モアレ1/4
『本日のお天気は曇りのち晴れ。傘は必要ないでしょう』
一階の居間のテレビからいつも通り聞こえる天気予報士の言葉が睡眠不足で寝惚けた武夫の頭に、今日が代休とは言え、そろそろ起床時間だと伝えてくる。
カーテンを揺らす冷たい風は換気の為に少し開けられたであろう窓から拭き込み、室内の湿度をかっさらっていく。
暖房器具の出番は減ってきたものの、朝の布団の中の温もりがまだまだ愛しい季節だ。
毛布から漂う我が家の匂いに頬擦りし、束の間の微睡みを満喫しようと、武夫が再び布団の中に潜り込んだ時だった。
「こらー、みんなおきなさーい!!」
洗濯物を干していたのだろう。隣の部屋のベランダからの紀子さんの元気な声が響き、武夫に明瞭な覚醒をもたらした。しばらくした後、パタパタと軽快なスリッパの音が一階の台所へとかけ降りたのを確認すると、武夫はまだ四時間も過ごしていないベッドからのそりと抜け出した。
「やったぁ!ぱぱぁっ!」
「あ、帰ってたんだ。お帰りなさい」
「パパおかえりー!」
肌触りのいいチャック柄のパジャマ姿のまま降り立った戦場の様な朝の食卓。夜半過ぎに帰宅した父親を喜び向かえる子供達のそれぞれの年相応な挨拶と食事姿に、武夫は内心ニヤニヤが止まらない。
上は赤いタイが初々しい中二の娘、真ん中は髪の毛が跳ねたままの小四の息子、そして下はもうすぐ年少さんになるピンク色の園児服がお似合いの女の子。
トーストにサラダとヨーグルトとコーヒーという、久しぶりの紀子さんの朝食に舌づつみをうちながら、下の子のダイナミックかつアクティブな食事をフォローするのは幸せの極致だ。
武夫が朝のルーチンワークを滞りなく完了させる紀子さんのきびきびとした動きに見とれているうちに、賑やかだった上の二人の子供達が紀子さんの見送りで学校へと出掛けていった。何年一緒に見続けても大人でさえ面白いと素直に思える朝の子供番組と共に踊る末娘の隣、リビングの日差しが差し込む窓越しに武夫も子供達を見送った。
『ガシャリ』
にぎやかな子供たちの声が遠ざかる中、玄関が閉められる音が外と中を遮るかのように静かになった家に響く。
端境を思い出させる不思議な瞬間だ。
その感覚に昨夜の仕事で対応した、よくある些細な障害をふと思い出した武夫は、けれど次の瞬間にはそれを綺麗に脳裏から掻き消した。
「今日はこれからパート?」
事務職らしく、けれど堅苦しくない服装への着替えと年相応の派手ではないけれど好感度を意識した化粧という毎日の出勤前の準備を手際よく進める紀子さんの隣、武夫も慣れた手つきで下の娘の鞄をあけて、連絡帳に手拭きタオルにと保育園の準備をすすめる。
「そそ。昨日、勇人の参観日で午後休んじゃったから、早めに行こうと思って」
そう笑う紀子さんは上の娘と姉妹と間違われるほどかわいらしく、また夫が留守の際、家を守る度量をもったしっかりものの武夫の自慢の妻だ。
「そうか、じゃあ、さちは俺が保育園に連れていくよ。いつも俺が出張で留守がちな中、子供達の世話をみてくれてありがとう。本当は正社員でいたかっただろうに、俺が出張がちだからパートに降格させてしまって、申し訳ないよ」
本心からの感謝と謝罪の言葉と共に娘の視線がテレビにそれているうちに軽い口付けをその白く柔らかい頬に贈れば
「そんなことないわ。逆に、働きたい私を許してくれてありがとう」
と紀子さんも笑顔で武夫の頬に口付けてきた。
そんな二人の隠し事に何か気がついたのか。テレビのふわふわなキャラクターに夢中だったはずの娘が急に二人の間に入り、抱っこをせがむものだから武夫は紀子さんと一緒に幸せな苦笑をせずには居られなかった。
いつもなら自転車で出掛ける妻を、娘を保育園に送りがてら駅まで車で送ろうと、ズボンだけスエットに進化させコートを羽織った武夫がエンジンをかけようとした時だった。スエットのポケットの中の携帯がバイブレーションで仕事のメールの到着を武夫に伝えてきた。
しぶしぶ携帯を取りだし内容を確認する武夫に、遅れて助手席に乗り込んだ紀子さんが『どうぞ』と仕草を見せて後部のチャイルドシートの娘をあやし出す。
片手で謝って見せた武夫は、慣れた手つきで上司への直通ナンバーを選択しコールした。
すぐに繋がった先、後ろからの聞こえるのは、多分、昨夜武夫が作業終了の連絡を入れてからも、一睡も出来なかった上司の、疲れきってテンションが多少おかしくなっている声だった。
「おはよう。朝早くからお疲れ様。連絡の件だか……うん……そうか、急ぎなら仕方ない。わかった。で、入りは?」
通話を聞かれても当たり障りがない範囲で、電話に出た代理の人物と端的に要件を確認する。
「仕事?」
