第2話~今日子2歳~後編
病室の中には……、時子と雑談している翔午の姿があった。病室の奥には夕作と真昼と朝陽の姿もある。
「なんだ? あんたらもわしが死んだと思って喜んで来たのか?」
翔午は佳子たちに顔を向けると笑いながらそう言った。
「よ……よかった。そんな冗談言えるなら回復したってことだね。本当心配したんだから」
佳子はホッと胸をなでおろしてそう言った。
咲也はさすがに疲れたこともあって今日子を床に降ろした。
「じいちゃ!」
今日子は翔午のほうに向かって歩き、そう言った。
「今日子ちゃんも、心配させて悪かったな。何、そんなすぐには死なんよ。真昼さんのお腹の子も見なきゃいかんしな」
そう言って、翔午は真昼のほうに顔を向けた。
「性別は分かったのか?」
「はい、こないだの検査で男の子と判明しました」
「そうか……。男の子か……」
翔午はそう言うと、感慨深げな表情をした。
「よかったね。お父さん。将来、キャッチボールもできるね」
佳子が翔午を元気づけようとそう言った。
「そうだな……。キャッチボールといえば、夕作……」
突然、名前を呼ばれて夕作は少し驚いたような表情になった。
「子どもの時、あまりかまってやれなくて悪かったな。キャッチボール、したかったんじゃないのか?」
翔午は昔のことを思い出して、夕作に詫びた。
「何言ってるんだよ急に。らしくねえなー。んなこと全然気にしてないって」
夕作は笑って応えた。
「そうか……」
それからしばらくみんなで翔午を囲って雑談していたが、今日子としは、はそれがだんだん退屈になってきた。よく分からない大人同士の話に飽き飽きしてきたのだった。しかも、昔の話なので全然面白くない。
「おそとー。おそと、いくー」
佳子のズボンの裾を引っ張りながら今日子はそう言った。佳子は少し困惑するような顔をした。
「いいよ、俺が連れて行く。確か、近くに公園あっただろ」
そう言って咲也は今日子を抱き上げ、病室からでていこうとした。
「朝陽もいくー」
朝陽の声が聞こえたので咲也は振り返った。
「すみません。お願いできますか?」
真昼がそう言ったので、咲也は朝陽も連れて公園に行くことになった。
病院の近くの公園は木で囲まれており、全体的に木陰となっていて7月末だというのに少し涼しげであった。
今日子はその公園のブランコに乗り、大きく揺らしていた。
「今日子ちゃんすごーい。そんなに揺らせるんだね」
隣でブランコに乗っている朝陽が言った。
「じゃあ、これは?」
そう言って朝陽はブランコの上に立って、立ち漕ぎしだした。今日子はその姿をみて自分もやってみようと思い、ブランコの上に立とうとした。
だが、途中でバランスを崩して、こけそうになったところで、咲也がギリギリのところで抱きしめてなんとかこけずにすんだ。
「さすがにまだ今日子には無理だって」
「ごめんなさい」
朝陽は今日子に謝った。
その後、今日子はブランコに飽きて滑り台に向かった。朝陽も一緒に着いて行って、今日子と朝陽は二人仲良く滑り台を滑りおりた。
滑り台を滑った今日子は楽しげに笑い、その姿を見て朝陽も笑った。
そしてもう一度滑ろうと思って今日子は立ち上がったが、「あっ!」と言って公園の端に走っていった。
「今日子ちゃん、勝手に一人で走っちゃダメだよー」
朝陽はそう言って今日子を追いかけた。
今日子達が公園について一時間後。
「イチ、ニー、サン、シは英語でワン、ツー、スリー、フォーだよ」
「フォー」
「そうそう、フォー!」
「フォー!」
朝陽は今日子に英語を教えていた。
「そろそろ戻ろうか」
咲也がそう言うと、今日子は咲也のほうへ向かって歩き、咲也に抱っこしてもらって病院へ戻ることになった。朝陽も咲也の横を歩き、三人は一緒に翔午の病室に戻るよう歩いた。
「幼稚園は楽しい?」
咲也は今年の春に幼稚園に入園した朝陽に尋ねた。
「うん、楽しいよ! 今、みんなで英語の勉強してるの!」
「ああ、だからさっき今日子にも教えてくれてたんだね」
「うん、幼稚園でも教えてるの」
「教えてるほうなの!?」
