小説家になろうのランキングについて気づいたこと
本とは、
人の心に寄り添い、
人の心を癒し、
人の心を勇気づけ、
人の心を励まし、元気づける為にある愛の言葉をまとめた物である。
全ては天から人に与えられた心の為に。
先日、小説家になろうの純文学ジャンルの中で
あるエッセイを読んだ。
正直、読んでみてほとんどわたしが書いた作品をパロディーにして
わたしを批判した文だということに
気がついた。
そこで当然、ムッとしたわたしはその作者に感想を送り、批判に対する反論を試みたが、
案の定、その作者は
「自分は政治に対する個人的な見解を書くつもりはない。
(だから、お前の政治や皇室批判の文章は見たくないから
お前もこのサイトでそんな文章を書くな)」と
建前では美しい文章でもって私の反論をかわした皮肉を返し、
暗に言論弾圧をほのめかしてきた。
ならば、そんなにわたしの作品の中の政治や皇室批判が嫌で
わたしの作品がお気に召さないというのなら
最初からわたしの文章を読まなければいいものを、
わざわざ貴重なお時間と頭脳を使う労力を割いてまでほぼ全作品、読んでくださったのか
ほとんどわたしの作品を皮肉ったパロディーである。
だが、そんな私的な愚痴はどうでもいいが、それよりも
もっと重要な事に気がついた。
それは、この作者の作品がランキングの上位をほとんど占めているということである。
ついでに、その人以外でも似たような名前の作者ばかりが
なぜか、ランキング上位を独占していることにも
気がついた。
そもそも、なろう小説のサイトにある作品だけでも893,743作品、
登録ユーザー数2,101,836人というのなら
そんなに同じ作者の似たような作品ばかりが“何か月も”ランキング上位になるはずはなく、
民主的で自由な読者の意思によって、不正なく、投票されているというのなら
もっとたくさんの作者名や作品がランキング上位群で踊っていてもいいはずである。
200万人以上も登録ユーザーがいるのだから、
もっと激しい競争を繰り広げ、ランキングも毎日のように
入れ替わり立ち替わりしていてもおかしくないはずである。
893,743作品もあって、なぜかほんの数作品しか面白いと思われないなんて、
そんなことが本当にあるだろうか?
なのに、毎日のようにほぼ同じ作者名と作品名しかランキングには上がってこない。
毎日、毎週、毎月、同じ作者の似たような、変わり映えしない作品しか目につく場所に置かれない。
これでどうやって“面白い作品”なんて読めるんだろうか?
毎日、毎日、カップ麺ばかり食わされてもなぁって思うのはわたしだけだろうか?
破る為に法律を掲げているのなら、
人を傷つける為に建前や偽善を言うのなら、
最初から法律も建前も偽善もなくていいじゃないか。
どうせ、不正や犯罪することが世の中の為、それが成功の証だというのなら
ヤラセやチート(ズル)することがこの世で最強の武器というのなら
そもそも最初から法律も規約も要らないし、
無法でいいじゃないか。
金儲けの為だと言って
他人の物を盗んではいけません、他人を傷つけたり、殺してはいけません、
他人のパソコンをハッキングやクラッキングして他人の文章を削除、改変してはいけません、
言論弾圧してはいけません
っていう法律は守らないくせに
その一方で税金は国民の義務です、天皇は国の象徴ですっていう法律は
自分の生命に替えてでも守ろうとする。
守ったり、守らなかったり、そんなに金儲けが大事っていうんなら
誰も税金なんて払わなきゃいいだろう。
天皇だって払ってないんだから。
そんなに自分の生命が大事っていうんなら
なぜ、武器や兵器なんて持つんだ?
なかったら死ぬことも、殺されることもないだろうに。
真面目にする気もないのに、する振りしたところで
何が、どう、変わるんだ?
明日は俺達の思う通りだとでも?
何も変わらない、どうせ、ワンパターンを繰り返して悪くなるだけ、失敗するだけなのに
実際、何か良くなったのか?
あんたらの思う通りになったのか?
そのチート(ズル)やヤラセ、虚偽で?