第12話~今日子12歳~前編
「……そうすると空からピカっと目玉を射抜かれのではないかと思うほどの鋭い閃光と衝撃があったんじゃ。その衝撃で窓が割れ、瓦が飛ばされ、私も数メートル飛ばされてな。これはただ事ではないと逃げて逃げて逃げまわって、振り返ると火の手がすぐそこまで来ていたのを今でも覚えておる」
6月、桜井今日子が通う、高塚小学校の小学6年生の児童は、修学旅行で広島に来ていた。
現在は戦争を体験した人の話を、じっと黙って聞いていた。小学6年生になって戦争の話を学校で聞くことが多くなったが、今日子としてはその度に耳をふさぎたい気分になった。あまりにも恐ろしく悲しいできごとに、気分がふさぎこんでしまいそうだった。
戦争の体験話が終わり、移動時間となり、一行は宮島に向かうために電車に乗った。
「先生には言えないけどさ、戦争の話を聞くとげんなりするんだよね」
今日子は自分の住んでいる町か、それ以上に活気のありそうな町並みの景色を見ながら言った。
「まあね。分かんなくはないよ。でも、実際の話の聞いたほうがより実感がわくのも確かなんだよね。教科書で学ぶのと実際に体験の話を聞くのとは全然違う」
今日子の隣で、友だちの栗原美冬が言った。
「歴史の教科書って、千年以上の時代の流れを習うわけだけどさ、唯一、第二次世界大戦の話だけが体験した人の話を聞ける時代なんだよ。『黒船が来た時は、わっと驚いたもんじゃ』とか『聖徳太子はむっちゃ耳がよかったんじゃ。みなが聖徳太子にたいしていろいろ言って騒がしい時に、この騒ぎなら言える! と思って、タイコタイコー! と言ったら叩かれたんじゃ』とか『卑弥呼さまマジ天使』とか聞かないでしょ。そう考えると戦争って本当、最近に起こったことなんだよね」
「たとえがおかしいような気がするけど、そうだよね。日本の歴史で考えれば、戦争なんてつい最近起こったことなのかも」
今日子は先ほどの戦争の話を思い出した。今まさにそういうことが起きることがあれば、自分は果たして生き延びられるだろうかと考えて、怖くなった。
「戦争は絶対にしちゃいけないことなんだよね。もう二度と、日本に戦争は起きてほしくない」
今日子は言った。
夜になって、お風呂の時間となり、今日子と一緒の部屋になったクラスメイトたちは着替えをもって、大浴場にむかった。
「今日子どうしたの? 早く行こうよ」
今日子と同じ部屋の班となった美冬が今日子に呼びかけた。
今日子は相変わらず、交通事故でできた背中の傷を見られたくないため、大浴場に行くのには、気が進まなかった。
しかし、去年の林間学校と違って、今回は宿泊する部屋に浴室があり、さらに大浴場へ行けない理由もすぐに思いついた。
「いや実は、今日はちょっと……、アレの日で……。部屋にお風呂あるから、そっちに入ることにするよ」
今日子がそう言うと、美冬は怪訝な表情をしながらも、「わかった」と言って部屋を出て行った。
今日子は一安心したが、このまま一生、誰にも背中を見せずにすごしていかなければならないのだろうかと考えると、少し気が落ち込んだ。
――いやいや、そんなこと今考えても仕方がない。お風呂だお風呂
今日子は誰もいなくなった部屋で着替えを準備し、お風呂に入った。
修学旅行から帰ってきた翌日、その日は土曜日で修学旅行の疲れもたまっていた今日子は、昼ぐらいまでゆっくり寝ていようと思っていた。
「何寝てんだよ。起きろ起きろ」
誰かの呼ぶ声で今日子は目を覚ました。父親でも母親でもない、男か女かもよくわからない声だ。
「起きろって言ってるだろ!」
そういう声が聞こえてきたかと思うと、今日子は布団を剥ぎ取られ、はっきりと目を開けた。
ベッドの横には、今日子の2歳下の従兄弟の花木聖夜がいた。
「ちょっと何するのよエロガキ! 何であの清楚な感じの真昼おばさんの元で育ってきてこんな変態になったわけ?」
今日子は怒るように言った。
「何で起こしただけで変態になるんだよ! 裸になってから言え!」
「誰がなるか!」
こんなに嫌な目覚め方は初めてだと今日子は頭を抱えた。
今日子としてはもっと寝ていたかったが、聖夜がいる中で寝るのは嫌だったのでそのまま起きてリビングに行き、朝ごはんを食べることにした。聖夜は、今日子がお土産として買ってきたもみじ饅頭を早速開封して食べている。時間はまだ8時だった。
「うめーなこれ。紅葉天ぷらといい勝負だ」
そんなにお土産が待ちきれなかったのかと今日子は思った。同時に、昨日のうちに渡しておくべきだったと後悔した。