咲也が朝陽と会話しているといつの間にか病室の前までたどりついていたので、咲也はそこで今日子を降ろしてドアを開けた。
病室内は先ほど離れた際と全く違った空気で満たされていた。先ほど病室を開けた時はすぐに笑い声が中から聞こえてきた。しかし今は、翔午が横になっているベッドに時子が突っ伏して泣いており、夕作が支えていないと今にもベッドから崩れ落ちそうになっていた。
部屋に入ってすぐに朝陽は窓際にいる真昼のもとへ駆け寄ったが、その真昼も泣いていた。扉の近くにいる佳子も涙でアゴまで濡れている。
その光景は、先ほどまで雑談していた場所だとは思えない光景であった。
「な……何があったんだ?」
状況が理解できず、咲也が佳子に尋ねた。
「……30分ほど前に……」
佳子によると、30分ほど前に翔午の容態が急に悪化し、医師をよんですぐに処置をしてもらったが、そのまま帰らぬ人となってしまったらしい。医師によると、想像以上にガンの進行が早かったとのことだ。
咲也は呆然と翔午とベッドに突っ伏して声を荒らげて泣いている時子を見つめていた。
一方、今日子は咲也の横を通りすぎ、時子のもとへ駆け寄った。
「ばあちゃ、ばあちゃ」
時子は今日子の声に気付き、今日子のほうへ顔をむけた。
「あげるー」
今日子は右手を時子に差し出した。手には先ほど公園で見つけた四つ葉のクローバーがにぎられていた。
「しわあせ、なるよ」
時子はその四つ葉のクローバーをじっと見つめた。しばらくすると、時子は笑顔になって今日子の手から四つ葉のクローバーを受け取った。
「ありがとう今日子ちゃん。でもこれ、おじいちゃんにあげてもいいかな?」
「うん!」
次の日、今日子が拾った四つ葉のクローバーは、翔午の棺桶に入れて火葬場へ運ばれた。
翔午がなくなって7週間がたった9月半ばの土曜日の正午すぎ。
「おじゃーまーます」
四十九日ということもあり今日子は佳子に連れられて時子の家にやってきた。
法要自体は午後3時からだが、お昼ごはんをスーパーで買って時子の家で食べて法要までいようと佳子が考えてこの時間に訪問したのであった。咲也は午前中だけ仕事があるということで、でかけてしまっている。法要には間に合うようだった。
そうして今日子がリビングに行くと、食卓のイスに見知らぬ小学校低学年ほどの男の子が座っているのが分かった。
今日子は少し戸惑ったものの、最近、佳子に初めてあった人には言うように言われている言葉を思い出して言った。
「桜井今日子、2歳です」
「あっ、どうも……」
男の子は今日子に頭を下げて挨拶した。
「あら、もう来たの? 法要は3時からでしょ」
「そうなんだけど、お昼ごはん家になかったからスーパーで買って、ここで食べようかと思ったんだけど……」
そう佳子が言うと、男の子は慌てたように帰る準備をしだした。
「すみません。用事を思い出したので、僕はそろそろ帰ります」
男の子はセッセとテーブルの上に広げていたノートを片付けた。
「何もそんなに急がなくても、法要はまだだし、ゆっくりしていって大丈夫よ」
男の子にたいして時子は言った。
「いえ、そろそろ母も帰ってくると思うので。おじゃましました!」
男の子は元気にそう言うとリビングから廊下にでて、玄関に座って靴をはいた。
「バイバイ」
今日子は玄関にでていった男の子に手を降って言った。帰る間際、男の子は今日子のほうを振り返って小さく手を振り返した。
リビングには今日子と佳子と時子の三人だけとなった。
「だ……誰、今の子?」
佳子は先ほどから気になっていた疑問を時子に尋ねた。
「近所の子なの。向かいに新築のアパートがあるでしょ。そこの家の子。母子家庭だそうよ。一人で留守にしてることが多いそうだから、うちならいつでも来ていいわよ、と言って最近来るようになったのよ。この家も一人暮らしにしては大きすぎるからもっと開放していかなきゃと思ってね」
時子は笑顔でそう言った。昔はこの家で、10年前に亡くなった翔午の母の桜井正子も含めて5人で生活できていたぐらいなので、確かに一人暮らしをするには広かった。だが、時子はだからといってこの家を離れるつもりはないようだった。
