第9話~今日子9歳~後編
9月の第一日曜日。今日子は小学校のグラウンドで行われている少年サッカーチームの練習を見て、県大会でのできごとを思い返していた。あの日以来、時々、高塚中学校のサッカー部部長が泣いている情景を思い出して後悔することがあった。あの時やっぱり声を掛けたほうがよかったのではないか。そしたら、泣かずに笑顔になったのではないかと。
「それにしても下手だよねー」
隣にいる夏海の声で今日子は思考が現実に引き戻された。下手というのは、今まさに小学校のグラウンドでシュートの練習をしている春樹のことだ。今もシュートしてゴールとは全く違う方向にボールが飛んでいった。先ほどなんて、静止しているボールを蹴ろうとして空振りしたぐらいだ。
2学期に入って春樹が少年サッカーに入ったことを知り、試しに練習風景を見に行ってみようと思って見に来たのはいいものの、その風景は時間のムダだと思うものだった。
その後、ホイッスルの笛がなっていったん練習が中断し、休憩となった。
春樹は今日子たちの近くに置いている水筒を手に取り、口に含んだ。
「ねえ、どうして少年サッカーなんか入ったの? 長野の従兄弟が言ってたよ。サッカー選手には3月生まれは少ないって。春樹3月生まれでしょ?」
今日子は呆れるように尋ねた。春樹は水筒に入っていたお茶を飲み終えると、今日子のほうに顔を向け、返答した。
「あのな、俺は普通のサッカー選手になるつもりはないんだよ。海外で活躍して日本代表に選ばれるようなサッカー選手になるんだよ。それなら、生まれた月なんて関係ないだろ。実際、日本代表の外田や徳島や山島だって3月生まれだろ」
今日子は春樹の言葉で驚いた。春樹があげた三人はみな今日子ですら知っている有名な選手だった。今日子が知っている日本代表のサッカー選手は10人ほどしか知らないが、そのうちの少なくとも3人が3月生まれだということに驚いたのであった。
「そうなの?」
春樹の言葉を疑っているわけではないが、一応、今日子はサッカーに詳しい夏海に確認した。
「うん。日本代表23人中10人が早生まれな時もあったんだって。でも……」
夏海は横目で春樹を見て続けた。
「下手な人はサッカー選手にすらなれないけどね」
そりゃそうだ。と今日子は思った。
「これならまだ、あきくんのほうがうまかったよね」
今日子は幼稚園の時にことを思い出して言った。
「誰だよあきって? 苗字? 名前?」
何でそんなことを聞くのかと思ったが今日子は答えた。
「あだ名だよあだ名。本名は、竹中利秋だったかな……」
「利秋だったらむしろあだ名は『とし』だろ。何で『あき』なんだ?」
「そんなの覚えてないよ。気づいたらあき君って呼んでたんだし」
今日子がそう言うと、夏海が代わりに答えた。
「確か、お母さんの名前が亜紀なんだよ。誰かが亜紀さんって呼んでるのを聞いて、あき君ってなったんじゃなかったかな」
「そうだったんだ。初めて知ったかも」
「それより、あき君っていえば、あき君も小学校の少年サッカーチームに入ったんだって。こないだお母さんがスーパーであき君のお母さんと偶然あって聞いたって」
「そうなんだ。ちょっと見てみたいなー」
今日子は幼稚園を卒園して以来、利秋とは会っていなかった。相変わらずよく泣いているのだろうかと想像した。そこでまた県大会で部長が泣いていたのを思い出しそうになったが、なんとかその想像をやめて、話を元に戻すことにした。
「話戻すけど、春樹はなんで少年サッカーなんて入ったの?」
「そんなのどうだっていいだろ。サッカーがやりたくなったから入っただけだ」
春樹は投げやり気味にそう言った。今日子としてはその回答に納得できたわけではなかったが、追い詰めてまで知りたいと思っているわけではなかったので、それ以上聞くのはやめることにした。
「そんなこと言ってー、本当は好きな人がサッカー好きだからやりはじめたんじゃないの?」
夏海の言葉で春樹は飲んでいたお茶を噴き出し、顔を赤らめた。
「ば、ばっか。そんなんじゃねーし」
まるで図星をつかれたように春樹は慌てふためいて否定した。
その春樹の行動で今日子まで顔を赤くした。
「えっ? もしかして春樹の好きな人って……」
春樹は息を止めて今日子を見つめた。同じように、夏海も今日子を見つめた。
