6 ミシル
ポカポカしていてなんだか気持ちいい。でもなんというか鼻で息するのが辛いというかなんというか。
「ふごっ」
息を鼻から吐こうとしたとき、ぽすっという音とともに鼻の通りがよくなって、晃は驚いて手足をばたつかせた。ささ、しゃしゃ、と布が擦れる音がして、更に驚き、自分の置かれている状況を把握しようとした。
女の人……。そう。胸を強調した魔法を使う女の人がいて。それで、それでどうしたんだっけ? ゆっくり起き上がりながら晃はこめかみを抑えた。
「そんなに落ち込まなくともいいと思うぞ」
優しい声色のわりにぶっきら棒は物言いは……。そろりそろりと晃は声がするほうに顔を向けた。
「うわっっ、なんで、なんで、いるんですか!」
目を白黒させながら体にかかっていた布を頭からすっぽりと被った。あ、あの胸を惜しげもなく披露していたあの人がいる!
「なんでって、アキラが急に倒れたからだよ。まぁ健全な男子にはよくあることなのだろう? 別に恥ずかしいことじゃないんだぞ? この胸に感動して鼻から血を流すなど。女冥利に尽きるよ」
「え? あの鼻から血を流すって?」
顔だけ布から出し、尋ねた。
「覚えていないのか? アキラが顔を真っ赤にしてるから熱でもあると思って測ったら、よくわからんが、血をプシューと出して倒れたのだよ。驚いたぞ。今まで私を見て血、プシャーって噴き出した人なんていなかったからな」
くすくすと口元を押さえて笑った。
うぉぉぉぉ。何してるんだ自分。む、胸が、女の人の胸が近づきすぎて、誘惑に耐えられなくて鼻血を出したってことなのか? は、恥ずかしい。この人の前から猛ダッシュで逃げ出したい。
「そんなに恥ずかしがらなくていい。大体いつも同じような格好をしているからいつでも私のこの膨らみが見れるぞ?」
ふにふにと自分の胸を指先で突つきながら、晃ににっこり微笑みかけた。
すいません。ぼくを勝手に変態のような扱いをしないでください。耳まで真っ赤にさせながら晃は必死で願った。
「まぁ、それは冗談として置いといて」
こほん、と小さく咳払いをして佇まいを直した。
「シモジマ アキラくん、改めてこの宿舎での雑用、そして郵便業務に勤しんでほしい。そして名乗るのが遅くなって申し訳ない。私はここの宿舎長を務めているミシル・フラクタクルだ。色々とよろしく頼む」
宿舎長、ミシルは晃に手を差し伸べた。
その手をすぐに握ろうとしたが、晃はすっと手を引っ込めた。
フラクタクル? マンデルブロじゃない? どういうことだろう。アミさんが言っていたことを思い返すと、名前のあとが生まれた場所だから……。
「あ、あの、ミシルさんはフラクタルという大陸で生まれたんですか?」
「そうだ。なんでわかった?」
「ア、アミさんに聞いていたんです。名前のあとが生まれた大陸を意味すると」
腑に落ちない顔をしていたミシルは、合点がいったようで、うんうんと頷いている。それ以外、つまりこの宿舎のことや私のことなどアキラに話していたいだろうな。納得しているフリを見せながら晃の行動をつぶさに観察していた。
ベッドの上で、せわしなく指が動いていて、私の胸元を見たり、見なかったりと定まらない視線が気になるが……、それ以外は――。いや気になることがある。どうしてアキラはこんなに落ちついていられるのだろうか? 普通ならば、知らない世界にやってきて、「元の世界へ帰らせてください」と取り乱すんじゃないだろうか。帰る方法はありませんか? とか。
ふっとミシルはアキラを観察するのをやめ、窓を見つめた。
――抵抗、……抗うのを諦めている? 知らない世界に来て早々、元の世界のことを切り捨てられるのか?
私はできなかった。魔法の修行だ、とお師匠さんに言われて次元の歪みに投げ込まれたあの頃。着いた先で私はどうしていいかわからなかったが、出来うる限りの抵抗はした。早く知らない世界から帰りたいと心底思ったのに。なのにアキラは……。
過去を思い出していたミシルはフッと窓から視線を外し、改めて晃を見つめた。
フラクタルという表記がありましたが正しくは「フラクタクル」です。暫く間違えておりました。(2015.10.19訂正)
ですので、ミシルのフルネームは”ミシル・フラクタクル”が正式です。