しばらくしてトースターの音が鳴り、今日子の母の桜井佳子が食パンを取り出して皿に乗せ、今日子に渡した。
「お母さんもお母さんだよ。何で聖夜を私の部屋に入れるの?」
今日子は不機嫌な声で言った。
「ごめんごめん。今日子はまだ寝てるって伝えたら、じゃあ起こしてくるって入っちゃって」
それでも止めることはできただろう、と今日子は思いながら食パンにかじりついた。
「もう、本当最悪ー。お土産早くほしいだけなら、別に起こさなくてもよかったでしょ」
イライラがおさまらない今日子は聖夜に言った。
「そんなことで気持よさそうに寝てるヤツを起こすわけないだろ」
聖夜は言った。
――その気もちよさそうに寝てるヤツを起こしたのは誰よ……
今日子がそう思っていると、聖夜はポケットから紙切れをとりだして、今日子に見えるようにテーブルに置いた。
新聞を切り取ったもののようで、『高塚東高等学校の文化祭の怖いお化け屋敷』という見出しが書いてある。
記事によると、高塚東高等学校という高校で、昨日と今日にかけて文化祭が行われているとのことだった。
「後でここに行くぞ」
聖夜は言った。
今日子は一瞬、聖夜が何を言ったか分からなかった。お土産だけとりに来たと思ったからだ。
「えー。何で私が……。朝陽ちゃんと行ってくれば?」
「姉ちゃんは土曜なのに学校だって。部活がどうちゃら言ってた。ったく、受験なんかしなかったら歩いて10分ほど行くだけでよかったのに、わざわざ電車で遠いとこまで行くなんて、バカだよな」
――……バカはアンタでしょ
今日子はそう言いそうになったが、なんとか堪えた。また妙な言い争いになるだけだと悟ったからだ。
「じゃあ、晨成くんは?」
「こんな朝早くから行ったら迷惑だろ。バカだなー、今日子も」
「…………」
こうして今日子は高塚東高校の文化祭に行くことになった。
高塚東高校がどこにあるか分からなかった今日子は、佳子に尋ねた。
それによると、踏切を渡って、そこを左に曲がらずに真っ直ぐいき、山を真っ直ぐ登ったところにあるとのことだった。なお、踏切を渡ってすぐに左に曲がるとそこは祖母の花木時子の家だ。
ただ、下りはともかく、上りはかなり大変だということで今日子と聖夜はバスに乗って行くことにした。実際、バスに乗っていてもかなり急な上り坂を登っている感覚を今日子は感じた。窓から高校に向かっているであろう人の流れが見え、自分ももしかしたら将来はここを毎日登ることになるのだろうかと考えると気が滅入りそうだった。
今日子たちが高校にたどりつくと、すでに人だかりがあり、賑わっていた。
校門には大きなアーチがあり、『高塚東高校 文化祭』と大きく書かれてあり、入ってすぐのところにパンフレットがあったので今日子は手にとった。
中に入ると展示パネルが道の脇に置かれており、さらに奥まで進むと竹やペットボトルで作った人形のようなものが展示されており、さらに奥まで進むと模擬店があって、たこ焼きやベビーカステラなどのいいにおいがただよってきた。
「たこ焼きだたこ焼き! あれ食おうぜ!」
聖夜はそう言うと、たこ焼きを販売しているスペースに向かって走っていった。今日子がパンフレットを見ると、3年2組の出し物だということが分かった。
「ちょっと待ってよ聖夜!」
今日子はそう言って聖夜を追いかけたが、追いついたころには聖夜は注文してしまっていた。まさか自分がお金を出さなければいけないんじゃ……と今日子は心配したが、聖夜も自分の財布からお金を出したので今日子はホッとした。
「今ちょうど無くなったところだから、ちょっと時間かかるかも。あそこで座って待ってて。私ももうすぐ交代だから持っていくよ」
店員の女性はそう言って、イスがわりに何人かが座っている植え込みを指さした。
今日子が店員の女性が指さした方へむかうとすでに男の子が座っており、誰かを待っているようだった。今日子がその男の子を見ていると、男の子が今日子のほうを振り向き、目があった。
「誰かと思った。春樹も来てたんだ」
男の子は今日子の同級生の梅崎春樹だった。
「な、何で桜井が来てるんだよ!?」
春樹は慌てるように言った。
「いやいや、何でそんな慌てるの! いいでしょ別に来たって」
今日子はそう言いながら、春樹の横に座った。
「何で、隣に座るんだよ! 他にも座るトコあるだろ!」
春樹は動揺しながら言った。
