ESP高入学と再会
『間もなく、日本ESP高校前、日本ESP高校前』
徐々にスピードを緩める電車のアナウンスを聞き、俺は降りる準備をする。
間もなく電車が止まり、ドアが開く。
俺と同じ紺色の学ランを着た男子と、黒のブレザーを着た女子がぞろぞろと電車を出る。
俺もそれに続いて電車を降りる。
駅を出ると、タクシー乗り場がある駅前、続いて道路の横断歩道をはさんで向かいに校門があった。
校門と、それに続く長い桜並木の向こうには、赤い煉瓦でできた門が見える。その向こうには、同じく大きな赤い煉瓦の建物が見える。
大きな赤い煉瓦の建物の上には、屋上に銀色に輝く菱形のオブジェと、その下に《日本ESP高等学校》と書かれた文字のオブジェが飾られている。その屋上にはオブジェと同じマークが描かれた旗と日本国旗が掲げられている。
あれこそが、これから俺が通うESP高だ。
俺は桜並木を眺めながら、門をくぐった。
「……やった!」
そう呟くと、俺は小さくガッツポーズを取った。
喜ばずにはいられない。
ESP高への入学は、俺の人生を決めるための岐路なのだから。
《ESP高》は、ある市の郊外にある私立高校だ。
正式な学校名は、《私立日本ESP高等学校》。
この高校最大の特徴は、俺が生まれた頃に誕生した学科《ESP科》に属するというところだ。
一昔前、世界中の人々の価値観を大きく変える出来事があった。
それは、“魔法、超能力、霊能力の実在”の公開だ。
だが最初、この情報が公開されたときには、誰もが半信半疑だったらしい。
なにせ、魔法や霊感や超能力というものは、“フィクションの中の出来事”という印象が強かったからだ。
かつてソビエト連邦では、心霊現象や超能力といったものが大真面目に研究されていた。
ソ連崩壊後、アメリカなどの各国はソ連の研究成果に興味を持ち、当時の研究者や技術者を大勢スカウトし、それを入手することに成功した。
《ESP》とは、それらを理論的に、あるいは科学的に分析し、現代風に、扱い易いように解釈したものだ。
その数年後、各国はその研究成果やこういう能力の存在の公開に踏み切り、世界各地で活躍していた魔術師、超能力者、霊能力者などESP能力者にスポットを当てた。
だからといって、世界が目に見えて《ESP》により変化したわけではない。
《ESP》は、まだまだ未知の部分が多い、発展途上の分野なのだ。
ともかく、そうなる頃には既にESPを実用化する準備が整っており、様々な国家機関でESP能力者が採用された。
更に、ESPに関する能力を持つ、あるいはその素質を持つ人材を発掘するため、各国にESP能力者を育成する機関を設立した。
ここ、日本ESP高等学校は、日本で初めてのその分野の高校だ。
まず、俺達新入生は正門ではなく、こちらから見て右側の脇道に案内される。
不思議な話かもしれないが、ESP高の昇降口は正門の方にはなく、右手の裏口の方にある。
上級生に案内され、その昇降口に向かう。その最中、向かい合うように建つ男子寮と女子寮、その間に割って入るように建っている食堂が見えた
ESP高の制服は、男子は紺色の学ラン、女子は黒いブレザーに赤いネクタイ。
カッターシャツは学校指定のもので、胸にあのESP校の菱形のマークが入ったものだ。
ちなみに靴は男女ともに黒の革靴だが、女子の革靴には足の甲にリボンを模した飾りが付いているのが特徴的だ。
上級生の左胸の襟ボタンのマークは、五芒星、目玉模様、六角形とそれぞれ違う。
これは、2年生から所属するコースによって、襟ボタンのマークがそれぞれ違うからだ。
ESP高には3つのコースがある。
五芒星は魔術、魔法と呼ばれるものについて学ぶ“魔術コース”、目玉模様は超能力について学ぶ“超能力コース”、六角形は霊感などの霊能力について学ぶ“霊能力コース” ……。
ESP高の生徒は、2年生に進級するとき、どの分野に進むのかを選択する。
それぞれ自分に向いた分野を学べるというのがESP高の特徴だ。
靴箱にはそれぞれ名前が書かれている。
俺は革靴を自分の名前のステッカーが貼られた靴箱にしまい、鞄の中にしまっていた上履きに履き替える。
