忘却と宣言
3話 忘却と宣言
夕方、茶々の散歩に行った後、俺は“杖”を手に、家の裏にある河原を歩いていた。
この辺は犬の散歩コースになっていて、俺もよく茶々と一緒に散歩で歩いている。
俺はこれから、魔術の練習に行くところだ。
だが、何も河原を練習場にするわけじゃない。
ひらけた場所で練習すると目立つし、あの辺りはよくチャラい奴らが花火とかバーベキューとかして遊んでいるからだ。
それと、花火は茶々が怖がるからやめてほしい。
茶々は花火とか雷とか、破裂音が苦手なんだから。
ただ、茶々は散歩中、よくバーベキューをやっていた跡に寄って匂いを嗅いでいることがある。やっぱり匂いが分かるんだろうか。
俺が来たのは、地元で有名なデパートの裏通りだった。
この辺りなら、結構人通りは少なく、魔術の練習にもうってつけだ。
もう4月だし暖かいが、夜は寒いから、上着は必須だ。
俺は数メートル離れた場所に空き缶を立てかけた。
よくある炭酸飲料のアルミ缶だ。
そこから数メートル離れ、今日ESP高から与えられたばかりの“杖”を構える。
杖を空き缶の方に向ける。そして“杖”の周囲に“式”を構築して――。
「バァン」
指で発射するときと同じ要領で力を発射する。
見えない力は空き缶に当たり、缶を台から弾き飛ばした。
缶はアスファルトの上を転がった。
「すげぇ……」
空き缶を拾ったとき、そのへこみを見て、俺は思わず息を呑んだ。
これまで、素手で“魔力弾”を使っていたときは、こんなへこみはできなかったからだ。
人間、というより生き物は“魔力”または“霊力”と呼ばれる何らかのエネルギーを持っており、それも生き物を構成する要素となっている。
いわゆる“オーラ”の源もこれと思われる。
“魔力弾”は、その自分のエネルギーを集中させて、塊にして飛ばすという原理だ。
こういうものは漫画やゲームの中だけだと思われやすいが、実際にこういう魔術はあるということだ。
それにしても“杖”による魔術への補正は、俺の想像していた以上だ。
今更だが、山田先生が「人によっては銃よりも強力な武器になる」と言っていたのを実感した。
俺のESPへの心構えは、まだまだ足りてないかもしれないな。
この調子で“魔力弾”を数発練習した後、俺は折り紙のやっこさん(袴がついている)を取り出した。
これから次の“使役術”の練習を始めるためだ。
“使役術”とは、無生物――例えば、人形などを魔術によってコントロールする魔術だ。
例えば、陰陽師の式神などがこれにあたる。
魔力を込められた物は、術者の命令に従って動く。
当然だが、この魔術は術者の精神力を大きく消費する。
上級者ともなれば、簡単な命令さえすれば、物がまるでロボットみたいにひとりでに動くということもできる。
正に陰陽師の領域だ。
練習の準備のため、台となる段ボール箱を置き、その上にやっこさんを寝かせた。
なんか“使役術”でトントンずもうとかできそうだよな。
――ブーン。
そんなとき、癖でマナーモードにしていたスマホが鳴った。
母からのメッセージだ。
『もうご飯できたよ♫』
仕方ない。今日はもう切り上げて晩ごはんにしよう。
俺は『わかった。今すぐ帰る』と返信して、“使役術”のために出したやっこさんと段ボール箱、“魔力弾”に使った空き缶を片付け始めた。
最後に、“杖”をジャケットの内ポケットの中にあるホルスターにしまった。
帰り道でも、俺の頭の中では、今朝の出来事がぐるぐると巡り続けていた。
あの大久保神流って奴、どこで俺のことを知ったんだ?
なんで俺は嫌がらせを受けなきゃならない?
