第16話~今日子16歳~後編
2学期になってしばらくたち、今日子は自分の席に座って大きくため息をついた。
花火大会以来、今日子はまともに春樹の顔を見ることができなくなった。
今でも、今日子はあの返答が悪かったのではないかと思うことがあった。せめて、返事を引き伸ばしたほうがよかったのではないかと。
何より、春樹が自分のことを好きだと気づけなかったことについて、今日子はショックを受けた。今思い返して見れば、確かにそれらしい言動や行動はあった。なのに、なぜ気づけなかったのかと自分を責めた。
「どうしたの? そんなため息ついちゃって」
美冬が今日子に話しかけた。いい返事を思いつかなかった今日子は、そのまま机に突っ伏した。
「もしかして、花火大会の日にいつのまにか梅崎といなくなってたけど……」
親友だけあってさすがに美冬は感づいているかと思い、今日子は顔をあげた。
「梅崎に告って振られたとか?」
美冬の言葉に今日子は思わず、机を叩いて立ち上がった。
「違う! 逆だって! 春樹が私に……」
そこまで言って今日子は自分が大きい声をだしていることに気付き、周りの視線を感じながら着席した。
そのすぐ後に予鈴が鳴り、美冬は困った表情をしながら、席に戻った。
そして、担任の男性教諭でサッカー部の顧問でもある、小柳が教室に入ってきた。小柳の後ろには、若い、20代前半と思われるスーツ姿の男性がついてきていた。
そこで、今日子は、今日から教育実習の先生が来るということを思い出した。
「今日から教育実習生としてお世話になります。松月明日人です」
今日子は一目見て、かっこいい人だと思い、見とれた。
明日人はクラスを見渡して言った。その途中、今日子と明日人の目があった。
目があった瞬間、今日子は胸の鼓動は早くなった。
「今は昔、竹取の翁といふものありけり」
1限目の古典の時間になり、国語担当の教育職員を目指している明日人は、教室内を歩きながら竹取物語を読んでいた。
今は今日子の後ろにおり、徐々に前へ、前へと近づいてくるのが分かった。
今日子は先ほどから明日人の声を聞く度に、胸が苦しくなった。今まで感じたことのない感覚は、言葉であらわせそうにもなかった。
明日人は今日子の横にまで辿り着き、そのまま通りすぎるだろうと今日子は思った。
「はい、じゃあこの続きを、桜井さん、お願いできますか?」
明日人は、今日子の机に触れて言った。
「ひゃ、ひゃい。え……えっと……、どこだったでしょうか?」
クラス中から笑い声があふれ、今日子は恥ずかしさで倒れてしまいそうだった。
その後、明日人が今日子の教科書に指を差し、今日子はつづきを音読した。パニックと緊張で、今日子はうまく言えることができなかった。
放課後、今日子がサッカー部の練習場所に行き、しばらく遅れて顧問の小柳が到着した。なぜか、明日人も一緒だった。小柳はサッカー部員を集合させ、明日人を紹介した。
「松月はな、サッカー部の部長であり、エースでもあったんだ。本当、あの時はすごかったんだぞ。後にも先にも、夏のインターハイの県大会でベスト16までいけたのは松月が3年の年だけだ」
小柳の言葉でサッカー部の部員たちは「すげー」「やべー」と驚きの声をあげた。
「いや、サッカー部は団体競技だから俺だけの力だけじゃないですよ。運がよかったのもあります」
明日人の言葉で「『俺だけ』ってやっぱり、強いってことじゃないですか」「一緒に練習してください」「うまくなるコツ教えてください」といった声があがった。
その後、明日人を交えて簡単な試合を行うことになった。2年生全員と1年生何人かが参加した。1年生の参加はジャンケンで決まり、春樹と利秋は参加することができなかった。
試合中、明日人は相手チームが保持しているボールを瞬時に奪い、ドリブルをして相手チームをかわし、ボールを保持していない時は、瞬時に自分のチームと相手チームの居場所を確認して、パスを繋げた。
