第12話~今日子12歳~後編
暑い夏がすぎて、秋になり、小学校最後の運動会の予行演習日がやってきた。
その日は体操服登校なため、体操服を着て家を出た今日子は、いつもと同じようにマンション下のエレベーターホールで美冬がやって来るのを待っていた。
そろそろ来ることかなと思い、エレベーターのほうに体を向けていると出入口の扉が開き、外から体操服姿の美冬が入ってきた。
「あぁ、ごめんごめん。もう来てたんだ。いったん家に戻るから、ちょっと待ってて」
手にコンビニのレジ袋を持っている美冬はそう言うと、エレベーターで上にあがっていった。
――遅刻ギリギリになる気が……
数分もすると美冬がエレベーターホールに戻ってきて二人で学校に向かった。思ったより早く戻ってきたこともあって、そんなに急ぐ必要はなさそうだと今日子は思って、普段通りのスピードで歩くことにした。
「朝起きたら芽衣が、辛そうでさ。試しに熱計ったら38度もあって、冷却シート貼ろうとしたんだけど、家になかったからコンビニまで買いに行ってたんだよ。ごめんね、ちょっと遅れちゃって」
歩き出してすぐに美冬はそう言った。今日子は美冬の妹の栗原芽衣が高熱と聞いて心配した。
「そうだったんだ。それなら仕方ないよ。芽衣ちゃん大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。母親もいるし。本人は幼稚園行きたがってたけどね」
「早く元気になって行けたらいいね」
ちょうど、マンションの出口に差し掛かり、左右から車が来ていないことを確認して道を渡った。
「そういやさっき、そこのコンビニで冷却シート買ったんだよね」
美冬が学校とは反対方向にあるコンビニのほうに指を差して行った。今日子が今いるところからはコンビニは見えないが、今日子もよく利用するので、そこで買ったのだろうなと予想はしていた。
「まあ、そりゃそこだろうね。他の場所だったらビックリしたけど」
「いや別に、ギャグで言ったんじゃないんだよ。それよりさっきコンビニに寄ったら私服姿でランドセル背負った男の子が駅のほうに向かっていってたんだよね。なんだったんだろう?」
今日子は考えた。今日は体操服登校なので私服はおかしい。間違って私服で登校しちゃったと考えても、駅のほうは学校とは方向が少し違う。駅で通うというと私立の小学校ならそうかもしれないと思ったが、私立なら制服のはずだ。
「多分、昨日はおじいちゃんかおばあちゃんの家に泊まったんじゃない? で、家は駅の近くで、体操服は家にあるからいったん帰ったとか」
「そうなのかなー。後、見覚えない顔だったんだよねー」
「むしろ、美冬が顔知ってる人のほうが少ないと思うけど」
今日子は意地悪っぽくそう言ってみたが、美冬はずっと考え事をしているようだった。
「というより、それがどうしたの?」
今日子が尋ねると、美冬は慌てたように今日子のほうに向きなおった。
「えっ? いや、別になんとなく気になっただけ」
「はぁ……」
今日子は美冬の様子を疑問に思いながらも、これ以上その話をすることはなかった。
運動会の予行演習が始まって、組体操の練習時間となった。
今日子は三段ピラミッドの二段目にいて、時間がすぎるのを待った。
隣では、先程から四段ピラミッドの練習をしている。今日子達、三段ピラミッドの6人は、四段ピラミッドに割り当てられなかった余り組だと今日子は思った。だいたいのお客さんは高い方に目がいくだろう。
しばらくして四段ピラミッドが完成し、女子は休憩になった。
「いや本当、いいかげん組体操はやめるべきだと思うね。実際、組体操で倒れて障害追った子もおおいらしいよ」
四段ピラミッドの下から二段目の真ん中のポジションの美冬が言った。
「美冬のポジションじゃ大丈夫でしょ」
「それがさ、一番下の子がデブな上に下手くそなわけ。横と全然高さが違うし、時々背中を動かすんだよね。不安定ったらありゃしないよ。今まさに一番上の子が立ってると思ったら、あたしもバランス崩せなくてさ」
「そりゃ大変だね」
今日子達から少し離れたところでは、男子が人間タワーの練習をしていた。タワーの一番上には春樹がいた。
春樹は6年生になっても相変わらず背が低く、小さかった。男子で一番背が低いというわけではないが、運動神経がよく、バランス感覚もいいということで春樹が選ばれたのであった。
今日子がその様子を眺めていると、タワーが完成し、春樹は左手を腰に当て、右手は天に向かって高くあげた。
「背が低い子って、こういう時、得なのかもね。一番上ですごい目立つし。私もどうせピラミッドやるなら一番上がよかったな」
今日子は言った。
「その分リスクも高いけどね。怪我して障害追う確率高そうだし」
「そっか。確かにそうだよね。そう考えると、ちょっと嫌だよね」
春樹の姿は、とても勇ましく、どこかかっこよく見えた。