タイミングを計っていたのだろう。通話を切った所で紀子さんが武夫に尋ねてきた。
「うん、急な障害が発生したみたいでね。ちょっと国関係の機関の特殊なシステムだから対応できる人間が限られていてるし、対応できるメンバーもみんな遠方に出張中でね。……二~三日位になるけど、いいかな?」
急な仕事が入った事をそのままつたえると
「うちは大丈夫よ。子供達には夜、私から話しておくわ。いってらっしゃい」
と紀子さんはかっぷくよく笑って見せてくれた。
「すまないね。まだ時間はあるから、さちはこのまま俺が送っていくよ」
その笑顔にほんの少しの間申し訳なさと、多大な安心感を持った武夫は、今日という日を始動させるため車のエンジンをかけた。
*****
帝都中心部から少し離れた帝都第一空港。
ビジネスバックを片手に社会人らしくスーツにコート姿で午後からの便に乗り込んだ武夫は眼下に小さくなる見慣れた景色に目を細めた。
政府の直轄機関、特殊災害情報センターのシステム保守管理業務の委託を受ける民間企業。それがSEという肩書きを持つ武夫の勤務先だ。
一見、言葉の響きからくるお堅い企業勤めのイメージは世間体がとてもいい。だかその実、人間の道を一度踏み外してしまったモノを世間の目から隠し、国の機関の仕事をさせるため作られたダミー企業の一つでしかない。特に武夫が所属するところは、姫神との契約後センターの構成員となったものの、年齢が高く、社会的体裁が必要な下部向けの中途採用のカモフラージュに特化している。
元々、武夫自身、理系の学校も出ていたのでSEという職種に綻びは生じにくい。
何より、鬼にたぶらかされ災厄や厄というこの国の通常運営の障害になった人間を鬼になる前に処分し、状況を復旧させる仕事だ。
割りきればあながち嘘を言っている訳でもない。
姫神だとか鬼だとか災厄だとか、まるで子供向けのお伽噺の様な世界観満載だが、委託元の特殊災害情報センター、略してセンターは間違いなく国の機関だ。但し、そのお役所らしいややこしいネーミングに誤魔化され、詳しい業務内容を知っている人間はほんの一握り。
この国には古来から人為的に、人から八百万の神々に無理やり昇格させられた、姫神様とか三柱様とか呼ばれる存在が、一般人には知られることなく実在する。
彼女達の力はこの国に、人々に、確かな繁栄を与える反面、祟りも与えた。
人間が造り上げた、けれど人間の処理能力、理解能力を越えた神様への窓口兼、彼女達の神使の眷族やその候補の暴走を隠密に処理する組織。時代により名称や形態は変化し続けているらしいが、それがセンターと呼ばれる組織の全容だ。
そしてダミーの委託企業に勤める武夫も漏れることなく鏡姫様に仕える神使の眷族、己の業の重さゆえ既に人の道を一度踏み外した人間だった。
帰省か旅行か。時折子供がグズる声が聞こえる機内で、武夫は先ほど空港で手渡されたペーパーベースの資料に目を通す。
電子端末が普及した昨今、紙媒体も珍しい。しかし、姫神の下部として現在この国で一番だと思われるネットの支配者であるお姫様がセキュリティ面の不安を訴えるのだから、仕方がない。
一見、作業依頼書と仕様書に見える文面は、軽い気持ちからでも深い思惑からでも覗き込んできた人物にありもしない現実じみた嘘を見せつける特別仕様だ。ついでに言えば、読み取った文字は二度とその姿を見せることはない。文字系を操る姫神の下部の力を使ったものなのだろう。
作業依頼書の内容はよくあるものだった。
とある地方中核都市で最近急に増えた失踪事件。
蠢く鬼に似た気配を吐き出す帝都ほどではなくとも、人が多く集まる場所は人間関係が希薄になりやすい。特に現代社会は自ら他者との関わりを切る人物も多い。一人二人消えた所で気にする人間は少なく、こんな風にセンターが嗅ぎ付けるくらいには表沙汰になった時点で、倍以上の犠牲者は想像に難くない。
恐らくは鬼になりかけた人物が災厄を振り撒いているのか、既に戻れぬところまで進み喰っているのか。そのいずれかだろう。こんなこと、こんな近代的社会を築き上げた現代だからこそ本当によくあることなのだ。
鬼になりかけた人間を消し去る事を武夫はあまり好意的には思えない。
青臭い青年風の仲間の様に使命感だって持ってはいない。
だか、かといって仲間に招き入れるのも好きではない。
姫神の下部として契約が成立するということ自体が多分普通に消し去られる人々より重い業を抱えている証拠なのだ。
加えて、別の姫神に仕えることになろうとも、センターに在籍有無に関わらずとも、この不合理な世界に招き入れた人間と招き入れられた人間の間には、この先訪れる事がある、気の迷いとか道を外れるとか表現される事態が発生したとき、物理的にきちんと霧に還すか息の根を止めてやる祓の義務が生じる。
