七色のサトリ
昨日の夜は大波だった。だからきっといつもよりたくさんの貝殻が砂浜に打ち上がっているだろう。
「虹」と出会うことはきっとないけど。
サトリは、最初にそんな諦めを抱いて粗末な家を出た。
出会わないとわかっていれば気が楽だ。
サンゴが砂になった白い浜に出て、今日ひとつめはなかなかの大物だ。手のひらほどの大きさで、ツンツンと魚の骨のように細い飾りのついた巻き貝だった。
サトリが拾った貝殻を振ると、カラカラと音がして中から虹がころがりでる。
「あー。これは完全に、はずれ」
サトリはいかにも残念そうに口をへの字にした。
白い巻き貝の奥から手のひらにぽとりと落ちたのは小指の先ほどの七色の結晶だった。あたたかな海水に濡れ、くねくねした形の結晶を苦い顔のまま海に放り投げる。
すきとおった七色の結晶は、いつも通りキラッと光って波間にちいさな虹を作って消えた。「サヨナラ」と告げるようにパッと輝き、虹の結晶たちは海にはじけて消えていく。
これを不思議とも思わずに、サトリは四方を海に囲まれたちいさな南の島で暮らしていた。
住人はサトリと、昔から島に居るらしいニワトリの一家だけだ。
物心ついたときすでに母は亡く、サトリを育てた父はこんな言葉を遺して死んだ。
「ほんとうの虹を探すんだ。そうしたらこの島を旅立てる。ほんのすこしだって欠けのない、空にあるようなキレイな弓形の七色の虹だよ。いいかい、それは巻き貝たちが守ってる。サトリ、きっと見つけるんだ。十年かかるか二十年かかるかわからない。でもどうか、あきらめないで探しておくれ」
交わした約束など忘れたいのに、ひとりきりになった今もサトリは白い波打ち際を歩き続けている。
父を亡くして一年が経つ。
毎日海を訪ねても、美しい弧を描く虹に出会うことはついぞなく、死んだ貝の殻を拾っては、ゆがみ、あるいは欠けた七色の結晶を手にして、ほんの少しの期待と諦めのはざまでサトリは心を孤独に濡らしていた。
「来たれ来たれや、七つの光。七つの色の空にかける、七つの海を越えるカギ」
ゆるやかな節の歌を、父から習ったとおりの音でサトリ以外、誰もいない島に響かせる。
遠く誰かを呼ぶような声で。
すんなりとした身体には母が織った布を巻き付け、伸び放題の髪を蔓草で束ね、波打ち際を跳ねるように駆けながら、サトリはひとつひとつ巻き貝を手に取っては期待と落胆を繰り返す。
それから四つ、いびつな虹を海に帰した時だった。
足先をやわらかい波にくすぐられながら行く先に、横たわるなめらかな亜麻色の貝が目についた。かたい外殻に優雅なヒダを寄せた美しい貝は、サトリの胸をトクンと脈打たせた。
我知らずすくんだ足をなだめながら、おそるおそる近づき、大きな貝殻をそっと手に取る。
振る。カラリと音がした。
「七つの光、七つの色の空にかける――」
ポトリと虹が手に落ちる。
輝き。じわじわと胸が熱くなる。
サトリの手のひらにこぼれ落ちたのは、これまで見たこともないような美しい弧を描く、七色の美しい結晶だった。
サトリが叫びをあげて欠片を天にかざすと、突然うなるような轟音を上げて空にヒビが入るのが見えた。
すくみ上がるサトリを、時は刹那ほども待たずに未来へと連れてゆく。
蒼く冴え冴えとして、いつも同じ色の輝く空の向こうから、力強く翼を動かし、鳥とも獣とも違う大きな生き物がこちらへ羽ばたいてくる。
音が聞こえる。これは歌だ。
七つの時の向こうより、七色の君の御前へ――。
聞こえる声が何かも知らず、逃げることさえ思いつかぬまま、サトリは虹を手にして立ち尽くし彼方からの使者をただ見上げていた。
旅立ちと、孤独の終わりを予感して――。