3学期になり、今日子は卒業アルバム制作委員会に属することになった。
今日子は1年生の時からの写真を一枚一枚見ていき、どれをアルバムに掲載するか考えていくことにした。
少なくとも、入学式の際に撮影した集合写真は必要だろうと思い、今日子は入学式の時の写真を手にとった。
――男子もこの時はかわいかったんだなぁ
今日子は写真を見つめて思った。今でも背の低い聖夜は、さらに小さく、一人だけ幼稚園児のようだった。
そして、その中には途中で転校した桃園夏海の姿もあり、途中で転校してきた美冬の姿はなかった。
――転校しちゃったら、卒業アルバムはもらえないんだろうなぁ。転校生にも宅配で渡すようにしたらいいのに。
その後、今日子は順番に2年生、3年生の時の写真を見ていった。その内の一枚を、夏海が比較的大きく写っている写真を選ぶことにした。届けることはできないまでも、いつか見せることができると思って。
普段は意識していない今日子だったが、学年をあがるごとに確かにみんな成長していっているのがよく分かった。
ふと、今日子は幼稚園の卒園式があった日のことを思い出した。祖母の時子の家に行く前に、偶然、小学校の卒業生を見かけて、すごい大人だと思った日のことだ。
今の自分は、幼稚園児から見ると、大人に見えるだろうか。今日子はそんな風に思いながら、つい最近撮影した、自分の写っている写真を見た。
今日子としては、その写真に写る自分が全く大人とは思えなかった。幼稚園児だったら大人だと思うのだろうかと今日子は疑問に思った。
――今度、芽衣ちゃんに聞いてみようか
そうして時はすぎ、とうとう、卒業式の日がやってきた。
「楽しかった、修学旅行」
「修学旅行」
「みんなで力を合わせて成し遂げた、組体操」
「組体操」
「僕達、私達は、6年間通ってきたこの学校を、卒業します」
「卒業します」
転校生は6年も通ってないだろ、そもそもなんでもかんでも復唱すりゃいいってもんじゃないだろ、と今日子は思いながら復唱した。
続いて、卒業式用に練習した合唱を披露することになった。男子は声変わりの時期になっている子もいるらしく、何人かは辛そうに歌っていた。
なぜか卒業式とは関係のない、J-POPの歌だったが、このメンバーで取り組んだ最後の楽曲と考えると、感慨深かった。
卒業式が終わった後は、みな思い思いに小学校で写真を撮っていた。今日子も父の桜井咲也からコンパクトデジタルカメラを借りて教室や校舎、クラスメイトや先生との写真を撮っていった。
「やばい。メモリーもう少しで無くなっちゃう」
美冬が自分の携帯電話を手にして言った。クラスメイトの半分ぐらいは携帯電話を持っており、美冬もその一人だ。昨年の誕生日、12月15日に買ってもらったらしい。
今日子は何度か自分の携帯電話を欲しいと佳子にお願いしたが、なかなか買ってもらえず、美冬を羨ましく思っていた。
「いいなー、携帯電話。私もほしい」
今日子は言った。
「そんな、思ってるほどいいもんじゃないよ。写真が撮れるのはいいけどさ、そんなに親に連絡することだってないし、GPSでどこにいるかバレてるし。ちょっとした寄り道すらできない」
そういえば、携帯電話を持つ前は度々寄り道していた美冬だったが、持つようになってからはあまり寄り道しなくなったような気がすると今日子は思った。
「まあ、今日子も持つようになったら楽しいかもしれないね。今は親ぐらいしか連絡する相手もいないけど」
「そうそう。そうだよね! 中学生になったらまた頼んでみようかな」
今日子は携帯電話を持った自分を想像した。携帯電話を持つと、東京にいる夏海や、長野の従兄弟とも連絡しやすくなるんだろうなと思った。
「おい、栗原」
今日子が思い巡らせていると、クラスメイトの檜山が美冬に呼びかけた。
昔はガキ大将的存在だった檜山だったが、ここ最近は比較的おとなしくなり、時々クラスメイト、主に美冬にちょっかいをかけるぐらいになった。
「ちょっとこっち来い」
「はぁ? 何?」
檜山に呼び出された美冬は面倒くさそうに檜山の後を着いて行った。
今日子は心配になってこっそり後をつけて行こうとした。またちょっかいをかけることになったら先生をすぐに呼びにいけるように近くで聞き耳をたてておこうと思ったのだった。
だが、その時、「桜井」と、誰かに呼び止められた。
振り向くとそこには春樹がいた。
今日子もそうだったが、春樹は普段と違う、フォーマルスーツを身につけており、左胸にはリボンで作った花飾りがついていた。
「これ、桜井に」
そう言って、春樹はデパートの紙袋を手渡した。今日子が中身を取り出すと、有名お菓子メーカーの包装紙で包まれた箱が入っていた。
「何これ?」
今日子はわけが分からずに春樹に尋ねた。
「バレンタインデーのお返しってやつ。ホワイトデーはすぎたけど」