それが何よりも武夫は面倒くさいと思っていた。
人間は強欲だ。一つ願いが叶った所で、更なる望みを求めてしまう。自分も含めて、一度は道を踏み外した人間モドキが、まともに最後まで歩けるなんて期待は出来ないし、実際センターの構成員となった下部のうち三分の二は数年以内に再び踏み外し、人知れず内部で消されていく。
また、武夫のような広範囲を担当する戦闘特化型のセンターの実働部隊だと大なり小なり年間百件以上の作業依頼を受け、数人の人間を碌でもないこちら側へ招き入れる事になる。
それは他の姫神の下部達よりも格段に多いのだ。そして、招き入れる数が多ければ自然、責任を負って対応しなければならない事案も増える。
既に武夫は自分をこの世界に留まらせた武夫とは似ても似つかぬ、師匠とも呼べた優しい人を祓と称し霧にしてしまっているし、昨日終わらせた案件も武夫がこちら側に招き入れた弟子とも呼べる人物のものだった。
手に握る冷たい金属の感触が心を落ち着かせ、引き金をひく感覚が精神を研ぎ澄ます。
かつての仲間を消す事に武夫は一欠片の躊躇いも後悔もない。
けれども、そうであっても、いつ自分もそちら側へと引きずり込まれるかわからない背中合わせの恐怖を常に武夫は感じていたし、何も知らない家族の笑顔だけは忘れてはいけないし、守りたいと強く心に思っている。
武夫が一通り書類の内容を頭に入れた所で機内に着陸準備の放送がかかった。思いの外、長い時間集中していたようで、首を数回ポキポキと鳴らした武夫は軽く目頭を押さえた後、目を閉じ、何十回乗ってもなお慣れる事のない、いつも苦手な着陸の感覚に体を備えた。
*****
地方都市は極一部を除いて、公共の交通の便があまり良くない所が多いというのが武夫の持論だ。
視界不良のため少々上空での待機時間が加算された一時間半のフライトの後、降り立った空港出口で武夫は出発前に手配していたレンタカーの手続きをし借り受けると、車を除雪した雪が一部で山になっている空港内の駐車場に移動させた。エアコンが効きだす間もなく、先程の資料から少し気になった件について携帯で関係各所に調査指示を出し、再度空港の中、出発ロビーへと足を向ける。
「綺羅ちゃん、柚希ちゃん、お久しぶり」
週末の夕方とは言え空港には少し似合わない年頃の少女達が静かに携帯端末を操作しながらコート姿で待合室の椅子に座っていた。若干幼さが残る高校と大学に通う現役女子学生の二人組だ。
一応、遠目には出張帰りの父や伯父とそれを待つ娘や姪にでも見えるよう帝都からの土産が入った紙袋を掲げて見せる。
既に同じ飛行機に乗っていた人々はほとんど立ち去っていて、次の発着便まで二時間は空く冬場の夕時の地方空港のロビーに人はまばらで空港関係者以外の人物は見受けられない。
小雪が舞う季節にまだ幼さが残る少女達を外で待たせるのは心苦しい。けれど、容易な待ち合わせは武夫には問題なくても、この地域で生活する少女たちは意外な知り合いに会う可能性も高い。それを防ぐ為、待ち合わせはあえて他の到着者より違和感がわかない程度に遅めで、転勤族の夫と二人暮らしという売店の女性くらいしかいないこの場所に設定した。
「武夫さん、お久しぶりです」
武夫に気がついた 眼鏡に三つ編みおさげの柚希が立ち上がり深々とお辞儀して見せる隣、
「やったー!武夫さんと一緒なんて今回、大当たりじゃん」
少し茶色がかった肩までの髪を揺らし綺羅がはしゃいでみせる。
「オジサンを喜ばせても何にもでないぞ?しかし二人とも久しぶりだね。変わりがないようで何よりだ。車も借りてきたところだし、そろそろ移動しようか」
静と動。表裏一体のような二人に、武夫は営業用の笑顔で答えると、帝都より確実に冷たい風が吹き付ける中、駐車場の車へと素早く案内した。
除雪された雪の溶けかけた塊が道案内するかのように両脇に残る道路を、スーツに似合う妥当なセダンタイプの車の後部座席に二人を乗せ、シートベルトだけ確認するとすぐに走り出す。こんな時期に無駄に停まって他者の記憶に残るのも面倒だし、何より時間短縮も兼ねている。帝都は春の足音が聞こえてきそうな日和が増えてきたが、この地域はまだまだ雪の季節が続く。日暮れも早く、寒さも厳しい。
「二人とも学校はどうだい?」
バックミラー越し、今回託された二人の部下の内面の変化を確認するのも現場の責任者たる武夫の仕事だ。しかし半分はオジサンのお節介も含まれている。
「えー、学校は相変わらずみんなまじめ過ぎてつまんないわよ。早く受験して帝都に出たいわー」
「綺羅ちゃんは帝都で夜遊びしたいだけなんだろう?県内屈指の進学校に通ってるくせに君は変わらないね~」
