第17話~今日子17歳~前編
季節は5月になり、桜井今日子の通う高塚東高等学校ではもうすぐ文化祭を迎えようとしていた。
その日、今日子のクラスは、文化祭の出し物について意見を出し合っていた。
「劇やろうよ劇。古典でやったし、竹取物語。あたし、かぐや姫!」
「かぐや姫とか幼稚園のお遊戯会かよ。どうせ古典でやったことなら、源氏物語やろうぜ。俺、光源氏!」
このように、みんながみんな好き勝手に言っていることもあり、出し物がなかなか決まりそうになかった。
特にこの日は担任の小柳が、子どもが生まれたため早退したということもあり、クラスのみんながいつもより騒がしい気がした。
「先生は高校生の時、文化祭で何やったの?」
クラスメイトの柚季が、小柳の代わりに来た副担任に尋ねた。
「1年の時はロミオとジュリエットの演劇、2年の時は自分たちでオリジナルの電車を作って来場者に校内を案内するような出し物、3年はお化け屋敷だったよ」
副担任の松月明日人は言った。
明日人は4月から高塚東高等学校に赴任することになり、高校2年生の古典の授業を受け持っていた。また、同時に今日子のクラスの副担任となっており、小柳がいない時には代わりに明日人がクラスをまとめていた。
「お化け屋敷はちょっとだけ話題になったんだよ。新聞の地方欄に小さく載ったりして」
明日人がそういうと、どこからか「あっ! それなんとなく覚えてる。行ってないけど」という声が聞こえた。
今日子は明日人が高校3年生の時の自分の年齢を計算した。今日子が12歳で小学6年生の時だ。そして、今日子は思い出した。お化け屋敷で風船を配っていたピエロのことを。文化祭が終わって数日、ピエロが夢に出てきて、怖くなって夜中に目を覚ますことがあった。しかし、よくよく思い出してみるとあの声は、明日人の声だった気がした。
その後、多数決を行って舞台上で行う演劇が1位となり、生徒会に申請したものの、舞台は利用できるクラスの数が決まっているため、落選してしまった。そうして今日子のクラスは、2番目に得票数の多かったお化け屋敷をやることになった。
お化け屋敷をやることになるのは決まったものの、クラスのほとんどは演劇をやろうとしていたので、ほんとの生徒はモチベーションがあまりなかった。また、お化け屋敷をやりたいと言った生徒も、お化け屋敷だと演劇と違って準備する必要もあまりなく、楽なんじゃないかということで選んだこともあってあまりやる気がないようであった。
そんな中、今日子はお化け屋敷のお化け役をやることになった。
放課後になり、今日子は大きい白い布を使ってお化け用の白い衣装を作ることになった。
しかし、いつの間にか、教室には今日子も含めて数人が準備しているだけになった。ほとんどの生徒は部活に行ったり、家に帰ったりしている。
「おっ! がんばってるなぁ」
明日人が廊下から教室を覗きこんで言った。
「先生も暇なら手伝ってよー」
今日子と一緒で、お化け役をやることになった柚季が明日人に言った。
「ヒマじゃないし、文化祭っていうのは生徒が主体になってやるもんだよ」
そう言いながら明日人は教室に入ってきた。そのまま今日子のもとまで歩いてきて立ち止まった。
「お化けの衣装作り?」
明日人は今日子に尋ねた。
「は……、はい、お化け役になったので」
だいぶ慣れてはきたものの、明日人と一対一で喋るとなると、今日子はうまく喋れなかった。ドキドキして顔がほてってしまいそうだった。
「おばあさんは大丈夫?」
「えっ? おばあちゃん?」
いきなり、全く違う話題になったので今日子は戸惑った。
「ほら、前に入院したって言ってたから」
「ああ……。そうですね、順調に回復してるみたいです。今は市民病院を退院して、療養型医療施設というところに入院しています」
今日子の祖母の花木時子は3月に自宅に倒れて市民病院で1ヶ月近く入院した後、車で30分はかかる場所にある長期入院のできる療養型医療施設に入院となった。市民病院に入院している時には気軽にお見舞いに行けたものの、今は少し遠くなったこともあり、お見舞いに行く頻度は減っていた。
「そっか……。まだ入院中なのか……」
親戚でもないというのに、今日子の言葉を聞いた明日人は、少し悲しげな表情になった。生徒の祖母について考えてくれるなんて、優しい先生だなと今日子は思った。
