第17話~今日子17歳~後編
佳子から連絡をうけて2時間後、今日子は葬儀場に辿り着いた。
控室で横になっている人の顔に被さった白い布をとると、普段、眠っている時と全く同じ顔の時子がそこにいた。
今にも、目を覚まして「おはよう」と言ってくるのではないかと、今日子は思った。
「ったく、ばあちゃんは何もこんな日に死ななくてもな」
今日子の隣で、中学校の制服を着ている従兄弟の花木聖夜が言った。
「……えっ?」
ワンテンポ遅れて今日子は聞き返した。
「今日子、修学旅行だったんだろ?」
「あ、ああ……。うん……」
今日子としてはその聖夜の発言はかなり不謹慎に思えた。自殺でないかぎり、死ぬ日など選べないだろうし、今日子としても修学旅行のことなど忘れてしまっていた。
ただ、そうは思っても、不謹慎だと言う元気が今日子にはなかった。
佳子によると、今日子が家をでてすぐに病院から時子が危篤状態だと電話がかかってきたらしい。その後、大慌てで着替え、佳子は市民病院にむかった。すでに今日子の伯母の花木真昼が病院に来ており、歯を食いしばるように座っていたという。少し遅れて仕事中だった今日子の伯父の花木夕作も病院に駆けつけ、佳子と夕作は時子のもとに寄り添ったという。
「お母さん。まだ生きてなきゃダメだよ。今日子だって修学旅行のおみやげ持って帰るって言ってたんだから」
一生懸命に呼びかけたものの、そのまま意識が戻らず、死を迎えたらしい。
「お袋もこの一年、辛かっただろうしなぁ。やっと解放されて案外、喜んでるんじゃないか」
伯父の夕作が言った。続けて佳子が「そうね」と言い、真昼も頷いていた。
今日子としては、その言葉に少し違和感があり、どう反応していいか分からなかった。
その後、コレ以上入院したらお金の工面が大変だった、退院したら退院したで介護が大変だったなど、まるで時子が死んだのがよかったような話になり、さらに「これでいつもお袋に見られるから悪いことできねーな」という夕作の言葉で今日子以外のその場にいる人たちが笑った。
今日子としては、こういう場所で笑い話などご法度だと思っていたので内心、驚いていた。同時に、なぜこんな日なのに笑えるのかが分からなかった。
その後、会社から家に寄って喪服を着た咲也も葬儀場に到着した。大人たちはみな喪服だった。今日子は修学旅行に行くということもあり、制服を着ていたので家には帰らずにいた。
15時になって湯灌の儀式が行われた。
今日子は湯灌の儀式というものを初めて知った。故人にまた来世で新たに生まれ変わってほしいという願いを込めて身体をキレイにする儀式ということだ。洗った後には、喪主の夕作がタオルで時子の身体を拭いた。
その後には、スタッフが化粧を施して時子の顔はさらにキレイに整った。こんなにキレイな時子の顔は、初めて見た気がした。
夕方になり、もうすぐで通夜が始まるというところで、従姉妹の花木朝陽が葬儀場に到着した。朝陽は昨年、日本屈指の大学に入学し、現在は東京で一人暮らしをしている。
朝陽は礼服姿だった。
「喪服……、持ってるんだね」
今日子は言った。
「喪服というか、礼服だけどね。近いうちに必要になるだろうなと思って、買っておいたの」
「へー……」
夜になり、通夜の時間となった。知らない人もたくさん来るのだろうかと今日子は思ったが、来たのは今日子たち桜井家の三人と、従姉弟家族の花木家の四人だけで、他にはパラパラと夕作の会社の人や、時子の知り合いらしい中年女性が来て参列するだけだった。
「なんかしょぼいよなぁ。家族葬なんだろうけど、もっと近所の人も招いて大々的にやってもよかったんじゃないの?」
今日子の近くで、聖夜が夕作に言った。
「お袋が言ったんだよ。去年の秋ごろぐらいだったと思うけど、俺と真昼と佳子と咲也くんがたまたま一緒にお見舞いに行った時があってな。その時にボソッと『葬式は家族葬でいいからね』って」
「あれ? 余命が残り少ないって言ってないんじゃなかったっけ?」
「まあ、薄々気づいたんだろうな。大人4人がお見舞いに来たから察したのかもしれん。佳子は、『死なない死なない』って言い続けてたけど」
「言ったほうがよかったんじゃないの?」
「俺も少しはそう思ったんだけどな。佳子がそれを嫌がったんだよ。調べたら、同じ病気で奇跡的に治った人がいたとかで、まだ希望はあるって言ってさ。俺も、お袋のことは佳子のほうがよく知ってるだろうし、何も言わなかった」
「ふーん」
通夜が終わって晩御飯を食べ終え、雑談の時間となった。あの時、時子はどうだったか、来年は喪中だから年賀状が出せないなど、他愛もない話が長々とつづいた。今日子は時子の話を、なんとなく覚えてはいるが、はっきりとは思い出せなかった。
