第11話~今日子11歳~前編
授業が終わり、校舎を出て正門を抜けた桜井今日子は靴紐がほどけたため、しゃがみ込んで紐を結んだ。
「ごめんごめん、靴紐ほどけちゃってー」
靴紐を結び終えた今日子は、正門前の階段を降り、先に降りていた栗原美冬に駆け寄った。
3ヶ月前に友だちになったばかりだったが、今ではずっと友だちだったのではないかと思うほど仲がよくなった。小学5年生ではクラス替えがあるが、幸い、二人は同じクラスとなった。
「どしたの?」
今日子は、先ほどから今日子とは別の方角を見つめている美冬に尋ねた。
「今、そこの林に男の子が入っていって」
高塚小学校の正門前には小高い丘があり、その丘は木や雑草で埋め尽くされた林となっていた。今日子は入ったことがないが、入ろうと思えば入れそうだと今日子は思った。ただし、林の周りは石垣や柵で囲まれており、簡単に入れるようにはなっていなかった。
「こういうのいいよね。多分、秘密基地とか作ってるんじゃないかな。ちょっと興味ある」
美冬はそう言うと、石垣の上に手をついてよじ登った。
「ちょっと、美冬。待ってよー」
今日子はそう言って、後に続いた。
林は自然にできたようで、人が歩く道がなく、少しバランスを崩すと丘の下まで転げ落ちてしまうかと思われた。だが、その林の中には確かに誰かが通った跡があり、美冬と今日子はその跡を続いた。
しばらくすると小道のような空間に出て、少し離れた所に3人の男の子の姿が見えた。
「あれ? 聖夜だ」
3人の男の子のうちの一人は今日子の従兄弟である花木聖夜だった。他には、聖夜の家の近所に住む柏木晨成もいた。後の一人は今日子の知らない子だった。
「知ってる子?」
「うん。近所に住んでる従兄弟」
聖夜たち三人は、向い合ってしゃがみ、何かを読んでいるようだった。
今日子は呼びかけるかどうしようか迷ったが、どうせここにいるとすぐに気づくだろうと思ったので、呼びかけることにした。
「おーい! 聖夜ー!」
今日子の呼びかけに気づいた聖夜は、その声に気づいて今日子のほうを振り向いた。するとすぐに立ち上がり、「女だ逃げろー」と言って三人で走り去った。
「ああ、ちょっと聖夜!」
今日子は追いかけようとしたが、先ほどまで聖夜たちがいたところまで行って諦めた。
「秘密基地バレたからって逃げなくても。マンガだってほったらかしだし。こんなところに捨てたら怒られるよ全く」
今日子はそう言うと、落ちている雑誌を拾い上げ、パラパラとめくった。
「キャアア」
思わず今日子は雑誌を放り投げた。雑誌を拾うまでは、今日子はてっきり週刊少年誌のような漫画雑誌で、表紙がグラビアになっている号なのかと思った。しかし中身を見て、女性が裸になっている写真や、卑猥な言葉があちこちに書いてある雑誌だと分かった。
美冬は今日子が投げた雑誌を拾ってパラパラとめくった。
「あんな小さい子でも男なんだねー。おっ、これはエロいね。ほら見てよこれ」
「イヤー! 何で見てるの! 捨てて捨てて!」
「いやいや、今日子がさっき、捨てちゃだめって言ったんじゃん」
「…………」
今日子は悩んだ末、ランドセルに入っているビニール袋の中に雑誌を入れ、家に帰るには少し遠回りになるが駅に寄り、人が少なくなったタイミングを見計らって有害図書を回収する白ポストの中に雑誌を入れた。
「それにしても、ビックリしたー。聖夜があんなのに興味持ってるなんて」
雑誌を手放した今日子は一安心して、そうつぶやいた。
「そりゃ男の子だしね。クラスの男子だって、夜な夜な今日子のエッチな姿を想像して……」
「えー! そんなこと想像するの!」
今日子は美冬の言葉に驚き、鳥肌がたった。
「そんなの、おじいちゃんだけかと思ってた……」
「むしろそこで、思いつくのがおじいちゃんって、どんなおじいちゃんなの……」
次の日、学校で用を足してトイレから出た今日子は梅崎春樹と鉢合わせた。
「なんだか久しぶりだねー。元気にしてる?」
「久しぶりって言っても、クラス替えして1ヶ月もたってないだろ」
今日子と春樹は1年生のころからずっと同じクラスだったが、5年生のクラス替えで別々のクラスになった。なので、最近は、ほとんど顔を合わせることがなくなった。
「あのさ、春樹に聞きたいことあるんだよね」
「なんだよ改まって」
「ちょっと変なこと聞くかもしれないんだけど、春樹もエッチなことって好きなの?」
今日子の質問に春樹は噴き出し、咳き込んだ。
「変にもほどがあるだろ!」
「ごめん。答えたくなかったらいいんだけど……」
今日子がそう言うと、春樹は顔を赤らめてそっぽを向いた。
「好きじゃねーよ!」
春樹は言った。
