第14話~今日子14歳~前編
桜井今日子の通う高塚中学校の2年生は、毎年5月になると職場体験ウィークと名前で、希望する職業を5日間、体験することになっている。
今日子はどの職業を体験しようか悩んでいた。昔から変わらず、将来は絵を描く仕事をしたいと思っている今日子だったが、受け入れ先には絵を描くことになりそうな職場はほとんどなかった。唯一、漫画家の職場が一件あり、今日子はそこを第一希望とした。
しかし、第一希望は外れてしまい、今日子は第二希望としていた職場に行くことになった。
「今日から5日間、よろしく」
「うん……」
職場体験初日、今日子は一緒に職場体験することになる生徒と一緒に、職場へ向かうバスに乗り込んだ。
今日子に割り当てられた職場は、あおぞら幼稚園、つまり今日子が卒園した幼稚園だった。
そして、同じくあおぞら幼稚園に職場体験することになった人の中に竹中利秋がいた。
2年生になって今日子は親友の栗原美冬とクラスが別れてしまい少し残念に思ったが、利秋が同じクラスだと分かって嬉しく思った。必然的に利秋といる時間が長くなったが、まさか職場体験の場所が一緒になるとは思っていなかった。
30分ほどして今日子は幼稚園に到着した。7年ぶりに来た幼稚園だったが、今日子の記憶にある景色とほとんど変わっておらず、すぐに忘れかけていた幼稚園のころを記憶が蘇った。
「この校庭でよく遊んだよね。かくれんぼとかサッカーとか」
「……うん」
利秋の言葉でさらに思いだした。かくれんぼしたり、あそこでサッカーをしたり。思い出すだけで感激して涙が出そうになった。
「今日子ちゃん、利秋くん! こっちこっち! 久しぶりー!」
誰かの声がして今日子が振り向くと、女性の幼稚園の先生がそこにいた。今日子は一目見て、誰だか分かった。
「藤宮先生! 今もあおぞら幼稚園で働いてらっしゃるんですね」
「そうそう。今は副園長としてがんばってるのよ」
「それはそれは、出世しましたねー」
「みんな旅立っていくのに、私は旅立てなくてね……」
藤宮は遠い空を見つめて言った。
「でも、幼稚園の仕事は楽しいし、子どもたちの成長を見ているとやっていてよかったって思うのよ」
「そ……そうですか……」
藤宮は次に利秋のほうに目をやった。
「利秋くんとは、運動会以来ね。准くんは小学校でうまくやれてる?」
「はい。楽しんで行ってるみたいですよ。といっても、これからですけどね」
つづいて藤宮は今日子に顔を向けた。
「准くんは利秋くんの弟でね、利秋くんは大人しい子だったけど、准くんちょっとませててね。積極的に女の子と仲良くなろうとしていたのよ。本当に兄弟? って思うぐらい」
「まあ、私の従兄弟の花木姉弟、朝陽ちゃんと聖夜も似てませんし」
「それもそうね」
職員室に移動すると、すでに一緒に職場体験を行う、山倉中学校の生徒がいた。
「今日子ちゃんも、あおぞら幼稚園なんだ。なんか感激ー」
山倉中学校の生徒の一人は今日子とは小学校が一緒の柚季だった。
「えっ? もしかして、利秋くん? 背、高ー。しかも、かっこよくなってるー。全然違いすぎて笑いそう。利秋くんがかっこよくなってるって、睦月の冗談かと思ってた」
柚季が興奮しながら言った。
「睦月とは話すの? 睦月は幼稚園じゃないっぽいけど」
利秋は他の山倉中学校の生徒を見渡して言った。
「そうそう。誘ったんだけどね、プログラマ志望だからってIT系の職場に行ったんだよ。サッカー部の言うセリフじゃないだろ! っていう」
その後、園長先生が職場体験をする生徒を招集し、それぞれ自己紹介をした。その後、園児たちにも自己紹介をして、休み時間には園児たちと遊び、その日は終えた。