時刻は23時をすぎ、今日子は眠気に襲われた。普段なら布団に入る時間だ。ただでさえ、修学旅行ということもあって朝早く起きたので、普段よりも眠かった。
「今日子はもう寝たら? 後は大人たちが誰かしら起きていると思うから」
佳子がそう言ったので今日子はベッドのある隣の部屋に移動して、カバンに入っていた体操服に着替えた。今日子は知らなかったが、時子の横に灯しているロウソクと線香の火を消えないように誰かが見ていなきゃいけないようで、全員が寝るわけにはいかないようだった。すでに何回かロウソクを取り替えている。
「じゃあ、俺も寝まーす」
聖夜はそう言って、部屋を移動すると、ベッドの上に座り込み、携帯電話をいじりはじめた。
「寝るんじゃないの?」
今日子は布団にもぐると、聖夜に言った。
「寝る寝る。メールチェック終わってから」
今日子はじっと聖夜の行動を見つめた。
「何で見るんだよ。別にいいだろ、寝ないで携帯見たって」
「うん……。そうなんだけどさ……」
今日子は先ほどから疑問に思っていたことを聖夜に尋ねることにした。
「聖夜は知ってたの?」
「何が?」
「おばあちゃんの死期が近いって……」
朝陽は礼服できたし、先ほどの聖夜と夕作の会話から聖夜も時子の死期が近いと知っているようだった。
「ああ、去年入院してすぐに、家族会議みたいな感じで集合して親父が話してた」
「そっか……」
「長く持ったほうらしいぞ。最初は余命半年って言われてたらしいし」
「へぇ……」
今日子は力なく答えた。
――私だけだったんだ……。私だけ、知らなかったんだ……。
次の日、今日子は誰かの喋り声で目を覚ました。佳子たちの声だ。ずっと起きていたのだろうかと思いながら今日子は体を起こし、部屋を移動した。
「おはよう」
「おはよう、今日子。もう起きたの? って思ったけど、もう6時か」
時子の横に灯されたロウソクは先ほど交換されたようで、新しかった。時子はまだ眠っているだけのようだった。
「今日で本当にお別れね」
今日子の横で佳子が言った。
「うん……」
今日子はまだ実感が持てなかった。本当にお別れなのか。また、時子の家に行くと優しく出迎えてくれそうな気がした。
「そうそう、葬式の前に集合写真撮るんだって。こういう時の写真って笑っていいのかな? どう思う、お兄ちゃん?」
佳子は夕作に尋ねた。
「俺に聞くなよ。笑えばいいんじゃないか」
「そっか。そうだよね。みんなで集合写真撮ることなんて滅多にないしね」
佳子はそう言うと、鏡をカバンからとりだして、笑顔の練習をしだした。
葬式前、佳子は笑っていいものかどうかカメラマンに尋ねて、笑っていいということを確認すると、撮影時に最大限の笑顔を見せた。他のみんなもできるだけ笑顔になろうとして写真に写ろうとしたが、今日子はうまく笑えなかった。
そして、葬式が始まった。僧侶が南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱え、時子に戒名をつけた。いろんな漢字が混ざり合って覚えにくい名前だった。なぜわざわざ戒名なんてものをつけるのか今日子は分からなかった。死んでも時子は時子じゃないのかと。
焼香はよく分からなかったが、今日子は見よう見まねで挑んだ。朝陽は上手だと思ったが、弟の聖夜は予想通り適当にやっている感じがした。
葬式が終わると、お別れの儀式として時子の棺に、今日子はスタッフから渡された花をいれていった。そういえば、お見舞いに持っていった花はどうしたのだろうかと今日子はふと疑問に思った。それと同時に自分の左隣に聖夜、右には朝陽、真昼、夕作がおり、なぜ自分は花木家の間にいるんだと疑問に思った。いつの間にかそうなっていた。
お別れの時間が終わり、棺が閉じられ、司会が閉めの言葉を述べた。もうすぐで出棺することになる。
――なんか普通に終わったな……
今日子は思った。意外と暗くなかったなと。物心をついてからは初めて参加した葬式なので、他の葬式はどういうものか今日子は分からなかったが、葬式というのはもっと全体的に暗い雰囲気があるものだと思っていた。
その時だった。
「おかあさーん……」
先ほど、笑顔で写真撮影に挑んでいた佳子が突然、大声で泣き始めて棺に抱きついた。そのあまりの変化に今日子は驚き、体がビクッとした。
「なんで……、どうして……」
棺に抱きついて今にも倒れようとしている佳子を、咲也は抱きかかえた。咲也も同じく、泣いているようで、左腕で目をこすっていた。
今日子の右隣からも泣き声が聞こえて振り返った。朝陽と真昼がハンカチを取り出して涙をぬぐっていた。夕作も、表情はこらえようとしているが、はっきりと涙がこぼれているのが分かった。
――聖夜……