「何でって、たこ焼き売ってるお姉さんにここで待っててって言われたんだよ。持ってくるからって。ほら、あの人に」
今日子は先ほどの女性店員を指さした。すでにエプロンをはずして制服姿になっており、カバンとたこ焼きを2パック手にして今日子のほうに歩いてくるところだった。
「お待たせー。って、あれ? もしかして二人知り合い?」
女性は今日子と春樹にたこ焼きを渡して言った。今日子の隣に座った聖夜は今日子からたこ焼きをとりあげ、食べ始めた。今日子としては、その女性が春樹と知り合いらしいということに驚いた。
「あっ! もしかして今日子ちゃん? 覚えてないかな? 春樹の姉の古都絵」
梅崎古都絵はそう言い、今日子は思い出した。七五三の後にスーパーのダイオンに寄った時に会ったことを。
「はい。桜井今日子です。確か、七五三の時に会いましたよね。覚えててくれたんですか?」
「うん。時々、春樹が話してたからさ。『今日、桜井がー』って感じで」
古都絵がそう言うと、春樹は口に持っていこうとしていたたこ焼きを落とした。
「はぁ? 言ってねーし。最近はクラスも違うから学校でも全然会ってないっていうのに」
春樹は顔を赤くして、慌てるように言った。
「そうなんだ。今、クラス違うんだね。そういえば最近は今日子ちゃんの話しないなーって思ってたんだよ」
「前からもそんなしてないだろ……」
今日子としても、家で春樹の話は滅多にしないので、たまたま話したのを古都絵が覚えているだけだろうと思った。
「それより姉ちゃん、店番終わったんだったら、こないだできたっていう彼氏のトコでも行ってくれば? 俺は一人でも大丈夫だから」
「それがさ、今日は一日中クラスの出し物につきっきりなんだって。仕方がないから今日は弟の面倒を見ることにするよ」
「そんな面倒くさそうに言われても……」
春樹と古都絵のやりとりを聞いた今日子は目を輝かせ、古都絵の顔を見つめた。
「彼氏さんいるんですか!?」
漫画を読んでいるとたまに小学生で恋人がいるというキャラクターがいるが、今の今日子には考えられないことだった。今日子にとって彼氏がいるというのは、それだけで大人なイメージを持っていた。
「そんなに驚くことじゃないよ。周りには中学生の時から彼氏いるって子もいるしね。かっこいいから絶対彼女いるって思ってたんだけど、勇気を持って告白したらオッケーだったの。しかも、お互い初めて同士だって。今度、家に遊びに行くことになってね。今からお母さんになんて話せばいいか考えておかなきゃ。印象によっては、親公認で結婚なんてことも……。キャー」
「そういうの大きい声で言うなよ恥ずかしい……」
春樹は呆れるように言ったが、今日子としては興味津々で、本心としてはもっと聞きたいところだった。
「もう。せっかく馴れ初め話もしようと思ったのに。ところで、今日子ちゃんは彼氏ほしいって思わないの?」
古都絵が尋ねて、今日子は考えた。
「うーん……。今すぐではないけど、そのうち欲しいなーって思う」
今日子は答えた。
「そっかそっか。今日子ちゃんも彼氏ほしいんだって、春樹」
「何でそこで俺に振る!」
またしても、春樹は口に持っていこうとしていたたこ焼きを落として、言った。
「そろそろ行こうぜ」
聖夜の声が聞こえて今日子は振り返った。聖夜の持っているフードパックの中のたこ焼きはすでに無くなっていた。
「えー! 全部食べちゃったの! 一つぐらいくれてもよかったじゃん」
「はぁ? 何で俺が金だしたのに今日子にあげなきゃいけないんだよ! わけわかんねー」
聖夜の言い分は理解できたが、今日子としては着いてきてくれたお礼に一つぐらいくれるんじゃないかと期待していたのでガッカリした。
その会話を聞いて、古都絵は話しだした。
「あちゃー。せっかくうちのクラスが工夫して考えたたこ焼きだから今日子ちゃんにも食べてもらいたかったなー。仕方ない。春樹が一つあげて」
「はぁ? 何で俺が……」
春樹のフードパックにはたこ焼きが一つ残っていた。
「いやいや、そんないいよ。春樹のでしょそれ」
今日子は遠慮したが、古都絵はそれでも今日子にたこ焼きをすすめた。
「いいからいいから。私はレシピ知ってるんだし、家でも作れるから。今日子ちゃんにも是非、食べてほしいなー」
古都絵がそういうので、渋々、春樹は「しかたねーなー」と言って、今日子にフードパックを渡そうとした。
「ちょっと、そうじゃないでしょ! 男の子が女の子にたこ焼きあげるなら、アーンしてもらって、直接口に入れてあげないと」