「なっちゃんなの?」
春樹と夏海はその場でずっこけた。
「誰がこんなミーハー女好きになるかよ!」
春樹はそう言って、今日子の言葉を否定した。
「夏海だって、こんなサッカー下手なやつ、ぜったい好きにならないから!」
今日子には春樹の言動が恥ずかしがって言っているようにも見えたので、本当に好きでないのかよく分からなかった。
月日はすぎて年末になり、今日子は夏海に送る年賀状を書いていた。裏面に干支のイラストを描き、その上に『今年もよろしく』まで書いて漢字辞典で『願』という漢字を調べ、『お願いします』と書いた。
年賀状を書き終えたのはいいものの、今日はもう12月30日。ポストに入れても元旦には届かないと思われるので今日子は元旦に直接ポストに入れようと考えた。
年が明けて元旦になり、今日子は予定通り夏海の家のポストに年賀状を入れた。郵便局から送られてくる年賀状はエレベーターホール横の集合ポストに届くが、今日子はわざわざ1階まで行くのも面倒だと思ったので家のドアのポストに入れることにした。
今日子が夏海の家の前まで行くと、ポストに朝刊が入っていなかったため、今日子は年賀状を苦もなくいれることができた。ただ、全て中に入れてしまうと気づかれない可能性があるので、半分だけだして年賀状を挟むようにして入れた。
それに気づいた夏海はすぐに年賀状を書いてくれるだろうと今日子は思った。
だが、今日子の予想に反して数日たっても夏海から年賀状は届かなかった。
「なんでー! 何で届かないのー?」
年が明けて最初の日曜日。家のポストを確認して夏海からの年賀状が来ていないことを確認して、今日子は叫んだ。
「喪中なんじゃないの? 何か聞いてない?」
今日子の母の桜井佳子が言った。
「何それ?」
「喪中っていうのは、親戚が亡くなった場合に、その亡くなった人を思って悲しむ期間のことよ。その期間内には年賀状を出したらいけないといわれているの」
「うーん……、そんなこと聞いてないけどなぁ……」
今日子は最近、夏海と話したことを思い出していったが、誰かが亡くなったという話を聞いた覚えはなかった。
「じゃあ、またケンカしたとか?」
「してない!」
いったい、いつの話をしているのかと今日子は呆れたものの、夏海が返事をださない理由に心当たりがなかった。
「そんなに気になるなら家に行ってくれば? 年賀状に気づいてないだけかもしれないし」
佳子の言葉を聞いて、今日子はすぐさま靴を履き、外にでた。日曜日なので、親もいるだろうが、年賀状が来ない理由が気になってしかたなかったのだ。近くにある階段を駆け下り、2階分降りる。夏海の家は階段から右に曲がってすぐのところだ。
と、今日子が階段をでて右に曲がろうとして、誰かが夏海の家に訪問しているのが分かり、いったん階段の影に隠れた。夏海の家に訪問してきたのは、ちょうど今日子の両親と同年代ほどの男女とスーツ姿の男性だ。スーツ姿の男性がインターホンを押すと、中から夏海の母親の桃園久美が出てきた。
「すみません。新年早々」
訪問していた女性が頭を下げて言った。新年にたって間もない時期の訪問なのでてっきり親戚か誰かかと思ったが、やけに他人行儀だ。
「いえ、こちらこそ早く決まりそうでよかったです」
女性と同じく、頭を下げて久美は言った。
その後、訪問してきた三人は夏海の家に入っていった。今日子はさすがにお客さんが来ていると分かっているのに訪問するのは悪いと思い、家に帰っていった。
3学期の始業式の日。結局その日になっても夏海から年賀状は来なかった。
ただ、よくよく考えると年賀状を交換しおうと言ったわけではないし、いつでも会えるのだから出す必要はないと考えたのかもしれない、と今日子は思ってランドセルを背負って家を出た。
誰も乗っていないエレベーターに乗りこみ、1階のボタンを押す。エレベーターはゆっくりと降り、1階に到着すると、ゆっくりと扉が開いた。
扉の先のエレベーターホールには夏海の姿があった。普段からエレベーターホールを登校時の待ち合わせ場所と指定しているので、夏海は今日子が来るのを待っていたのだろう。ただ、それまではほとんど今日子が先に来て待つことのほうが多かったので、夏海が先に来ていることは意外に思った。