佳子は楽しげに喋っている時子の姿を見て安心した。翔午が亡くなって一ヶ月ぐらいはずっと呆然と無気力にすごしていた時子だったが、四十九日になって、時子は明るさを取り戻したようだった。
ふと、佳子は先ほどの、向かいのアパートの子という言葉で思い出した。
「あっ、そういえば今日子が生まれた頃に見たかも。コケて大泣きしてたような気が……」
「そうなの? コケて泣くような子には思えないんだけどねぇ」
「あの子ぐらいの2年は全然違うよ。今日子だって産まれた時の2年前とはもちろん全然違うし、2年後には幼稚園に行ってるだろうし」
佳子は今日子を見つめてそう言った。
「そうね。確かに今日子ちゃんもどんどん大きくなってるし。そうだ! 今日子ちゃん、ちょっとこっちに来て」
時子はそう言って今日子を和室とリビングを区切る襖の柱に呼び寄せた。
「ここでまっすぐ立ってね。そうそうそう、偉いわねー」
今日子は言われたとおり、柱に背中をあててまっすぐに立った。
「そのままじっとしててね」
時子はそう言うと定規と鉛筆をもち、今日子の頭の上に定規をあてて、その高さの柱の位置に鉛筆で線を引いた。
「はい引けた。ここが今日子ちゃんの背丈よ」
時子がそう言ったので今日子は後ろを振り向き、顔を少しあげた。そこに手を起き、その手を自分の頭に乗っけた。思ったより高いなと今日子は思った。
その後、時子はその線の上に、『きょうこ 2才』と書いた。
「今日からおばあちゃんの家にきたらここに線ひいていこうね」
「うん!」
それから3ヶ月ほどがたったある日のこと。
午後7時少しすぎた頃に咲也がいつもどおり仕事から帰ってきて鍵を閉めようとしたところで、今日子が叫んだ。
「ダメー!」
咲也はその声に驚いて今日子のほうを振り向いた。
「閉めちゃダメー!」
今日子はもう一度叫んだ。咲夜は鍵を閉める回転つまみに手を触れたまま棒立ちしている。
「な、なんで? ママいないの?」
と咲也がいったところでリビングから佳子があらわれた。
「おかえりなさい。どうしたの今日子、パパが帰ってきたら『おかえり』でしょ」
「おかえり! しめちゃダメー!」
咲也は佳子がいることを確認してまた鍵を閉めようとしたが、それを今日子は叫んで静した。咲也は困惑した表情で立ち止まっている。
「どうして鍵閉めちゃだめなのかな?」
佳子は優しく今日子に尋ねた。
「だって、サンタしゃんが……」
咲也はそこでなぜ鍵を閉めちゃダメと今日子が言ってるのが分かったようだった。今日は12月24日、クリスマスイブだ。
ここ一ヶ月ちかく、赤い服を来たおじさんの絵をよく見るので今日子はサンタクロースというのがどういった存在が理解するようになった。クリスマスに家にあがってプレゼントを置いていくおじいさんだ。
佳子からも良い子にしていたら、きっと今日子のところにも来ると言われていたので、今日子はずっと良い子にしてきていた。なので、今日は絶対にサンタクロールが自分のところにも来るという自身があった。
「大丈夫よ、今日子。サンタさんはトナカイのソリで空を飛んで来るから、玄関の鍵が閉まっていても、ベランダの鍵を開けておけば来てくれるよ」
佳子は今日子に言った。
「ほんと?」
「ほんとほんと。ママも小さいころ、玄関の鍵をしめてるうえに雨戸まで閉めちゃうからサンタさん来ないんじゃないかって思ったことあるけど、ちゃんと朝目がさめると枕元にプレゼントがおかれてたことがあったよ」
「へー」
今日子にとって、ところどころ分からない単語もあったが、とにかく、ほとんどサンタクロースが入る手段がないのに家の中に入ってきていた、と佳子が言ったのが分かって頷いた。
「じゃあ、パパ閉めていいよ」
「了解」
そう言って咲也は鍵を閉めた。
「じゃあ、おやすみなさい」
今日子はそう言ってベッドの置いている自分の部屋に向かった。
「えっ? もう寝るの?」
「うん!」
今日子は早く明日が来てほしいと思ったため、今日は早く寝ようとしていた。
「大丈夫? 一人で寝れる?」