「うまいねぇ。同じディフェンダーじゃ、利秋と同じくらいってところかな」
今日子の横で美冬が言った。利秋と同じくらいかはともかく、確かにうまいと今日子は思った。ただ、その動きに今日子は既視感を覚えた。それが何だったか今日子は思い出そうとしたが思い出せず、心の中がモヤモヤするだけだった。
試合が終わり、明日人は部員から離れて冷水機のある場所に移動した。今日子はその姿を見てタオルを手にとって明日人のもとに駆け寄った。
「あぁ、ありがとう」
タオルを受け取った明日人は言った。
「やっぱ大学入ってまともにサッカーやってないと全然ダメだな。すっごいハード」
「そんなことないですよ……、とても……、上手でした……」
今日子はなぜか気恥ずかしくなってうつむいた。自分から駆け寄ったというのに、明日人を前にすると、うまく話せなかった。
「ありがとう。正直言うと、思ったよりは体に染み付いててんだけどね」
「はい。県大会でベスト16というのも、納得できる動きでした」
「そんな、サッカーは個人競技じゃないんだから。それに、県大会でベスト16は自慢できるような内容じゃないよ。中学の時は県大会で3位までいけたんだけどね。高塚中学校だったんだけど」
「そうなんですか!? 私も高塚中出身なんで……す……」
そう言って今日子は頭の中で計算した。明日人は今、大学4年生だ。明日人が中学生の時というと、7年前になる。7年前というと、今日子が小学3年生の時だ。
そのことに気づくと、すぐに今日子は小学3年生の時に見に行った中学サッカーの県大会を思い出した。同時に、試合が終わった後に一人で泣いていた高塚中学校のサッカー部長について思い出した。
今日子はゆっくりと顔をあげて明日人の顔を見た。
「も、もしかして、中学の時も部長でした?」
「そうなんだよ。誕生日が4月3日とみんなより早いというよく分からない理由でなることになってさ。それがどうかしたの?」
「い、いえ、ちょうどその時、友だちと、試合を見に行きまして……。確か、すごいロングシュートを決めてましたよね?」
「ああ、そういえば桃園の妹とその友だちが見に来てたなぁ。あれって、桜井さんだったんだ。覚えてくれてるんだ」
「あ、あの……、すごい、印象深かったので」
今日子は、明日人が泣いていたことには触れなかった。まさか、明日人も、あの場に誰かがいたなんて思ってないはずだ。
「楽しんでもらえたようでよかった」
明日人は言った。
明日人が教育実習としてやってきて2週間がたち、明日人の実習の最終日となった。
明日人は最初から先生としてうまく振舞っていたので、今日子としては2週間でどれだけ成長したのか分からず、小柳も「教えがいがない」と言ったほどだ。
教育実習最終日も明日人は部活に顔をだして、部員たちと試合を行った。
今日子はこの2週間、気づくと明日人のことを目で追っていた。明日人はかっこよく、誰に対しても優しかった。同時に、今日が最終日だということに悲しくなった。
今日子は、明日人が小学3年生の時に出会った高塚中学校サッカー部の部長と知って、あの時の自分の気もちを思い出すことがあった。
あの時の夏休みの1ヶ月間、ふとサッカー部の部長が一人で泣いているのを思い出すことがあり、なかなか頭から離れなかった。あの時はなぜ頭から離れないのか分からなかったが、今になって今日子は気づいた。あれは多分、初恋だったのだと。
「今日子ってさ……」
隣にいる美冬が、今日子に話しかけた。
「松月先生のこと好きでしょ?」
美冬の発言に今日子は思わず顔を硬直させた。
美冬は、今日子は春樹が好きだと勘違いし、利秋が好きなことを気付かなかった。そんな美冬にまさか気づかれると、今日子は思わなかった。
「……分かる?」
顔をゆっくり美冬のほうに向けて、今日子は言った。
「そりゃ、ずっと目で追ってるのみたら誰だって気づくよ」
――まさか、美冬に気づかれるなんて……。ということは、他の子も気づいてる?