「早く治るといいね」
明日人は言った。
「はい」
今日子はまるで自分の家族のように心配してくれる明日人にたいして、うれしく思った。
そうして、文化祭の日がやってきた。
今日子のクラスの出し物であるお化け屋敷は自分たちの教室で行うことになった。そのお化け屋敷は、外観からして怖そうには見えなかった。同じ怖そうに見えない明日人の時のお化け屋敷と違い、今日子のクラスのお化け屋敷は明らか適当に作ったような安っぽい外観のせいだった。
窓は黒い画用紙で覆って光を通さないようにしたものの、思ったほど暗くならず、それなりに明るかった。通路はどこからか持ってきたパーティションで作っているが、数が足りないこともあって広めにとることになった。早足で歩くと10秒で終わりそうな作りだった。
その教室の端っこで今日子は黒いカーテンに隠れて人を待つことになった。誰かが来たらワッと出ていって怖がらせることになっているが、そもそも人が来なかった。それもそのはずで、この教室は2階に位置しており、わざわざ階段をあがらなければ行けないような場所だった。ヒマでヒマで死にそうだった。お化けだけに。
そんな中、ようやく誰かの足音が聞こえて今日子は飛び出す準備をした。そして、間もなくその足音がやってくる、というところで今日子は飛び出した。
「…………」
お化け屋敷の中を歩いていた生徒は、無表情で今日子の顔を見つめた。
「お、おばけだぞー!」
「それ、本気で怖いと思ってやってんの?」
言っていることはもっともだったが、今日子としては少し落ち込んだ。どうせなら、少しぐらい怖がるフリをしてもらいたいものだと思った。
「というより、春樹は何で一人でこんなとこ来たのよ? 一人で来るようなとこじゃないでしょ」
今日子は目の前の生徒、梅崎春樹に言った。
「俺が文化祭でどこ行ったって別にいいだろ」
「いやまあ、そうなんだけどさ……」
「まあでも、しいて言うなら、桜井がお化け役やってるって聞いたからかな」
そう言われて今日子は少し罪悪感を覚えた。昨年、春樹に告白されて振ったものの、時々、振ったことによる罪悪感が拭えなかった。
「桜井ってさ、松月のこと好きなの?」
春樹は今日子に尋ねた。やっぱり、春樹も気づいていたのかと今日子は思ってどう返答しようか悩んだが、悩んだすえに「うん」と返答した。
「そうか。なら仕方ないよな。これであきらめがついたよ」
「……ごめん」
「お化け役が謝んなよ」
春樹はそう言うと少し笑って、そのまま教室を出て行った。
2時間後、柚季にお化け役を交代してもらった今日子は体育館のステージ会場にむかった。
親友の栗原美冬のクラスがバンド演奏をやるとのことで、美冬はボーカルになったと今日子は聞いていた。
今日子としては、その話を初めて聞いた時はあまりの意外さに驚いた。バンドのボーカルなんてそんな目立つようなことをするような子には思えなかったからだ。
話によると、文化祭でバンド披露となった時に、美冬の彼氏の竹中利秋が「やってみたら?」と言ってなったらしい。利秋によると、美冬とカラオケデートに行ったことがあり、その時の美冬の歌唱力がうまかったとのことだ。
今日子は適当に空いている椅子を探して座り、美冬たちの出番を待つことにした。
「桜井さんも来たんだ。ってことは、今は柚季がお化け役?」
今日子の横に座っている男子生徒がそう言って今日子は振り向いた。会場全体が薄暗くて今日子は気付かなかったが、そこに座っているのはクラスメイトの楠睦月だった。
「そうそう。今は柚季ちゃんがお化け役。せっかくだし行ってきたら?」
「そうだね。もう少ししたら行くよ。利秋がギター演奏するっていうし」
「そっか、竹中くんも出るんだね。私も美冬がボーカルやるっていうから見に来たんだ」
「へー、栗原さんがボーカルなんだ」
その後、5分ほどして美冬のクラスのステージが始まった。はじめは男子生徒のバンドのステージで、利秋がギターを演奏しているのが分かった。ぎこちない演奏ではあるが、今回の文化祭のために一生懸命練習したのだろうなということが伺えた。
続いて、女子のバンドの番となり、美冬がボーカルとなって歌っていた。その声は透き通るようによく届く声で、体育館中を包みこんでいるようだった。中学生の時の合唱の時間で美冬の歌は聞いていたものの、まさかここまでうまいとは今日子も思っていなかった。