「お待たせー。2週間ぶりだね。あけましておめでとー!」
「……うん……。おめでと……」
夏海は元気なく挨拶を返した。
登校中、二人は何も話さずにただただ小学校を目指して歩いていた。普段なら楽しく会話して登校しているのだが、夏海が元気なかったので、今日子としても話しづらかった。
だが、もうすぐ校門というところで、どうしても聞きたいことがあったので、今日子は夏海に話しかけた。
「えっと……、年賀状、ポストに入れたんだけど、見てもらえた?」
今日子が尋ねたものの、しばらく夏海は黙ったままだった。
「……うん」
10秒ほどたってようやく夏海は返事をした。
続けて今日子は、何を言おうか迷っていると、先に夏海が話しだした。
「『今年もよろしく』って書いてあった」
夏海は言った。
「そうそう、今年から4年生になるけど、よろしくって。誕生日になったら二人とも10歳だしね。すごいよね。10歳だよ10歳。大人に近づく感じがするよね」
今日子は元気よく言って夏海の顔を伺った。だが、夏海は先ほどよりさらに元気を無くした表情になり、突然泣き始めた。
「今年もよろしくって……、夏海もそうやって書きたかったのに……。よろしくお願いできないんだよ……」
夏海は校門前で泣き崩れた。今日子は夏海の突然の行動に動揺した。
「ど……どうしたの? よろしくできないって何で? なっちゃんと今日子は親友でしょ?」
「……お父さんが……、仕事の都合でテンキンって……」
今日子の問いかけに夏海は答えた。今日子は一瞬、『テンキン』という言葉が何を意味するのか分からなかった。
始業式が終わった後、夏海は教室の前に立ってクラスのみんなにむけて3月の春休みに東京に引越することを伝えた。
夏海もつい最近、聞かされたらしく、知った時には泣いて転校したくないと訴えたらしかった。
だが、まだ9歳の夏海だけ残して東京にいけるわけがないので、夏海も東京へ行かなければならなかった。
今朝、今日子もそのことを知ってショックを受けた。だけど、転校しないでほしいと言うわけにもいかず、結局その後は何も話さずに二人で教室まで行った。
「東京か……」
夜になってテレビを見ている今日子はつぶやいた。テレビでは東京で新しくオープンした店を紹介している番組が映っている。
「東京って遠いの?」
今日子は横で一緒にテレビを見ている父の桜井咲也に尋ねた。
「遠いといえば遠いのかな。長野のさらにむこうだしな。東京の店をこっちのテレビで紹介されても、行けるわけないだろ! って感じだよ」
長野より遠いと聞いてさらに今日子はため息をついた。
長野の従兄弟の家に行くのだって、年に1度あるかないかだ。去年は1年間行っていないし、今年の正月にも行っていない。気軽に会えるような場所ではないと今日子はすぐに理解した。
ふと、長野という言葉で今日子は一昨年の夏休みに従兄弟の桜井一世が言っていた言葉を思い出した。
――俺はまだまだ子どもだと思うんだけどな。まだまだ親の助けがなきゃ生活できないし
子どもじゃなかったら、一人でもこっちで暮らせたんだろうなと今日子は思った。
「お父さんは一人暮らしってしたことある?」
今日子は咲也に尋ねた。
「ああ。大学生の時にこっちに来て結婚するまでずっと一人暮らしだったぞ」
「何で一人暮らししたの? 長野のおじいちゃんとおばあちゃんのところにずっといることもできたんだよね? ……いや、別に長野にずっといてほしかったって思ってるわけじゃないからね」
今日子は、咲也が大学で佳子と出会ったということを思い出して、最後に自分が望んでいるわけではないという旨をつけくわえて言った。
「うーん、何でだろうな……。大学に行きたかったっていうのはあるだろうけど、あの時のお父さんは子どもだったから……」
今日子は咲也の言葉に驚いた。
「えっ!? 大人だから一人暮らしできたんじゃないの!? 何で子どもなの?」
今日子の質問に、咲也は困ったような表情をして目をウロチョロさせた。しばらくして、咲也は今日子の質問に答えた。
「おじいちゃんやおばあちゃんには言わないでほしいんだけど、あの時はとにかく両親のもとを離れたかったんだよ。親父はセクハラばっかり言ってそのせいで高校生の時の彼女には振られるし、心配性なお袋は学年で一番遅く生まれたからって言って過干渉気味でさ。それで、大学は親元離れて一人で暮らそうと思ったんだよ。それで、こっちにある関関学院大学っていう大学に入ったんだよ。第一志望は東京にある別の大学だったんだけどね」