何度考えても、やっぱり心当たりがなかった。
ここは日本ESP高校の寮。
ESP高の寮は、当然だが男子寮、女子寮に分かれている。今日、入学式が行われた本棟の南側に、東に女子寮、西に男子寮と向かい合うように建っている。
その二つの寮の間に、寮より背の低い食堂があり、更にその奥には男女それぞれの大浴場がある。
寮は男子寮が3階建て、女子寮が4階建てだ。
建物の面積も女子寮の方が広い。また、大浴場も女子の方が広く、且つ設備も充実している。
これは決して男子が冷遇されているのではなく、もともとESP高の女子生徒の割合が多いことに由来する。
ESP高は、もともと女子高だったのが男女共学になり、後にESP科の高校になったという経緯がある。
そのため、現在もESP高は女子の割合が多い。
大浴場についても、女子の方が人数が多く、風呂にこだわる生徒の割合も多いため、力が入れられるのも当然というだけだ。
日が沈み、辺りは暗くなってきた。
暖かい4月とはいえ、夜は寒い。
学食内は、棒状のLEDライトの灯りで照らされている。時計の針は7時を指していた。
その学食の中から、長い金髪をなびかせ、ESP高の紺の学ランを着込んだ人影が出てきた。
線の細い、イケメンというよりは美人と言った方がいい顔つきと、白人らしい桃色がかった白い肌がLEDライトの灯りに照らされる。
襟には、魔術コースを示す五芒星の階級章が付いている。
この人物の名はクリス・フェニックス。
アメリカからの転校生で、魔術コースでも1、2を争う優等生だ。
この日、新二年生のクリスは、入学式の案内や片付け、そして明日の始業式の準備に忙しく、日が暮れるまでその準備に勤しんでいた。
そのため、こんな時間になるまで夕食が遅れたのだ。
クリスは成績優秀且つ容姿端麗なため人気があるが、そればかりでなく、非常に責任感が強く、故に人望も厚い。
そのため、去年は1年生でありながら、多くのイベントで重役を任されてきた。
今、食堂にはほとんど人はいない。数人が遅い夕食を食べているぐらいだ。
「あれ?」
食堂から出てきたクリスの目に、テーブルに座っている女子生徒の姿が入った。
その女子生徒は俯いており、粉色のウェーブがかかった髪で顔が覆い隠されている。
テーブルには、コロッケ定食とそのトレイが置かれている。
襟ボタンはないから、今日入学した新入生だ。
この時期の新入生は、引っ越し同然の寮生活の準備と、寮のルールの説明、その他様々な事で忙しいはずだ。
「ねえ、君。どうしたの?」
クリスの高い声に、その女子生徒はびっくりした様子で振り向いた。
小動物的な愛らしさを秘めたその眼は、泣き腫らしていたのか赤みがかっていた。
「え? あ、あなたは?」
クリスは驚かせてしまったと思い、丁寧に挨拶した。
「僕はクリス・フェニックス。2年1組、魔術コースだ。1年前にアメリカからこの日本ESP高校に転校してきたんだ。よろしく」
クリスは襟の五芒星のボタンを示した後、優雅におじぎをした。
その様は中世ヨーロッパの騎士のようだ。
「く、クリス? でも……」
その名前を聞き、女子生徒はその小動物のような目をぱちくりさせる。
クリスは、その反応の理由をよく推察できなかった。
「よければ、君の名前も教えてくれないだろうか?」
「は、はい。私は、大久保神流っていいます」
神流は椅子に座ったままおじぎをした。
クリスは神流の隣の席に腰掛けた。
「君が泣いていたようだったから気になって……。もしよければ、何故君が泣いていたのかを聞かせてくれないかな?」
クリスは女子の相談に乗ることも多い。中には本来男子に話すようなものではない相談や、相談者の将来に関わる深刻な相談も少なくない。
ESP高には繊細な生徒、心に影を抱えている生徒が男女問わず多いため、カウンセラーも何名か常駐している。
なのに教師でもカウンセラーでもなく、一生徒であるクリスの方に相談が来るのは、人気者のクリスとの接触目当てというのもあるが、決してそれだけではない。
クリスは女性の気持ちに敏感で、女子が望む答え、的確なアドバイスを女子の目線に立って行う。
これも、クリスの外見だけではない人気の秘訣だ。
「聞いてくれますか? クリス先輩」
「うん。僕でよければね」
神流はクリスに、今日何があったのかを打ち明けた。
まず、理由があって上杉卓也という男子の椅子を片付けるために、案内役の先輩に椅子の交換を頼んだ。
どうやら神流は、ESP高に入学する前に卓也と会ったことがあるらしい。
そのとき、丁度卓也が来たのだ。
だが、再会したとき、あらぬ誤解をされてしまい、しかも卓也は自分のことを覚えていなかったと言うのだ。
クリスは、その話の流れで聞いた、椅子の片付けの際に対応した上級生に心当たりがあるようだった。
「そうか。彼が……。何をやっているんだ、入学式に……」
クリスが左手で頭を押さえ、呆れたように呟く。
幸い、その人物はクリスとも面識があるようだった。
「同級生が迷惑をかけてすまない。彼には僕から注意しておくよ」
「はい。よろしくお願いします」
神流はぺこりと頭を下げた。
(それにしても、会ったことがあるのに、そのことを覚えていなかったというのはどういうことだ……?)
