4 倒れた理由を知る
「ったくしょうがないなぁ。いいか? 耳貸しな」
亜麻色の髪をした男がぐいっと晃の耳を引っ張って隣に座らせた。
「どうしてそんなに白々しい態度とってるか不思議でならないんだけどさ、お前な、堂々と女風呂の敷居跨いだろ」
「……ん?」
なんだって? 晃は自分の耳を疑った。
「女の裸みて卒倒しただろ?」
「えぇぇぇ!?」
素っ頓狂な声を晃があげると、慌てて亜麻色の髪をした男が晃の口を塞いだ。
「ふごっ、ふげふごっ」
思ったより強く抑えつけられ、晃は涙目になりながら手足をジタバタさせた。どかどかガタガタ椅子や床を鳴らし、更に晃とその一角は注目を浴びていた。
「チ、チカラ、まずいよ。アイツらすごい怖い顔でこっち、睨んでる。離してあげて」
黄色い髪色をした女の子が出入り口近くの一角をチラッと見やりながら、注意を促した。
「あ……、すまねぇヒマリ」
チカラと呼ばれた亜麻色の髪の持ち主は、すっと手を晃から離した。
「はぁー、ぜぇー、ふーっ」
肩を上下させながら晃は必死で呼吸を整えた。
すまない、というレベルじゃなかった。鼻まで塞がれてかなり苦しかったし、力が半端なかった。本気で息の根を止めそうな勢いだった気がするのは気のせいじゃないと思うのだけど……。涙目になっている瞳を手の甲で拭いながら、晃はチカラを盗み見た。
涼しい顔で水を飲んでおり、晃はぎゅうと拳を強く握った。
「チカラも大人げないけど、君も君だよ。えーと……名前なんだっけ?」
ヒマリと呼ばれたツインテールを揺らす黄色い髪の持ち主は、小首を傾げながら小さな声で尋ねた。
「あ、あの晃です」
つられて晃も声をひそめる。
「いい? アキラ。自分のしたこと忘れないでね。この子……ルミの裸を見たってことを」
「へ?」
だめだ。思考回路が追いつかない。なにがどうしてどうなったんだ?
……ちょっと待った。
晃はなにか思い出しているのか、目を伏せ腕を組んで考え込んだ。
確か僕はさっきまでベッドで寝ていたよね?
それは――――?
部屋の中にお風呂がないっていうことに気づいて、お風呂上がりのフミさんににじり寄って、お風呂場の場所を聞いて。言われた通りに進んで。進んで? それで?
――――。
悲鳴がどこから聞こえたような……気がする。
晃の握った拳が小刻みに揺れ出した。
「お、おい大丈夫か?」
拳だけではなく、晃の体全体が小刻みに揺れ出したので隣にいたチカラはギョッとして肩を叩いた。
「う、ぁ、あの、こ、故意じゃないんです。場所に慣れなくて、あの」
ベッドに寝かせられる前のことを少しずつ思い出してきた晃は、しでかしたことの大きさに心が押しつぶされそうだった。
あ、あり得ない。いやそんなことを言ってる場合じゃない! なんてことを僕はしてしまったんだ? 人の、し、しかも女の人のお風呂場に侵入して、き、記憶が曖昧だけれど、は、裸を見てしまったらしいなんて。震えながらタラタラと晃は顔から汗を垂らし始めた。
「アキラ? そ、そんなに思いつめなくても……」
晃の異様な変化にミシルは心配になり、そっと声をかけるもその声を跳ね返すように頭を横にぶんぶん振りだした。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。不快な思いをさせてごめんなさい」
声を震わせ、絞り出すように謝った。記憶が曖昧だとしても、不可抗力だとしても、僕がきちんとフミさんの話を聞かなかったからこうなったわけで……。
自分の不甲斐なさを晃はかみしめた。
「そ、そんなにあ、謝らないでくだ……さい。あ、あなたすぐ倒れましたから……」
か細い声が晃の耳に届いた。
「え?」
弾かれたように顔をあげると、日本人形のような髪型をした黒髪の女の子が真っ赤になりながらも晃を見つめていた。
「あ、あなたに気づいた人たちが……色々投げつけて……それで」
「え……」
「まぁ、ルミとは目が合ってバッチリ見てたようだけどねぇ」
ヒマリがルミと呼ぶ黒髪の女の子をギュと抱きしめながら頭を撫でた。
「え、いや、あの、本当に覚えていなくて……」
「覚えてないだって。白々しいねぇ」
ヒマリは大きな瞳を細め、蔑むような視線で晃を一瞥した。
「いや、あの、本当に……」
晃の声が消え入りそうになるほどヒマリの視線は冷ややかだった。
どうやったらわかってもらえるだろう。言えば言っただけ、これ以上あまり事態は好転しそうにないように思える。悔しいけれど……。唇を噛みしめながら晃は俯いた。
「まっ、アキラはおいおい信頼回復に努めるように。あっちのテーブルからバンバン痛い視線が飛んでいるし、食事の時間も限られている。そろそろこの話しは切り上げて、腹ごしらえをしたほうがいいと私は思うのだが」
ミシルのひとことで、晃を除くテーブルを囲んでいた六人はスプーンやフォークを手にし、食べ始めた。
「アキラも食べておかないと仕事がおろそかになるぞ?」
「え、あ、でも……」
「でもじゃない。食べときなさい」
有無を言わせぬミシルの威圧感に押されて、晃もスプーンを握った。
そして気づいた。
