第13話~今日子13歳~後編
季節はすぎて2月になったある日の月曜日。
今日子は部活が終わって家に帰ろうと、下駄箱で靴を履き替えた。
いつもなら、サッカー部の練習場所に移動してもう少しで終わるようなら美冬と一緒に帰るのだが、その日は美冬が風邪で休みだったため、今日子はそのまま一人で帰ることにした。
「あっ! 桜井さん、部活終わったの?」
誰かの声がして振り向くと、そこには部活を終えたばかりと思われる、利秋の姿があった。
幼稚園のころは、「今日子ちゃん」「あきくん」と呼び合っていた二人だが、中学になってその呼び方は気恥ずかしいということで、お互い「桜井さん」「竹中くん」と呼び合うようになった。今日子としては、確かに幼稚園の時の呼び名だと気恥ずかしいという気もちはわかるが、少し距離感があるようで残念な気もした。
「今日、栗原さん来てなかったけど、何か知ってる?」
「うん。風邪だって。風邪で弱ってる美冬なんて想像できないけど」
「風邪かぁ。土曜日の練習試合の時は大丈夫そうだったんだけどなぁ」
そう言えば、土曜日は近くの山倉中学校との練習試合だということを美冬が言っていたのを今日子は思い出した。今日子の通っていた小学校の高塚小学校からは3分の1ぐらいがその中学に行ったはずだ。
「栗原さんの家って、桜井さんと同じマンションだっけ?」
「そうそう。私が8階で美冬が6階。プリント持っていくよう頼まれてるし、帰りにお見舞にいこうかなって思ってる」
「そうか……」
利秋はそう言うと、目をキョロキョロさせた。
「じゃ、じゃあさ、一緒に行っていいかな?」
「えっ!? い、一緒に……」
利秋の言葉で今日子は顔を赤らめた。一人で帰ろうと思ったら、まさか利秋から一緒に帰ろうとしてくれるとは思っていなかった。
「いやいや、勘違いしないでよ。サッカー部員として、病気のマネージャーが心配なだけだから……」
今日子の反応を見て、利秋も顔を赤らめた。
「そ、そうだよね……。分かってる分かってる」
そのまま、今日子と利秋は並んで帰ることになった。周りから見たら、今の二人はどう見えているのだろうかと今日子は考えた。
「そういえば、こないだの練習試合、一年生だけのチームで対戦させてもらったんだよ。うまいフォワードが一人いてさ。何回も抜かれちゃったよ」
「抜かれる? ああ、そうか。竹中くん、ディフェンダーだしね」
「そうそう、名前忘れたけど、やけに僕のほうに向かって来たような気がするんだよね。気のせいかもしれないけど」
「うまい人はうまい人に対抗意識燃やすんでしょ。竹中くん、意外とうまいし」
「意外は余計だって」
利秋がそう言うと、今日子と利秋は二人して笑った。
「そういえば、試合前に名前聞かれたなぁ。ユニフォームに苗字は書いてあったからか下の名前だけ聞かれて、答えたら『あきか』って。いやいや、利秋だよ! って思わず返したけど、何も言わずにチームのところ戻っていったんだよ。なんだったんだろあれは」
「へー」
変わった子がいるものだなと今日子は思った。なぜ、下の名前をわざわざ聞いたのか、今日子には分からなかった。少なくとも、仲良くなろうとしたわけではなさそうだ。
「そうそう、それと睦月も中学に入ってサッカー部に入ったようで、キーパーだったよ。小学生の時は家でゲームしたり作ったりするようなヤツだったから意外だった」
利秋は言ったが、今日子は睦月というのが誰か分からなかった。
「睦月って誰だっけ?」
「覚えてない? 幼稚園のころは、むっくんって呼んでたけど。そうそう、確か、年長の時のお遊戯会ではおじいさん役やってた」
今日子は幼稚園の時のお遊戯会でやったかぐや姫の劇を思い出した。
「あぁ、なんとなく覚えてる。おばあさん役が柚季ちゃんだったんだよね」
「いや、柚季って子は覚えてないなぁ。ナレーション役が桃園さんだったことは覚えてるけど」
利秋の言葉で今日子は桃園夏海のことを思い出した。幼稚園の時の一番の友だちだ。
「そういえば、そうだったね。セリフ多いから難しかったって言ってたような気がする。といっても、結構、自分で考えたセリフ多かったはずだけど」
「あれ? そういえば、桃園さんって桜井さんと同じマンションじゃなかったっけ? 中学、別なの? 私立に行ったとか」
そこで、今日子は利秋が、夏海が東京に引っ越したことを知らないことが分かった。