上履きの色は緑で、学年によって色が分けられているらしい。
中にいる上級生や先生達の案内で、大広間に着いた。
大広間は上の階まで吹き抜けになっており、奥の図書室につながっている。
この部屋には長い水槽があり、その中に小さな熱帯魚が泳いでいる。
向かいの壁にはクラス分けの垂れ幕が下がっていた。
ここに来るのは入試と推薦入試の申し込み以来だ。
「2組、出席番号7番か」
俺のクラスは2組だった。
俺はまっすぐ2組の教室に入る。先程この教室の前を通ったので迷うことはない。
教室の窓の向こうには大きな木が立っている。向こうには中庭と駐車場と別館が見える。
教室に並んでいる机は金属と樹脂製の机だ。椅子も同じような材質でできている。
教室の壁、床ともに塗装に覆われている。
2組の教室の窓は、北向きにある。他にも東向きに窓のある教室など、南向きの窓の教室ばかりではない。
他にもESP高は、この赤い煉瓦の本棟という外観だけではなく、内部も普通の学校と違うところが多い。
入学する前も何度かこの学校に来たことがあるが、やはりESP高は普通の学校とは違う。
とりあえず、俺の席を探そう。
「出席番号7番の……。あれ?」
俺の名前が貼られた机はちゃんとあった。
だが、椅子がない。
「なんで? え? どこ?」
他の生徒は着席している。まだ到着していない席も含めて、椅子のない席は俺だけだ。
ふと、開きっぱなしの出入口の向こう、黒いブレザーの人影に目が留る。
そこでは、一人の女子が誰かと話していた。
粉色のウェーブがかかった髪で、両サイドをリボンで結んでいる。
左胸の襟ボタンはないから、俺と同じ新入生だ。
ふと。目が合った。こちらを見ていたのだ。
相手もこちらに気付いた瞬間、目を逸らし、先程まで会話していた誰かとの会話に戻った。
どうやら誰かと話をしているようだ。顔は髪に隠れて見えないが、紺色の学ランなので男子だ。
その男子の右手は、椅子の背もたれにかけられていた。
(あの二人が椅子を取ったのか?)
まさか、ESP高でも誰かに目をつけられたのか?
こんな嫌がらせを受けるいわれはないぞ。
俺は中学校の頃から、やたらと周りの奴らからいじめられるようになった。
俺は中学生ぐらいの頃からESPがすごく好きで、色んな本を読みふけってはその知識をひけらかした。
要するに俺は、ESPオタクだった。
それが悪かったのか、周囲からいやがらせを受けるようになった。
休み時間なら道を塞ぐ、周囲で騒ぐ、通りがかりにいやがらせ……。数え上げたらきりがない。
更に俺は、もともと行動が遅く、よく先生に叱られていた。
それも、周囲をイラつかせていたのかもしれない。
でもESP高なら、そんな目に遭うことはないはずなのに――。
ともかく、誰がこんなことしたのかだけでも確認しなきゃ。
そう思って、こっそり教室の入り口から廊下を覗いた。
「えっ」
二人は同時に振り向いた。
男子の方は、左胸の襟ボタンが魔術コースを示す五芒星のマークだ。どうやら上級生だったらしい。
新入生の女子の方は、近くで見るとその可愛さが更によく分かった。
幼い感じで、美人というよりは可愛いという言葉が似合う。その瞳は子犬か子猫のような愛らしさを秘めている。肩までのウェーブがかった粉色の髪で、リボンで結んだツインテールも印象的だ。
きょとんとした様子で、その女子は首を傾げた。
とぼけたって無駄だ。椅子を持って行きやがって――と訴えたかったが、証拠がないから誤摩化されると思ってやめた。
「じゃ、じゃあ、これは持ってくね」
先輩が焦った様子で立ち去っていく。
「ちょ、ちょっと先輩――」
「あっ、はい、お願いしますね」
女の子が先輩にぺこりとおじぎした。
呼び止めたかったが、先輩はさっさと椅子を持って行ってしまった。
「……くそっ」
俺は軽く足を踏み鳴らした。
「ねえ、かみすぎ君」
女の子の方が声をかけてきた。
「! な、なんだ?」
俺は慌てて返事をする。
「上杉卓也君だよね? ありがとう、助けてくれて」
助けたって、何のことだ?