「えっ? バレンタインのお返し?」
今日子は今年のバレンタインを思い出そうとした。バレンタインに春樹にチョコレートなんて渡しただろうかと。しばらく考えて、渡してないという結論に至った。
「いやいや、今年は渡してないでしょ」
「今年はそうだけど、前にもらった時に返してなかったから」
「はぁ……」
今日子は過去を振り返った。バレンタインに春樹にチョコレートを渡したのはいつだったかと。確か、2年生と3年生の時には渡したような気がするが、確かにどちらもお返しをもらっていないことを思い出した。
「ありがとう」
なんで今になってと今日子は思ったが、とりあえず今日子はお礼を言った。
「中学離れるだろ。今後、渡せなくなるかもしれないからな」
「あ……、ああ、そういうこと。うん、そうだね。中学離れちゃってちょっと寂しくなるかもしれないけど、お互いがんばろうよ」
「あぁ……」
春樹は少し元気がなく、どこかそわそわしているように見えた。ただでさえ小さい春樹が余計に小さく見えた。
1年生の時に『そのうち桜井よりもぐーんと高くなるんだからな!』と言っていた春樹だったが、いまだに今日子より少し背が低かった。
「そ、それでさ……」
春樹はそう言いながらポケットから携帯電話を取り出した。
「アドレス帳、交換しないか?」
春樹は顔を赤らめていった。
「あっ、ごめん。私、携帯電話持ってないんだ」
今日子がそう言うと、春樹は「そ……そうか……」と言って携帯電話をポケットに入れた。
それからしばらく沈黙が続いた。今日子はなぜか気まずくなって、とりあえず何か話さなければと思い、文化祭で会った春樹の姉の古都絵について聞くことにした。
「そういえばさ、古都絵さん、あれからどうなったの? 彼氏の家に行くとか言ってたけど」
「ああ、姉貴ね。確か、その家に行ってからだったかな。なんでか知らないけど、別れたらしい」
「えっ?」
今日子は文化祭で幸せそうに話す古都絵の姿を思い出した。まさか、そんなすぐに別れるとは今日子は思わなかった。
「振られちゃったの?」
「いや、詳しく聞いてないけど、どうも姉貴が振ったらしい」
「えっ? 古都絵さんが? 何で?」
「いや、だから知らないって。でも、正直見損なったよ。自分で告白したのに、自分で振るなんてな」
「うん……」
今日子にとって古都絵は他人であるが、今日子としてもショックだった。好きになった人を嫌いになったということだろうか。今日子はどうしてそうなったのか考えもつかなかった。
「俺は、姉貴のようにはならない。好きな人はずっと好きでいる。絶対自分から振ったりなんかしない」
春樹は今日子の顔を見据えて言った。
「前から言おうと思ってたことがあるんだけどさ……」
春樹は真剣な眼差しで今日子の目を見て言った。
「な、何?」
今日子はその春樹の強い眼差しに圧倒され、少し動揺して言った。
「俺、ずっと前から……」
春樹が言いかけた時だった。
「今日子ちゃーん」
誰かが呼びかける声が聞こえて今日子は振り返った。声の主は同級生の柚季だった。
「幼稚園、小学校と同じだったのに、中学校離れ離れになっちゃうね。だから、一緒に写真撮ろうよ」
柚季は今日子の元に駆け寄って言った。
「うん。そうだね撮ろう撮ろう。っと、その前に、ごめん、春樹が何か言いたいことあるらしくて……」
そう言って今日子は再び振り返ったが、そこに春樹はいなかった。
「あれ? どこ行ったんだろ? まあいっか。写真だよね写真。私もデジカメ持ってきてるから、一緒に撮ろ!」
そうして、今日子は春樹を探しにいかず、柚季と写真を撮った。
柚季と写真を撮ってしばらくして、美冬が戻ってきた。柚季は別の子を探しに行き、今日子のもとからは離れている。
「大丈夫だった? 檜山くん何だって?」
美冬を見るなり、今日子は心配して尋ねた。
「ああ、なんか告白された」
今日子は一瞬、思考が停止した。
「……えっ? 告白? 告白って檜山くんが美冬のこと好きって言ったってこと?」
「そうそう。一発蹴り入れて断ったけどね。『好きだから、おっぱい触らせてくれ』だって。ドン引きだよ」
「……確かにドン引きだけど、それ最初に言ったの美冬だよね……」
その後、二人は満足いくまで写真を撮り終えたこともあり、そろそろ帰ろうと思って正門にむかった。
正門に差し掛かる前に、今日子の目に鉄棒が映った。
「どしたの?」
美冬に言われて、今日子は、自分が立ち止まって、鉄棒をじっと見つめていることに気づいた。
「いや、バイバイって言えなかったなって……」
美冬は首を傾げた。
「誰に?」
「ううん。別に深い意味はないんだけどさ……」
今日子は歩き出した。
そうして、今日子は6年間通った小学校を卒業した。
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