「なっちゃんは小3の時に東京に引っ越したんだよ。それで、今、夏海が住んでた家に住んでるのが実は美冬なんだよね」
「何それ、すごい偶然だなぁ。そういえば、栗原さん、小4の時にこっちに引っ越してきたって話してたっけ」
利秋の言葉で今日子は少し驚いた。そんなことをわざわざ美冬が言う姿がイメージできなかった。
美冬の家に行く前に、今日子と利秋はコンビニに寄り、お見舞い用にゼリーを買うことにした。
「桜井さんの家ってこの近くだったんだね」
「そうそう。あのマンション」
今日子はコンビニの向こう側に建っているマンションを指さして言った。
「小6の時、小学校行くときにここ通って行ってたんだよ。桜井さんの高塚小学校とは方向が違うからすれ違うことはなかっただろうけど」
利秋はそう言ったが、今日子はその言葉に違和感を覚えた。
「よくよく考えたら、竹中くんの家ってこっちのほうじゃないよね? 小学校も高塚小じゃなかったし」
「あれ? 言ってなかったっけ? 小6の夏休みにこっちに引っ越してきたんだよ。ただ、残り少ないのに学校を転校するのは嫌だったんで、特別に転校しなくていいことになったんだ。その分、電車通学しなきゃいけなかったけど」
「そうだったんだ。転校しちゃったら卒業アルバムももらえないしね」
「そうそう」
その後、二人はコンビニでゼリーを購入し、美冬の家にあがった。
「今日子お姉ちゃんだー!」
家にあがると、すぐに美冬の妹の栗原芽衣が駆け寄ってきた。相変わらずかわいい子だなと思いながら、今日子は芽衣の頭をなでた。
「こんにちは芽衣ちゃん。お姉ちゃんのお見舞いに来たんだけど、今、大丈夫?」
「うん。部屋にいるよ。芽衣は入っちゃダメって言われてるけど、今日子お姉ちゃんならいいよ。ママも入ってるし」
「そっか、風邪うつっちゃいけないしね」
「うん。もうすぐでお遊戯会なんだよ。芽衣はかぐや姫やるの」
「そうなんだ。私もお遊戯会でかぐや姫やったんだよ」
「今日子お姉ちゃんも! 女の子の友だちみんなかぐや姫役なんだよ!」
「そ……そうなんだ……」
芽衣の言葉に今日子は少しショックを受けた。何でかぐや姫が何人もいるのかと。そういう時代なのかもしれないと自分で納得させることにした。
「お遊戯会がかぐや姫って、もしかして、あおぞら幼稚園のさくら組?」
今日子の後ろで利秋が尋ねた。
「そうだよ。お兄さん誰?」
「僕は竹中利秋」
「竹中? もしかして、准くんのお兄さん?」
「そうそう」
それから、利秋と芽衣は二人で話しだした。どうしようか迷った今日子だったが、先に美冬の部屋にあがることにした。
部屋に入ると美冬はマスクをして布団の上に座っており、髪はボサボサだった。今日子が来るのが分かって起きたのかと思ったが、布団の横には読みかけと思われるライトノベルが置かれており、ずっと起きていたのだろうと思われた。
「寝てなくて大丈夫なの?」
「いや、むしろ寝すぎてだるい」
美冬はそう言うと、今日子が持っているレジ袋を指さした。
「ああ、これお見舞い。ゼリーだけど」
「食べる」
美冬はそう言うと、今日子からゼリーを受け取り、すぐに食べ始めた。
「いつもいつも悪いねぇ。って、こっちに引っ越してきて風邪ひいたの始めてだけど」
「まあ、病気の時はお互い様だからね。早く治して学校に来てよ」
「うんうん。それにしても久々の風邪は辛かったよ。しかも今あたし、かぐや姫だし」
「何それ? かぐや姫? 芽衣ちゃんがかぐや姫やるっていうのは聞いたけど……」
「えー! 分かんないかなこのたとえ。かぐや姫は月に帰るでしょ? だから、かぐや姫というのはげっ……」
と、美冬がそう言っているタイミングで、利秋が顔を出した。
「……けい……」
途端に美冬の顔が赤くなり、布団で体をくるんだ。
「な、ななな何で、竹中くんまでいるの!?」
「一緒にお見舞いに行くって言うから」
美冬があまりにも動揺しているので、今日子は驚いた。確かに、起きてすぐで髪がボサボサで、パジャマを着ている自分を男の子に見られたら恥ずかしいかもしれないと今日子は思ったが、美冬までこんな反応を見せるのは意外だった。教室に男子が残っていても堂々と着替えようとするというのに。
「ご、ごめん……、不用心だったよ。男が女の子の家にお見舞いに行くって失礼だよな……」
利秋は美冬から目を逸らして言った。
