第13話~今日子13歳~前編
「遅刻、遅刻ー」
中学校の入学式当日、新しく通うことになった高塚中学校の新しい制服に身を包んだ桜井今日子はトーストを口に加えながら中学校に向かって走っていた。
日が差し掛かる中、目を覚めた今日子は目覚まし時計を手に取ると3時20分となっており、まだ寝られると思ってそのまま寝てしまったのであった。その後、栗原美冬のインターホンで目が覚め、目覚まし時計の電池が無くなっていることに気づいた。
美冬には先に行ってもらい、母の桜井佳子に「何で起こしてくれなかったの!」と文句を言って、「入学式までまだ時間あるから、まだ大丈夫なのかと思って」と返され、急いで着慣れない制服を着てパンを片手に家を飛び出し、現在に至る。
幸い、中学校はそう遠くはなく、10分ほど走れば付く場所にあった。
――大丈夫、間に合う
そう思いながら走っていた今日子は道路の角にさしかかった。
そのまままっすぐいけば中学校がある。
しかし、左右を確認していなかった今日子は、そこで人とぶつかり、その拍子で後ろに倒れた。
「いたー」
転んで手を地面についた今日子は思わずそう叫んだ。
「ごめん、大丈夫?」
ぶつかった相手が今日子に手を差し伸べ、今日子はその手を掴んで相手の顔を見た。
今日子にぶつかった人は、今日子と同じく中学校の制服を着ており、中性的な顔立ちで背が高い男子生徒だった。
まさに美少年という言葉がふさわしい顔立ちで、今日子は胸が高鳴るのを感じた。それは今まで感じたことのない感覚だった。
「あ……ありがとう……」
今日子は言った。
男子生徒は今日子と同じく、遅刻ギリギリで走っていたと思われるが、なぜか立ち止まったまま、今日子の顔をマジマジと見つめた。
「あれ? キミ、どこかで会ったことある?」
その言葉に、今日子は顔を赤くした。
――何これ? こんなタイミングでナンパ?
そう思って何か言おうと思った今日子だったが、近くで予鈴の音が聞こえ、今日子は慌てて中学校へ向かった。
中学に入学して2週間がすぎたある日。
今日子は美冬と同じクラスになり、中学になっても一緒に行動するようになっていた。
「部活どこ入るか決まった?」
美冬が今日子にたずねた。
休み時間にたまたま一緒にトイレに行き、そのままトイレを出て教室に向かっているところだった。
「うーん。やっぱ、美術部かな。絵描くの昔から好きだし」
「そうなの? 確かに、図工の授業の時とか絵うまかったしね」
先日、部活紹介があり、今日子はどこに入ろうか悩んだ。運動部に入るつもりはなかったので必然的に文化部から選ぶということになった。候補としては吹奏楽部もあったのだが、部活の練習がすごいハードだと聞き、結局、絵を描くのが好きということもあって美術部に入部することにした。
ただ、今日子としては昔ほど絵の情熱があるわけでもなかった。ここ数年は絵画コンクールに応募してもよくて佳作止まり。自分の絵の情熱のピークは小学2年生の頃だったのだろうと今日子は思っていた。
「そういう美冬は、どこ入るか決まったの?」
「うん、決まったよ。サッカー部」
今日子は美冬の言葉に首を傾げた。
「この中学って、女子サッカー部なんてあったっけ?」
「違うって、マネージャーだよマネージャー」
「はぁ?」
美冬とであって3年たつ今日子だったが、誰かのために雑用をする美冬というのは想像できず、思わず間抜けな返事をしてしまった。
「ちょっと何その反応。まあ、あたしもキャラじゃないとは思うけどね」
「い、いや、そんなこと……あるかもしれないけど、美冬が決めたことだしね」
「うん」
そう言って頷いた美冬は少し照れているようだった。
ふと、今日子は先日、美冬と一緒に部活見学でいろいろな部活を見て回った時のことを思い出した。
もともと入るつもりはなかったが、今日子は美冬に誘われて、運動部も見て回った。
何人かの一年生はすでに仮入部をしており、部活に参加している生徒もいた。
そしてサッカー部の活動を何気なく見ていると、その中に、入学式の登校時にぶつかった男子生徒がいることに気づいた。
その男性生徒はちょうどドリブルの練習をしており、スイスイとコーンのあるジグザグのコースを走っていた。一緒になってドリブルの練習をしている生徒もいたが、その生徒よりも圧倒的に上手だと今日子は思った。
