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あと一週間もすれば祗園囃子の笛の音が街に流れてくる季節になった。イサオの居座る「まちきん」のビルもついに資金繰りがうまくいかなくなり遂に追い出される羽目になった。拓馬はそれを機にイサオから解雇され再び無職の身となってぶらぶらすることになってしまった。
拓馬は相変わらずハーレーを乗り回し十日に一度は山越え経由で琵琶湖一周のツーリングに出かけた。そして例の「鶴喜蕎麦」屋にも必ず寄った。しかしいつか会話したバイト学生の女のコの姿はもう見ることが出来なかった。
中小路のおっさんに頼んで男衆の仕事がないものか確かめてみたいと思った拓馬は時折木屋町の飲み屋へ顔を出しおっさんを探した。しかし会えない日がつづいていた。
自分の眼に焼きついてしまった置屋での映像の鮮烈な刻印は何の理由もなくただ吸い込まれていく野心の炎を根付かせていた。これまで形成されてきた自分自身の価値概念をこの伝統の技は微塵にも砕いた結果、修行するならこの技しかないとさえ思わせた。彷徨しつづけ野放図に暮らす生活にも見切りをつけてこの癒着してしまった世界へ飛び込むしかない。単純な仕事のようでそれは途方もない重量を伴っていて簡単に歴史と伝統と格式を一度に背負えるものではない。野心と絶望と焦燥のなかで煩悶の日々が経過していった。
祗園祭が近づくと拓馬は急に理香に会う気になって電話をした。知恩院の山門で会うことにしてハーレーを飛ばして八坂神社の石段下近くまで来た。ところがあいにく雨が降ってきて駐車する場所を探しているうちに時間を浪費してしまい結局山門からだいぶ離れた東山のホテル街の空き地に置くことになってしまった。雨は本降りになりかなりの距離を雨に濡れながら山門へ向かった。
「久しぶりね」
「そうだね」
濡れた頭を拭きながら拓馬は二年ぶりにこんな姿で会うことになった自分が何だか情けなかった。心のなかまでびっしょりとずぶ濡れになっている自分の姿を感じた。
「会社辞めたのね」
「うむ。まあな」
辞めたことは既に理香も知っている。あれから二年近くが経ちすっかり話題も途絶えていることを一気に整理の仕様がなかった。ただ眼の前に現れた彼女はすっかり自分とはかけ離れた世界に住んでいるように見えた。濡れた自分の姿が余計に哀れに思えた。
「急に降ってきやがったな」
恨めしそうに降りしきる境内の景色に眼をやるしかなかった。
「その辺でお茶でも飲もうか」
と理香に言った。
会社を辞めた話はそこで途切れてしまったが今更ながらそれを説明する気にはなれなかった。それには色々な要素が絡んでいるようでも結局はひとつであることは分かっていた。彼女は黙っているがそれに気付いている。
降りしきる参道の石畳を相合い傘で歩きながら懐かしい彼女の香りを湿った雨のなかに感じた。雨の音は静かに耳を打ち長い時間の経過を無言のなかで告げていた。イサオの仕事からも離れ再び職を失った日常に無限に忍び寄る不安と堕落が同じその雨音に混じり複雑に拓馬の胸中を揺るがせていた。
「今、院生?」
「そう」
「でも、来年で終わり」
「博士課程へは進まないの?」
「いかない」
「就職か?」
「研究室に残りたいの」
理香の返事には前途が輝いていた。