キャッキャと笑い話す綺羅に父親はいない。小学校に入学するかしないかの頃、母親から育児放棄に近い状況に置かれているところをセンターに保護された。今は成長し手もかからなくなったので母親もそこそこ構ってくれているようで、彼女を真似てこんなにいい加減な雰囲気を周囲に振り撒いてみせる綺羅は、その見た目の反面、中身はとてもしっかりしていて、揺るがない強い信念を持っている。
「だって、私は私だもん。それ以上でもそれ以下でもないわ」
センターの地方支部が裏でいろいろ手をまわしてもみ消している、彼女の倫理観のズレを端とする素行とは裏腹に成績は文句なしに全国模試で常に上位をたたき出している綺羅らしい、単純でありながら重みのある言葉に武夫は笑顔をかえした。
「柚希ちゃんはどう?絵の学校は楽しいかい?」
「ええ、周りの人たちもみんなすごくって、毎日が勉強になります。最近は共同制作で人魚姫を題材にいろいろやってます」
次に武夫が声をかけた柚希は受験期のストレス辺りをきっかけに災厄に片足踏み込みかけた所を武夫がこちらに招き入れた少女だ。色々とグレーゾーンを飛び越えそうな問題を抱えている綺羅とは違い、純真という淡い絵具で真面目という純白なキャンパスに絵を描いたかのような少女だ。
当時一枚噛んでいたとは言え武夫にも踏み込んだところの詳細はわからない。けれど、おそらくは姫神と下部の契約をしてまで望んだのが今の進路だとは認識している。
「へぇ~人魚姫かい?オジサン難しいことはよくわからんが、共同作業ができるような友達もできたみたいで本当に良かった。とても進みたがっていた進路だものね」
「そうですね」
センターで把握する、大人があえて口を出すべきか否かで躊躇う位には親しいらしい異性の共同制作者の存在をあえて友達と称し声をかけてみれば、口数少なく答えつつもニコニコと笑って見せる柚希に今はまだ大丈夫だろうと武夫は安堵する。
二人の状況確認兼世間話もここまでにして、そろそろ今回の本題に入ろう。運転しつつ、そう、武夫が思い立った時だった。
「で、武夫さんは、どうなんですか?奥さんと子供元気?」
「うぉ、ブャ、あ!?」
そうたずねてきた綺羅の言葉に武夫は思わず驚いて、声にならない驚きを吹き出した。
「ここでそうくるか……まぁ、あれだな、うん、みんな元気だな」
なぜ一番仕事に対し割り切っていて、家族関係から一番遠い所にたたずむ綺羅が普段からかいの対象として位にしか触れることのない武夫の家族関係を今、たずねてきたのか。色々思いを馳せて見た後、武夫は信号が赤のうちに上着の内ポケットからスマホをとりだし、ロックがかかったままだが待受画面を表示させ後部座席の綺羅の前に差し出した。
「ここだけだぞ?これが俺の可愛い奥さんと子供達だ」
見せられた画像に綺羅が一瞬目を細めたのを武夫は見逃さなかった。
「へぇー。結構奥さん美人じゃない。良いとこなしの武夫さんにもったいなーい」
直ぐに引っ込めようとした武夫の手のひらからスマホがスルリと取り上げられる。
「だろだろ?ってそれ貶してない?」
「ほめてるよー、奥さんを」
ケラケラ笑う綺羅の手元を隣に座る柚希も悪いなーという表情のまま、けれど、瞳の好奇心を隠しきれずのぞきこむ。
「結構大きな娘さんがいらっしゃるんですね」
「もう中二なんで、最近はあんまり口をきいてくれないけどねー」
少ししょげた表情で武夫が柚希に答えると
「寂しいんだ?武夫さんって面白ーい!」
と更に綺羅が手足をバタつかせて笑い転げる。
「オジサンを構って遊ばないの。はい、携帯返して」
そろそろ歩行者の青信号が点滅をはじめたので、武夫は体をのりだし綺羅からスマホを回収すると、運転席に座る姿勢を正し、助手席のビジネスバッグの上にそれを投げおいた。
「えー、浮気メールをチェックしてあげるよー」
笑いの余韻にヒーヒーいいなが更に引きずる綺羅の子供っぽい様子がかわいらしい。
「ねーよ、そんなもん!てか、今家族の写真を見せたばっかりだろうが?!うちはラブラブなんだよ」
ツッコミながらも武夫は満面の笑顔だ。
「おー!オジサンの割にちゃんと愛情表現はオープンなんて武夫さんすごーい!」
パチパチと拍手をして見せる子供っぽい仕草の綺羅の隣、
「武夫さんって意外に今時の男の人なんですね」
と、大人びた素振りでしみじみと柚希がぼそりと呟くのがすこしくすぐったい。
「おうよ!前は感謝の気持ちとか愛情表情とか、本人だろうがそうでなかろうが、人前で言う方じゃなかったし、言わないのを男の美徳とか思ってたけどな」
言わないで迎える後悔を知ってしまったからね。
ポリポリと頭を掻いて照れて見せる武夫は、けれど、後半の言葉はまだ未来ある少女達には必要ないと口にしなかった。