2日目以降は園児たちが登園してくる前に掃除をし、登園して来た後は外で遊んだり、絵本の読み聞かせをしたり、降園後は先生の手伝いなどをしてすごしていった。
そして、職場体験4日目となり、今日子はこれまでと同じように利秋とバスに乗り、幼稚園にむかった。
「考えてきた? グーチョキパーの」
利秋がそう言って、今日子はげんなりした。
幼稚園から『グーチョキパーでなにつくろう』の音楽にあわせて、園児たちが知らないであろう組み合わせを披露してほしいと言われていた。今日子は昨日、帰ってからずっとグーとチョキとパーの組み合わせで何ができるか考えていた。
「右手がチョキで、左手もチョキで、かーにーさん」
「いや、それはさすがに知ってるでしょ」
「だよねぇ」
考えても考えても今日子はいい案が思いつかなかった。自分は昔、どういうのをやっていただろうかと思いだそうとしても全く思い出せなかった。唯一、聖夜が右手も左手もグーにしてシャツの中に手を入れ、「おっぱーい」とやっていたのを思い出したが、さすがにそれは幼稚園で披露できないし、したいとも思わなかった。
「本当、どうしよう! グーとパーでヘリコプターとか? って、それも知ってるか……。こうなりゃ、藤宮先生にヒントだけでも聞くしかないね」
今日子はあきらめて、先生に聞くことにした。長年、幼稚園の先生をやっているならいろいろなものを知っているはずだ。
「あのさ、桜井さんがよかったらでいいんだけど、僕が考えたアイデアがあって……」
そうして、幼稚園で『グーチョキパーでなにつくろう』を披露する時間となった。利秋からアイデアをもらった今日子は少し心配していた。はたして、子どもに受けるのか、そもそもこのゲームにあのアイデアはオッケーなのか。
「右手はパーで、左手もパーで」
今日子と利秋は二人ならんで、手を広げた。そして、お互いがむかいあい、両手をつないだ。
「フラフープー」
二人は両腕をできるだけ丸く見えるように大きく広げ、言った。
今日子の心配に反して、園児たちの反応はすごくよく、その光景を見た園児たちは次々と隣の友だちと手をつないで「フラフープ」と言いだした。
今日子はこのアイデアを聞いた時には、その発想に驚いた。『グーチョキパーでなにつくろう』の遊びは一人でできるものとばかり思っていたからだ。二人があわせて新しいものを作るなんて今日子は考えもつかなかった。
披露会が終わった後、今日子は指にくすぶったさを感じた。普通に手をつないだだけなのに、この感覚は一生覚えておきたいと今日子は思った。
休み時間になって、今日子は園児たちの遊びを見守っていた。
遊んでいる最中にケガをしたりケンカをしだしたりする子がいたらすぐに対応しなければいけないからだ。
今日子の近くではままごとで遊んでいる女の子がいた。その姿をみて、自分も幼稚園の時にはままごとをして遊んでいたことを今日子は思い出した。一番の親友だった、桃園夏海と、それから利秋と。
「エーン、エーン」
「はいはい、彩更ちゃん泣かないでね。ママがいるからねー」
職場体験で最も今日子と仲良くなった恋頃は言った。友だちの彩更が赤ちゃん役で、恋頃がママ役らしい。
「あっ! 今日子お姉ちゃんだ! お姉ちゃんも遊ぼうよ」
恋頃が今日子に気付き、声をかけた。
「お姉ちゃんはみんながケガしないように見てなきゃいけないから遊べないんだ。ごめんね」
今日子はそう言うと、恋頃は残念がった。今日子は少し胸が痛んだ。
「えー! だって、あきお兄ちゃんは遊んでるよ」
恋頃が指さしているほうを今日子が見ると、利秋は男の子の園児二人とサッカーボールを転がして遊んでいた。どうやら、利秋がボールを二人に奪われないように器用に足を動かしているようだった。