その時、一瞬、今日子はサッカー部のマネージャーもいいかもしれないと心が揺らいだが、美少年がいるからといってその部活に入るのはあまりにも不順な動機だと思い、やめた。
そんなことを考えながら歩いていたせいか、前からその男子生徒が歩いてくるのが見えて、今日子は思わず顔をそむけそうになった。ただ、顔をそむけるのは不自然に映ってしまいそうでできるかぎり普通に美冬と会話しながら歩いて行った。
その男子生徒は、今日子の目の前で止まった。二人で並んで歩いているから避けたほうがいいのだろうと思って今日子は避けようとしたが、男子生徒はそのまま話しだした。
「桜井今日子」
男子生徒は言った。
「だよね?」
男子生徒の言葉に今日子は絶句した。そして今日子は男子生徒の顔を見つめた。どこかで会っただろうか? 少なくとも同じ小学校ではない。そんな風に、今までの記憶をさかのぼって誰か思い出そうとした。だが、いくら考えても思い当たる人物が出てこなかった。
「僕のこと覚えてない?」
男子生徒は少し悲しそうな表情で尋ねた。
「ご……ごめん。入学式の時にぶつかったのは覚えてるんだけど……」
「そうか。覚えてないか……」
そう言って男子生徒は上を見上げて何かを考え、続けて言った。
「『かぐや姫は必ず私が守ってみせる!』って言っても思い出せない?」
今日子は衝撃を受けた。その言葉で今日子はある人物が思い浮かんだ。ただ、その人物と目の前の男子生徒が今日子の頭の中で一致せず困惑した。しかし、もう一度、よくよく顔を見てみると、少しは面影が残っているような気がした。
「……もしかして、あきくん?」
今日子は動揺した面持ちで、尋ねた。
その言葉を聞いた男子生徒、竹中利秋は笑顔を返した。
「知り合いなの?」
教室に戻った美冬は今日子に尋ねた。
「……えっ?」
一瞬反応が遅れて今日子は聞き返した。
「竹中くんと」
「あ……うん、幼稚園で一緒のクラスだったから」
今日子は幼稚園時代のことを思い出した。物心がつくかつかないぐらいの時なので、記憶が曖昧な部分があるが、まさか利秋があんなにかっこよくなるとは思わなかった。
今の利秋を見ても、泣き虫だったとは考えられない。6年もたつと人ってあんなに変わるものなのかと改めて驚いた。そして、果たして自分は幼稚園の時から、いったいどれぐらい変われたのだろかと考えた。考えたが、利秋が気づいたぐらいなのであまり変わってないのかもしれないと思った。
「あれ? そういえば、苗字知ってるんだね。私もさっきまで幼稚園の時の友だちだって気付かなかったぐらいなのに」
「えっ? あ、ああ、サッカー部の見学に行った時にね、体操服に書いてあったから」
「ああ、それで……」
よくそんなところまで見ているなと今日子は感心した。人の名前をすぐに忘れるような子だと思っていたが、そういうわけではないのかもしれないと今日子は思った。
それからというもの、今日子は気づくと利秋のことを見ていた。クラスは違うので滅多に一緒にいることはないが、離れた場所で男友達と話しているのをボーっと見る時もあった。部活終わりに美冬に帰ろうとサッカー部の練習場所まで行くと、真っ先に利秋に目が行った。マネージャーの美冬と話しているのを見て、なぜか少し胸が痛むこともあった。
夏休みに入ると利秋の顔を見ることはほとんどなくなった。サッカー部は夏休み中も部活で忙しいが、美術部は夏休み中、ほとんど休みであったためだ。
それでも、ふと利秋の顔を思い出す時があった今日子だったが、その度に思い出さないようにしようとした。
その夏休みの最中、今日子達、桜井家は父の桜井咲也の実家のある長野県に行くことになった。
ずっと猛暑で、宿題なんて全くする気の起きなかった今日子だったが、長野にきて、まさにこういう場所のことを避暑地というのだろうと思った。
咲也の実家につき、今日子が玄関を開けるとちょうど目の前に、今日子の2歳上の従兄弟の桜井詠朔がいて、今日子と目があった。
「おじゃまします」
今日子は詠朔に目を合わせたままそう言ったが、詠朔は軽く会釈すると何も言わずに今日子から荷物を受け取り、部屋に入っていった。
――何か喋ろうよ!