歌っている美冬の顔は、光り輝いていた。
10分ほどしてバンドのステージが終わり、体育館は急に静かになったように今日子は感じた。
「こうやって見ると、俺たちのクラスって、文化祭に力入れてこなかったよな……」
睦月は後悔するように言った。今日子は、睦月の言いたいことはよく分かった。ステージの抽選に落ちてお化け屋敷をやることになったとはいえ、無気力で準備をしていたので達成感なんてほとんどなかった。楽しくなかったし、つまらなかった。しかし、今になって思うともっとやれることはあったのではないかと今日子は思った。クラス一丸となってもっと本格的なお化け屋敷を作ることだってできたのではないかと。
そしたら、もっと楽しく準備できたのではないだろうか。今日子は思った。
「まあ、いまさらそんなこと言ってもしかたないんだけどさ」
睦月はそう言うと、席を立って教室にむかった。
2学期になって3年生が引退すると、サッカー部は2年生が主体となった。
選手権大会では高塚東高等学校初の地区予選突破を果たし、県大会に出場できたものの、一回戦が同点の末、まさかの高塚東のエースの春樹がペナルティキックを外してしまい、負けてしまった。
普段はクールな春樹も、この時ばかりは涙が溢れて止まらないようだった。今日子はなんと声をかければいいか分からなかったが、今日子がそう思っている間に利秋が春樹を励まして一緒に泣き始めた。
今日子もその光景に思わずもらい泣きをして、涙が止まらなくなったが、副顧問の明日人は冷静な顔で見守っているだけだった。
年が明けて1月になり、後2日で修学旅行だった。
修学旅行先は北海道で、1日目と2日目にスキー、3日目に小樽で買い物をすることになっている。
「カニおいしんだろうなぁ」
帰りしなのエレベーター内で、今日子はつぶやいた。
「中学で沖縄行って、高校で北海道ってある意味、すごいよね。ある意味、日本の端と端に行ったことになる」
隣にいる美冬が言った。
「そうだよね。日本で最も北にある都道府県と最も南にある都道府県に行ったことになるんだからすごいよね」
「まあ、日本で最も南にある都道府県は東京都だけどね」
「えっ? そうなの! 東京都って島いっぱいあるしね。最南端の島に行ってみたいなぁ」
「いや、それは無理だと思う」
そうこうしているうちにエレベーターの扉が開き、今日子は美冬と別れた。
その後、8階にたどり着いてエレベーターを降りた今日子は家まで歩き、ドアを開けようとした。
だが、鍵がかかっていてドアは開かず、カバンから鍵を取り出してドアを開けた。
――今日、パートだっけ?
母親の桜井佳子がいないことに疑問を感じながら、今日子は家に入った。
いつもどおり、家に入ると、制服から部屋着に着替えるために、自分の部屋に入った。
「あれ?」
部屋に入って電気のスイッチを押してみたものの、電気がチカチカしていた。そろそろ寿命なのかと今日子は思い、電気を消した。
その後、廊下の電気を頼りに部屋着に着替え、リビングにむかった。
リビングには中途半端に畳まれた洗濯物の束があった。なぜこんな中途半端に置きっぱなしなのかと今日子は思いながら、残りの洗濯物を畳んだ。
それから2時間ほどして、佳子が帰ってきた。同時に、今日子の父の桜井咲也も帰ってきた。
「一緒だったの?」
今日子は佳子に尋ねた。
「うん、おばあちゃんがまた体調崩して市民病院で入院することになったらから、お父さんに迎えに来てもらったの」
佳子は元気無く答えた。
「そうなんだ。じゃあ、明日お見舞いに行ってこようかな。明日は修学旅行前日だから、部活もないし」
「うん……。そうしてあげて」
佳子は、無理して作ったような笑顔で言った。
咲也は、佳子と今日子の顔を確認して、何か言おうとしているようだったが、結局何も言うことはなかった。
翌日の放課後、教室をでて美冬と合流した今日子は、帰路に着こうとグラウンドの前を通りすぎて校門を目指した。
今日は部活が休みだが、グラウンドでは春樹が一年生を巻き込んで、ペナルティキックの練習をしていた。選手権大会での失敗を気にしているようだった。
「2年生は早く帰れよー。明日から修学旅行なんだから」
