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ゆるやかな風が路地の石畳に流れ群青拓馬の少し汗ばんだ頬に心地よかった。宮川町の格子戸の連なりが眼の前にありそれは嘗ての面影を依然残したままの閉塞された暗闇を映し出しているかのように澱んでいた。
各置屋の戸口に洩れる静謐な影が急に足元を鈍らせる。中小路のおっさんが言っていた男衆の仕事とはいったいどんなことをやるのか。置屋に侍る舞妓の着付けなんてどうみても性に合わない。自分は単に頼まれた絵を売り歩く画商の端くれであり着付け師なぞ凡そ別世界の分野である。妙な縁で知り合ったばっかりに今まるで磁気に惹きこまれたかのように宮川町の路地に立っているのである。
しかし本来ならそんな重苦しいはずの格子戸に漂う空気はなぜか拓馬の心を打った。ふだん乗り回すハーレーの動の爽快感とこの静寂な路地に漂う異様な安らぎ感とはなぜか共通する魂をもたげてくるような錯覚が襲った。
路地の香りに花街の頑な伝統の結晶が滲みその重厚な香りは多分その格式高い驕りと深い歴史を表現しているかのようである。あの日のまるでおっさんの禅語ごときのような言葉を語るかのようだ。
木屋町の飲み屋で中小路のおっさんが拓馬の抱えていた一枚の女性画を見て語りかけてきたのがそもそもの発端だった。
色香には彩りはありまへんよってなあと言ったひとことが拓馬の心に突き刺さったのである。このおっさんは只者ではないという印象が以来残っていたことは確かだ。その後飲み屋で親しく話すようになり、あるとき絵を描いてはるんですかと尋ねると彼は、花街で男衆をさせてもろてますとだけ答えた。それからしばらく経って、よかったら一度覗いてみておくれやすと誘いをかけられていた。そのときも冗談風に聞き流して相手にはしなかったのだが次第に拓馬の心は動き始めいったい彼の言う花街の男衆のしかも舞妓の着付けの仕事とはどんなものなのか興味がわいてきた。
「じかにみるだけでも相当に深い伝統の色香が分かります。決して彩りでは表現できないものが舞妓の色香です」
おっさんはそう言うのだった。