今日子はそう思いながら、再び試合のほうに目をやった。
今は春樹がボールを所持しており、ゴールにむかってドリブルしているところだった。その後すぐに、明日人が春樹のもとに駆け寄った。
春樹は明日人を抜けようと、ドリブルしながら移動した。そうして、ボールをシュートしようとした春樹だったが、その直前に明日人がボールを奪った。
明日人はそのまま味方のフォワードにパスをだし、ゴールに繋いだ。
その後、試合はすぐに終了した。
春樹は地面に拳を叩きつけ、悔しがっていた。
試合終了後、明日人は部員たちの前に立ち、今日が最後ということ、久々に部活をやれて楽しかった旨を伝えた。部員たちからは、「俺たちも楽しかったです」「また遊びにきてください」という声があがった。
そんな中、春樹だけはつまらなさそうな顔で突っ立っていた。
そうして、明日人はグラウンドから離れて校舎に戻ろうとした。
「今日子、行ってきたら?」
美冬が今日子に言った。
「い……、行ってどうするの?」
「そんなの分かんないけどさ、寂しそうな顔してるから」
今日子は美冬の言葉で、渋々といった表情をし、しかし内心は嬉々として明日人に近づいた。
「松月先生!」
今日子の呼びかけに明日人は立ち止まり、振り返った。
「2週間、ありがとうございました」
今日子は明日人の顔を見つめて言った。しかし、見ているだけで心臓の鼓動が早くなって苦しくなってきたので少し視線を下げた。
「こちらこそありがとう。みんなとも仲良くできてよかったよ。梅崎くんには少し嫌われちゃったみたいだけど」
ここ数日、春樹は事あるごとに明日人に突っかかっているようだった。先ほどの試合でも、わざと明日人の近くまでドリブルしに行って煽っているように見えた。もしかしたらそれは、今日子が明日人のことに気があることを、春樹が感づいているからではないかと今日子は思った。美冬が感づいていたので、春樹が気づいてもおかしくない。
「まあ、理由は予想できるけどね」
明日人がそう言って、今日子は慌てた。
「ち、違いますよ! そんなんじゃないです! ただ、春樹って昔からサッカーうまい人にたいしては煽るようなプレイをするみたいで……。そうそう、中学の時も、ディフェンダーの竹中くんにむかってドリブルしてたみたいですし!」
中学1年生の時の、1年生同士の試合について、利秋と美冬から聞いた話を思い出して今日子は言った。あれはもしかしたら、小学校3年生の時に、利秋はサッカーが意外とうまいと言ったのを覚えていて、春樹がムキになったのかもしれないと今日子は思った。
「えっ……? 桜井さんは知ってたの?」
今日子は明日人が何のことを言っているのか分からなかった。
「えっと……、知ってたって何を?」
「俺が昔付き合ってた人が、梅崎くんのお姉さんだって」
今日子は一瞬、明日人が何を言っているのか分からず、呆然と立ち尽くした。しばらくして、春樹が明日人を嫌っているようにみえるのは、姉の元恋人だからだと、明日人が思っていることに気づいた。今日子は返答に悩んだが、とりあえず、知っているということにした。
「はい。小6の時に聞きました。この高校の文化祭に来て……」
「桜井さんが小6というと、高3の時か。そうそう、その時だったよ」
よくよく考えると、今日子が小学校6年生の時に春樹の姉の梅崎古都絵から付き合っている人がいると聞いてはいたが、それが明日人だとは聞いていない。先ほどの自分の言葉が、ある意味、賭けだったことに気づいた後、それが正しかったことに気づいてホッとした。
「文化祭の時というと、ギリギリまだ付き合ってたかな」
小学校の卒業式の際に、春樹が、その後すぐに別れたと言っていたのを今日子は思い出した。なぜ別れることになったのか気になったが、さすがにそれを聞くのはためらわれた。
「じゃあ、また会いに来るよ」
明日人はそう言い残してその場を去った。今日子は胸のドキドキが治まるまで、その場に留まっていた。
年が明けて3月はじめの金曜日。部活から帰ってきた今日子は家のドアを開けようとして鍵が閉まっていることに気がついた。カバンから鍵をとりだしてドアの鍵を開け、中に入ると部屋は暗くて誰もいないようだった。
――今日ってパートだっけ?