人通りのない空港通りの交差点の信号が青になる。
「今夜は対象者の選定を終わらせようかと思うんだ」
つとめて明るい口調のまま、再び走らせ始めた車のバックミラー越し、そろそろ本題だと武夫は言葉少なに先ほど機内で組んだ今後の予定を伝えた。
「随分急ぐじゃない。急ぎの用でもあるの?」
先ほどまでの賑やかな車内が嘘のように静かになる。そして、意味深に尋ねてきたのは綺羅だった。
「ここのところ出張続きでね、そろそろ自宅の布団が恋しいんだ」
本音半分で武夫は笑って答えた。
「私は隣接市とはいえ県外からなので補佐官に適当な理由と武夫さんと同じホテルを用意していただきました。丁度学校も暖房設備の故障工事で休講中ですし、夜の活動も大丈夫ですよ」
「うちも平気よー。学校は休みじゃないけど、超地元だし、母さんは仕事で明日の朝まで帰ってこないし、あの紐男は毎夜パチンコからの夜遊びで顔も最近見てないし」
柚希らしい真面目な返答と綺羅らしいぶっちゃけた返答に武夫は苦笑を漏らす。
「柚希ちゃん、あてにさせてもらうよ。ありがとう。あと、綺羅ちゃん。オジサンとしては好き勝手に未成年に夜間の活動をさせるわけないはいかないのよ?しかもうちはやってることはアレでも一応お役所のお仕事なんだしね。でも、君の力がないと今回は厳しそうだ。お言葉に甘えて本部に連絡して保護者の方にはこちらから適当な要件を手配させてもらうよ」
きっと困った表情をしているだろう武夫の言葉に
「大人って言い訳しないと生きられないクズな生き物だものね」
と綺羅は後部座席の隣で何とも言えない表情を見せる柚希をそのままに、クスクスと楽しそうに笑っていた。
*****
綺羅の住まう都市のよくある住宅街の一つに着いた時、空はすでに暗く、さらに厚い雪雲が星一つ見せてはくれなかった。
そろそろ夕食時だからだろうか。出歩く人の気配が少ない。
肩を寄せ合う様に隣接する沢山の住宅は、それぞれの家庭のほのかな明かりを揺らめかせる窓辺は平和そのものだ。だが、辺りを静かに飲み込もうとする淀んだ気配がその穏やかな日々を確実に濁らせ歪ませようとしているのが皮膚からピリピリと伝わってきた。
夜道に出ることを住民は無意識に避けているのかもしれない。
「七瀬ちゃん、今大丈夫?」
「はいはーい、七瀬さんでーす。おけですー!」
白い息とともに、耳に着けたインカム越しに武夫が呼び掛けた相手は、今朝のセンターとの電話の後ろでテンションがおかしくなった声を響かせていた人物と、一応は同一のはずだ。しかし、今はゴタゴタも片が着いたのだろう、何事にも動じるつもりのないいつも通りの気の抜けたような声に武夫はほっとした。
今回の武夫の仕事の依頼者。というか、事実上の上司兼指揮官に当たるセンター本部の鏡姫の下部、七瀬。
彼女は帝都のセンター本部内にほんの気持ち程度に置かれた司令室と言われる電子機器の詰め込まれた小部屋にほぼ住まう、電子とネットワークと端境の世界のお姫様だ。
「綺羅ちゃんがここかなーとか言ってくれてるんだけど、どうよ?」
空港通りから幹線道路に入ってすぐの人もまばらなコンビニの駐車場。買ったコーヒーを片手に、この街に住まう綺羅にここのところの違和感をたずねれば、『何か最近、この辺の地形に故意に拒絶されて近寄れないんで』と笑いながら彼女はすぐにカーナビの地図を指差し、目的地に設定してみせた。
「座標拾いまーす」
ゆるい七瀬の声にインカムを附けた耳の奥、耳鳴りに似た感覚が通り抜けていく。
武夫の隣に立つ二人の少女も同じように感じるのか綺羅は瞼を静かに閉じ柚希はここではない何処かを睨らむかのように見つめている。
いざという時は端境もあるからと動きやすさを重視し、コートを脱いだことが悔やまれる程、空気が凍てつく。朝のお天気お姉さんは傘が必要ないとと言っていたが、これは今夜雪になるかもしれないな、と武夫は空を見上げ、
「そっか、あれは帝都の天気だった……」
と白い空気の固まりと供に独り言を漏らしてしまった時だった。
『きた』
薄い柚希の唇が音を出すことなく動かされ、武夫は柚希が見つめる先に視線を向けた。
蠢く三つの黒い塊に命の気配は感じられない。
「……あ、ごめん。七瀬ちゃん。早速相手がいらしたみたいだよ。とりあえず頼みます」
帝都の七瀬へのインカム越しの依頼の言葉と同時に武夫と二人の少女の周囲に端境の気配が広がった。
「やだーどんだけタイミンクがいいのよー武ちゃん。っと、座標固定できたんで張りまーす」
ただでさえ端境を遠距離間で構築させる技術は難しいだろうに、インカムの向こうの女性はふざけた笑いと共に確実に強固な端境を完成させる。
