4 名前と文字
「で、整理するとあなたには私たちと同じように名前があるわけね?」
「はい。下島 晃といいます」
集まっていた人たちが帰り、静まった居間で晃はアミとタミ爺を前にして改めて自分に名前があることを説明した。
「シモ……シモジーマって呼べばいいのかな?」
「いや、それはおかしくないですか?」
「え? なんで? シモジーマはアキラっていう場所で生まれたってことでしょ?」
どこがおかしいのだろう? とアミは睫毛の長い大きな瞳をぱちぱちさせて不思議そうに見つめた。
「アキラっていう場所で生まれた? いやいや、なんでそういう解釈になるんです?」
「だって私たち、名前のあとが大陸の名前だから。私の場合だと、アミ・マンデルブロね。タミ爺はタミエール・マンデルブロっていうの」
「た、タミエール? あれ? さっきのエメさんっていう人、確かエメエールって言ってませんでした?」
「うん。タミ爺の世代はね、なんとかエールって付けるの流行ったの。だから似たような名前の人いっぱいいるんだよ」
「じゃ他にはどんな名前があるんですか?」
「ロマエール、ミリエール、アリエールとか」
「……」
最後の……。馴染んだ名称だったような。晃は思い出そうと記憶を手繰り寄せるが、モヤがかかったようにはっきりせず、首を傾げた。
「ちなみにいまはね、二文字をつけるのが流行ってるの。その流行りにならって、タミ爺やエメさんたちは上から二つ取って呼び名にしてるんだよ」
「ふーん」
この世界でも名前の廃り流行りっていうのがあるんだ。妙な所に感心する晃だったが、慌てて首を振った。
「って、ちょっとまって。やっぱり僕、本当に異世界に来たんでしょうか?」
どこかまだ実感がなく、アミとタミ爺を交互に見ながら尋ねた。
「え? だってあなたはこの大陸のことを知らない。絶対的なカミさんを知らない。〝雪かきさん〟のことも知らない。それだけで充分、異世界から来たって言えると思うけど、どう?」
それは確かに的を得ていて反論する余地もなく、晃は続ける言葉を失った。
冷静に考えればそう捉えられるんだけど、もしかしなくても夢の地続き、ていうわけにはいかないのだろうか? 運悪く、なにかの事故に巻き込まれて意識だけ浮遊してる、とか。でもこんなにはっきり物事を考えられるし、思った通りに話せるし。感触も実感がある。総合して考えると、やっぱり僕は異世界に来てしまった、と考えたほうが妥当なのかな。
いま与えられている状況が、どうしても夢の世界にいる、とは思えなく晃は次第に別の世界に来てしまったかもしれない、という気持ちのほうが膨らむのを感じていた。
「それにしてもおかしいよね。シモジーマはどうして〝雪かきさん〟じゃないんだろう?」
異世界からやって来るのは雪を片付けてくれる魔法を備えた〝雪かきさん〟しかいないと聞いていたアミにとって素直な疑問であった。
「うむ。……カミさんなりに、なにか考えておられることなんじゃないか?」
腕組みをして二人のやりとりを見ていたタミ爺が割って入った。
「どんな考えかなぁ?」
「わしらには図れんこったろうけど」
言葉を切って、タミ爺は晃をじっと見つめた。
例外などこれまで聞いたことがない。エメさんが言っていたように、寒い時期に現れる異世界人は〝雪かきさん〟、熱い時期に現れるのは〝氷屋さん〟とカミさんが定めたはずなのに。おかしい。本当にこの男は異世界人なのだろうか? なにか知識があって最もらしいことをわしらに言ってるだけじゃなかろうか。しかし嘘をついているような眼差しじゃないから余計に判断に困る。
思い巡らしながらタミ爺は、いま一つ異世界から来た、という決め手に欠けるので一つ尋ねることにした。
「シモジーマとかいうお主、名前以外に異世界から来たということを証明できんか?」
「え……あっ!」
シモジーマって呼んでほしくないんですが。それは置いてといて……。
朝、定期を買おうと思ってズボンのポケットに生徒手帳を入れっぱなしにしていたような。晃はごそごそとポケットを探った。お尻に違和感があることに気づき、後ろポケットに手を突っ込むと固いものが手に当たった。よかった。勘違いじゃなくて。ホッと胸を撫で下ろしながら探し物を抜き出した。
「これ、僕の通ってる学校の生徒手帳です」
そう言いながら一番後ろに挟んである身分証明証を引き抜いてアミに差し出した。
「学校? ……あのさ、これってなんて書いてあるの?」
顔写真の隣に記されている名前、学校の名称、住所をアミは指でなぞりながら尋ねた。
「え?」
「不思議な文字だね」
「……読めません?」
「うん」
同じような顔立ち、会話も成り立っていうのに文字だけは別なのだろうか? 学生証の表裏を観察するアミとタミ爺を見ながら思った。
「じゃあさ、こっちの世界の文字ってどんなのですか?」
「こういうのだよ」
立ち上がり、近くの引き出しから紙と鉛筆を持って晃のところへ戻った。
それはあまりにも見慣れた物で晃は面食らった。紙はどこにでもある白くぺらぺらしたもの。鉛筆もどこの文房具店で手に入る緑色の六角のものだったのだ。
晃が呆気にとられる中、アミはさらさらと書いて晃に見せた。
「え?」
「やっぱり読めないよね?」
「……いやあの」
目をこすって二度見してしまう。だって、これって……。晃が目にしたのはバランスよくカタカナで〝アミ・マンデルブロ〟と書いてあったのだ。読めないどころではなく、普通に読めることに戸惑った。
「あ、あのさこれってカタカナだよね?」
「え?」
アミはきょとんと目を丸くした。
「カタカナってなに? タミ爺」
「知らんな。聞いたことないなぁ」
「え? だってこの文字、僕らの世界で習う文字なんですよ!」
「そうなの? あなたがカタカナって呼ぶこの文字はね、マンデル文字っていうの。他の大陸にいくとまた文字が違うのよ」
「マンデル文字……」
安直な名前だな、と晃は思った。
「まぁ一応、けったいな文字を使うような世界から来たことは信じておこうかの。それにしてもお主は変わってるの」
「変わってる?」
「そうじゃ。異世界から来なすったのに、雪かきさんじゃないし、マンデル文字は読めてしまうしで。そんなけったいな話、聞いたことなぞないからの」
鼻息荒くタミ爺は言った。この男が異世界から来た、というのはカミさんの悪戯なのだろうか? それとも意味があるのだろうか?
そんな腕組みをして考えを巡らせているタミ爺をよそに、アミはどんどん先を続けていた。