今日子はそう思って、リビングのカレンダーに書いてある、母親の桜井佳子のシフトを確認すると、今日は休みとなっていた。携帯電話を確認してみたが、何の連絡もなく、メモ書きも残されていなかった。
多分、近所のどこかに出かけただけですぐに戻るのだろうと今日子は気に留めず、部屋着に着替えてリビングでテレビを見ることにした。
しかし、なかなか佳子は帰ってこず、さすがに連絡しようと思ったところで帰ってきた。
「どこ行ってたのー? お腹すいたー」
今日子は廊下から歩いてくる佳子のほうを見てそう言った。リビングまで歩いてきて、今日子は佳子がかなり暗い表情をしていることに気づいた。
「どしたの? すごい暗い顔してるけど」
「そう? ちょっとね……。おばあちゃんが家で倒れて……」
「おばあちゃんが!」
祖母の花木時子は一人暮らしだ。何か大変なことがあったのではないかと今日子は心配した。
「幸い、近所の人が訪ねてきて、すぐに病院に運ばれて大事には至らなかったんだけどね」
「それって、大丈夫ってこと?」
今日子が尋ねると、佳子は今日子の顔を見つめた。
「うん。大丈夫。絶対に」
まるで何か念を押すような言葉に今日子は少し違和感を抱いたが、大丈夫と聞いて今日子は安心とした。
「なんだ、そっかー。びっくりしたー。変な病気だったらどうしようかと」
「当分、入院する必要はあるみたいなんだけどね」
「そっか。じゃあ、明日の朝、行ってこようかな? 部活昼からだし」
「うん。そうしてあげて」
次の日の朝、今日子は自転車をこいで佳子の入院する市立病院にむかった。
その途中、見知った顔を見かけて今日子はブレーキをかけて呼びかけた。
「松月先生!」
今日子の呼びかけで、明日人は今日子のほうに顔を向けた。
「桜井さん、久しぶり。今からどっか行くの?」
「はい。おばあちゃんが入院したので、お見舞いに」
「そうか……。市立病院だよね?」
「はい」
今、今日子が向かおうとしている方角で一番近い入院設備のある病院は市立病院だ。だから、市立病院と明日人は思ったのだろうと、今日子は思った。
その後、今日子はもっと話していたいと思ったものの、何を話せばいいか思いつかずに「それじゃあ……」と言って去ろうとした。
「あっ、そうそう」
明日人がそう言って今日子は再び自転車を止め、明日人のほうを振り返った。
「4月から、高塚高校に行くことが決まったから」
明日人の言葉で今日子は驚き、すぐに目を輝かせた。
「えっと……、4月からまたよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
今日子が時子の入院している部屋にたどり着くと、時子は女性看護師と話しているところだった。看護師は、50歳ほどのベテラン看護師のようだ。
「じゃあ、私はこれで」
今日子が来たことに気づいた看護師は言った。
「ごめんなさいね光さん。お仕事中に長々と話し込んじゃって」
「いえ、患者さんと話すのも仕事みたいなものなので」
時子が光と呼んだ看護師はそう言って、部屋から出て行った。
「知り合いなの? 光って下の名前だよね?」
今日子は、入院してまだ一日しかたっていないのに親しげに話していることに少し驚いて、時子に尋ねた。
「そうなの。近所の人でね。昨日、倒れた私を見つけてくれたのも光さんなの。命の恩人ね」
「そんな大げさな」
今日子はそう言って少し笑った。
その後、今日子は近所の花屋で購入したフラワーアレンジメントを時子に見せて、「どこに置く? あっ、ここがいいかな?」などと鼻歌まじりに言って時子の近くにある棚の上に花を置いた。
「おばあちゃん、お花好きだからさ。本当は入院中のお見舞いで花ってマナー違反らしいんだけど、おばあちゃんにはこの花見て早く元気になってほしいなって」
今日子は嬉しそうに言った。
「なんだか嬉しそうだねぇ」
時子は言った。
「さては、恋だね」
時子の言葉に今日子は顔を赤らめた。
「ちょっとおばあちゃん何言ってるの! 私はただ、キレイな花を見ていい気分になっただけで……」
「そんなに否定しなくても。恋する乙女のような顔をしているわよ」
昔から、時子は察しがよかった。時子には隠し事はできそうになかった。
「うん……。教育実習で来てくれた先生が、うちの高校に4月から働くことになったみたいで……」
「そう。今日子ちゃんは、その人のことが好きなんだね?」
今日子はなにも言わずに、コクリと首を立てに頷いた。
「いい恋、してね」
時子に言われると今日子はどうにも気恥ずかしかった。案外、時子はロマンチストなのかもしれないと思った。
「うん」
それからしばらくして、今日子の従兄弟の花木聖也がお見舞いにやってきた。
「えっ? 聖夜一人? 意外ー。行くように言われたの?」
今日子は聖夜が一人で来たことに驚いた。聖夜なら面倒くさがってこないだろうと今日子は思った。
「そりゃ、こういう事態になったら俺だって来るよ」
こういう事態とはどういうことかと今日子は思ったが、時子も喜んでいるようだし、いちいち突っかからないことにした。
「じゃあ、私は帰るね。午後から部活で」
「そう」
時子が少し悲しそうな表情になって少し後ろめたさを感じたが、部活を休むわけにはいかなかった。
そうして今日子はカバンを手に取り、時子に背中を向けてドアを開けようと取っ手に手をかけた。
「今日子ちゃん」
時子が呼びかけたので今日子は振り返った。
「ありがとう」
時子は笑顔で今日子の顔を見つめ、言った。
今日子はその言葉に軽く会釈して、病室を離れた。
時子の言動に、今日子は少し違和感を覚えたが、なぜ違和感を覚えたのか、分からなかった。
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