「バブーバブー、バブバブバブー」
彩更はずっと赤ちゃん役をつづけているようだった。何を言いたいのかは分からなかったが、多分、彩更も一緒に遊ぼうと言っているのだろうと今日子は解釈した。
「そういえば、赤ちゃんってどこからくるの?」
「えっ!?」
突然の恋頃の質問に今日子は驚いた。どこから赤ちゃんがくるか。今日子もなんとなく知ってはいたが、幼稚園児に言っていいものか悩んだ。というよりも言っちゃいけないと思った。しかし、答えないのはまずい。なんと答えたらいいだろうか。誰かに助けを求めようと思って、利秋が目に入った。
「竹……中……」
そう言って今日子は思いついた。
「そう。竹の中。かぐや姫がそうだったでしょ。あきお兄ちゃんも竹の中から産まれたから、竹中という苗字なの」
今日子の言葉に利秋は反応し、立ち尽くした。利秋と遊んでいた男の子は「やった、取ったー!」と言って、利秋からサッカーボールを奪った。
「今日子お姉ちゃんも竹から産まれたの?」
「いや、お姉ちゃんは、桜の木から産まれたの。だから、桜井っていうんだよ」
「えー! じゃあ恋頃は?」
「恋頃ちゃんはねぇ……」
「さすがに無茶すぎるでしょ。あの回答」
帰りのバスの中で利秋は言った。恋頃は興味津々に聞いていたからよかったものの、彩更は怪訝な表情で見つめていた。
「いや、竹中くんの顔を見たらとっさに思いついちゃって……」
「まあ、恋頃ちゃんは面白がっていたようだしよかったかもね」
しばらくして自宅近くのバス停に到着し、二人で降りた。二人の家はバス停からだと反対方向になるので、ここで別れることになる。
「じゃあ、ここで。明日もよろしく。明日で最後だけど」
「うん……。今日はありがとう」
少し歩いて今日子は後ろを振り返った。なんとなく、利秋も振り返ったのではないかと思ったがそんなことはなく、今日子に背を向けて歩いていた。
ふと、今朝、利秋と両手をつないだことを思い出した。それからいろいろあったものの、まだ感触が残っているような気がした。ところで、今日子の通う高塚中学校では、体育大会のラストにフォークダンスがある。よくよく考えたら、今年は利秋とクラスが同じなので、そこでも手を繋ぐことになることに気づいて、今から体育大会が楽しみになった。
マンションに到着すると、ちょうど自転車に乗った美冬も帰ってきた。
「久しぶりー。元気でやってる?」
「うん、まあね。美冬は図書館だっけ? ちゃんとやれてる?」
「やれてるやれてる。カウンターで貸出業務やったり本の整理とかしてる。今日は、平日の昼間だというのにヒゲ生やしてメガネかけてニヤニヤしている大学生ぐらいの男の人が来てさ、あたしのところに女の人がパンツ見せてる表紙の『萌えの研究』って本の貸出申請しにきたんだよね」
「うわぁ……」
美冬の話を聞いて今日子は身の毛がよだった。想像するだけで気もち悪かった。直接関わった美冬はさぞ嫌な気分を感じただろう。今日子は思った。
「気になって思わずその本、予約しちゃったよ」
「予約したの!?」
時々、今日子には美冬の言動が読めなかった。
「今日子のほうはどう?」
エレベーターホールで上の矢印のボタンを押してから美冬は言った。
「楽しんでやってるよ。子どもたちもかわいいし。まあ、掃除とか子どもたちの監視もしなきゃいけないから、楽しいことばかりじゃないけどね。目が離せないからトイレに行くのも気を使うぐらい」
「へぇ。竹中くんも同じようにやってるの?」
そっちのほうが聞きたいのか。と思いながら、今日子は答えた。
「うん。一緒に子どもたちと遊んだりしてる」
「いいなー。あたしも幼稚園選べばよかった」
