第8話~今日子8歳~後編
季節は過ぎ2月のとある土曜日。今日子はスーパーお菓子売り場で板チョコを手に取った。
「もうすぐバレンタインだから、買っていい?」
今日子は佳子に尋ねた。
「いいけど、好きな男の子にあげるの?」
その言葉に一緒に買い物をしていた咲也が反応した。
「いや、いやいやダメだぞ今日子。今日子はまだ小学生なんだから、好きな子ができるなんて20年早いからな」
咲也は焦るように言った。
「いやいや、今日子の20年後の年齢って私達がすでに結婚していた年齢だよ。そんな時まで好きな子ができないって、それはそれで問題だと思うけど」
「いいんだよそれで」
咲也は言い切った。
「いや、チョコレートはなっちゃんにあげるんだ。好きな男の子もいないし」
咲也の慌てぶりを見て、今日子は言った。
「そうかそうか、友チョコか。それならよかった」
「だからお母さん、明日、手作りチョコの作り方教えて」
今日子は佳子に頼んだ。
「うーん。お母さん、手作りチョコはちょっと……。昔、好きな人にあげたら、『手作りかよ』って嫌な顔して振られたのがトラウマで……」
「何それひどーい。じゃあ、お父さん教えて」
佳子の言葉に同情した今日子は咲也に頼んだ。
「仕方ない。実家は和菓子屋だが、ここははりきって……」
咲也は承諾しようとした。
「そうそう、おばあちゃんがそういうの得意だよ。朝陽ちゃんも明日、教えてもらいにいくって言ってたし、今日子も一緒に教えてもらったら?」
「そうなんだ! じゃあおばあちゃんに教えてもらう!」
咲也の言葉は宙に消えていった。
翌日、今日子が祖母の花木時子の家に行くと、そこには同じく手作りチョコの作り方を教えてもらいにきた従姉妹で今日子より2学年上の花木朝陽と、朝陽の弟で今日子より2学年下の花木聖夜がいた。
時子は材料や用具の準備をしていたので、その間に今日子は二人と話すことにした。
「何で聖夜までいるの? 聖夜はチョコレート作らないでしょ?」
今日子は聖夜に尋ねた。
「俺は味見係だよ。今日子や姉ちゃんが作ったまずいチョコレートを誰かに食わせるわけにはいかないからな」
つまり、聖夜はチョコレートを食べたいがたまに来ているようだった。
一方、朝陽は鼻歌を歌いながらチョコレートを手作りするのを楽しみにしていた。
「朝陽ちゃんは誰にあげるの? 友だち?」
今日子は朝陽に尋ねた。
「友だちにはもちろんあげるけど、やっぱり好きな男の子かな」
「えっ! 朝陽ちゃん、好きな子いるの? 誰々ー?」
今日子の言葉で朝陽は少し顔を赤らめて答えた。
「……一期くんっていうの」
朝陽は答えた。
「いちご! かわいい名前だね」
「うん……。でも、かわいい名前に反して頭もいいんだよ。私の周りの男子ってバカばっかりだけど、一期くんだけは勉強もできてかっこいいんだ」
今日子と朝陽の後ろにいる聖夜は「バカばっかりだって、バカバカり。アハハ」と言って笑っている。今日子は、朝陽に最も身近な男子は確かにバカなんだろなと実感した。
「今日子ちゃんは好きな男の子っていないの?」
先ほどとは逆に、朝陽が今日子に尋ねた。
「うーん……。友だちとして好きな子はいるけど、恋っていうのとは違うと思うから、いない……かな……」
「まあ、まだ小学2年生だしね」
「今日子も大人になったら好きな人ってできるかな?」
「できるできる。それどころか、今日子ちゃんのことを好きな男の子もでてくるんじゃないかな? 今日子ちゃんかわいいし」
「えー! そうかなー?」
今日子は少し顔を赤らめて言った。
時子の準備が終わると、今日子と朝陽は板チョコを刻み、刻んだチョコをボールに入れて湯煎にかけて溶かしていった。部屋の中にチョコレートの香りがただよった。