先ほどまでの耳鳴りはいつの間にか消え、武夫はもう無関係な人々の視線も気にしなくて良いだろうと、緻密な飾りつけが成された冷たい金属の神器、ショットガンと一般的には呼ばれるそれを何もない空間から一丁取りだし構えた。
「いやー、俺歓迎されてんのかな?」
現状と真反対の緊張感のない声でそう武夫が話しながら狙いを定めれば、隣の綺羅が
「えー、これ近寄るなっていう警告なんじゃない?」
と同じように緊張感がない声で、答えつつ、その白い指先に巫女鈴を握りしめ、
「ですよねー」
とおとなしいはずの柚希も弓矢を構えつつ綺羅の言葉に同意をみせた。
黒く淀んだ塊が一体、武夫達三人の姿を認めたようで、少し宙に浮いたまま、人にはあり得ない車並の速度で近寄ってくる。
「えー、オジサン嫌われてるのー?ここんとこお仕事一生懸命頑張ってるんだけどなーっと!」
距離感を違えぬよう、ギリギリまで待って武夫が数発、弾を撃ち込めばガクガクと人の形をとるそれは崩れ落ち動きを止める。更に、柚希がとどめとばかりにその額に矢を当て幾何学的な紋様を浮かび上がらせれば、粉々に砕け散って冬の冷たく強い風に砂塵の如く飛ばされていった。
「だから魂を壊した臭いが染み付いているんですね」
恐らくは空港で会った瞬間からずっと気になっていたのであろう。矢を射ったあと、思わず口にしてしまった様子の柚希が、自分のその言葉の意味するるところに改めて気がついたのか慌てて、自分の口に手を当ててみせる。
いいよいいよと武夫がジェスチャーで笑って見せていると、
「武ちゃん、ここ三週間、出ずっぱりだったから……ごめんねー」
三人の会話に、既に公共の電波帯からは外れた七瀬だけの通信手段で彼女は武夫に謝ってきた。
「七瀬ちゃんのせいじゃないでしょ?」
残りの二体が、先ほどの仲間の破壊に気がついたのか、先ほどの一体同様、速度を上げて三人に接近してくる。先ほどの人の形をしたものが三十代のサラリーマン風なら、あとの二体は二十代のいかにも就活生ぽいスーツの似合わない若者と大学生くらいの風体をしていた。
「そうだけどさー。ちょっと智也が手間取ってんのよー。本当に申し訳ないわー」
「智也君が手間取るなんて珍しいですね」
帝都やその近郊でのすこし派手目な処置が必要な障害の際、武夫もよく顔を合わせ、その実力を見せつけられている同じ姫神の下部であり、センターにアルバイトと称し所属する智也というイケメン現役大学生の名前に武夫は首を傾げながら、左手で上着からもう一丁、リボルバーと呼ばれる銃を取りだし、横から飛びかかってこようとする大学生風の一体に狙いを定め数発、弾を撃ってその体を弾き飛ばした。
「詳細は榊さんから口止めされてるんで話せないけど、上手く行けば面白い事になるんじゃないかな?」
「そりゃ……しくじった時が大変そうだ。そういえば榊調査官は?」
先ほど避けられた弾の軌道を頭の中で計算しつつ武夫はリボルバーを上着の内側に仕舞い、もう一度ショットガンを構える。綺羅が軽く舞いながら巫女鈴を鳴らし、弾を避けつつ距離をさらに狭めてくる三体目を目に見えぬ黄金の壁で跳ね返す。その隙に、柚希も弓を数回射ってみせる。まだ数回しか組んだことのないメンバーだがそれなりに息は合っているようだった。
「榊さんも智也と同じ件で出ずっぱりなのよー。智也君がしくじった時は武ちゃんにも尻拭いを手伝ってもらわないとかもねー。てか、手伝ってもらえる状況で収まるといいなー」
武夫はお役所独特の役職名が得意ではないが、恐らくはセンターの中で一番偉いと思われる人物まで出張っているらしい障害の内容に一瞬思いを馳せて身震いさせた。
「それは、嫌だなぁ。なんとか智也君に頑張っていただかないと。そろそろ中年の体に疲労が溜まってきたので休ませていただきたいところです」
この仕事の後は、中断してしまった代休を取り直し、妻子と穏やかな週末を過ごしたい。そんな帝都を揺るがすような大規模な災厄なんて関わりたくないと伝えつつ、スーツに着られているような就活生風の三体目が綺羅の黄金の壁の力の隙間を縫って再接近してくるのに武夫は狙いを定め、四肢を撃ち抜いていく。
「なにいってるの。まだ二十代並の体力のくせに」
ケラケラとインカムの向こうで笑う七瀬の笑い声をバックミュージックに、空から狙ってくるアクティブな大学生風の二体目に目をやると、柚希がとどめの矢を射ろうとするのが武夫の視界の端に入った。上着から再度左手でリボルバーを取り出した武夫は、致命傷にならぬよう柚希の矢ごと学生風の二体目の耳を撃ち抜いた。
「見た目だけだよ。中身は完全にオジサンだよ。で、七瀬ちゃん、こいつらの身元探れた?」