「い、いや、そんなことないよ。今日子しか来てないと思ったからビックリしただけで……。ありがとう」
美冬は布団にくるまりながら、利秋の顔を見つめて言った。
そのやりとりを見ていた今日子は、なぜか少し不安を感じた。
その後、少しだけ喋った後、病人と長く話しているのはお互い悪いと思い、美冬の家をでて、今日子と利秋は帰ることにした。利秋はできるだけ階段を使うようにしているとのことで、階段で降りていった。
「思ったより元気そうでよかったー。あれなら明日からでも来れるかもね」
「そうだね」
今日子の家は8階だったが、利秋を送るために一緒に階段を降りた。
「そういえば、竹中くんって弟がいるんだね。そういえば、幼稚園の時にもうすぐお兄ちゃんになるって聞いたような」
「ああ。小学校にあがった年の6月にね。ワガママで大変だよ。かわいいところも多いんだけど。桜井さんも確か、弟いたよね? すごい怖かった記憶があるんだけど……」
「弟?」
今日子は誰と勘違いしているのだろうと不安になったが、すぐにある人物が思い当たった。
「多分、弟じゃなくて、従兄弟だよ。2歳下の花木聖也っていう」
「あぁ、そっか。弟と勘違いしてた。よく面倒見てた気がするから」
「そんな面倒見てたかなー?」
今日子は、聖夜が登園拒否したことがあったのを何となくだが思い出した。
「それより、竹中くんは弟できたから変わったんじゃない? 昔と今じゃ全然違うし」
「ああ……。それはよく言われるかも。お兄ちゃんになって強くなったとか」
「そうそう、今の竹中くんと泣き虫だったあきくんが同じだなんて思えない」
「でも、強くなりたいって思ったのは確か幼稚園の時からだから、たまたまだったかもしれないんだけどね」
利秋の言葉で今日子は卒園式で、利秋が言った言葉を思い出した。
――強くなって、みんなを守れる男になる
「ディフェンダーだしね」
今日子は何気なくつぶやいた。
「いや、それはあまり関係ないような……」
2日後、風邪が治った美冬は一度、病院に行ってから学校に登校してきた。その日の休み時間、美冬と今日子は廊下にでて、二人でお喋りしだした。
「一昨日はありがとね。おかげで元気がでたよ」
「思ったよりたいしたことなくてよかった。竹中くんにもお礼言っといてよね。恥ずかしかったかもしれないけど」
「分かってるって。部活の時間に言うことにする」
当たり前なことだけど、美冬は学校に来れば、わざわざ会いに行かなくても利秋に会うことになる。対して今日子はクラスも違うし部活も違うということもあり、それだけで少し距離があるように思った。
「そういえば、部活っていえばこないだ山倉中学校との練習試合だったんだけどさ、あの、何だっけ、えっと……、梅なんとかくん」
美冬が何を言おうとしているかよく分からず、今日子は考えた。考えて一人の人物が思い浮かんだ。
「もしかして、春樹のこと? 梅崎春樹」
小学校に卒業して以来、今日子は春樹に会っていなかったが、確か春樹も中学校は山倉中学校だったはずだ。部活を選ぶならサッカー部だろうと予想はついた。
「そうそう、その梅崎くんなんだけどさ、あの子サッカーうまいんだね。敵ながら、すごっ! て思ったよ。竹中くんもうまいなって思うけど、ぱっと見、梅崎くんのほうがうまいんじゃないかって思うぐらい」
「えっ?」
今日子には美冬が何を言っているのか一瞬分からなかった。
――春樹がサッカーうまい? 誰かと間違っているんじゃ……
そう思った今日子だったが、よくよく考えると春樹がサッカーをやっているところを最後に見たのは小学4年生の時、3年も前だ。小学5年生になってクラスも別になったこともあって、体育でサッカーをすることになっても春樹はいなかったので、春樹がサッカーをしているのをしばらく見ていないことに気づいた。
「サッカーうまくなってるんだね。昔はすごく下手だったんだよ」
「そうなんだ。素質だと思ったんだけど、努力の結果なのかな?」
「がんばったのかもね。正直、言われてもサッカーのうまい春樹なんて想像つかないけど」
今日子はサッカーボールを蹴ろうとして空振りした春樹を思い出し、思い出し笑いしそうになった。
「後、背も高くなってたよ。高くなったっていっても、多分、あたしぐらいだけど」
「はぁ?」
美冬の言葉に今日子は声を裏返らせて驚いた。サッカーがうまいと言われて驚いたが、それよりもさらに驚きだ。