美冬が利秋のことを好きと言って3ヶ月がたつ。それから美冬はよく利秋のことについて話すようになり、今日子は、本当に美冬は利秋のことが好きなのだと実感した。
「なんか、幼稚園で職場体験していると、自分の幼稚園の時のことも思い出したよ。竹中くんとも遊んでたりさ」
「その時の竹中くんを知ってる今日子がちょっとうらやましい」
美冬は小学4年生の時にこっちに引っ越してきたので、幼稚園の時の今日子や利秋のことを知らなかった。
「それじゃあ、美冬のために、幼稚園の時の竹中くんのこと教えてあげる」
今日子がそう言ったタイミングでエレベーターが今日子たちのいる一階まで降りてきて、二人は乗り込んだ。
「幼稚園の時の竹中くんは今と違って泣き虫でね、よく転んで泣いてたんだよ。お遊戯会の時は竹中くん、かぐや姫の帝の役だったんだけど、舞台上で思いっきりこけて泣いちゃってね。思わず、かぐや姫役の私が駆け寄って助けたんだよね。後、確か、遠足の時もこけて泣いたから駆け寄って拾った四つ葉のクローバーあげたんだよ。そしたら竹中くん、私に『今日子ちゃん、大好き』って……」
「あのさ、」
今日子が言い終わらないうちに美冬は言って続けた。
「教えてくれるのはうれしいけど、自慢されてるみたいで、正直うざい」
美冬がそういったタイミングでエレベーターは6階に到着した。
「ごめん……」
今日子はうつむいて言った。
「いや、まあ、わざとじゃないだろうけど……」
そうして、二人は別れた。うつむいたままの今日子を乗せたエレベーターは、その後、8階に到着した。
図星だった。今日子は先ほどの美冬のやりとりを振り返って思った。
美冬よりも自分のほうが利秋のことを昔から知っている。そういう優越感を感じたくて、美冬の気もちを考えずに喋ってしまった。
「最低だ私……」
翌日の職場体験最終日は、それぞれ、園児たちに特技を披露することになっていた。利秋は頭や足を使うリフティングを披露して、園児たちを驚かせた。今日子は、児童の前で披露できる特技がなかったので、5日間で描いた絵を披露した。
絵は画用紙25枚分で、一枚一枚分けて描いた絵を順番に並べていって披露した。できるだけ何の絵か分からない箇所から並べていき、全て並び終わる直前で園児から歓声がわきおこった。
その絵は、あおぞら幼稚園の全体像だった。ただし、絵の上部はほとんど青空で、絵の下部はほとんどグラウンドだ。
ほとんど完成しているように見える絵だが、今日子はあえて「未完成」だと伝えた。後は、園児たちが付け加えて完成してほしいと付け加えて。その後、園児たちは思い思いに描きはじめた。
そうして、園児たちと別れる時間となった。
「恋頃、大きくなったら利秋お兄ちゃんと結婚するから待っててね!」
帰る前に恋頃が利秋にそう言った。利秋もまんざらでもない様子で、「ありがとう」と笑顔で返した。少しだけ、今日子は恋頃をうらやましく思った。
「5日間、楽しかったね」
帰りのバスの中で今日子は言った。
「うん。幼稚園の時のことも思い出したよ。桜井さんと幼稚園の時にこんなことしたなーって」
利秋の言葉で今日子は顔を赤らめた。利秋もこの5日間に、幼稚園のころの自分とのやりとりを思い返したいたという。今日子にとってはそれがうれしかった。
「私も……」
今日子は小さくつぶやいた。
「また、幼稚園、行けたらいいね」
いったい、次に幼稚園に行くことになることはどんな時なのかと想像もつかなかったが、今日子は言った。もし、次来るとしたら……。
「大人になって子どもができたら、行くことになるかもね」
利秋の言葉を聞いて、今日子は利秋と共に子どもの入園式に行く姿を想像した。そうなればいいと思った。
今日子は胸の高鳴りを覚えた。そして思った。これは恋なのだと。