――ん?
ちょっと待て。なんで俺の名前を知ってんだ?
そりゃ、椅子に貼られた名札を見れば……。
いや、『上杉』を読んだだけじゃ、この「かみすぎ」って読み方は分からないよな。
うちのご先祖様は、江戸時代、将軍家に仕えていた武士だ。
この『上杉』という苗字は、そのときからのものらしい。
正直、書きだけでは分からないが、かなり珍しい苗字だと思う。
ときどき、「うえすぎ」と読み間違えられることがあるし、この名前でからかわれたりもしたっけ。
だから、読み方は名札を見ただけで分かるってことは絶対にないはずだ。
「……なんで俺の名前を知ってんだ?」
俺が怒りを抑えてそう訊ねると、その女子は困惑した表情で「えっ……?」という声を上げた。
「それよりさっき、俺の席の椅子を先輩が持っていっただろ? なんであんな真似させたんだ?」
その女子はハッとしたような顔をし、先輩が行った方を見る。
「あ、あのね、椅子を先輩が持ってったのは、あれが――って、ねえ!」
――やっぱり俺の椅子じゃん。
俺は最後まで聞くのをやめ、話を切り上げて教室に戻った。
俺は机に鞄を置いて、考え込んでいた。
なんてことだ。まさか、ESP高でもこの手の奴に目をつけられるなんて。
あんな女子、話したこともないぞ。一体俺が何をしたって言うんだ。
「だ、大丈夫だ。落ち着け」
たとえ数人に嫌われたり、いじめられたりしても、まだまだESP高には味方になってくれる人は何人もいるはずだ。
そんなことより椅子だ。椅子がないと立ったままホームルームを受けることになるぞ。
そんなことになったら何て言われるか――。
そんな俺の目に、後ろに積まれた椅子が目に留まった。
あれ、余りの椅子かな?
(そうだ。あれを持ってこよう)
後で色々と言われるかもしれないが、初日から席についていないよりはましだ。
何か聞かれたら、理由を一から説明しよう。
昔と違って、ここESP高なら、ちゃんと言い分を聞いてくれるはずだ。
結局俺はそう自分に言い聞かせながら、後ろから椅子をひとつ持ってきてそれに座った。
「おはようございまーす」
その後、先生が教室に入ってきた。眼鏡をかけた男性で、柔和な雰囲気だ。
「それでは皆さん、これから入学式の会場に向かいますので、廊下に集合してください」
クラス全員が背の準に、男女別に廊下に並ぶ。
そして、クラス全員が整列してから、俺達は3階の講堂に向かった。
後ろの椅子を使ったことは、特に何も言われなかった。
講堂は生徒と先生でひしめき合っていた。
この講堂は一年生の教室、職員室、図書室、校長室などがある中央棟の3階にある。
3階の大半を取る大きな講堂。
普通は集会には体育館が使われるが、ここは体育館としては使わない。
最初から講堂として作られた部屋だ。
2月にここで受験を受けたんだっけ。
あのときと違って、全員ESP高の制服だが。
講堂には、既に別のクラスが整列していた。
1クラス毎に右に男子、左に女子で2列に並んでいる。
うちのクラスは、先に集合していたクラスの列の右隣に整列した。
「前に倣え」
全員、先生の合図に合わせて前に倣えの姿勢を取る。
「休め」
全員、休めの姿勢を取る。
研修のときに学んだ通りの、わりと綺麗な列だ。
四月に入ってから、新入生は合宿形式の研修を行った。
そこでは、ESP能力の向上に必要な座禅と、何故か整列、点呼、敬礼の講座など、まるで軍隊のようなことまで行った。
そのおかげで、こうして素早く整列できたわけだ。
壇上に校長先生が上がる。
校長先生の顔は、入学前から色んなところで目にしているため、すぐに分かった。
舞台には、日の丸とESP高の校章が描かれた旗がかけられている。
「敬礼」
一同全員が敬礼する。
普通はここは礼なのが、ESP高では敬礼だ。
