11 料理の皿
晃の視線の先では寸胴や大皿から盛られた料理の皿が、各テーブルへと配られていくのだ。それは誰かが手に持って運ぶわけではなく、空中を舞って各席へすとんと降りていくのだった。
「え……」
あっけにとられて晃は口をあんぐりと開けて突っ立つしかなかった。ちらり、ちらり、と向けられる視線など気にならなくなるくらいに。
「いやぁ、ごめんね、ごめんねぇ」
両手を合わせてペコペコ頭を下げるフミが近づいてきたが、皿が飛ぶさまに目を奪われている晃は気づかづにいた。
「? おい、アキラ? 聞こえてますかーぁ?」
フミはアキラの目の前で手の平をひらひらさせ、耳元で大きな声で問いかけた。
「ふぉっ」
変な声をあげながら、ビクッと肩を震わせた。こわごわ視線を自分の周りに彷徨わせて、フミがそばにいることを確認すると、ふぅっと深いため息をついた。
「あの、なんで僕を一人にしたんです? というか、フミさんどこに隠れてたんですか? 痴態を働いた者ってどういうことです?」
フミの姿を捉えると、晃は一気にまくしたてた。
「いやぁ、それがさぁ。一人にしたのは悪かったって思ってるよ? でもさ、宿舎長にさ、一人であんたの紹介したいから、って頼まれてて」
「え?」
ぽかんと口を開けてフミを見上げた。フミは頭をポリポリかいている。
「なんかね、女たちの怒りをある程度収めるには、アキラが悪者にならないといけないって言っていてさ」
「えっ」
悪者? どうして?
「ちょ、ちょっと待ってください。どうして僕が悪者なんです? 女の人の敵ってどういうことです?」
全く話がみえない。晃は首をゆっくり傾けながらフミを見つめた。
「ん? っていうかさ、アキラもしかして自分のしたこと全くわかってないのかい?」
晃の反応が薄いのでフミは、もしかして? と思い尋ねた。案の定、晃は目を見開くだけでなんのことだかさっぱりわかっていない様子だった。
……記憶喪失ってことはないと思うけど、綺麗さっぱりしでかしたこと忘れてるってありかい? 心の中で舌打ちしながら、フミは晃の手を引いた。
「あ、あのど、どこへ?」
「ここに突っ立ってたって話も進まないからな。こっちきて、こっち」
フミに腕を取られ、晃はぐいぐいと出入り口と反対の所へ連れて行かれた。そしてフミのように褐色の肌の人たちのテーブルに座らされた。
「お! 来たね。変態くん」
ケラケラ、ゲラゲラ笑いながら晃を迎えると、あからさまに晃は眉を寄せて嫌な顔をした。
「おうおう、兄弟! 大丈夫さ。ここの奴ら三日くらいすればあっという間に今日のことなんか忘れて新しい話題に飛びつくから気にすんなって」
ばしばしと遠慮なく晃の背を叩くのは、二の腕が拳二個分以上ありそうな屈強な男だった。ちなみに体毛も濃い。黒々とした毛が腕や、シャツから少し見える胸元にも生えている。
「あ、え、は、はい」
いやいや、変態ってどういうことですか? 叩かれながら晃はチラリとフミを見やると、罰の悪そうな表情で肩をすぼめていた。
「まっ、女性群から手痛い仕打ちをされるかもしれませんが、気にしない方がいいですよ。あの人たち、日々の労働でいじれる素材を探してるだけですからね」
晃の向かい側から声をかけられた。言いながら、艶やかな黒く長い髪をさっとひと撫でしている。前髪を眉ギリギリのところでまっすぐに切りそろえているのも特徴があった。そしていま口にした意見なんてしてない、と言わんばかりに背筋をピンと伸ばし、行儀よくスプーンで皿にあるスープをゆっくり口に運んでいる。
「なんだよ、その澄ました言い方。いつも通りべらんめぇで言ってやったらいいじゃないか? コイツに気取った言い方したって上の階級いけるわけないだろ」
毛が濃い男はガハガハ笑いながら、手の平より大きいパンをむんずと引きちぎり、むしゃむしゃと口に押し込んだ。そのせいで口の中が乾いてしまったのか、スープの皿を取ると縁に口をつけて飲み干していく。口元を豪快に拭いながら、空になった皿を上に掲げると、ふわっと皿が浮き上がった。するすると引き寄せられるように、その皿は様々な食材を置いた長机がある正面へ飛んでいく。
まるでお皿が意志を持ったみたいだ。晃はびっくりしながら、その皿の様子に釘づけになった。食材を入れてあるだろう寸胴鍋の後ろには、口元をマスクで覆い、割烹着を身に着けた人が数人いた。みな髪の毛が料理に入らないように白い帽子に髪をひっつめているように見える。あれって……なんだっけ? 僕より世代が前の小学校にあった……確か、配膳係とかいう姿に似てないかな?
