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第3話~今日子3歳~前編

 4月半ばのとある平日の昼。

 桜井今日子(さくらいきょうこ)と、今日子の母親の桜井佳子(さくらいかこ)は近所のスーパー、スーパー神部(かんべ)で買い物をしていた。

 晩御飯の食材を買いに来ていたが、ついでに今日子の好きなたまごボーロも買おうとお菓子コーナーに寄り、たまごボーロを取ってカートのかごに入れ、佳子はその場を去ろうとした。

「これも買うー」

 そう言って今日子はアニメのパッケージのついたチョコ菓子を棚からとりだした。

「じゃあ、たまごボーロは返すね」

 そう言って佳子はたまごボーロを棚に戻そうとした。

「ヤダー。どっちもー!」

 今日子は叫ぶように言った。

「どっちかにしなきゃダメだよ。二つとも食べられないでしょ?」

「ヤダヤダヤダー。どっちも食べるー」

 今日子はその場で地団駄を踏んで言った。

 佳子はほとほと困り果てたようで、ため息をついた。

「そうやって良い子にしてない子は、置いてっちゃうからね」

 そう言って佳子は今日子を置いて、お菓子コーナーから出て行った。

 だが、今日子は知っていた。しばらくすると佳子が戻ってくることを。

 今日子が予想していたとおり、数分ほどたって佳子は今日子のもとに戻ってきた。

「今日だけだからね」

 佳子はそう言うと、たまごボーロとチョコ菓子をカートのカゴに入れた。


 その夜のこと、佳子は最近の今日子の行動について、晩御飯を食べ終えた今日子の父の桜井咲也(さくらいさくや)に話していた。

「……って感じなのよ。最近、ワガママが増えてきて……」

「第一次反抗期ってヤツなんじゃないか。そのうち、『パパのと一緒に洗濯しないで』とか、『パパは私より先にお風呂入らないで』とか、『パパ、お風呂覗かないで』とか言うようになるんだろな……」

「いや、最後のはおかしいでしょ。だいたい、そういうこと言う時は、パパって言ってないと思うんだけど……」

 佳子は軽く突っ込んだ。

「……って、そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ! こっちは真剣なんだよ!」

 佳子は怒るように言った。

「ごめんごめん。でもそんな真剣に悩むようなことか? 泣きわめくわけでも店の商品壊すわけでもないんだしさ。お菓子って100円程度だろ? 高いものじゃないんだし、そんなケチケチせずに買ってやれよ」

「そういう問題じゃないってば!」

 佳子はそう叫ぶと、文字通り頭をかかえた。


「パパ見てー」

 今日子がスケッチブックから一枚切り取った用紙を持って咲也に見せた。そこには紙いっぱいに、人らしき絵が三人描かれていた。

「パパと今日子とママ」

 今日子は絵を指さして言った。

「おー! 本当だパパと今日子とママだ! 今日子うまいな~。絵の才能あるんじゃないか? 将来は画家かイラストレーターか……。いや、漫画家という可能性もあるな」

 今日子は咲也の言っていることが分からず、首をかしげた。

「今パパが言ったのはお絵描き屋さんのことだよ。みんな絵を描く仕事をする人なんだ。例えば、今日子が好きなかぐや姫の絵本だって、その絵を描いた人がいるのだけど、そうやって絵を描くことを仕事にしている人もいるんだよ。パパは違うけどね」