「あっ、そうなんだよかったー」
今日子は春樹の言葉で安心した。春樹まで自分のエッチな姿を想像していたらどうしようと思っていたのだった。
一方、春樹は足をもぞもぞとさせ、手を股間にあてて少し前かがみになった。
「あっ、ごめん。トイレ行くところだったのに呼びかけて。私、教室戻るから、漏らす前にトイレ行ってね」
「あ……ああ……」
春樹少し苦しげな表情でトイレに入っていった。
5月になって今日子の通う小学校の小学5年生は、4泊5日の林間学校に行くことになった。今日子としては行きたくなかったのだが、行きたくないとワガママを言うわけにもいかず、渋々、クラスのみんなと行くことにした。
もちろん、キャンプやレクレーションをすることは今日子にとっても楽しみであった。ただ、今日子にとって一つだけ、懸念事項があった。
それは、一日目に探検と称したレクレーションの後にやってきた。まだ5月というのに外は暑く、ずっと動きまわっていたということもあって今日子は汗だくになってしまった。そういうことを想定されたこともあって、レクレーションの後はお風呂の時間が割り当てられていた。
しかし、今日子としてはみんなの前で裸になるわけにはいかなかった。交通事故の際にできた、背中の傷をみんなに見られたくないからだ。
「どーしたの今日子? 早く入るよ」
すでに真っ裸になっている美冬が言った。
「い、いや、今日はいいかなーって」
「はぁ? むしろ今日こそ入らなきゃダメでしょ。汗かきまくったし」
今日子としてもそれについては反論できなかった。
風邪気味なフリをしようかと思ったが、レクリエーションで動きまくった後だと、少し無茶があると今日子は思った。
しかし、こういうこともあろうかと、今日子は大きめのバスタオルを用意してきたのであった。今日子は温泉番組のようにバスタオルを体に巻きつけ、服を脱いだ。
美冬は呆然と今日子を見つめている。
「そんなにタオル巻かなくったって。女だけなんだからそんなに恥ずかしがることじゃないでしょ」
「と……とにかく恥ずかしいんだって!」
「まあ、別にいいけどね。今日子ほどじゃないけど、タオルで巻いて大事なとこ隠してる子いるみたいだし」
美冬がそう言って今日子もあたりを見渡し、気がついた。確かに、タオルで体を隠している子が多かった。今日子と違って前だけ隠している子も多かったが、今日子は自分だけがタオルで隠しているわけではないと知って安心した。もし今日子だけがタオルで隠していたなら、不審な眼差しで見られかねないと思ったからだ。
「あぁ、やっぱりもう下の毛が生えてる子は隠してるんだねー。今日子だって、タオルの下は案外毛深かったりして」
今日子としては美冬が何を言っているか分からなかったが、タオルで股間を隠している子を横目で見て、何を言っているのか分かった。今日子もうっすら生えていたが、特に気にしてはいなかった。ただ、ここはあえて気にしていることにしたほうが、タオルで体を隠すいいわけになるからいいのではないかと今日子は思った。
「そうそう、体中モジャモジャで気にしてるんだよねー」
「気にしてる人の言い方には聞こえないけど……」
今日子は言葉の使い方を間違えたと、少し後悔した。
次なる問題は体を洗う時だと今日子は思った。バスタオルを巻いたまま体を洗うことはできないし、かといってバスタオルをとって鏡のほうに体をむけて体を洗うと、背中の傷が丸見えだ。
最初はみんなが出て行った後に一人で体を洗おうかと考えたが、お風呂の時間は決まっているのでそれも難しい。どうしようか……と考えていたところで、洗い場の一番端の壁際の席が空いたのでそこに座り、隣に美冬を座らせた。そのまま体を美冬のほうにむけて洗えば背中の傷は見えないし、まわりからは友だちと話しながら洗っているので不自然には見えないだろうと今日子は思った。
「何でこっち見ながら体洗うの? 後、全然、毛深いと思わないんだけど」
美冬のほうに体をむけているので、毛深くないのがバレてしまった。
「そ……そう見えるかもしれないけど、それは抜いてるからなんだって!」
「いや、せめて切るか剃るかにしようよ……」
美冬は鏡のほうを向いて、シャワーをとり、体を洗い流した。
――こうしてみると、美冬って結構スタイルいいな……
美冬を横から見ている今日子は思った。
美冬は背が高く、痩せていて、肌も綺麗だった。ショートヘアーなため、一見男の子のように見えなくもないが、少し髪を伸ばせば美少女と言っても差し支えないと今日子は思った。
そう思った後、今日子は周りの女の子を見渡してみた。そして次に、横目で鏡を見つめて自分の体を確認し、次に顔を下にむけて自分の体を確認した。