部活に顔をだした明日人が言った。
「先生、おみやげ何がいい? 白い恋人?」
美冬が明日人に尋ねた。
「いや、おみやげも何も、俺も行くよ。修学旅行」
明日人は言って今日子は驚いた。明日人も修学旅行に行くというのは初耳だった。
「そうなんですか。それはいいこと聞きました。それじゃあ、先生さようならー」
美冬はそう言うと、今日子の腕を引っ張って早歩きで学校をでた。
「これは、告白するチャンスじゃないかな?」
「こ……ここ、告白!?」
美冬の言葉に今日子は顔を赤らめた。
「あたしが利秋に告白したのって修学旅行の時でしょ。その時に今日子がキューピッドになってくれたんだから、今度の修学旅行ではあたしがキューピッドになってあげる」
「いや、そんな急に言われても……」
そもそも、美冬と利秋は両思いと分かっているから手伝ったのだ。今回は自分の一方的な片思いなので全然違う。と、今日子は思った。
「急でもチャンスはチャンスでじょ。善は急げって言うし。そうと決まったら、帰ったら作戦会議だね」
「えっ? 帰ってからやるの?」
「そりゃそうでしょ。明日から修学旅行なんだから」
――まあ、お見舞いに行くのは修学旅行終わってからでいっか。どうせ、おみやげ持っていかなきゃいけないし
今日子はそう思って、「分かった、じゃあ帰ったら美冬んち行くね」と答えた。
翌朝、今日子は椅子の上にのってクローゼットの上段を覗きこんでいた。
「ちょっと今日子、もうすぐ出かけなきゃいけないのに何してるの? あれほど準備は前日までにやっておきなさいって言ったのに」
「ごめん。昨日、美冬と喋ったら、休憩時間にUNOで遊ぼうって話になって」
昨日、作戦会議ということで美冬の家に行ったものの、ほとんど会議らしい会議はなく、雑談に花を咲かせるだけだった。一応、明日人に渡すラブレターを考えたが、読み返せば読み返すほど、ギャグで書いたようにしか思えなかった。
『私はあなたをI love you. 出会ったころからI love you. この先もずっとI love you.』
凝ったものにしようと思ったものの、二人共センスがなかった。
「あったあった、UNO」
そう言ってUNOを取ろうとした今日子だったが、手に何かが触れ、そのままヒラヒラと床に落ちていった。
なんだろうと思って拾ってみると、それは四つ葉のクローバーの栞だった。前に祖母の時子にもらって帰った時、幼稚園の卒園アルバムなどが部屋にだしっぱなしだったので一緒にクローゼットの上段にしまったのだった。
「そろそろ出ないと間に合わないわよ!」
「あっ、はーい」
今日子は栞を再びクローゼットの上段に置くと、すぐに出かける準備をして靴を履いてドアを開けた。
「あっそうそう、忘れてた。部屋の電気、寿命が来たみたいだから買っといてよ。帰ってくるまでに」
出かける間際に今日子は言った。
「分かった。じゃあ、おばあちゃんのお見舞いに行ってくるから、帰りにでも買ってくる」
「そうそう、それと、おばあちゃんにおみやげ楽しみにしといてって言っといてよ。昨日行けなかったからさ」
「うん。そうする」
「じゃあ、いってきまーす」
今日子が家を離れる直前、家から電話の音が聞こえた。
空港についた今日子は手荷物検査をくぐりぬけ、飛行機の搭乗を待つことになった。
「昨日はあまりいい案思いつかなかったけどさ、今日こそはいい案考えるから」
「いや、もういいから」
今日子は呆れながら、美冬に言った。
「もうすぐ搭乗するので、携帯電話を持っている人は、電源を切るか機内モードにしてください」
学年主任の先生がそう言って、今日子は携帯電話の電源を切ろうとした。
と、その時に、携帯電話に着信があった。佳子の携帯電話からだった。
「もしもしお母さん? どうしたの? もうすぐで搭乗するんだけど」
今日子は先生たちの視線が気になりながら、小声で言った。
『……きょ……こ……。……ご……な……さい……』
佳子の声はところどころかすれており、聞き取りづらかった。
「えっ? ごめん何? 聞こえない? 本当もう時間ないから切るよ?」
そう言って今日子は携帯電話を耳から離そうとした。
『すぐに帰ってきて』
携帯電話から切羽詰まった佳子の声が聞こえた。
「えっ?」
『……おばあちゃんが亡くなったの』




