5 晃でアキラ
「ねぇねぇ、シモジーマってちょっと呼びづらいから、シモでいいよね?」
そういえば、と思い出したようにアミはポンと手を叩きながら、晃に確認してきた。
「は?」
ちょっとまって。二文字が流行ってるからってそれはないと思う。シモってなんか卑猥だし、苗字だし。一瞬、晃は止まってしまったが、慌てて手と首を振って否定した。
「じゃぁ、なんて呼んだらいいの?」
「晃でお願いしたいです」
「ア・キ・ラ……」
ゆっくりアミは口に出して確かめた。
「綺麗な響き。省略しないほうが素敵だね。アキラって呼ぶことにするね。これからよろしくね! アキラ」
金色でキラキラ光る髪を揺らしながら、向かい側に座っている晃にすっと手を差し伸べた。
「あ、あぁ。えっとアミさん?」
紙に書かれた文字をちらりと見て答えた。
「アミだけでいいよ」
「でも……」
言いよどんでいるとアミは頬を膨らませた。
「つべこべ言わない! アキラ、よろしくね?」
晃がいつまでたっても握手をしないのでアミは下がってしまった腕をもう一度あげて握手を求めた。
「あ、はい。どうぞよろしくお願いします」
女の子と握手なんて久しぶりでドキドキしてしまう……。おずおずと差し伸べると、アミはもう片方の腕も伸ばして両手で晃の手を包んだ。思ったよりゴツゴツした手で晃は驚いた。
「そうだ! どうせ泊まるところないんでしょ? うちに暫く泊まってよ。このあたり若い男手少なくて困ってたところだし。ね? いいでしょタミ爺」
「ん? ……なんじゃの?」
「もー。タミ爺ちゃんと聞いててよっ。アキラをこの家にしばらく泊めてあげるの!」
「は? 何言ってるんだ。ダメじゃ。ダメに決まってる!」
声を荒げてアミの提案を却下した。
「タミ……爺?」
怒った声を聞くのが久しぶりでアミは驚いた。
「その男はエメさんのところでも預けておけ。絶対にその男を泊まらせるなんてことはダメだ。絶対に!」
「……どうして? タミ爺はいつも困ってる人に手を差し伸べてあげるんだよ、とか言いながらなに? その言い方。アキラは異世界からやってきて行く場所がないんだよ? 困ってるじゃん」
「別にうちじゃなくてもよかろう」
アミの剣幕に気圧されて、タミ爺は少し弱気な声をもらした。
「この周りに若い男手ないし」
アミも引き下がれなく、強気で攻める。
喉から出るほど若い男手が欲しいのは事実。特にこの季節はありがたい。でも息子とアミの母親のようなことが起きないとも言い切れない。異世界から来たアミの母親は例にもれず〝雪かきさん〟としてやってきた。しかもこのウルサの町を拠点としてくれた。
わしから見ても、他人から見ても幸せそうな二人で、子を産んでもそれは永遠に続くと誰しも疑わなかったあの頃――。彼女はアミを生み落して、息子とともに消えてしまった。
大切に思っていた二人がいなくなってからの喪失感はアミが埋めてくれたが……。あんな思いはもうしたくない。このことを全て話してしまえたらどんなにいいだろう。でもわしは腹を括った。話さずに後生大事に墓まで持っていこうと。だというのに、また繰り返されてはさすがに堪える。辛い。異世界住人にうちの者を二度、連れ去ってしまわれたら今度こそ心が挫けるかもしれない。
それにはなるべく同じ時間を共有しないほうがいい。タミ爺は口元を引き締めた。
「いいか、ここに泊めることは許さん」
毅然とした態度でアミの意見を突っぱねた。
「頑固者っ! 頑固じじいっ」
ムキになって、十代の頃よくタミ爺に言っていた言葉を並べたてた。
「あ、あの僕はどこでも。雨風しのげるところであればどこでも構いませんから。ここじゃなくとも」
二人の剣幕にいたたまれなくて、晃はぼそぼそとタミ爺の案に賛成の意をあらわにした。
「ほら、そう言ってくれてるしのぉ。すまんねぇアキラくん」
この話しはこれでお終い、と握り拳で膝を打って立とうとしたところ、アミは思い切りタミ爺の肩を押してもう一度座らせた。
「じいちゃん、どうして? どうしてアキラだけダメなの? うちに迷い込んで来た人は快く泊めて世話してあげてきたよね? それがわしの生きがいじゃー、とか言っちゃって。あれ、嘘だったの? 困ってる人助けるじいちゃんってカッコイイなって思ってきてたのに。違うんだね。異世界から来ただけで違う扱いをするんだね」
「アミ……」
まくしたてるアミをタミ爺は悲しそうな眼差しで見やったが、本人は気付いていないらしく、更に続ける。
「エメさんたちと一緒だね。雪かきさんじゃないからって簡単にアキラに罵声あびせて。勝手にがっかりして。アキラの悲しそうな顔見てた? カミさんの悪戯かなんか知らないけど、知らない世界にやってきて心細い思いしているのに、失礼だよっ。アキラにはもっと別なことができるかもしれないのに。なんでその可能性を探ろうとしないの?」
「アミ、本題が……」