「こうやって見ると、大きくなってる子は大きくなってるよね」
今日子はつぶやいた。
「何が?」
「え? いや、あの、胸が……」
今日子の言葉で美冬も自分の胸を確認した。
今日子の胸も最近少しふくらみはじめていたが、美冬のほうが少し大きかった。
「胸なんか大きくならなくていいんだけどね。邪魔なだけでしょ。読書の時とか胸が邪魔で見れない、とかなりそう」
「いや、そんなに大きくはならないでしょ。だいたい、大きくならなかったら赤ちゃんが母乳飲みにくいんじゃない?」
「じゃあ、赤ちゃんが産まれた時だけ大きくなるように進化したらよかったんだよ。子どもの時から大きくならなくていいでしょって話」
――そんな都合よく体は変化しないんじゃ……
と今日子は言おうとしたが、よくよく考えると妊娠した時にそれにあわせてお腹も大きくなるし、産まれた後に胸から母乳がでてくるようになるので、その時だけ胸が大きくなるようになっても不思議ではないかもしれない。と今日子は思った。
「っていうか、いいかげん、体勢変えたら? すっごい、シャワーノズルとりにくそうなんだけど」
「ま……まあまあ、そろそろ洗い終わるし……」
そうやって体を洗い終えた今日子は、再びバスタオルを身を包んで、脱衣所にむかった。
そのようにしてなんとか、今日子は誰にも背中の傷を見られず、4泊5日の林間学校を過ごすことができた。
夏休みのある日。今日子は美冬と図書館に行き、クーラーのきいた涼しい環境で宿題をした。しかし、図書館にいる間はいいものの、帰ってくるまではやはり暑く、家に帰る15分だけで汗だくになった。時間は17時を少しすぎたところだった。
家に帰って今日子は家に入り、今日子が「ただいまー」と言うと、そのすぐ後に、リビングにいる母親の桜井佳子の「お帰りなさい」という声が聞こえた。
「外暑すぎ。もう汗でビショビショ」
今日子はそう言って、洗面・脱衣所のドアを開けようとした。ふと、いつも開いているのに何で閉まっているのだろうかと疑問に思ったが、特に今日子は気にしなかった。
「あっ、ちょっと今日子言い忘れてた!」
佳子がそう言い終わるころには、今日子はすでにドアを開けてしまっていた。
「キャーー!」
ドアを開けた今日子は脱衣所を見て口をあんぐりと開けて叫んだ。まさか今日子もそこに人がいるとは思っていなかった。
脱衣所には、バスタオルで体を拭いている最中の今日子の従兄弟、桜井一世がいた。
幸い、今日子がドアを開けた時には一世は背を向けていたため、今日子は一世の男根を見ることはなかった。
その後、今日子が佳子に話を聞き、一世が昼過ぎに、近くに来ているけど寄っていいか、という電話があり、佳子が承諾したところ、今日子が図書館に行っている間にやって来て、汗だくだったのでシャワーを浴びるように促したということが分かった。
「で? 何で急に来たの?」
夕ごはんの時間、今日子は不機嫌な声で一世に尋ねた。
「そりゃあ、今日子ちゃんに会いたいなって思ったからだよ。最近会ってなかったし、今年の夏休みは長野に来ないって聞いたから」
今年の夏休みは、今日子の家族は従兄弟家族の花木家と一緒に海に遊びに行くことになっているため、一世の家には遊びに行けそうになかった。
「なんかその理由、キモい」
今日子は身震いして言った。
「おいおい、その言い方はないだろ……。まあ、確かに本当の理由は別にあるけど」
「何? 本当の理由って?」
「それは秘密。そのうち教えることができるかもしれないけどね」
「何それ、ずるーい」
今日子はそう言いながら、一世の顔をマジマジと見つめた。顔を見たら何か分かるかと思ったのだ。だけど、顔を見てもなぜこっちに来たのかは全く分からなかった。
ただ、一世の顔を見ていると、分かったことがある。一世の口の周りにヒゲが生えており、顔つきも大人びてきているように思えた。
「こっち来るなら、今朝、剃って来たらよかったのに」
今日子は父の桜井咲也が朝に髭そっている姿を思い出して言った。
「ああ。深夜バスで来たから今朝はもうこっちに来てたんだよ」
一世の言葉で今日子は首を傾げた。
「ん? 深夜バスなら朝には着くんじゃないの? 来たの昼過ぎてからでしょ? 私が図書館に行く時はまだ来てなかったんだから」
「ああ、その前に寄りたいところがあったんだよ。というより、そっちが目当てだったんだけど」
「どこに寄ったの?」
「だから秘密だって」
今日子は一世がどこに寄ったか考えた。
――1人で深夜バスに乗って来て午前中に寄る所……。一人でWSJに行ってきた? いや、WSJなら閉園までいるだろうし……。こっちに引っ越してきた友だち、いや、彼女がいるとか?
