(21)
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翌日約束どおり烏丸御池の茶房に千秋は現れた。
「しんどかったわ」
開口一番彼女は大きく息をついた。昨夜の「武蔵」でのお座敷のことを指している。岩本梅吉のことはこれまでにも千秋から聞いていた。特に今年になってから頻繁にその西陣の妖怪に付き纏わされている感じである。
「何かあったのか」
「社長はんがしつこいばってんうちどぎゃんしたらええか迷ってしもとるとよ」
「ほっとけばいいさ」
「ほっとかれんばってん困っちょるとよ」
店のなかの加湿暖房機の音だけが静かに漂った。岩本梅吉の姿が拓馬に語りかけてきそうだ。彼は金をちらつかせて笑っていた。
拓馬はこの茶房の店主や周りの客が聞き耳を立ててはいないかと気を配った。これまででもそうだったが祗園で売れっ子の舞妓がこんなところで男衆と会っていることは花街の醜聞となり兼ねない。噂が広まり「春駒」の珠の耳にでも入れば彼女は眉を吊り上げるに違いない。普段の素行にさえうるさい彼女のことだ。
眼の前の千秋を見ていると拓馬はいつか彼女が語った子守唄のことを思い出すのである。誰も知らない子守歌の旋律が急に頭にもたげてきて何故かあらゆるしがらみのなかで縛られる彼女の姿を想像してしまう。
「しつこいって何か言っているのか?」
「何か欲しいものないかってしつこいのよ」
「いいじゃないか欲しいもの頼めば」
「ところが条件があるんよ」
「条件?」
千秋は困惑するかのようにしばらく黙ってしまった。
「旅行に一緒に行こうって言うのよ」
「どこへ?」
「分からない」
「いつ?」
「分からない」
「冗談を言っているんだよ。それにそんなもの要らないって言えばいいんだよ」
「でもしつこかあ」
「ほっとけよ」
茶房には客はほかに二人しかいなかった。店主は狭い壁の向こうで息を潜めるようにして佇んでいて誰も聞き耳を立てている様子はなかった。
「もうこんな商売やめたい」
彼女はふとつぶやいた。
悩む彼女の様子を窺いながらやはり一度イサオに会ってその西陣の金の亡者のことをもう少し詳しく聞いてみたいと思った。しかしイサオは今チベットへ行ったままで連絡はとれない。
「しばらくどこか旅にでも出かけるか」
拓馬は冗談風に言って微笑んだ。




