陣を敷いたんじゃ。火を焚いて、兵を休めるためにな。その頃、成政は齢24、であるからにして戦支度をして辺りを見張っておった」

和尚さんは流れるように語った。

不意に風鈴が鳴った。



「成政様、御屋形様は、川の岸に陣を敷いておられます」

「左様か。して、蒲郡の兵は?」

「はっ。蒲郡の軍勢は雉丘(きじおか)の上で松明(たいまつ)を掲げております」

「いかん。これは夜討ちがあるやも知れぬ。急ぎ出陣の支度をせい、挟み撃ちにしてくれようぞ」

「急ぎ、そのように」


「兄上。ご出陣なさるのですか?」

「ああ。城の守りは減るが、必ず戻ってくるゆえ、案ずるな」

「兄上。どうかご無事で」

「母上のそばにいておやりなさい」


「門を開けー!」

これが葵の見た最後の兄の背中であった。


城内に残ったのは、老兵数人と、小姓2人、葵とその母、侍女(じじょ)らだけだった。であるから、敵兵に城を囲まれたら一巻の終わりである。この時それは悪夢でしかなかったが、それは正夢と化すのである。


果たして、成政以下20の兵は蒲郡の伏兵(ふくへい)に遭ってしまった。暗黒から矢が降ってきた。数人が倒れる音を聞き、成政はあたりに松明をかざした。

横から飛び出した兵が、成政を斬りつけた。すぐさま周りが応戦したが、やられてしまった。


成政に意識はあったが起き上がることができず倒れていた。


「葵……。母上を、頼む……」

成政の夢は(つい)えた。享年24。


成政の願い虚しく、惣右衛門はもろに夜襲に遭う。

「御屋形様、夜討ちにございますっ!」

惣右衛門らは奮戦した。松明の明かりだけでは、よく周りが見えない。必死に刀を振りかざす。

その時だった。流れ矢が惣右衛門の首筋に当たった。


「殿、南川に勝利いたしましたっ」

「ついにこの日が来たか。惣右衛門よ、安らかに眠るが良い……」

「城の方はいかがいたしましょう」

「我が100の兵で、周りを取り囲め。手出しは無用じゃ。城に戦える兵など残ってはおるまい。このまま糧が尽きて降るの待つ」


明け方は、風が吹いていた。老兵は、外にいる蒲郡の軍と睨めっこしていた。

「南川殿、城は囲いつかまつった。我が前に降ると申すのならば、皆の命、お助けしようぞ」


葵とその母、侍女は広間に集まっていた。やがて、見張りをしていた小姓らが戻ってきた。

「蒲郡に降るか否か、私の答えは決まっております。否です」

1人の侍女が泣き崩れていた。

「今晩、城に火を放ちなさい。その中で私は潔く果てます」


酒が酌み交わされた。奥方の望みは、最後まで明るく過ごすことであった。やがて約束の刻となる。老兵たちは松明を手に、あちらこちらと走り回った。

轟々と燃え盛る火の中、奥方は小姓1人を連れて奥座敷へと消えていった。

「私はここで腹を切ります。茂吉(もきち)、葵殿の介錯(かいしゃく)を頼みますよ」

火は衰えることを知らず、燃えていた。


半里、すなわち1里の半分、約2㎞。

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