武夫はともかく現場慣れしていない二人の少女に初っぱなからの寸止めなんて難しい話だ。それでなくとも人ではなくとも人の形を取ったものを壊すことは精神的にテンションを底上げさせる。それも主によくない方面でだ。そろそろ片を付けていいのか武夫が確認すると
「二人はこちらですでに把握してた面子。けどもう一人はただいま行方不明になっていたことが判明したわ」
と七瀬が情報収集の成果を伝えてきた。
「誰も気づいてやらなかったのかよ?」
残念そうに訊ねつつも武夫は手を休めることなく、二人の少女の致命的な攻撃を回避しつつ二体の人の形をしたものを反撃できないよう攻撃をし続ける。
「仕方ないんじゃない?あ、武ちゃん達、もう本気出していいよ」
「本気なんぞ出さんでも、すでにただの骸だ。手応えさえもないよ」
七瀬のOKの声さえ正確に判断できなくなりつつ少女達を尻目に武夫は、リボルバーを空に投げ捨て、ショットガンを手早く構えると二発銃声を響かせて、その場に少女達の乱れた呼吸音だけが聞こえる静寂をもたらした。
小雪が舞い出すなか、二人の少女が落ち着いたのを確認し、武夫が足を進めた元凶の中心地。
目の前の十数年前には賑やかな家族の団らんが聞こえていたであろう廃屋は沢山の植物に覆われ、その敷地内はどこからか持ち込まれたであろうゴミが山積みになっていた。
古びた玄関ドアを武夫が軽く蹴ればなんの抵抗もなくそれは倒れ崩れ落ちた。見ため以上にこの土地は汚されてしまったらしく、建物の老朽化は予想以上に激しい。
この平和な住宅地には似つかわしくない淀んだ気配を吐き出すそこに一歩踏み込めば死臭が満ちていた。
回りが気がつかないはずもないほど酷い悪臭は、恐らく災厄から鬼に転化してしまいかけたものがここに端境に似たものでも張り巡らして隠していたのだろう。
一階の昔は洋風の出窓が美しかったであろうリビングと思われるスペースにそれはあった。
思いの外沢山の骸が、生きている頃には決してできないであろうポージングで、まるで美術館の現代アートの様に並べられ飾り立てられている。
先ほど戦った三体とは異なり、異物以外の何者でもない仮初めの魂モドキが突っ込まれていないことが唯一の救いだろう。
「自分が喰った後の骸をオモチャにするとは悪趣味な奴だな」
ボソリと武夫が口にすれば
「もう自分自身が虚ろなのかもしれませんね」
と、いつの間にか武夫に気配さえ感じさせることなくついてきていた柚希が眼鏡越し、静かな湖のような瞳でそう告げた。
「逃げられた後だな」
驚きを表に出すことなく武夫が苦笑してみせれば
「そうですね」
と柚希はその唇に笑みをのせ、
「もともとここも私達をおびき寄せる為だけに作られていたりして」
と人の悪いことをその風貌に似合わずさらりと口にして見せた。
行方不明としては届けられていない、けれど確実にここ数週間で生活の匂いを消してしまった人物達の身元確認を七瀬が終わらせると、落ち着きを取り戻し、辺りを巫女鈴の音で浄化させていた綺羅を武夫は件の建物の前へと呼んだ。
一際強い淀み歪んだ土地の気配に顔を歪める綺羅に武夫は
「ごめん。お願いできるかな?」
と訊ね、頷くだけの返事を受けとると、上着の内ポケットから銀色に輝くライターを取りだし火を付ける。
ボシュッという音と供に与えられた炎を小動物を扱うかの様に左の手のひらに乗せた武夫は、いくつかの形式張った決まった言葉を順序よく唱え、フーッと長い息の元、それを屋敷の敷地へと送り込んだ。
淀み歪んだものだけを燃やす炎は端境の中なら近所のお宅への延焼も起きない。
明るい色合いから、青白い色に変わり燃える炎を前に、理不尽な災厄に命を落とさざる終えなかった人々に静かに祈りを捧げる綺羅は、よくお会いするが出来れば会いたくもない武夫が使える姫神様直属神使の姿を思い出させるほど神々しく、雪が本格的に舞い出した街を浄化した。
*****
「さーて、とりあえず振り出しに戻ったとはいえ、一仕事終わったし、七瀬ちゃんの解析中の間、飯でも食いにいくかー!」
七瀬との業務連絡を手早く終わらせた武夫がインカムを耳から外しつつそう言えば
「おお!武夫さんの奢り?」
と綺羅がその名、そのままに目をキラキラ輝かせて訊ね
「食事手当が出てるからですよね」
と柚希がその落ち着きそのままに、冷静かつ的確に武夫の現状分析をしてくれた。本当にこの二人は組んだ回数こそ少ないが表裏一体のような息の合い方だと武夫は空港で感じたことを思い出した。
「よっしゃ、今夜はラーメン食いにいこう!!」
柚希が言うようにあてがわれた食事手当ての予算から、まだ開いていそうで、かつ高校生を連れて入れそうな店をピックアップし、車に乗り込めば
「今夜っていうか、武夫さんはいっつもラーメンですよね」