「えっ!?」
春樹と今日子は二人同時に驚いた。
「そんなの聞いたことねーよ!」
「わ、私もたこ焼きぐらい一人で食べられるので……」
春樹も今日子も拒否したが、古都絵はそれを許そうとしなかった。
「ダメだって。そのほうが絶対おいしいんだから。せっかくだから今日子ちゃんにはおいしく食べてほしいの」
古都絵は言った。今日子としては、なぜそんなことでおいしくなるのかよく分からなかったが、強くお願いされているということもあって渋々、大きく口を開けて春樹に顔を向けた。
春樹は少し戸惑いながらも、たこ焼きのささった爪楊枝を手に持ち、少し震えながらも今日子の口にたこ焼きを入れた。
カシャッという音がどこからか聞こえた。
今日子が音のするほうを向くと、古都絵はカメラを構えていた。
「いい写真とれたよ。ありがとう」
古都絵は言った。
「ちょっ! 何で写真なんか撮ってるんだよ!!」
「写真部だから」
「答えになってねーよ!!」
たこ焼きを食べ終えて今日子は目的のお化け屋敷に向かった。パンフレットを確認すると、お化け屋敷は3年3組が、理科室の場所で行っているとのことだった。理科室というと、ガイコツを使った驚かしがあるのだろうと今日子は考えて、気が引けた。
しかし、目的地に到着して今日子は驚いた。
「あれ? ここだよね?」
今日子は一応、パンフレットと部屋の名前を確認した。どちらも理科室と書かれており、入り口には、『お化けのパーティー会場』と書かれてあった。
パーティーという名前のとおり、中からは楽しい音楽が流れてきており、中をのぞくと明るい部屋に明るい音楽が流れており、さらに楽しく踊っている男女の姿が目に入った。
「なんだこれ。全然怖そうじゃねーじゃねーか。これ考えたヤツ、バカだろ」
相変わらずなんでもかんでもバカ呼ばわりする聖夜だったが、今日子としてはこの時ばかりは少し同意した。目の前のお化け屋敷は全くもって怖そうに思えなかった。
「やあやあ、パーティー会場へようこそ! 風船をどうぞ」
今日子と聖夜はピエロのお面をかぶった男性にぷかぷかと浮かぶ風船をもらい、促されるように中に入った。
中に入っても相変わらず楽しい音楽が流れており、楽しそうにダンスをしている男女がいることもあって、全く怖いと思わなかった。だが、ダンス会場自体は、パーティションで区切られてあり、狭かった。パーティションは壁までの高さがあり、理科室を区切っているようだった。
今日子は思わず自分まで踊ってしまいそうな音楽を聞きながら奥まで進んだ。奥まで進むとパーティションではなく、遮光カーテンがあり、そこをくぐることになっていた。
今日子と聖夜はカーテンをくぐった。カーテンのむこうは先ほどとパーティー会場と違い、かなり薄暗かった。ただ、パーティションとカーテンで区切られているだけなので音楽はかすかに聞こえてきており、暗くなったといってもあまり怖いとは思わなかった。
しばらく歩いていると「私もパーティー行きたかったな……」とコンピュータで加工された女の子のような声がどこからか聞こえた。
「でもね、もうすぐでたどり着きそうなところで、事故で死んじゃったの」
その言葉で今日子は少し寒気づいたが、まだ怖いと思うほどではなかった。
「いいなー、風船。私もらえなかったんだよ」
どこからか冷たい風が吹いてくるのを今日子は感じた。
「だからその風船ちょうだい。ねぇ、ねぇ、ちょうだいよ!」
先ほどより大きい声が聞こえてきたかと思うと、パンパンという音が聞こえて、今日子と聖夜の持っていた風船が割れた。
かと思うと、どこからか水滴が肌に付着した。今日子は先ほどよりも寒気づいて聖夜とともに早足になった。
「ねぇ、次はダンスを踊ってみたいな。あなたの体で」
そう聞こえて来た時には今日子も聖夜も走っていた。すぐに出口は見え、二人は廊下を飛び出した。
二人はたいした距離を走ったわけでもないのに、息苦しさを感じていた。鼓動が早く、冷や汗も流れていた。入ってくる時は全く怖そうに思えなかったのに、まさかここまで怖いものだとは思っていなかった。
「おやおや、風船はどうしたのかな? ダンスパーティは楽しんでくれたかな?」
低い男の声が聞こえて今日子と聖夜は振り返った。そこには先ほど風船をくれたピエロのお面をかぶった男がいた。
先ほどは何も思わなかった今日子と聖夜だったが、今はそのピエロのお面が恐怖に思え、今日子も聖夜も叫んでその場を去っていった。