話すことをやめてみると、食堂一帯が静まり返っていることに。食器が時折りぶつかって鳴る音くらしかないのだ。
「なんでこんなに静かなんだろう」
ポツリと晃が呟くと、その声が異様に響いた。呟いてしまったことに晃は後悔したが、すでに遅く、もの凄い速さで晃に視線が一点集中した。あまりもな速さで見られ、思わず晃はごくりと喉を鳴らして息を飲み込んだ。
こ、怖い。視線がものすごく冷たい。さっきヒマリさんという人に向けられた視線と同様に痛い。どうしてそんなに怖い顔をして見るんだろう。
「いいか? あっちの連中は王宮に仕える高位魔法使い様々でな、静かに食べたいんだってよ」
またもチカラに耳を引っ張られた。ただ今度は慎重に耳元で囁かれた。
「え?」
「え……って、お前なんも知らねーの?」
こくこくと頷くとチカラは頭を掻きながら面倒くさそうに、更に言葉を続けた。
「高位魔法を扱えるのは王族の血縁者だけ。始めから俺らとデキが違うんだけどさぁ、小さい頃から礼儀作法、勉学もずっーといい教育を受けてるわけ。食事中にわいわい騒ぐなんてマナーに反するんだってよ。野蛮なんだとよ」
「野蛮……」
小さく小さく、他に聞こえないよう晃は唇だけ動かして言葉を繰り返した。
富裕層特有の雰囲気と同じ位置づけだろうか? 僕の家も結構静かに食事をする家庭だと思うけれど、ここまで酷くなかった気がする。食事をする時間は、必要最低限ではあったかもしれなけどコミュニケーションをとる唯一の場所だったから。
逆にここまで静かすぎると不気味すぎる。もう少しだけ賑やかでも迷惑じゃないと思うんだけどなぁ。晃は野蛮、と言ってのけてしまう高位魔法使いたちの心情が理解できなかった。
「でもなー、あいつらももう少し弾けたほうがいいと思うんだがなぁ」
既にいないもの、と晃は思っていたが、突然後ろからミシルの声が降ってきて驚いた。
しかもわりと声が大きい。しかし、晃たちが座る一角以外は気にも留めていないようで、変わらず静かに食事をしている。
「あぁぁ、宿舎長!! 空間切り取りましたね!!」
頬を膨らませてヒマリが声をあげると、ミシルはフフフと笑い声をあげた。
「いいじゃないか。あのお高くとまった連中、私が苦手なこと知っているだろう? それにもう少しお前たちと話したかったし。な? 好きに話せるよう配慮したんだから文句言わない、言わない。でもくれぐれも立ち上がったりするなよ? あくまでも普通に食事をしています、っていう素振りをするんだぞ? そうじゃないのあの連中からなにを言われるかわからないからな」
「まったく、宿舎長は子どもなんですから」
深々とため息をもらしたのは、薄緑色の長い髪を一つに結わえている女性だった。
晃の視界の中に入ってはいたが、自分は関係ないと言わんばかりに食事をとっていたので、急に会話に入ってきて少し驚いた。
「ミドリは相変わらず手厳しいなぁ」
「厳しくありません。宿舎長が子どもっぽいんです。それだから婚期をいつまーでも逃したままなのですよ?」
紙ナプキンでミドリは口元を拭いながら、にっこりミシルに微笑んだ。
み、見えないけど火花がバチバチ、ミシルさんとの間に見えるような……。ミシルとミドリの間にいる晃はハラハラしながら二人の様子を静観するしかなった。
「ミドリもそろそろいい歳じゃなかったか?」
白い肌を紅潮させてミシルは言い返した。
「わたくしのことはいいのです。庶民ですから。宿舎長は違いますでしょう? 高位魔法を会得してらっしゃるのに。そんな方がいつまでものらりくらりとしていては周りに示しがつきませんでしょう?」
「……私はここでみなの生活を見るのが好きだ。……それだけだ。ミドリ、知ったような口をきくな」
「申し訳ありません」
プイとそっぽを向いてミドリは小さな声で謝った。
「ったく、これだから歳がいった女は面倒くさ……っってぇ」
後ろからミシルの平手がチカラの頭に飛んだ。
「女は年齢じゃないぞ。まったく」
「そうだよ、チカラ! 宿舎長は宿舎に住むわたしたちのことを思って結婚しないだけなんだから。ね? そうですよね?」
瞳を輝かせてヒマリはミシルに問いかけた。
「あ、そ、そうだ。うん、そうた。ヒマリの言った通りだ、うん」
ヒマリの言葉に、そして羨望にも似た視線を感じ、たじたじになりながらミシルは答えた。ヒマリはその答えに満足そうに頷くと嬉しそうに再び食事をはじめた。
「まっ、とにかく今日からアキラはお前たちと一緒に働くからよろしく頼むよ」
「はーい」
間延びした返事を聞いたミシルは、短く息を吐くと「それじゃぁ」と言葉を残してあっという間に姿を消した。
そして空間を切り取る前の静けさが辺りを包んだ。
カチャリ、コトリ。
それ以外の音がしない。
なんだろう。フミさんたちと食べたときのほうがすごく美味しく感じる。いま食べているパンなんて、昨日と見た目が同じなのだから風味豊かなはずなのに、心から美味しいって思えない。
雑談を嫌うこの雰囲気が美味しさを半減させているのだろうか?
晃は手と口を動かしながら、昨夜の騒がしい食事の光景を思い出し、ひどく懐かしく感じた。