 今日子は想像した。自分が描いた絵本が本屋や図書館に並んでいる姿を。そんな数の量の絵を描くのはすごく大変そうだ。でも、すごく楽しそうだと今日子は思った。

「今日子、大きくなったらお絵描き屋さんになる!」

「うんうん。夢を持つのは大事だからね」

「うん!」

 そう言って今日子はまたスケッチブックを床に置いて絵を描き始めた。

 佳子がその様子を見に行くと、フローリングにまでクレヨンで絵が描かれていることに佳子が気づいた。

「今日子、クレヨンで絵を描くのは画用紙の上だけにしてっていったでしょ。フローリングまで汚して……。こういう時、なんて言うんだった?」

「しらなーい」

 今日子はお絵かきしながら言った。

「そうじゃなくて、ごめんなさいでしょ!」

 佳子は怒鳴るように言った。

「ママこわーい」

 今日子はそう言いながら咲也のもとへかけよった。

 咲也は駆け寄ってきた今日子の頭をなでなでしてさすった。

「そうそう。少しぐらい汚した所でそう怒るなよ。こういうこともあると思って、水で落とせるクレヨンを選んだんだろ?」

「だから、そういう問題じゃないって! もう!」

 佳子は怒るように言った後、洗面所においている雑巾を取りに行った。水を勢いよくだした音がリビングまで聞こえてきた。

「パパァ」

 今日子は咲也に話しかけた。

「ん? どうした今日子?」

 咲也は笑顔になって今日子の顔を見つめた。

「クレヨンくれたのサンタさんだよ」



 5月になって今日子と佳子は3歳児検診のため、市内の保健センターにでむいていた。

 最初に身長と体重の測定を行い身長91cm、体重12kgと標準より少し小さい程度でたいした問題はないと分かり、佳子は安心した。

 その後に今日子は問診を受けることになった。

「こんにちは。お名前を教えてもらえるかな?」

「桜井今日子です!」

「年はいくつかな?」

 今日子は指をピースして言った。

「2歳!」

 佳子はすかさず横から訂正した。

「違うでしょ。今日子は3歳でしょ」

「さんじゅさい」

「そこで10倍する!?」

 今日子は佳子のツッコミにヘヘヘと笑った。

 その後、職員の人が右手に小さい積み木、左手に大きい積み木を手に持って今日子にたずねた。

「どっちのほうが大きい?」

 今日子は見てすぐに左手に持っているほうが大きいと分かったが、すぐには答えず、職員から見て右側に移動してから答えた。

「こっちだとこっち!」

 今日子は右手に持っている小さい積み木を指さして言った。

「今日子、これはトンチじゃないからね」

 佳子はもう黙ってられないという様子で、今日子に言った。

「あの、お母さんはもう少し静かにしてもらいたいんですが……」

「す、すみません……」

 佳子はきまりが悪くなって謝った。

 結局検診結果には、『母親の助言があると言える』と書かれてしまった。



 8月のお盆休みの15時すぎ、今日子と佳子と咲也の三人は長野県にある咲也の実家を訪れた。車がすいている時には6時間ほどでつくが、お盆休みということで道路は混んでおり、途中で何度かサービスエリアに寄って休憩やお昼ごはんをとっていたので8時間もかかってしまった。

 家の隣には今日子の祖父の桜井年夫(さくらいとしお)が営んでいる桜羊羹が名物の和菓子店とつながっており、おやつの時間には今日子もその羊羹を食べた。今まで食べたどんなおやつよりもおいしくて今日子は驚いた。この家に暮らす家族は毎日この羊羹を食べることができるのかと思うと、今日子は羨ましく思った。

 おやつを食べた後は、今日子は家から持ってきていたスケッチブックに先ほど食べた羊羹を描いていた。忘れないうちに思い出として描いておこうと思ったのだ。

「今日子ちゃん、何描いてるの?」

 今日子が絵を描いていると、今日子の従兄弟で小学3年生の桜井一世(さくらいいっせい)が話しかけてきた。

「さっきのおやつ!」

 今日子は答えた。

「今日子ちゃん、絵上手だね。今日子ちゃんって今、何歳だっけ?」

「3歳」

「3歳でこの絵はすごいよ。立体感もある。絵の好きな幼なじみの女の子は、幼稚園の時でもこんな立体感のある絵描けてなかったよ」

 今日子の描く羊羹の絵は、線は真っ直ぐではないが、どことなく直方体に見える絵であった。

「すごいおいしかった。いつも食べてるの?」

「オレもいつも食べてるわけじゃないよ。お客さんに売る商品だからね。まあ、友達つれてきたりしたら食べることが多いかな?」

 今日子は友だちの桃園夏海(ももぞのなつみ)が家に遊びに来た時のことを思い出した。だいたい、スーパー神部で購入したプリンを佳子がだすことが多かった。

「今度、神部スーパー行ったら、さっきのおやつ買う!」

「いや、うちの羊羹はスーパーには売ってないよ。うちの店でしか売ってない」

 一世の言葉で今日子はショックを受けた。

「えー! 何でー?」

「何でと言われても……。オレも全国的に売り出して、みんなに知ってもらいたいと思ってるんだけどね」

「なっちゃんも?」

「なっちゃんって友だちの名前? それなら、買って帰って一緒に食べたらいいよ。いや、頼んだら余った商品もらえるかも」

 今日子は夏海と羊羹を食べている姿を想像して、次は夏海と羊羹を食べている絵を描こうとした。その時、少し離れたところにあるローテーブルで、何かを書いている男の子の姿が今日子の目に映った。

