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風鈴の音は聞こえない  作者: あおい・ろく
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木洩れ日の山道を驀進していくとやがていつも決まって一休みする蕎麦屋が見えてきた。京都府との県境を過ぎてこれから数キロ走ると比叡山スカイラインの分岐点へと通じる地点だ。拓馬はエンジンを止めた。

店のなかに入りざるそばを注文した。今日の店は珍しく静かで地虫の鳴くような音が混じっている。ふと宮川町の路地の石畳の静けさを思い出した。実際ここに辿り着くまで何度となく中小路のおっさんのことを思い起こしていた。男衆という伝統が今なお生きていたという驚きである。それは七十の男衆が見せる技である。置屋の伝統を支える業ともいえた。不思議な衝撃がいまだ拓馬の脳裏に残っていた。放浪の影に男衆に対する羨望のかけらが混じり拓馬の心の扉を開けようとしたことは確かだ。そのまま時間が過ぎていくことを感じながらその後木屋町の飲み屋で中小路のおっさんとは一度も会っていなかった。

店の子が拓馬の身なりをそれとなく観察していた。店の前に停めたバイクが余程気になるのか明らかに興味を示す眼差しを注ぐのである。若い女だ。何となくその視線を意識しているうちにライブハウス「KEY」がそれに重なって甦ってくる。そして鳴り響くロックバンドの演奏と自分に注がれていた理香の瞳が次第に鮮やかになった。

理香はライブハウス「KEY」で知り合った女で当時大学生で拓馬と同じその店の常連客のひとりだった。大学は違ったが拓馬もそのときは学生で当時美大生だったひとつ年上のイサオもその店に出入りするバンドグループのひとりだった。イサオも関西出身だがいわゆる京都人ではなかった。当時は前衛的な芸術が氾濫しイサオたちの演奏も退廃的で無秩序であり又、理香も化学を専攻していて時々拓馬にとって難しい原子理論の話を展開した。世間は無関心、自由、あるいは反体制や解放やらが蔓延りいたるところでデモが繰り広げられていた。当時は革命かぶれの若者が意外と英雄視された時代だったような気がした。

それから五年は過ぎた。

「お前、最近会っていないんだって?何度連絡とろうとしてもとれないって言ってたよ」 

イサオの言葉がよぎる。燻らすタバコの輪にどうしようもなく無気力な日々の影だけが浮かんだ。煙の行方がイサオの言葉より置屋で見た技の正体だけを追っていた。

ようやくざるそばが運ばれてきた。運んできた子は理香と同じくらいの年齢で若々しく溌剌としていた。たまに来ていた拓馬にはその彼女に記憶があった。

「久しぶりですね」

 彼女が先に言った。

「そやな」

「いつもありがとうございます」

「ここのそばうまいから」

「今日も琵琶湖へ?」

「そう」

「いつものバイクですね」

「ああ」

「ハーレー・ダビットソン?ですよね」

「型式は古いけどな」

「映画のイージーライダーを思い出したわ」

「そう」

「大学生?」

「はい」

「バイクに乗るの?」

「いいえ」

「乗ってみたい?」

「ええ」

 彼女は拓馬を見つめて微笑んだ。

「じゃあそのうち乗せてやるわ」

「うん」

取り留めのない会話が交わされた。

この蕎麦屋に寄るのは京から山越えをして大津に下る途中にあって琵琶湖を一周する前に腹ごしらえをするのにちょうどよかったが実はそれだげではない。意識の隅に「鶴喜蕎麦」という伝統ある蕎麦屋の老舗という格式が拓馬を捉えていた。

「気をつけて行ってね」

 拓馬は彼女の呼びかけに生返事をしただけだった。 


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