3 期待と勝手な失望
「はぁぁ、なんじゃい。ニホンっちゅーところから来たって言うから皆集めて来たのに。とんだ肩すかしじゃの」
さっきまで背を丸めていたエメエールが、背筋をピンと伸ばして少年の傍にやってきた。
「え? あの」
「まったく、人騒がせじゃのぉ。皆暇じゃぁないんじゃよ」
肩をすくめてやれやれ、と言わんばかりに少年の横を通り過ぎて行った。
「お前さんも残念じゃったの。働き手が増えると思ったじゃろ?」
「……」
ラスボスさんはなにも言わず、無言のまま僕と一緒に次々帰る人達を目で追った。彼らに対して何か声をかけたかったけれど、言葉にならなかった。帰り際に浴びせかけられた鋭い言葉が突き刺さって。「偽物」、「嘘つき」、「さっさとここから失せろ」とか。自体が把握できない僕からしたら、どうしてそんなことを言われるのか全くわからない。わからないから余計に辛い。僕はそんなに悪いことをしたのだろうか?
困惑する少年の背を〝雪かきさん〟はそっと押して、さっきまで寝ていた家へ押し戻した。すっかり集まっていた人たちは去り、玄関口に立つだけで中の静寂さが伝わってくる。
「あ、あの」
なんとも言えぬ空気が少年と〝雪かきさん〟の間で流れていて、それを打破するかのように少年は口を開いた。
「さようなら」
会話をする気がないのか〝雪かきさん〟はボソリと呟くと少年に頭を下げて、くるりと背を向けた。
「え、あ、ちょっと! ねぇ、待ってってば!! 待って〝雪かきさんっ〟! 本当にこの人、異世界から来た人じゃないの?」
慌てた様子で僕たちのところへ駆け寄ってきたのは、金色の長い髪をなびかせたあの女の子だった。
「わからない」
「わからないって……どうして?」
「じゃぁ、試しに名前を聞いてみてください」
「あ、はい」
片方だけの言葉しかわからないから会話の全体像が見えない。なんのことを言っているのだろう? 相手の表情が読みにくいぶん余計にわからない。少年は二人のやりとりを交互に見つめた。
「あなたの名前なんていうんですか? だって」
そう聞かれて少年はハッとした。今ここに至るまで自分の名前を名乗っていなかったことに。
「ぼく、下島 晃といいます」
「下島……」
〝雪かきさん〟が少年の名前を呟いた瞬間、『下島 晃』と名乗った少年の言葉がすとんと理解できたことに〝雪かきさん〟は驚いた。
どういう経緯でこの世界に送られたかわからないが、確かにこの少年は私がいた世界から来たのだろう。苗字と名前で構成された日本特有の名称をもっているのだから。そして〝雪かきさん〟は安心したように、布越しで口元を綻ばせた。
「なにかのイレギュラーでここへ来てしまったのかもしれませんね。イレギュラーであっても、彼は確かにこの世界の住人ではありませんよ。それでは」
彼には彼なりの役割があってこの世界に来たのかもしれない。どんなことかは皆目見当もつかないが、彼がマンデルブロ大陸にとって必要な人物になれることを私は願おう。〝雪かきさん〟はオロオロしている少年を目を細めながら見つめながら思った。
「あ、ちょ、ちょっと!」
二人に背を向けて立ち去ろうと一歩前に踏み出した瞬間、下島 晃と名乗った少年は〝雪かきさん〟の黒い服を掴んでいた。
「あなたの言ってること、今わかりました。あなたに聞きたいこといっぱいあるんです! だから、お願いしますっ。まだ行かないでくださいっ!」
「ごめんね。君の話をゆっくり聞いてあげれるほど時間がないんだ。まだまだ雪かきをしなければならないところが残っているからね」
そっと腕を伸ばし少年の指先を服から離した。
「あ、あの、でも」
「……さようなら」
もう一度〝雪かきさん〟を引き留めようと腕を伸ばすも宙を切った。彼がすすっと雪面を滑るように前へ進んでいったから。優雅な動きに僕は思わず息を呑んでいた。見つめた先で彼は両手を頭上にかざし、手首を回転させながら左右それぞれおろしていった。すると周りに積もっていた雪が彼自身に舞い付き、あっという間に姿を消してしまった。
呆然と〝雪かきさん〟がいた場所を見つめながら、少年はへなへなと力なく座り込んでしまった。
同じ世界から来たっていうのに、〝雪かきさん〟と呼ばれている彼は、なんなく魔法を使いこなしている。じゃぁ、僕は? 一体僕はなんのためにこの世界に……。マンデルブロ大陸に来たのだろう。
自分とは何かが決定的に違うことを感じなから少年は立ち上がることができなかった。見かねたアミが声をかけた。
「ねぇお尻、冷えちゃうよ? とりあえず中に入ろう?」
雪の上に座り込む異世界から迷い込んだ少年、下島 晃にアミは優しく微笑みながら手を差し伸べた。