「あの子も絵を描いてるの?」

 今日子は指さして言った。

「ああ、詠朔(えいさく)は多分、覚えたばかりのひらがなで創作した話を書いてるんじゃないかな。ちなみに、オレの名前は一世っていうから覚えておいてね。咲也おじさん達は、一世くんって呼ぶから、今日子ちゃんも一世くんでいいよ」

「分かった。一世くん!」

 その後、今日子は興味本位で何やら文章を書いている幼稚園年中の桜井詠朔(さくらいえいさく)のもとへ駆け寄った。紙には確かにひらがなで文章を書いていたが、今日子にはまだ読めなかった。

「何て書いてるのー?」

 今日子は詠朔に尋ねたが、詠朔は何も言わずにその紙を持って走り去ってしまった。


 時間は過ぎて夕方になり、閉店時間を過ぎて、店から年夫が戻ってきた。今日子がおやつに食べた羊羹のいいにおいがついており、今日子は年夫に近づいた。

 その後、今日子は年夫の膝元に座って、先日描いた画用紙を広げた。

「これがパパで、これがママで、これが今日子!」

 今日子は指をさしながら説明した。

「今日子ちゃん上手だな―。さすがわしの孫娘だ」

 年夫は今日子の頭をなでて、今日子を褒めた。

「将来は画家か絵師か……。いや、春画師という可能性もあるな」

 年夫は言った。その瞬間、近くにいた咲也が父親である年夫の頭を勢いよく叩いた。ツルツルの頭を叩いた音が部屋に鳴り響く。

「どこの世界に孫娘を春画師にしたいと思うじいさんがいるんだよ!」

「なってほしいなんて言ってないだろ。可能性の話をしているだけだ!」

 年夫は咲也に反論して再び今日子に向き直った。

「パパが叩いた。痛いよー」

 今日子は年夫の頭をなでた。

「よしよし。痛いの痛いのとんでけー。パパ、おじいちゃん叩いちゃダメ!」

 今日子は咲也を叱った。咲也は苦い表情となった。


「それにしても、ほんと、今日子ちゃんかわいいなぁ」

 年夫は今日子の頭をなでてそう言った後、咲也のほうに顔を向けた。

「こっち戻ってこんのか? このへんは田舎かもしれんが、探せば仕事ぐらいあるだろ」

「無茶言うなよ。最近、昇進したばっかりだぞ」

「つまらんやつだなぁ。今日子ちゃんも、こっちに住んでくれたらなんでも好きなもの買ってあげられるのに」

 年夫は再び今日子の頭をなでて言った。

「なんでもー?」

 今日子はうれしそうにそう言った。

「なんでも買ってあげるよー。パンツでもビキニでもブラジャーでも……」

 咲也が再びニヤニヤ顔の年夫を勢いよく叩きそうになったが、すんでのところで止めた。

「おかしいだろ! その選択肢!」

「例えばの話だろ。何をそんなムキになってるんだ」

 年夫は真顔で言った。


 そうこうしてるうちに、店じまいをしていた今日子の伯父の桜井一暁(さくらいかずあき)が帰ってきた。

「おう! いらっしゃい。聞いたぞ咲也、お前、課長になったんだってな。おめでとう」

 一暁は咲也を見るなりそう言った。

「上場してる会社の課長なんて、給料高いんじゃないか? 家族にいいもん食べさせてやれよ」

「上場企業たって、兄さんが思ってるより給料よくないぞ」

「またまたぁ、上場してるとこは違うだろ」

「上場は関係ないって……」

「じょーじょー! じょーじょー!」

 咲也と一暁の話を聞いていた今日子は、『上場』という語感が気に入ったのか突然、そう言い始めた。

「じょーじょー!」

「上場って何?」

 同じく、『上場』という言葉が気になった一世が一暁に尋ねた。

「上場っていうのはな……。まあなんていうか、おっきい会社だよ」

 一暁は答えた。

「いや、その答えはどうなんだ……。上場っていうのはつまり、世界のみんなに支援をもとめて会社を大きくすることができることだよ」

