(6)
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風が眼を覆う防塵用眼鏡を威圧する。耳に響くハーレーの爆音と粗放な気流の叫びが全身を覆う。石山寺を北上し野洲川沿いに一気に駆け抜けると湖岸の一部に近づいた。あとはしばらく左に湖を眺めながらただ爆走しつづけるのみである。
組織からの脱出を試みたとは決して思わない。会社人間を捨て去ったとしかいいようがない。風を蹴散らし耳を全開にして矢継ぎ早に過ぎ去るものとやって来るものとを選択しながら疾走すると様々な新しいものが眼の前に広がっていきそこには会社人間の性格を異にした燭光が見え隠れした。そして
置屋での光景がいまだに好奇の襞から離れておらずそれが会社人間とは違った別世界の道のように思えた。
やがて拓馬は驀進をつづけながらふと店の彼女が言っていたイージーライダーの映画のことを思い出した。得体の知れない満足感がどこからともなく蔓延っていた。
看板の文字がいかにも古風でそれでいてどこか新しい感覚を放っている。「まちきん」と書かれている字体は毛筆体で全体の配色は落ち着き払ったデザインで構成されていた。拓馬はいつもイサオの画廊に行くときその看板の掛かった建物の横の狭い通路の砂利の空き地にハーレーを停めていた。イサオの画廊がその看板のあるビルの三階にあったからだ。イサオはいつも「まちきん」のことを「悪徳金融や」とくさしていた。暇なときは「環境悪いなあ、やっぱりどこか引越さなあかんなあ」と客が来ない理由をその金貸し業のせいにした。どんな会社やろ?と聞くと大方、これやとイサオは人差し指で自分の頬を切る真似をした。
イサオとはもともと学生時代、ジャズが縁で知り合った。拓馬が河原町の「KEY」というジャズライブの店によく通っていた頃たまに来るロックバンドグループのなかにイサオがいてあるとき言葉を交わしたのが最初だった。
「バルテュスの絵って分かる?」
薄暗い壁にその絵は飾ってあってときどき照明のライトが当たると色彩を帯びた風景画が魔性のような広がりを見せた。イサオはその絵を評して拓馬に話しかけてきたのである。それは単なる田園の風景画であり作者の名前など知る由もなかった。
「この絵はフランスの画家の晩年の作品で描法について特異なエピソードがある」
と絵の話になるとイサオは熱く語りその神秘的な画家の描法を説明するのだった。晩年のバルテュスがスイスのアトリエで小窓から洩れてくる陽光の分量の変化に応じて彩を施していったという。だからその作業は真っ暗闇のなかで始まるというのだ。次第に太陽が昇っていくのをただ待ち受け窓から洩れる光の強弱の変化に応じて描画の彩を進めていく。そこにあるのは彼自身の構図ではなく光が創り上げていく彩の濃淡であるというのだ。従って彼の眼は降り注ぐ微妙に異なる光量を決して見逃さなかった。ゆえに彼のアトリエでは最初から最後まで人工的な明かりはいっさい灯さない。それがバルテュスの描法だと凡そそのような意味のことをイサオは語った。果たして「KEY」の店の壁に飾ってあったその絵が本当にバルテュスの絵だったかどうかは拓馬には分からない。だがイサオの語ったこの話は奇妙に覚えていた。