今日子はそんなネガティブな理由で一人暮らししたのかと驚いた。
「おじいちゃんやおばあちゃんには反対されなかったの?」
「お袋には猛反対されたよ。咲也はまだ子どもなんだから一人で暮らせるわけがない。ってね。ただ、幸い親父は次男だから自由にさせてやってもいいんじゃないか。勉学も大事だし将来の役にたつかもしれない。って言ってくれて、むしろ賛成してくれたんだ。変態親父だけど、あの時はちょっとうれしかったよ」
「へー」
そんないいことを言うもんだなと今日子は祖父の桜井年夫をの顔を思い浮かべた。しかも、年夫のおかげで咲夜は高校生の彼女に振られたという。もし年夫がいなければ年夫はその彼女とずっと付き合っていた可能性もあったわけだ。そうしたら、咲也が佳子と付き合うこともなかった。今日子は頭の中で年夫に感謝した。
それから2ヶ月がすぎて、クラスメイトの柚季の発案で、クラスのみんなで、修了式が終わった後に夏海のお別れ会をやろうという話になった。リーダーには夏海と一番仲がいいという理由で、今日子が指名された。今日子としては気が進まなかったが、自分が選ばれた理由には納得できたので仕方なくやることになった。
そして、みんなでサイン色紙に一言ずつ寄せ書きを書いて、夏海に手渡そうということになった。色紙には『むこうでも元気でね』『絶対絶対忘れないよ』など思い思いに書かれていった。だが、肝心の今日子は何を書けばいいか思いつかず、なかなか書けないでいた。
とりあえず、今日子はみんなが書いたことを読んだら何か思いつくかもしれないと思い、色紙の言葉を読んでいった。ふと、春樹が書いた言葉が目に入った。
『大人になったらテレビでオレの活やく見ろよな』
――なんでお別れの寄せ書きに自分のこと書いてるの……
今日子は春樹に呆れたが、他の子の書いたメッセージと比べると、ありきたりではなく、面白いかもしれないと思った。
結局、今日子はいい言葉が思いつかず、『手紙だすね』というありきたりな言葉を書いた。
そして、お別れ会当日、色紙を受け取った夏海は、色紙を読んでいるうちに涙を流しはじめた。
「このクラスになれてよかった……。みんな、ありがとう」
夏海は涙をぬぐって言った。
そして、夏海の引っ越しの日の夕方。今日子は夏海を見送りにいった。ただ、見送ろうとしたものの、何を言えばいいか今日子は分からなかった。せめて、お別れ用のプレゼントでも買っておけばよかったと思ったが、後の祭りだ。それどころか、これからお別れして会えないと思うと今日子は悲しくなって泣いてしまった。本当は、笑顔でバイバイと言おうと思ったのに。
「ありがとう。夏海のために悲しんでくれて」
今日子が泣いていると、夏海に感謝された。そして夏海は、手に持っていた画用紙を広げて今日子に見せた。
「引っ越しの整理してたら見つけたんだ。覚えてる? 確か、幼稚園の年中の時の」
そこには、大きい四つ葉のクローバーを相合傘のように持った今日子と夏海が描かれていた。今日子と夏海がケンカした時に、今日子が仲直りするために描いた絵だった。
「今でも覚えてる。今日子ちゃん、あの時、ずっとずっと友だちだって言ってくれたんだよ。明日も明後日も大人になってもって。離れていても、それは変わらないと思うんだ」
「……うん……離れていても、今日子となっちゃんは一番の親友だよ」
今日子はかすれた声で言った。離れていても友だちは友だち。手紙だってあるし、電話だってある。いつでも連絡できるじゃないかと今日子は思った。
その後、夏海は母親の久美に呼ばれて車に乗りこんだ。
「大人になったらまた会おうね!」
今日子は叫んだ。
「うん、大人になったら絶対会いにいくから! またね!」
最後に夏海の叫ぶ声が今日子の耳に届いた。
今日子は車が見えなくなるまで手を大きく振った。
「絶対また会えるよね……」
今日子はそうつぶやいて、夏海から受け取った画用紙を手にし、家に戻った。
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