2 そっと心の中へ
ランの部屋に踏み込んだ晃は、自分の寝起きする部屋とだいぶ様子が違うことに気づいた。扉を開けたときに鳴ったリンリンと揺れた鈴もそうだが、部屋の壁紙、若草色で爽やかな空気が漂っているように感じたからだ。
そしてベッドが一つ、ポツンと壁際に寄せてあり晃はおや? と首を傾げた。
「ランさん、一人部屋です?」
ロフトのようなものもなく晃は一応確認のために尋ねた。するとランはこくりと頷いて答えた。
「あの、さっきからすごく気になっているんですけど、どうしてランさん一言も話さないんですか?」
晃が座れるようテーブルの上を片づけていたランは目を見開いて晃を見つめた。ふぅ、と小さくため息をつくと、再び後ろポケットから紙の束を取り、鉛筆を走らせた。
『はなせない みみは きこえる』
その一文で晃は、ハッとした。
なんて僕は無神経なんだ。なんで気づくことができなかったんだろう。僕以外の人と会話していたことなんてあっただろうか? 急いで思い巡らすとそんな光景は一つもなかったことに愕然となり、浅い考えしかできない自分を晃は恥じた。
うつむく晃に対し、ランは机をトントンと叩いて自分のほうを見るよう促した。
「あ、あの、き、気付くの遅くてごめんなさい」
ふるふるとランは首を横に振った。そして椅子を引き、晃と椅子を交互に指さしながら座るよう示した。
「あ、はい」
指示を理解して晃は椅子に腰かけた。
晃が座るとランは、書いては少し止まり、考えては書き、を繰り返しながら紙に長い文章を書き出した。書き終えるとスッと机の上に紙を滑らせて晃に渡した。
『ひまりは あきらのことが すきで しかたがない。あみも なにかと あきらを いしきしているようだ。みどりさんのしうちは あきらが ぜんぜん ひまりのきもち あみのきもちにきづいていないから。あからさまなたいどに きづかないから。すぐにこたえはでないだろうし こたえをだすべきか むずかしいもんだいだけれど こころのどこかに ひまり や あみの あきらにたいして おもっているきもち おぼえていてほしい』
手にした紙をじっくり読んだ晃は、次第に顔を真っ赤にさせていった。
え? ヒ、ヒマリさんが僕のことを好き? アミさんが僕のことを気にしている?
「え? えぇぇ?」
思ってもいないことを指摘され、晃は驚きの声をあげるしかなかった。
『ほんとうに きづいてなかったの』
「え、あ、はい」
だってそんなこと……、ありえない。ここ、マンデルブロ大陸に来るまで家族以外で女の人と話すことなんてほぼなかったし、す、好きだとかそんな話、無縁だったんだから。そもそも受験には関係ないし。
全くというほど免疫がなく晃はどうしていいかわからなくなってしまった。
『そういう にぶさが いいのかもしれないね。でもいつかは けつだん したほうが かのじょたちのためにも なるとおもう』
「は、はい」
どうやってヒマリさんやアミさんの気持ちに応えていいかわからない。でも二人が想ってくれている気持ち、それは大切にしたい。どうやって大切にしたらいいか、いまいちわからないけれど。どんな方法が正解かわからないけれど。
晃はランから教えてもらった意外なことを、そっと心の中にしまい込んだ。