「直れ」
その声に続き、全員が右手を下げる。
「これより、第10回日本ESP高等学校入学式を始めます」
校長先生が力強く挨拶した。
そして、君が代が演奏され、続いて日本ESP高等学校校歌が流れた。
「敬礼」
校長先生の声に合わせ、新入生、上級生、先生達問わず、新入生の家族以外の全員が敬礼した
「直れ」
一拍置いて「休め」という声が響いた。
「諸君、校長の加藤です。まずは日本ESP高等学校への入学おめでとう」
それから、校長先生の演説が続いた。
演説は、ESPを学ぶことの尊さと、その力を行使する責任に関することだった。
「それでは、解散」
校長先生の号令後、1組の生徒から隊列を乱さず退場していく。
その後に続き、俺達2組も退場していく。
列の前の方に、あの女子の横顔も見えた。
あの髪型ですぐに分かった。
さっきと違うのは、その表情が、観察力が低いはずの俺でも分かるほどに曇っていることだ。
いやいや、そんな顔したいのは俺の方だ。
なんせ入学早々、お前みたいないじめっ子に目をつけられたんだからな。
「山田 慎一です」
眼鏡をかけた先生は黒板に名前を書き、自己紹介した。
優しそうな先生だ。本当によかった。
「まずは皆さん、ESP高への入学おめでとうございます。このESP高は、校長先生も仰っていたように、ESPに関することなら何でも学べる高校です。我が校が皆さんのESPの才能を発揮できる場であることを切に願います」
どうしよう、この挨拶が終わってから、あの女子のことを相談しようか。
山田先生は優しそうだし、信用できる。大丈夫だ。
「まずは皆さん一人一人に自己紹介をしてもらいます。出席番号準に起立してください」
と考えているうちに自己紹介に入った。
ちょっと困ったな。何を話したらいいか……。
と考えている間にも、出席番号準に名前が呼ばれ、自己紹介が始まる。
「大久保 神流さん」
「はい」
6番目になって、後ろの席からさっきの女子の声が聞こえた。
あいつ、大久保神流っていうのか。
振り返ったとき、目があった。
「えっ?」
俺は慌てて前を向いてその視線から逃れた。
って、前に先生がいるし、先生の方を向いただけか。
「……出席番号6番、大久保 神流です。出身地は静岡県。将来の夢は……」
大久保ははきはきとした声で自己紹介を進める。
さっき目があったことに動揺して、様子を伺えない。
声を聞く限り、普通は第一印象バッチリだろう。
だが、俺はさっきやられたことをよ~く覚えている。
中学の頃の委員長も、そんな奴だった。
あいつは成績優秀、眉目秀麗だが、気がついたらいじめの輪の中に加わっていた。
「上杉 卓也君」
「は、はい!」
あの女子の自己紹介が済んでいたようだ。
呼ばれたことに気がつき、慌てて返事をする。
「しゅ、出席番号7番、上杉 卓也です。上杉って書いて『かみすぎ』、電卓の『卓』に、“なり”で『也』です。ESPを極めようとする気持ちは、誰にも負けません! よろしくお願いします!」
そういえば、先生には「うえすぎ」と間違えられなかった。
事前によみがなを調べてくれていたんだろうか?
ともかく、挨拶を終える頃にはガチガチになっていた。やっぱり人前で話すのは苦手だ。
俺は落ち着いてから再度、大久保という女子の方を見る。
浮かない顔でこちらを見つめていたが、俺と目が合うとすぐ目を逸らした。
(大久保神流ね。その名前を覚えておこう)
全員の自己紹介が終わってしばらくして、チャイムが鳴った。
「それではこれで、休み時間に入ります。次の時間は教科書とノートの配布、ESPに関する教材の配布に入ります」
俺達は先生に挨拶をする。
こうして、俺の……いや、俺達の日本ESP高等学校の入学式は過ぎていった。