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10 何事も経験2

 フミは食堂の前までくると、くるりと晃のほうを向いて、


「アキラ、食堂で頑張って耐えてな」


 ぽんと晃の肩を叩きながら、開け放たれた食堂の扉をフミはスルリと通り抜けた。


「え? どういうことです?」


 フミのおかしな励ましに首を傾げながら、フミのあとに続こうと晃も食堂に足を踏み入れた。


 その瞬間。


 ザッっと衣服が擦れる音が一斉にすると、晃に視線が集中した。あまりの威圧さに晃はたじろいた。助けを求めようとフミを探したが、すでに近くに姿はなく、跳ねながら遠ざかっていくのがわかった。なんだ、この置いてけぼりは。なんでこんなに僕を見る人がいるんだろう? なぜ注目されているのか皆目見当もつかない。項垂れかかった晃の肩をとんとん、と叩く者がいた。顔をあげると――。

 そこには、さっき別れたばかりの宿舎長ミシルが立っていたのだ。部屋で別れたときの服とは違い、胸を強調させるようにコルセットで締め上げ、胸の肉を思い切り盛っている姿に晃はどこに視線をやっていいものか悩んだ。


「アキラ? もったいぶらず、どーんと私を見ていいのだぞ」


 ミシルはそっと晃の耳元に息を吹きかけるように囁いた。


「い、いや、あ、あの」


 なにを言っているんですかっ、と反論しようと口を開きかけたとき、ミシルは片手をスッと顔の高さ位に挙げた。すると、晃に向いていた視線が今度はミシルに集中した。 


「こほん。紹介が前後してしまうことになってしまったね。この者が先ほど痴態を働いた者だ」


 ミシルが凛と声を張って言う言葉に、晃はギョっとした顔をした。な、なんだって? この者って、もしかしなくても、僕ですか? 恐る恐るミシルを見ると、にっこり微笑む彼女の視線とかち合った。それ以上続けたかった言葉が急に消えてしまい晃は戸惑った。


「名はアキラという。女性の風呂を覗いてしまった変態かもしれないが、今日ここにやってきたばかりだ。右も左もまだわからない若輩者だ。ここは私の顔を立てて、許してやってもらえないだろうか?」


 ミシルの熱のこもった言葉を聞いた食堂に集まった者たちは、顔を互いに見合わせながらコソコソと小さく囁き始めた。その声はジワジワとさざ波のように晃とミシルの元へ届いては引いていった。


「同じことを繰り返したら、この大陸からこの者を追い出そう。だから安心してほしい、とまでは言わないが、いまいちど今回の騒動は皆の胸の中にしまってはくれまいか? 私もこの者のように若いときは、善悪の判断が甘く、人に迷惑……を……」


 じんわり目元にたまった涙を拭いながら、ミシルはうぅぅ、涙声をもらした。そのさまに食堂に集まった者々はハッと息を呑んでみつめた。


 「宿舎長が泣いていらっしゃる」

 「あの者を想って涙を――」

 「宿舎長に免じて……」


 ミシルのしおれた姿にみな心打たれて、頷く者が一人、また一人と増えだした。ギラついた敵意はすぅと引いていき、ミシルの目の前に座っている人物がすくっと立ち上がった。


「宿舎長、今回は見逃しましょう。もしも……、寛大なる宿舎長の恩赦によって許された……、この者がまた狼藉を働いたときは――。宿舎長、容赦ない鉄槌をお願い致します」


 厳しい口調でミシルに告げ終わると、座っていた者たちが一気に立ち上がり、みな同じ角度でミシルに頭を下げた。


「……うむ。わかった」


 満足そうにミシルはゆっくり頷くと、立ち上がった者たちを手で制してもう一度座らせた。


「さて、みなが気にしてると思うこの者の仕事は二つある」


 再びざわめきだした。それはさっきより声の音量が大きかった。


「一つは郵便の仕分け、もう一つは宿舎の掃除だ」


「掃除?」

「本当か? 宿舎の掃除か!」


 掃除、という単語に反応してざわめきはまた大きくなった。前方から後方までその情報が行き渡ると、地鳴りのように歓声が起きた。

 ビリビリとその歓声が鼓膜に振動して晃は、ビクっと体を跳ねさせた。な、なんだろう。この異様な盛り上がりは。


「それでは、そういうことだ。みな、アキラをよろしく頼むよ。ではな」


 そう言い残してミシルは指を鳴らしてあっという間にその場から姿を消した。

 ――居心地が悪い。僕が痴態を働いたとか全く意味がわからない。なのに、ミシルさんはどんどん話を進めるし、同室のフミさんっていう人も姿くらませてしまうし。一体僕がなにをしたっていうんだろう? 誰か親切に教えて……くれないよな。この雰囲気じゃ。その場にぽつんと取り残された晃に、ヒソヒソ声と興味本位の視線が注がれていることがひしひしと伝わっていた。

 だんだんと痛い視線に耐えられなくなり、逃げ出してしまおうかと思ったそのとき、いきなりドラのような音が食堂に鳴り響いた。

 すると晃の視線のずっと先に座っていた者たちが立ち上がり、お皿に料理を盛り始め――。


「え?」


 目の前で繰り広げられている光景に晃は目を見張るしかなかった。



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