今日子はゆっくりと聖夜のいる左側を振り返った。
聖夜は右手の袖で涙をぬぐっていた。
その場で泣いていないのは今日子だけだった。
「これが喉仏です」
火葬場の職員が時子の骨を持って説明した。今日子としても確かにその骨は仏のように見えた。
火葬された時の骨はバラバラになっており、原型を全くとどめていなかった。本当に時子が焼かれた姿なのか、今日子には判断がつかなかった。
その後、箸渡しで骨を受け渡していった。幼いころに、箸渡しでご飯をとろうとしてお行儀が悪いと怒られたのを今日子は思い出した。
火葬が終わり、一行は駐車場に移動することになった。
「っていうか何あの骨。もっとガイコツみたいなの想像してたんだけど、ボロボロだったな」
今日子の前を歩いている聖夜が、横にいる朝陽に言った。
「一年近く病気だったからね。もっと健康な人ならキレイに残ってることがあるって聞いたことがあるわ」
朝陽は言った。健康なのになぜ死ぬんだと今日子は一瞬考えたが、すぐに交通事故で死ぬこともあるかということに気がついた。
再び葬儀場に戻ると、初七日が行われ、その後に会食が行われた。
どこかの料亭ででてきそうなほど量が少ない割には金額が高いその料理は、見た目はおいしそうではあるが、今日子にはあまり味が分からなかった。
会食を終えるとようやく今日子たちは葬儀場を後にした。
すでに辺りは夕焼け色になっており、間もなく日没になろうとしていた。
花木家とはそこで別れ、今日子は車の後部座席に座った。
咲也が車を発進させて車を発進させると、今日子は窓の景色を眺めた。
道路は比較的すいており、歩道で歩いている人や、歩道に植えられた街路樹が瞬時に今日子の後ろに移動した。
それを見て、今日子は刻々と時間がたつのを感じた。
一秒一秒進むごとに、余命も短くなっているんだなということを今日子は思った。
車を発進して15分ほどするとマンションの駐車場に到着し、佳子は駐車場の鍵を取り出そうとカバンの中をさぐった。しかし、その手はなかなかカバンからでてこなかった。
「ごめんなさい」
しばらくして佳子は言った。
「携帯電話と財布、葬儀場に忘れてきたみたい」
普段、そんな重要な忘れ物をしない佳子だったが、今日ばかりは気が動揺していたのか忘れたらしかった。
「そうか……、じゃあいったん戻るか。今日子はどうする?」
咲也は尋ねたが、今日子はじっと外の景色を眺めたまま呆然としていた。
「今日子?」
佳子が尋ねて今日子は気づいた。
「えっ? ごめん、何?」
「お母さん、財布と携帯電話忘れたみたいだから、いったん葬儀場に戻ろうと思うのだけど、今日子はどうする?」
「そ、そうなんだ。じゃあ、私は先に帰っとくよ」
「そう。気をつけてね」
今日子は一人、車から降り、咲也の運転する車はUターンしてマンションの敷地から出て行った。
すでにマンションにいるというのに何に気をつけるんだと今日子は思いながらエレベーターに乗り、8階を目指した。
今日子が家に帰ると、着替えるために自分の部屋に入り、電気のスイッチを押した。電気はつかなかった。
「そうだ、寿命が来たんだった」
今日子は廊下の電気だけを頼りに着替えることにした。
制服を脱ぎ、クローゼットを開けた。
ヒラヒラと上から紙片が落ちてきて、今日子は拾い上げた。
昨日の朝にも見た、四つ葉のクローバーの栞だった。
その栞を見て、今日子は走馬灯のように時子との思い出が蘇った。
家にいくたびに背丈をはかったこと、七五三の着物を着せてもらった時のこと、バレンタインのチョコレートの作り方を教えてもらった時のこと、事故で入院した時に散歩に行ったこと、家出した時にシャワーに入り傷跡に気づかれた時のこと。
そこで今日子は気づいた。また背中の傷跡の秘密を知っている人が、今日子一人だけになってしまったことに。
その傷跡に気づかれた時に、この栞をもらったのだった。
栞に水滴が落ちた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
今日子は急に罪悪感に襲われ、その感覚に押しつぶされそうになった。
時子に余命が近いことを今日子は知らなかった。しかし、それは知ろうとしなかったのだと今日子は思った。
少しは今日子も変だと思っていた。佳子が少し動揺している様子や、面倒くさがりやの聖夜がよくお見舞いに行っていたことに。
でも、特に気に止めなかった。
もし、気づいてあげることができたら、もっとお見舞いに行っただろう。
「おばあちゃん……おばあちゃん……」
今日子の目からは涙が溢れ出ていた。
今日子の嗚咽は、暗い部屋に響きわたっていた。
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