美冬の背は今日子より5cmほど高い。対して、小学校の卒業式の時の春樹は、今日子より5cmほど低かった。少なくとも10cmは伸びていることになる。もちろん、美冬や今日子もあの時より少し背は伸びているので実際にはもう少し伸びていることになる。
「成長期ってすさまじいね。さすがにそれは想像できないよ」
「卒業したからって遠慮せずに、会いにいけばいいのに。好きなんじゃないの?」
美冬の言葉に今日子は首を傾げた。
「…………だ、誰が?」
「そりゃあ、今日子を梅崎くんのことを」
今日子の頭は混乱した。どうしてそういう話になるのか全く分からなかった。
「ちょっと待って、話が飛躍しすぎて分からない。何でそういう話になるの?」
「だって、卒業式の時に振り返ってみたら梅崎くんが今日子にプレゼント渡してたでしょ。あれって、バレンタインのお返しじゃないの? あたしもお父さんからホワイトデーの時、同じ袋のもらったし」
「……いや、確かにそうだったけど……だから?」
「だから、バレンタインの時に今日子、梅崎くんにチョコあげたってことでしょ? あたし、全然知らなかったよ」
美冬の発言に今日子は慌てふためいた。
「いや、いやいやいや、勘違い、勘違いだって。バレンタインにチョコを渡したのは小6の時じゃなくてもっと前、美冬が転校してくる前だよ。それをなぜか小6になってお返ししてきたの。私は春樹のことなんとも思ってないから!」
「そうなの? 運動会の練習の時も梅崎くんのことジッと見てたから好きなのかと」
「そりゃあ、タワーのてっぺんに立ってて目立っていたからだよ!」
――そりゃあ、あの時はかっこいいとは少し思ったけど……
と思ったが、それは言わないことにした。余計な誤解がうまれなかねないからだ。
とりあえず、この話は終わらせようと、話題を変えることにした。
「そういう美冬はどうなの? 好きな男の子とかいないの?」
多分、いないだろうなと思って今日子は尋ねた。男まさりなところもある美冬が恋なんてしているように思えない。
しかし、今日子がそう尋ねると美冬は頬を紅潮させ、目線をすこし逸らした。美冬の視線の方向を追うと、別のクラスの教室があった。
そんな美冬の姿を見るのは、今日子は始めてだった。その姿は、まるで恋する乙女のようだった。
「あたしは、竹中くん」
今日子が質問してしばらくしてから、美冬は答えた。
「へ、へー……」
今日子は美冬の言葉で胸の鼓動が早くなるのを感じた。そして、2月の寒い日だというのに、汗もでてきて、少し苦しくなったような気もした。
「小6の運動会の練習の日だったと思うけど、朝、コンビニに寄って小学生の男の子が駅の方に歩いて行ったって言ったの覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「あれが、竹中くんだったんだよね。見た瞬間、胸がドキドキして、思わず見とれちゃったんだ。一目惚れってやつ? あんな気もち始めてだったんだよ。中学になって同じ中学に通うことになって、サッカー部に入部しているのが分かったからマネージャーになったんだよね。ちょっと、動機が不純かもしれないけど……」
「い……いや、いいんじゃないかな? 好きな人に近づくためなんだし」
今日子は自分で分かるほど、声が震えているのに気づいた。美冬は気づいていないようだった。
「そのさ、今日子は? 竹中くんのことどう思ってる?」
美冬に尋ねられて一瞬、今日子の呼吸が止まった。何て言っていいのかすぐには思いつかなかった。少なくとも、嫌いではないのは確かだったが、好きというのははばかれた。
「えっと……ただの、幼稚園の時の友だち、幼なじみみたいなもんかな? 特に何も思ってないよ……」
今日子はできるだけ動揺していることに気付かれないように言った。
「そっか……」
美冬がそう言うと、予鈴がなったので、今日子と美冬は教室に戻った。
今日子は席に着いたものの、どうにも落ち着かなかった。鼓動も早く、少し気分も悪かった。美冬のせいで風邪になったのではないかと思ったが、少し深呼吸をして少しマシになった。
――やっぱり、この気もちは、私も竹中くんのことを好きってことなのかもしれない。
今日子は思った。
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