ギョーマン
⑥ギョーマン
ギョーマンがロビーに下りて来たのが、ちょうど九時だった。
サッコが立ち上がった。
「待たせたね。やっと祖母ちゃんを寝付かせたんだ」
ギョーマンが笑いながら言った。
背丈はサッコと同じくらい、ブラウンの髪は軍人らしく、短く刈り上げられていた。
カクテルラウンジに場所を移す。ギムレットとオンザロックを頼んだ。
「どうだい、日本は」
「どこに行っても人が多いね」
「日本も今、短いバカンスだからね。祖母さんは」
「祖母ちゃんは喜んでるよ。京都の街並みに感動していたし、金閣寺、清水寺や石だけの庭にはびっくりしていたよ。祖母ちゃんはガーデニングが好きだからね」
「東京には」
「明後日まで。午後には飛行機の中だ」
「とにかく、会えてよかった」
二人はグラスを掲げた。
「サッコはどうだい」
「不満はないね。毎日、飯だけは食えてる。本当の出稼ぎ労務者だ」
「帰りたくなったら言ってくれよ。どこかに押し込めるくらいの事はできる」
サッコが微笑んだ。
サッコは、パリで大学を卒業したが、故国に帰る事はなかった。パリで貿易会社に入り、二年目には日本に来たが会社は四年後に撤退した。サッコはそのまま、日本に残ってドヤ街の簡易宿泊所に寝起きしていた。
別に働くわけでもなく、頃合いを見てパリに戻る気だった。
柴田と会ったのは、上野の美術館だった。雨が降っていた。
柴田はコローの絵の前に立っていた。鑑賞の列からは、少し離れて遠慮がちに立っていた。
サッコは、館内のカフェに柴田を見つけた。
「絵が好きなんですね」
サッコが声をかけると、柴田は小さく頷いた。
コーヒーを飲みながら、サッコだけが話した。柴田は声を発せずに頷くか首を振った。
柴田が声を発したのは、サッコが仕事をしていない、と言った時だけだ。
「パリには帰らないのか」
「まだ、日本に居たいね」
「それなら、うちに来るかい」
サッコは三日後に宿舎に行った。
「ところで、なにか話があるんだろう」
ギョーマンがサッコに聞く。
「今、同僚とちょっとしたゲームを考えているんだ。クリア出来そうなら、実践してみようと思っている」
サッコは毒入りチョコレート事件、計画をギョーマンに話した。
「面白いゲームだね」
「そこで、フェイクの司令塔が国外にあればいいと考えたんだ」
「それを俺がやれば、いいんだな。オーケーだよ。俺には演習みたいなものだ」
「その同僚はシバタと言うんだ。シバタは、ギョーマンが人生を台無しにしないか心配するが?」
ギョーマンは笑い出した。
「我が国で、将校を逮捕できる者はいないよ。何なら後方撹乱の演習として予算を取ろうか。シナリオが出来たら教えてくれよ。シバタには、俺の心配はいらないと伝えてほしい」
二人は、故国の話を続けた。
「明日も祖母ちゃんのエスコートだ。どこで仕入れたのか、歌舞伎を楽しみにしている」
サッコは一時間ほどでギョーマンと別れた。