考えても今日子には見当がつかなかった。
「そういえば、お金はどうしたの? 一暁おじさんに出してもらったの?」
「親父は俺が一人でどっか行くのに金だしてくれるように人じゃないよ。バイトして貯めたんだよ。うちの店の手伝いじゃ、小遣い程度しかもらえないし」
「そっか。バイトか。高校生だもんね」
「そうそう高2」
「じゃあ、再来年は大学生だね」
今日子が何気なく言うと、一世は真剣な眼差しで今日子の顔を見つめた。今日子としては、少し驚いているようにも見えた。
「そのつもり」
一世は言った。
「ごちそうさまでした」
ご飯を食べ終えた一世は手を合わせて言った。
「じゃあ、すみません。そろそろ帰ります」
ご飯を食べ終えてすぐに一世は言った。
「えっ? もう帰るの?」
「ああ、深夜バス予約してるし、そろそろ行かなきゃ。ご飯、ありがとうございました。おいしかったです」
一世は今日子と佳子にそう言うと、カバンを持って家を出て行った。
――私に会いたいというより、タダ飯食べたかっただけじゃないの?
しばらくして、一世と入れ違いで父の咲也も帰ってきた。
「ただいまー。あれ? 一世くんも来てるんじゃなかったっけ?」
「さっき帰ったよ。シャワー浴びて、晩御飯食べるだけ食べて」
一世の姿を探す咲也に今日子は言った。
「それにしてもさー。しばらくみないうちに一世くん、大人になったんだよ」
先ほどの一世の姿を思い出して今日子は言った。
「ヒゲも生えて声も低くなって、肩幅も広かったよ」
「へー。シャツ越しに分かるほどなのか」
「…………」
今日子はしばらく無言になって続けた。
「まあ、とにかくさ、大人っぽくなってたんだよ。幼稚園や1年生の時って、高学年の人は大人だなーって思ったけど、いざ自分が高学年になってみると、本当子どもだなーって思うんだよね。特に男子。クラスメイトの男子がバイトしてる姿なんて想像できないし……」
「なあ、今日子」
咲也は声を低くして言った。
「もしかして、まだ一世くんと結婚したいと思ってるのか?」
咲夜がそう言って、今日子は思わず喉をつまらせて咳き込んだ。今日子にとって、全く想像もしていない発言だった。
「えっ? な、何でそうなるの!? 一世くんと結婚したいなんて一度も思ったことないから!」
今日子は全力で否定した。
「そ……そうか……、ならいいんだけど……」
咲夜は少し不安げに言った。
「それにしても、アルバイトできる年齢になったんだなー。小さい時から知ってるけど、もう高校生なんだよな。人の子の成長は早い」
「そうそう。早いよねー。再来年には大学生だって」
「大学? 大学行くって言ってたのか?」
咲也の驚く様子に今日子は少し驚いた。まさかそんなところで驚くとは思っていなかった。
「えっ? 高校の後は大学でしょ? お父さんも大学行ったんでしょ? そこでお母さんと出会ったって前に言ってなかったっけ?」
「お父さんは、確かに、行ったけど。一世くんも行くつもりなのかー。まあ、最近は大学行く人も多くなってきているし、不思議じゃないか」
今日子としてはなぜ一世が大学に行くことを不思議がるのか分からなかった。
「ちなみに、兄さん……一暁おじさんは大学行ってないんだよ」
「えっ? そうなの!?」
今日子は驚いて言った。
「うん。高校出てすぐに店で働くようになったんだよ。大学なんか行かずに早く親父に追い付きたいとか言ってたかな」
「へぇ。じゃあ、美代子おばさんとはどこで出会ったの?」
今日子はてっきり、一暁と美代子も大学で出会ったのかと思っていたのだった。
「あの二人はお見合いだよ。確か、それから1年もたたずに結婚したんじゃなかったかな」
「へぇ」
出会いにもいろいろな形があるんだな。と今日子は思った。




