宿舎
②宿舎
二人が住んでいるのは、建設会社の宿舎だった。公園から、歩いて十分ほどのところにあった。
宿舎は隣の区から五年前に移転、世情もあって飯場然としたプレハブの粗末な造りは、各階エアコンの付いた二階建てに建て替えられた。各階に六部屋、食堂と風呂、トイレは並びの別棟にあり、その二階には事務所と二部屋がある。賄いは休日を除いて、三食が出た。建物が新しくなっても部屋代、食費に光熱費を取らないのは、旧来の飯場と変わらない。
二階の一番奥が柴田の部屋だった。隣がサッコ。普通のアパートなら一等地だが高齢者が占める住人は、一階の食堂寄りから埋まっている。
会社は下水道、道路工事の公共工事を主にしている。都下の下水道整備が一巡した一時期、仲間の組がバタバタと廃業するのを見ながらなんとか続いていた。最近、経年劣化や耐震化による改修が増えて、仕事は相応に増えていた。
社長は東北の片田舎から出て来て、人夫からの叩き上げだった。住人のほとんどは、同じ田舎からの伝手で来ていた。以前は家族で飯場に住み、子供が小学校に通うのもめずらしくなかった。まだ農家からの出稼ぎも多く、仕事が増えれば田舎から人手がきて大部屋に枕を並べていた。
今の住人は、そのまま飯場に居着いて田舎に帰る事もなく、独り者のまま安穏な生活と酒に浸かった連中だった。世事には疎く高慢になることも、卑下することもなく、日々を過ごしていた。
柴田もその一人だった。宿舎では若いが古参でもある。高校をやめてからだから、十年以上になる勘定だ。飯場に住みながら大検の資格をとった柴田は、二十歳を過ぎて大学に入った。
教官の推薦で一般企業に勤めた。後に知るが、世間では一流と呼ばれる化学会社である。
柴田は就職など考えていなかった。卒業で目的は叶った。また、飯場に戻るつもりだった。
担当教官の薦めるままに、会社の面接を受け、二社とも落ちた。成績は問題ない。腑に落ちない教官は「面接がからっきし」と会社から回答を受けて、終いに面接なしで、柴田をその会社に押し込んだ。
飯場育ちの柴田だ。会社員としての素養はない。入社当初の印象は悪く、飄々として人を寄せつけない。課長も扱いには困ったようだ。
しかし、会社の作法とは幾分違いながらも、仕事の評価は上がっていった。それでも、課長との反りは悪いし、直す気もない柴田だった。もう、誰もが柴田を自由人と認めたが、二年と半年で辞めしまった。
上層部が来た。終いには役員が来て慰留したが、柴田には理解できなかった。
「係長に」
「部署を変えよう」
「研究所に」
柴田は常務に問われて「白鳥が北に帰ったから、私も」と、迷言をはいている。
(俺はそっと、辞めたいのだ。飯場に戻るのだ)
課内の女もそうだった。第一印象の悪さから、露骨に厭味を言われていた時の方が良かった。女というのは、いつからか構いたくなるらしい。
(ほっといてくれ)
柴田は、頑なだった。