料理の入った寸胴鍋や大皿の前に立っている人たちはみな、腕を懸命に動かしてお皿に料理を盛っている。前方から、横から、斜め横からと次々にお皿が浮遊してくるのを起用にキャッチすると、お玉やトングで取り分けて元の場所へ浮遊させて戻していっている。これも魔法なのだろうか。いや、魔法としかいいようがない。頭上で行き交うお皿からスープや野菜などが零れ落ちてくるのではないかと不安に思いながら晃は一つの結論を導き出した。
「さぁさぁ、あなたも早く食べませんと、夕食の時間が終わりますよ」
丁寧に話す黒髪の男が、パンが次々となくなっていったカゴをひょいと宙に投げると、阿吽の呼吸のごとく前方からパンがトトトトンと投げ入れられた。カゴは満足したようにゆっくり降りて、もう一度テーブルの上に戻ってきた。
「そうだな。だいぶ時間くっちゃったからな。急いでありつこう」
フミはそう言うと、遠慮なくむんずとカゴからパンを掴むと、むしゃむしゃかぶりついた。
一応外国の食事みたいにフォークやスプーンがあるけれど、皆順番んに使ってないのかな? 特にマナーや決まりはないってこと? まぁそのほうが気楽でいいけれど。それにカゴを投げたり、お皿をフリスビーみたいに飛ばしたりっていう豪快なこともしてるし、気にしなくていいんだろうな。晃は騒々しい食事の時間にどこかホッとしながら手前にあるスープをスプーンで掬って喉を潤した。
「お、お、美味しい!」
なんだろう。家庭ではなかなか味わえないような風味だ。タマネギがしっかり煮込んであるというか、なんというか。くんくんと顔を近づけてスープの匂いを嗅いだ。
「おいおい、中々行儀が悪いじゃねーか。どこの田舎からやってきたんだい?」
カカカと腹を抱えて笑うのは毛深い男だった。晃はその声を無視した。行儀が悪いのはどっちだ? スープ皿に口をつけるほうがよっぽどだ、って言ってやりたいのをグッと我慢した。
「アキラの住んでた所じゃわからないけど、ここはさ、働くか飯食うかくらいしかやることなくてさ、こうしてガヤガヤできる食事の時間が唯一の楽しみなんだよ」
フミはサラダの葉をモシャモシャ口に入れながらここでの特徴を説明した。
「まっ、そういうわけでこの時間はみんな気が大きくなって言いたいこと言ってくるけど、大きな心で聞いてやって」
フミは両手を合わせてすまなそうに軽く頭を下げた。
ここでは仕事と食べることしかやることがない? じゃぁそれ以外の時間って一体何をしてるんだろう? フミの言葉で逆に晃は疑問が湧き上がった。
だが、あまりにも美味しく舌鼓してしまう食べ物が多く、それに気を取られて疑問に思ったことが薄れていってしまった。
そして重要なこと。
自分が悪者になっている、ということを晃はすっかり失念していた――――。




