5 ピンチ!?
これはかなりのピンチだと自覚できる。
宿舎長のミシルさん、冷ややかで、まるで僕を人でない別のものと認識していそうな視線を浴びせてくるルミさん、そしてヒマリさんたちの部屋の近くにいたであろう人たちが野次馬化して僕たちを囲んでいる。
とても視線が痛い。
この痛さは食堂で感じたあれに近い。……近いです。
晃は拳を固く握り、降ってくる言葉をじっと待った。
「……関心しないな。なんだこの状況は」
ベッドの前で正座をし、頭を布で包まれた氷で冷やす晃に、ミシルは声を低くして不機嫌そうに尋ねた。
「いや、あの……」
「ち、違うんです。私が」
晃の隣で同じように正座をしているヒマリが説明しようと声をあげた。しかしミシルがジロリと睨み、その先の言葉を奪った。声が急に出なくなったヒマリは体を震わせながらミシルの能力に驚愕していた。
「私はアキラに聞いている。どうしてここにいる? 女性の部屋によくも堂々と来れたものだな?」
「え、いやあの、堂々というわけではなくて」
冷たい汗が晃の背中を伝ってゆく。こ、ここはどうやって切り抜けたらいいのだろう。ヒマリさんに教えてもらうことがあり、ここに来ました? そ、それじゃぁヒマリさんに迷惑をかけてしまう。違う言い方がないだろうか。
「じゃぁなんだというのだ?」
「あ、あの、ち、ち、ちん……」
ざわざわと周りが騒ぎ出した。目の前にいるミシルは、タコが茹で上がるかの如く徐々に顔を真っ赤にさせた。
「な、な、なんてことを言いだすんだアキラッ!」
「え?」
周りのざわめきとミシルの真っ赤になっているワケが全くわからなく、晃は首を傾げた。
「ちん、ってなんだ? な、なにを言おうとしているんだ?」
不愉快極まりない言葉を言おうとしているんではないか、とミシルは察し自分の口元を両手で覆いながら聞き返した。
「え? ちん? あ、いえ、あの働いて得た賃金はどこへ……」
一瞬にしてざわめきは静まり、奇妙な静けさが辺りを囲んだ。
一体なんのざわめきだったのだろう? と晃は不思議そうに茹でダコ状態になっていたミシルの顔を仰ぎ見ると、すでに顔色は通常通り、ほんのりピンクがかった肌色に戻っていた。
「え、コホンホコン。失礼。取り乱して失礼。うん。コホン。で? 賃金がどうしたと?」
わざとらしい咳払いに晃は腑に落ちなかったが、ここでうまく説明しないといけない、と佇まいを改めた。
「ずっと……いいえ、ここで働くようになってから不思議に思っていたことがあったんです。稼いだ賃金がいつまでも手元にこないと。そのことをヒマリさんに聞いていて……」
聞こうとしたけれど、別なことを言われて、全然心が落ち着かないけれど。と心の中で晃は続けた。
「ふむ。なんだ、そんなこと直接私に聞いてくれれば済む話じゃないか。なにもヒマリの部屋に押しかけて来ることもなかろう?」
「え、いやあの……」
「ポポリによって掃除をするとき、彼女たちの部屋も入っていたから、まさか仕事以外でも入っていいと思ってないよな?」
「え?」
「なんだその驚きようは……」
「え? え? どういうことです?」
「……」
ミシルは片手を額にあてながら、よろめいた。
「だ、大丈夫ですか? 宿舎長」
隣に立っていたルミが慌ててミシルの体を支えたが、視線はずっと晃に注いだまま動かなかった。
「知らないじゃ済まされない事態ですよ? アキラさん」
「え……」
ルミの一言に野次馬で来ていた女の子たちも頷いた。
「いいですか? どうして男性と女性の生活する場所が違うかわかります?」
驚きすぎて動けないミシルをゆっくり起こしながら、ルミは刻々と語りかけた。