 咲也は答えた。

「へー! 世界のみんなで会社を大きくできるなんてすごい。お父さんは上場しないの?」

「いや、うちは地域密着だからなぁ……。上場するにもある程度会社を大きくしなきゃいけないんだよ。うちは店も一店舗しかないし、さすがにハードルが高いな……」

 一暁は弱気になって言った。

「じゃあオレ、大人になったら上場する!」

 一世は立ち上がり、手をあげて言った。

「おお! 店を大きくしてくれるのか。頼もしいなぁ。期待してるぞ」

 一暁の言葉に、一世は返事をしなかった。


「さぁさぁ、そろそろご飯にしましょ」

 そう言って、今日子の祖母の桜井千歳(さくらいちとせ)はテーブルに皿を並べ始めた。先ほどから今日子の母の佳子と共に晩御飯の準備をしていたのだった。

「あっ、そういえば佳子さん、聞くの忘れていたけど、今日子ちゃんが食べられないものって何かあるかしら? アレルギーとか好き嫌いで……」

 千歳は佳子に尋ねた。

「いえ、今日子は食物アレルギーを持ってないですし、好き嫌いもなくなんでも食べますよ」

「えっ! 好き嫌いないの。偉いわねぇ。佳子さんのしつけがよかったのかしら」

「いえ、そんな……」

 佳子は急に姑に褒められて照れた。

 そうして、千歳は冷蔵庫から納豆をとりだした。

「えっ? 納豆ですか……」

 佳子は少し驚いた口調で言った。

「そうよ。別に納豆なんてそっちでも珍しいものじゃないでしょ。そんなに驚かなくても……」

「はい、そうなんですが……、まだ納豆は食べさせたことがなくて……」

「そうなの? どうして?」

 佳子は千歳の質問に戸惑いを見せた。言うかどうか迷った様子だったが、正直に答えた。

「私が納豆を好きじゃなくて……」

 佳子は躊躇するように答えた。その瞬間、その場の温度が下がった。

「佳子さん、今日子ちゃんが好き嫌いせずになんでも食べているというのに、母親であるあなたが好き嫌いしていちゃダメでしょ。高級食材ならともかく、納豆なんて小学校の給食にもでるようなものを、嫌いだから食べないって……。納豆には栄養素もたくさん含まれているのよ。納豆を食べて健康にならなきゃダメでしょ、分かってるの?」

「は……はい、すみません……」

 佳子は千歳の言葉で凹んだ。


「今日子ちゃん、納豆食べたことないんだ」

 先ほどの佳子と千歳のやりとりを聞いていた一世がテーブルに座って言った。目の前には今日子が座っている。

「なっとー?」

 今日子は納豆自体を知らなかった。どういう食べ物なのか想像もつかなかった。

「これだよこれ」

 納豆が入った器を千歳がそれぞれの席に起き、一世は納豆が入った器を今日子に見せながら言った。

 そうして一世はいきおいよく箸で納豆をかき混ぜ始めた。

「こうやって勢いよくかき混ぜると……、ほら、ネバネバーって」

 一世は納豆をかき混ぜていた箸を高く持ち上げた。

 それを見ていた今日子はすごく楽しそうだと思い、スプーンを持って納豆をかき混ぜ始めた。

「うーん……、うまい!」

 一世が納豆を食べて言った。

 その姿があまりにもおいしそうに食べているので、今日子は思いをめぐらせた。

 羊羹をよく食べている一世がおいしいというぐらいだ。ということは、今日のおやつに食べたとてもおいしかった羊羹みたいな味なのかもしれない。

 そう思って今日子はスプーンいっぱいに納豆をとり、笑顔で口にほうばった。

 その後、今日子の口から滝のように納豆が溢れでた。

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