と、先ほどの冷たい表情が幻だったかと思わせるほどの人の良い笑みをみせ、何気に柚希が武夫にツッコミを入れ後部座席にそそくさと座ってくる。柚希の指摘通り、もちろん武夫自身の好みは最優先事項に設定済みだから反論なんて小賢しいまねはせず武夫は笑ってみせる。そんな二人の様子に綺羅は深々とわざとらしいため息をついたあと、
「女子二人連れてラーメンとかどこの親戚のオヤジだよー。センスないー!!」
と、文句を言いつつも嬉しそうな足取りで武夫が運転するレンタカーに飛び乗った。
この地域にくると、かなりの頻度で通うラーメン屋は全国系列ではないものの、そこそこイケると武夫は気に入っている。しかも、客層も家族連れからカウンターの一人客と幅広いので、武夫のようなオジサンが女の子を二人連れて入った所で親戚か何かくらいにしか思われない雰囲気がある。
遅めの夕食に腹が空いたと騒ぐ食べ盛りの女の子達。
ついつい自分の感覚で大盛りを三つと、ねだられたデザートのソフトクリームを二つ注文する。
ちょっと多かったかなと思いつつ武夫がコップの水に口をつけると、注文後、お手洗いにと席をたった二人のうち綺羅が先に席にかえってきた。
「武夫さんって、元軍関係者?」
「どうしてそう思う?」
座ってすぐに綺羅から投げられた思いもよらない質問に武夫は笑ってたずねた。
「私は、柚希みたいな〈匂い〉とかはわからない。だけど、何となくだけど、今日の武夫さん、前に母さんが付き合ってた軍の人に凄く似てるなって思ったから」
おしぼりを袋から取りだし手を拭く綺羅の指先は普段長めの制服の袖口に隠され、武夫も目にすることはあまりない。それは端境の中でこそ白く美しいが、現実の中では酷い火傷の跡に覆われている。
「残念。僕は昔からごく普通のサラリーマンさ。でもその評価は嬉しいかな。孝典辺りからはこんな飛び道具を神器にするなんてって白い目で見られてるからね」
軍からの出向でセンターに所属するエリートな飲み友達の名前を口にすれば
「あ、やっぱりあの人、軍の人なんだ。通りで優しい大人の振りした悪い人だと思った」
と、やはり綺羅は彼の事を知っている様子だった。
「おお、綺羅ちゃんはあいつ知ってるの?しっかし、また歯に物着せぬ随分な言い様だねぇ。で、お母さんの彼は優しい人だったの?」
テーブルのジャグから武夫は空になったグラスに水を追加した。雪が降る地域は暖房が少し強めに感じられる。先程現地を出発するときには舞う程度だった雪も、店につく頃には本格的に道路を白く染めようと密度をあげはじめていた。
「凄く私に優しかったよ。あんな母親だから諦めかけていた高校も彼のお陰で無事ちゃんと受験出来たしね。でもいい人過ぎて、母さんにまとわりつく姫神の呪いで呆気なく死んじゃったけど」
「そりゃ、残念だったね」
少し間を開けて答えられた言葉に武夫は深く感情を乗せることなく静かに答える。姫神様は時に優しく時に残酷で、綺羅からもたらされた話だって似たようなことはごまんとあるし、ごまんと武夫は見続けてきている。
「別に。彼は私の父親には向いていたかもだけも、母さんの夫には向いてなかったからね」
綺羅もそんな薄っぺらい同情なんて必要無いのだろう。クスリと笑って、席に戻ってきた柚希と何事もなかったかのようにスマホを取りだし、テーブルに料理が並べられるまで、オジサンには少々理解しかねるアプリゲームの話題で盛り上がりだした。
端境の中、セーラー服姿の綺羅が巫女鈴を鳴らし舞う姿は、同じ俗世に生きるものとは思えぬ程、とても清純で美しい。
過酷な家庭環境の中育った綺羅は、彼女の母親の実家が代々引き継いでいる縁者としての力を持って生また。
縁者とは武夫達の様に道を踏み外し、自ら進んで姫神に助けを求める契約を組んだものとは大きく異なる。姫神に気に入られたとか、その言葉通り縁があり、契約なんて関係なく不可思議な力を授かった、いわば選ばれし人々だ。
だから、綺羅はいくら幼い頃保護されたとはいえ、その後の人生でセンターに関わらずもと静かに生きれる筈だった。なのになぜセンターに協力したのか?以前、何かの折り武夫がついたずねてしまった時、綺羅はさらりと笑って言い切った。
『お金が欲しかったし、なにより援交よりこっちの方が何十倍も倫理観が狂ってるから』
と。
多分、幼い頃から苦境に立たされ、人の表裏を見続けていた彼女は随分前からこちら側の人間だったのだろう。
「すみません。スープ割りお願いします」
食べ盛りとはいえ、やはり女の子だ。予想通り多かった麺と未だ格闘を続ける少女達を横目に、武夫は山盛りだった麺を食べ終わると、残った魚介系の旨味たっぷりの付け汁を更に味わうため店員に声をかけた。