「うん、今日子、一人で寝る。ママ、サンタさんの足ドンってされたらやだもん」
この家に引っ越してきてからしばらくは、佳子は今日子と一緒のベッドで眠っていたが、大きいベッドではないため、今はベッドの横の床に布団を敷いてその布団で佳子は寝ていた。今日子は暗い中サンタクロースが部屋に入ってくると佳子を踏んでしまうと思って、一人で寝ることにした。
「そう、おやすみなさい」
「おやすみー」
今日子はベッドの上に横になると、目をつぶって寝ようとしたが、明日のことを想像してみるとワクワクとしてなかなか眠ることができなかった。
今は、サンタクロースはどこを飛んでいるのだろうと今日子は想像した。ソリに乗ったサンタがトナカイと共に空を飛んでいる姿だ。
いつの間にかその想像は今日子の夢に変わった。サンタクロースはある家にやってきた。祖母の時子の家だ。サンタクロースはその家に入って行くと、寝室にむかった。寝室にはなぜか今日子のイトコの朝陽が眠っており、その枕元にプレゼントをおいて行った。
次の日の朝、今日子は急ぐように部屋を飛び出し、リビングに向かった。
「ママー! サンタさんきてたー!」
今日子は水でおとせる16色のクレヨンとA3サイズのスケッチブックを抱えていた。
「よかったねー、今日子。いっぱいお絵描きできるね」
「うん! いっぱいお絵描きする!」
その後すぐに、家の電話が鳴った。まだ時間は午前7時だ。
「こんな早くに誰だろ?」
そう言いながら佳子は受話器をとり、電話にでた。
今日子はその間、スケッチブックを開いてこれからどんな絵を描いていこうと空想にふけていた。これからこのスケッチブックの中身を自分だけの世界で埋め尽くしていこう。今日子はそう思った。
しばらくして佳子は話を終え、受話器を起いて笑顔になり、今日子に言った。
「今日子、朝ごはん食べたらすぐにでかけるよ。真昼さんのお腹の子、産まれたんだって」
その後、朝ごはんを食べおえた今日子は、着替えて佳子の運転する自転車に乗り、病院に向かった。手には、佳子から「邪魔になるからおいて行ったら?」と言われたスケッチブックとクレヨンを手にしている。それからしばらくすると、真昼が入院している病院にたどりついた。
佳子は受付で名前を告げると真昼が入院している病室を尋ね、向かった。
「この鼻とか、おじいちゃんにそっくりね」
「生まれ変わりだったりしてな」
部屋では赤ちゃんのベッドを囲むようにして立っている時子と夕作が話していた。真昼は隣のベッドで座って赤ちゃんを見下ろしており、朝陽は赤ちゃんのほっぺたをつんつんと触っていた。
「いつ産まれたの?」
病室にたどりついた佳子は夕作に尋ねた。
「昨日の夜。11時58分だったかな。日付が変わるか変わらないぐらいにね」
今日子は背伸びをして赤ちゃんを覗きこんだ。そこにはしわくちゃで丸い顔のかわいい赤ちゃんが眠っていた。
「なまえはー?」
今日子は真昼に聞いた。
「そうね。これから考えていこうかな。ただ、個人的なことをいうと、産まれた時の状況にあった名前にしたいと思っているの。そのほうが、子どもが誕生した時のことをいつまでも覚えていられそうな気がするから。朝陽が産まれた時は日の出がすごいキレイだったから『朝陽』なの。だから、この子は……」
「『聖夜』だな」
夕作が答えた。
「……うん」
真昼は夕作の顔を見て頷いた。
その時、聖夜が目を覚まし、眩しそうに目を空けた。
「聖夜ー。お姉ちゃんだよー」
朝陽が聖夜に言って、聖夜が朝陽のほうに顔を向けた。
ずっと弟をほしがっていた朝陽にとってはどんなプレゼントよりも最高のクリスマスプレゼントなのだろう。そう思って、今日子はその場を離れ、家から持ってきたクレヨンをとりだし、スケッチブックを広げた。
その何も書かれていない真っ白なスケッチブックの1ページ目に、今日子は先ほど見た光景を思い出しながら聖夜を描くことにした。
今日子にとって、これから楽しいことが起こりそうな気がした。
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