「密室で男女が一緒にいたらろくでもないことが起きるからです!」
「お互いがお互いよくても、周りからは邪な目で見られるのだよ」
ようやく思考回路が戻ってきたのか、短く深呼吸するとミシルはルミの言葉のあとに続いて付け足した。
「え、あ、よ、邪な目で見てくるほうがどうかと思います。そもそも邪な目、というのがよくわかりませんが……」
言葉尻を小さくしながらも晃はキッパリとミシルとルミに対して意見した。
「邪な目がわからない?」
ミシルは肩を震わせたかと思うと唇も震わせていた。
「ヒマリさんにただ教えてもらおうとしただけで、邪な目で皆さんに見られるんですか? 僕は」
押し問答な雰囲気に晃はだんだん胃のあたりがムカムカしてきた。
邪な目っていまいちピンとこないけれど、そんな曲がった見方をされるのが我慢ならない。晃はキュと唇を真一文字に結ぶと、目に力を入れてミシルとルミを仰ぎ見た。
「あの、失礼かと思いますが、ミシルさんやルミさんのほうが邪推しすぎじゃないですか? 僕とヒマリさんの間になにかあると?」
「じゃ、邪推って失礼なっ。宿舎長になんてこと言うんです、アキラさんっ」
肩をいからせながらルミは晃に抗議をした。ミシルは震わせるルミの肩を優しくなだめながら、晃から視線を外すことはなかった。
「アキラが純粋すぎてもう、……っぷ。ふ、ふふははははっ」
空いた片方の手を口許にかざし、必死で笑いをこらえ……きれていない。突然の笑い声に晃も周りの野次馬の女の子たちもギョっとしてミシルを見つめた。いつの間にかルミに添えられていた手は移動して、両の手で自分の腹部を抱え、腰を曲げた格好になり肩を震わせている。
「あぁぁ、くっ、だ、ダメだっ、く、苦しいっっ。あーっ、もう可笑しくてお腹が捩れるっ。ぶはっっ、もうぅっ。皆がみーんな、アキラみたいだったらいいのになっ。くくくくっ、な? ヒマリ?」
声が出なく涙目で正座をしているヒマリに突如ミシルは向き直った。急に話を振られてヒマリはビクッと肩を震わせたがミシルは目を細めて笑い声をあげるだけだった。
「ふふふっ、まぁなかなか面白いものを見せてもらえたから、厳罰にはしないが、やはりここは締めておかねばな」
笑いすぎて瞳から涙が溢れだしていたミシルは手の甲で優しく拭いながら、きっぱりと言い放った。
「締める……。ですか?」
晃は即座に嫌な予感が走った。それってまさか……、アレ……、アレじゃないですよね? 子犬が飼い主に甘えるような潤んだ瞳で思わず晃はミシルを見つめていた。
動物が甘えてきそうな、おねだりのような視線にミシルは柄にもなくハッと息を呑むところであったが、慌てて頭を振って雑念を消した。
「ここではよくあることだが、ここにアキラとヒマリの七日間の減給を命じる。なお、ヒマリは明日、陽が昇るまで口を封じる。己の行動をもう一度見つめ直しなさい」
ざわ、っと再び周りが騒ぎ出した。ミシルから厳しい言い渡しをされ、ヒマリはポロポロと涙を流し出した。
「ヒ、ヒマリさん?」
ヒマリを見つめる視線が集中し、ざわりとどよめいた。天真爛漫なヒマリが涙を見せるなど誰も予想していなかったのだ。
晃も心配になり、肩にそっと触れようとしたが、ぐいっとその腕をミシルに取られた。
「あ、ちょっと、ちょっとっ」
「アキラは私と一緒に来なさい」
有無を言わせぬ気迫があり、それ以上の反論は許されなかった。晃は腕を掴まれ、ミシルとそのまま部屋をあとにすることになった。
減給については次話にて!
※一週間と書きましたが、何週間という概念はない世界ですので→【七日間】と表記を改めました。




