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5 熱

「シモジマ アキラ、と読むのか?」


 サインされた契約書をくいくい、と人差し指で戻す仕草をして紙を自分の手元へ寄せた。そして晃が記したサインの場所に目を留めた。


「そう、そうです! あの読めるんですね。僕の字が」


「え、あ、あぁ。私も郵便の仕分けをしていたからな」


「あ、そうなんですか」


「あぁ。そういうわけだ。それでは宿舎の中を案内しよう。アキラ、私のあとをついて来なさい」


「あ、は、はい」


 あれ? アミさんにもタミ爺にも、それから門番のビビさんにもシモジーマって呼ばれたのに、どうしてこの人は意図も簡単に晃って呼んだのだろう? 漢字が読めると、どれが名前かわかるということ? そういうことってあるのだろうか? 先にあるほうが名前で、あとにあるほうは大陸の名前になるって教えてもらったことを覆しているような。それにマンデルブロ文字はカタカナしか使わないようなことをアミさんが言っていたけれど、なぜこの人は意図も簡単に漢字を読めたのだろう? 郵便の仕分け、という作業になにかヒントが隠れているということ? 


 この女の人、一体何者だろう?


 ざっくり背中を惜しげもなく魅せつける女性を訝しげに晃は見つめながら、あとに続いた。


 玄関ホールをあとにすると、さっきアミが駆け抜けた回廊を左に見ながら、石畳の廊下を歩く。晃は回廊と今自分の歩いている廊下に風が感じられないことを不思議に思い、そっと回廊の方に手を伸ばしてみると、見えないなにかに触れた。どういうことだろう? 外の景色は見えるっていうのに。透明の壁みたいのがある? どこまでその隔たりが続いているのか気になり指先を触れさせて歩いたが、女性が立ち止まるまで途切れることがなかった。


「ここが食堂だ。いま食事中で皆を驚かせるのはいい案とは思えない。悪いが、この隙間から様子を見てほしい」


 そう言うとそっと扉を開けた。

 言われるがまま晃は僅かな隙間から中の様子を伺うと、騒々しい音や声が飛び交っていた。

「おかわり~」という声があちらこちらからあがると、スーっと皿が一定の場所から浮かんだのだ。そして安定した浮遊感で声のあがった方々(ほうぼう)へ飛んでいき、行儀よく着地していくさまを晃は目の当たりにした。

 うわっ、凄い! 食器が色んな所へ飛んでるっ。 こういうの見ると手品とか言ってる事態じゃないことを実感してしまう。まだちょっと信じられないけど。ごしごしと目を擦りながら目に映る光景に胸が高鳴った。


「どうだアキラ? 魔法は面白いだろう?」


「ふぁ、えっあ、はい」


 むにゅと背中で感じる感触は、もしかしなくてもアレだろうか。柔らかくて温かくて、気持ちがいい。って、違う違う。慌てて首を横に振ってよこしま思いを振り払った。「ふふ、初心うぶだなぁ」と耳元で囁かれ、変な気持ちが体中に駆け巡り、晃は身を縮めて女性から離れた。

 し、心臓に悪いよ、この人。音もなく近づいたかと思うと、むにゅっとしたの押し付けてくるわ、耳元で囁くわで。怖い。女の人とここまで密着したことがない晃の心臓は、ばくばくと跳ねあがり、顔は異様に熱を帯びていっていた。


「どうした? アキラ。顔が真っ赤だぞ?」


「気のせいです。はい、気のせいです」


 後ろを向いて顔を合わせないようにしているというのに、女性はすすっと晃の前に遠慮なく移動してきた。


「いや、これは熱でもあるのか? どれどれ」


 と言いながら晃の額に手をかざした。が、すぐに首を傾げた。


「熱はないみたいだが……。お、おい。どうしたアキラ、おい、しっかりしろ」


 ぐわんぐわんと晃の視界が揺れた。

 あのですね、女の子にあまり免疫がないというのに、惜しげもなく胸を強調されるとですね、血管が沸々してくるわけですよ。その心の声を口にしたかはわからないが、薄れゆく意識のなか、晃は赤い鮮血を見たような気がした。



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