ずれていることをタミ爺は指摘しようとした。しかしアミは激高していてタミ爺の声が聞こえず、更に続けた。
「私、難しいことなんてわからないし、異世界の人と話したことなんて今日が初めてだしわからないけど、アキラがここに来たってことすごく意味があると思うの。この世界が素敵なことで溢れていることを伝えたいの。タミ爺は懐も深いから、エメさんたちみたいに色眼鏡で見ることしないと思ったのに。だから、ここにいてもらえばって。ただ……そう思ったの」
ようやくクールダウンしてきたのか、言葉が尻切れトンボのようになった。
白かった肌が一気にまくしたてたせいで赤く染まっている。
「アミの思いはわかった。アキラくんにとってマンデルブロで生活することは意義があることかもしれない。でも、この家に泊まることは駄目だ」
訛りはなくなり、揺るぎなく断言した。いつものタミ爺から考えられなく、アミは唇を噛みしめた。
「……。じいちゃんのわからず屋っ! それなら私が宿舎に入るよ! 変わりにアキラをここに置いてあげてよ」
「なに言っとるんじゃ?」
どこをどうやったら話が飛躍するんだ、と眉を寄せてタミ爺はため息まじりに言った。
「前から、仕事場に近いところへおいでって言われてたんだから。だからいいじゃない」
「……あ!」
タミ爺はぽんと手の平を上にしたところに拳でぽんと相づちを打った。
「したらば、アキラくんをそこに住まわせたらいいんじゃないかの?」
「え?」
今度は晃が驚いた。
「宿舎には色んな人がいるし、いい経験になるんじゃないかの?」
「うーん……」
チラリとアミはアキラを見やった。
なかなかの顔立ちで、あわよくばっ・……て思ったけど。いやいやそうじゃなくて、〝雪かきさん〟が来られないときに、このあたりの雪かきをお願いしたいと思ったんだけどなぁ。そうすれば私の負担も少なくなると思ったのに。ただアキラのことを考えると、確かに宿舎で過ごすのがいいかも。いま掃除や手入れする人が少なくて、って言ってたし。
このへんの雪かきはしょうがない。諦めて私や周りのおばちゃんやおじちゃんたちと一緒に頑張ろう。それはそれで、いい気分転換にもなるし。
アミはスッと短く息を吸うと、にっこり微笑んで晃を見つめた。
「というわけで、アキラには宿舎で働いてもらいまーす」
「へ?」
晃をよそに、これからのことを勝手に決定したアミはにこにこしている。
「まぁ今日はもう遅いし、しょうがない。泊まっていきんさい。ただし、今日だけじゃよ! 明日の朝、アミと一緒に宿舎に行きんさいね」
今日だけ、を強調しながらアミの案にタミ爺も納得し、顔を綻ばせて晃に勧めた。
「いや、あの……」
「宿舎なら、服も借りれるし、賃金も稼げるから安心しんさいな」
「や……、あの」
宿舎ってイメージ的に強制労働な感じが拭えないんですが。さっきまで怒ってたアミさんもタミ爺さんもにこにこしていて怖い。タミ爺の変わり身に怯えながら晃は宿舎について聞こうとした。
「一夜泊めるだけじゃそ。アミに変な気起こさんなよっ」
すぐに話題を変えられたかの如く、タミ爺がずずいと晃に顔を寄せて、一言釘を刺した。
「え、えぇ? そんなことしませんって」
変な疑いをかけられていて晃は焦った。確かにアミさんは綺麗で素敵だけれど、一晩同じ屋根の下にいて変な気を起こす、なんてこと考えもつかなかったのに。このお爺さん変なこと言って。タミ爺を睨み返した。
「まっ、アミのほうが結構な年上だしな。手を出すもなにもないかのぉー」
カカッと笑いながらタミ爺は台所へ姿を消した。
残された二人の間には微妙な空気が漂っている。
「あのくそじじい。余計なこと言いくさって……」
「え?」
明るい声から一変、低い声が聞こえたような……。晃は向かい側にいるアミを凝視した。
「あ? なに? なにか私の顔についてる?」
「え? いえ。なにも」
アミさんが発する声はやっぱり明るい。さっきのは聞き間違いだったのだろうか? 晃は首を傾げながら思った。
「そうだ。アキラって年はいくつなの?」
「え、十七です」
「……十七か。チッ」
え? なんか今舌打ちされたような気が……。恐る恐るアミを見やると、面白くなさそうに顔をしかめていた。
「あ、あの、アミさんはお、おいくつなんですか?」
「え? なに? 女性に年齢聞くなんて失礼だよ? それともなに? アキラの世界では女性に年齢を聞くのは普通のことなの?」
「え? いや、あの……」
たじたじになる晃。アミさん、なんだかとっても怖い。なんでこんなに問い詰められないといけないんだ。
「……まぁとにかく年齢のことはどうでもいいじゃない? タミ爺が美味しい鍋を作ってくれるから楽しみにしていてね」
そう言うとすくっと立ち上がって二階に続く階段を昇って行った。
若いかなぁと予想はしていたけど、アキラと七つ離れてるのかぁ。はぁぁぁ。若いなぁ。でも若いぶん宿舎で重宝されるかも! ふふっと含み笑いしながらアミは自室の布団にダイブした。