今日子はそう思ったが、いつものことなので言葉には発さずに部屋にむかった。
夜になって晩御飯の時間になった。中学はどうかということを祖母の桜井千歳に聞かれたこともあって今日子は中学生活について話した。英語は思ったより簡単だとか、体育は嫌いだけどダンスは楽しいだとか、美術部に入ったものの自分より絵のうまい人が多く、自分もがんばらなきゃと思ったなど。利秋のことについては触れなかった。
「そうか。やっぱり今日子ちゃんは美術部なんだなぁ。わしも若いころは美術の勉強をしたもんだ。どうしてもというのなら、ヌードデッサンしてあげてもかまわんぞ」
「いえ、結構です」
相変わらず下ネタばかり言う、祖父の桜井年夫の発言を今日子は軽く受け流した。
そして、ひと通り自分のことについて話し終えた今日子は先ほどから気になっていたことを聞いた。
「そういえば、一世くんと詠朔くんは?」
食事の席には従兄弟の桜井一世と詠朔の兄弟の姿がなかった。よくよく考えれば一世はここに来た時から全く見ておらず、詠朔は来た時には見たがいつの間にかいなくなっていた。
「詠朔は塾に行ってるのよ」
今日子の伯母で、詠朔の母の桜井美宵子が言った。
「あぁ、来年、受験だもんね。私も2年たったら受験勉強しなくちゃいけないんだよねー。まあ、まだ1年だしそんなこと考えても仕方ないかもしれないけど」
今日子としては、高校受験は遠い未来の話に思っており、今考えても仕方がないと思っていた。ただ、塾には行きたいとは思わなかったので、ほどほどにがんばろうとも思っていた。
「それで、一世くんは?」
今日子が尋ねると、伯父の桜井一暁が強めに箸を置いた。どことなく、不穏な空気をただよわせていた。
「一世は大学に進学して、今は離れて暮らしてるのよ」
美宵子は言った。
今日子は少し驚いたものの、そういえば前に大学に行くと一世が言っていたなと思いだし、そういえば父の咲也も大学に進学した時に一人暮らしするようになったと言っていたのを思い出して、そんなに驚くようなことでもないかもしれないと思った。
「ったく、大学行くとは言ったものの、まさか家を離れるとは思わなかったよ」
不機嫌な口調で一暁は言った。
「桜井家の長男だぞ。分かってんのかあいつ。むこうに行ってから一回も連絡よこさないで」
不機嫌な口調のまま一暁はいうと、皿を台所に持っていった。
ご飯を食べ終え、シャワーを浴び終えた今日子は寝室として割り当てられた部屋へ入った。
普段、ここに来ると家族三人が客間で寝ていたが、今回は今日子が思春期ということも考えてのうえか、今日子だけ別の部屋を割り当てられた。
最初に聞いた時は、この家はどれだけ部屋があるのだと今日子は驚いたが、なんのことはない、もともと一世の部屋だった場所だった。
いっそのこと、机をあさってみて一世の隠れた趣味を探してみようかと今日子は一瞬考えたがやめておいた。自分がされてイヤなことはしないようにと道徳の授業で伝えられたばかりだったからだ。
寝るのには少し早いこともあり、中学にあがって買ってもらった携帯電話で美冬のメールのやりとりをして寝ることにした。
そして22時過ぎになって、枕元までいき、今日子は気づいた。枕元に封筒があることに。
「何これ?」
今日子は封の中の手紙を取り出して読みはじめた。
『桜井詠朔です。僕は少し喋るのが苦手なので、手紙でお伝えさせてください。以前、僕がこっそり書いていた詩をあなたが見た時のことです。僕はてっきり、笑われるのかと思いました。ですが、あなたは「素敵だね」と言ってくれたのを覚えていますでしょうか? 僕はそれがうれしく思い、その日以来、僕はあなたのことを恋慕うております。僕にとってあなたは砂漠で見つけたオアシスです。どうか、お付き合いいただけないでしょうか。よろしくお願いします』
手紙を読んで今日子は顔を赤く染めた。その手紙は、どこからどう見てもラブレターだった。1年に1度、会うか会わないかの自分のことを、詠朔は好きなのだろうか? そう封を覗いてみると、もう一つメモがあることに気がついた。
『この度、愛する女性にたいしてラブレターなるものを書いてみました。身近な女性に相談するのがいいと思ったのですが、母や祖母に相談するのは気恥ずかしいため、今日子さんにご意見いただけたらと思いました。ラブレターの文面における感想や意見等ありましたら、下記のメールアドレスまでご意見いただけないでしょうか。よろしくお願いします。』
手紙の下には詠朔のものと思われる携帯メールアドレスが書かれてあった。
どおりで見に覚えの無いことが書かれていると思った今日子だったが、一瞬でも自分のことだと勘違いした自分に恥ずかしくなって今日子は一度深呼吸した。
そうして、一度閉じた携帯電話を開いてアドレスを入力し、メールを書いた。
『ラブレター読んだよー。最初、私のことかと思ってビックリした(笑)。だから、相手の名前は書いたほうがいいんじゃないかな。後は、全体的に固い印象を受けるけど、詠朔くんらしくていいかも? まあ、私もラブレター書いたことももらったこともないからあまり参考になんないかもだけど、がんばってね!』
1ヶ月がすぎて、詠朔から告白の結果についてメールが届いた。
『先日はアドバイスをありがとう。ただ、残念ながら、振られてしまいました。もっとユニークな人が好きらしい。雨降って地固まるとは言うけど、僕は振られて固まってしまったよ。ただ、結果はどうあれ、告白してよかったと思っています。心のモヤが消えて、今まで以上に受験勉強に励むことができそうです。高校に行けば、あなたのような素敵な女性に巡りあうことができるかもしれませんしね。もし、僕がお役にたてそうなことがあれば相談してください。この度はありがとうございました。(返信不要)』
――これ以上、ユニークな人って滅多にいないんじゃ……
相変わらずメールの文面のどこにも相手の名前が書かれてなかったが、返信不要と書かれてあるのでそのまま携帯電話を閉じた。