クリスは、神流と卓也が出会ったときのことが気になった。
「よければ、君と上杉君が初めて出会ったときのことを話してくれないかな?」
クリスは神流の隣に座り、彼女の話を詳しく聞く。
神流の話を聞いたクリスは、何故彼女が上杉卓也という男子に執着しているのかを理解した。
だが、クリスは首を傾げた。
そこまで印象深い出会い方をしているなら、覚えていないというのは普通ならありえない。
だが、卓也もある意味で普通ではなかったということに、クリスも神流も気付いていなかった。
「ちなみに、その上杉君には、君が彼と初めて会ったときのことを話した?」
「いいえ。上杉君、すごく怒ってて、話を聞いてくれなかったから……」
さっき話していた通り、椅子を片付けたことについて、何か勘違いしているということだろうか、とクリスは考えた。
クリスはじっくり考えた上で、アドバイスを導き出す。
「大久保さん、上杉卓也君についてだけど――」
神流は、クリスの方を向く。
「上杉君が君のことを忘れていたのはひどい。君は彼と再開することを楽しみにしていたのに、彼は君を避けようとしたんだから」
神流は、クリスの話にじっと耳を傾けている。
「でも、彼にも何か事情があったのかもしれない……とは考えられないだろうか?」
クリスは神流の様子を伺いつつ、話を進める。
「どうしても、以前約束を交わしたことを思い出せないだけの事情があったとしたら、あるいは、君のことを思い出していたとしても、それを言えない状況だったのだとしたら?」
神流の表情は、入学式や自己紹介のときのように曇っていた。
「もし上杉君が君のことを覚えていないとしても、それならまだチャンスはある。例えば、何か思い出させるためのきっかけを作ってみる、というのはどうだろう?」
神流は、驚いたようにその愛らしい目をぱっちりと開いている。
「思い出させる……か」
その言葉を聞いて、神流は何かを考えているようだった。
そして、何かを決心したように頷いた。
「大丈夫です。卓也君はきっと思い出してくれますから」
そう言って、神流は微笑みを浮かべた。
次の日の朝、俺は賑わう教室に入った。
左肩から鞄をたすきがけに、左手のケースには“杖”をはじめとする実技用具が入っている。
周りはすっかり誰かと打ち解けて、気楽に会話できる程の間柄になっているようだ。
それに対して俺はというと、まともに喋れるクラスメイトはいなかった。
昔から俺はそうだった。
自分にも問題はあったが、周囲から嫌われて、目に見えてうっとおしがられた。
そんなこともあって、自分からすすんで人に話しかけることができなくなってしまっていたんだ。
俺が教室に入ったとたん、一気に周囲の注目が集まる。
(ちょ、ちょっと待て。俺、何かしたか?)
「おい、確かかみすぎ……って言ったっけ? 大久保さんとどういう関係なんだ?」
話したことのない男子が話しかけてきた。
やっぱり昨日の騒ぎのせいで、そういう関係だと疑われているのか……。
「やっぱり大久保さんとつき合っていたのかお前!?」
いきなり肩を掴んできた。この男の目は血走っているようにも見える。
「違うよ。大久保がデタラメ言ってるだけだ」
俺は事実を述べてみるが、周りは納得していない。
「嘘つくな! 教室にいた奴が聞いてるんだぜ、大久保さんが『ESP高で一緒に夢を目指そうって約束したのに』って叫んでいるのをな!」
やっぱりそれか!
この男はものすごい形相で俺の肩をガクガクと揺らす。それにつられてつい首も前後に揺すられる。
「だからそれは大久保の言いがかりだって!」
周囲はこちらの話に耳を傾けることなく、あれこれ憶測を並べ立てる。
「いつから上杉の奴、大久保さんとつき合ってたんだ?」
「入学した直後に振ったのか!? 許せねぇ!」
「まさか研修のときにもう……!」
「やっぱりそうか! 俺の神流ちゃんを!」
馴れ馴れしくも「神流ちゃん」とか呼んでいる声もあるが、確かに大久保はアイドルみたいな感じだし、モテても不思議じゃない。
ひょっとしてこれも大久保の狙い通りなのか?
「そのことについてはあたしからご説明致します」
教室に人気声優みたいな聞き覚えのある声が響いた瞬間、教室の騒ぎが静まり返った。
恐る恐る振り返ると、丁度教室の出入口を真後ろにして立っていた俺の背後に、噂の張本人が立っていた。
「お……大久保……神流……」
大久保は昨日とはうって変わってニコニコしていた。
そのことに、俺は益々恐怖を覚えた。
また中学のときのようにいじめられるのか……。
「実は、あたしと上杉君は、ESP高に入学する前に、一度だけ会ったことがあるんです」
教室のざわつきを無視し、神流は話を続ける。
段々教室のざわめきも収まりはじめた。
「それなのに、上杉君はそのときのことを覚えていないようなんです」
まだそんなこと言ってるのかこいつは……。
「あたしは途方に暮れました。入学する前、あんなに夢を語り合ったのに、なんで上杉君はそのことを忘れているんだろう……」
周りの同情を誘おうって魂胆か、こいつ?
でも、大久保の語りは真に迫るものがある。
思わず俺まで聞き入ってしまうほどだ。
「だから、思い出してもらえるまで、色々と頑張ってみることにしました!」
神流の話が終わると、一気に教室のざわめき――というよりは騒ぎが戻ってきた。
「おいコラ上杉、ちゃんと説明してもらうぞ!」
「やっぱりつき合ってたんだ!」
「上杉君ひどい! 大久保さんのこと忘れてたなんて!」
「神流に土下座して謝りなさいよ!」
「神流ちゃ~ん!」
そんな周囲の反応をよそに、神流は俺に向けてニッコリと微笑んだ。
ああ、どうやら俺のESP高生活は、穏やかにはいかないらしい……。