「いいにおい。今日子、チョコレート好きなんだー。食べるとほっこりする感じがする」
今日子は言った。
「今日子ちゃんの言うとおり、チョコレートには食べると、チョコレートに入っているテオブロミンという成分のおかげで、リラックス効果があるんだよ。他にも集中力や記憶力を向上させる効果もあるから、勉強中に食べるのもいいんだって」
朝陽は言った。
「えっ! そうなの? じゃあ、今度から宿題する時にはチョコレート食べながらやろっと!」
最近の今日子にとってあまり楽しくない宿題だが、チョコレートを食べながらだと少しは楽しく思えるんじゃないかと思ってワクワクとした。
「そんなに食べたら今日子、太るぞ! ブクブクーって。お相撲さんみたいに」
今日子の後ろにいる聖夜が言った。せっかく楽しいイメージをしていたというのにその言葉で台無しだった。だいたい、なぜ相撲にはさん付けなのに、今日子は呼びすてなのかと、今日子は疑問に思えてならなかった。
「チョコレートを食べたら太るって思うでしょ。でも最近の研究で、チョコレートは太りにくいっていうことが分かったの。アメリカでの研究によると、チョコレートを食べる人のほうが肥満指数、つまり太っている人の割合が低かったんだって。チョコレートには脂肪分が多いけど、その脂肪の質が良質だから太らないらしいよ。実際、普段の食事にチョコレート100グラムを食べるようにした調査結果では、ほとんどの人は体重増えてなかったみたいだよ」
朝陽の言葉に今日子は喜んだ。これで、何の心配もなく宿題中にチョコレートを食べることができると。今日子は再びチョコレートを食べる自分を想像してワクワクした。
「でもね、チョコレートの原料になるカカオを作っているのは、学校にも行けずに休みもなく働かされている子どもたちなの。その子どもたちは自分たちでチョコレートの原料を作っているというのに、チョコレートを食べたこともないんだよ」
せっかく楽しい想像をしていた今日子だったが、朝陽の言葉で罪悪感が芽生えた。今日子は初めて、この姉と弟は似ているところもあるんだなと思った。
その後、ひと通りの作業が終了して冷蔵庫にいれて固まるのを待つことになった。今日子と朝陽と聖夜と時子の4人は、イスに座っておやつを食べながら待つことにした。
「おいしくできるといいなー」
今日子はできあがるチョコを楽しみにして言った。
「もともとおいしいから店で売られてるのに、適当にゴチャゴチャしたら逆にまずくなると思うぞ」
聖夜がまた余計なことを言った。
「おいしいものをもっとおいしくするために手作りしたんだよ! それに、大事なのは心がこもっているかでしょ。店で売ってる板チョコをそのまま渡すよりは、絶対手作りで作ったほうがいいって!」
今日子は反論した。
「でも、聖夜の意見に賛成なわけじゃないけど、そう思う人っているみたいなんだよね。一期くんがそう思う子だったらどうしようって心配……」
朝陽は不安そうな顔をして言った。そこで、今日子は佳子の言っていた言葉を思い出した。
「そういえば、お母さんも手作りチョコをあげたら手作りを嫌がられて振られたんだって」
今日子は言った。
「そういえば、そんなこともあったわね」
今日子の言葉で昔のことを思い出した時子は言った。
「おばあちゃん知ってるの? お母さんが振られた時のこと」
「ええ、確か佳子が高校生の時だったかしら。バレンタインデーに好きな人にチョコレート送るって言って、はりきっていてね、昔は私も趣味でお菓子よく作っていたから、手伝わされたのよ。そしたらあの子、バレンタインデー当日に帰ってくるなり、私に駆け寄って泣きだしたの。あの時はビックリしたわ」
「へー、お母さんでも振られたら泣くんだ」
振られたという経験がない今日子だったが、佳子が泣くぐらい悲しいことなんだろうなと今日子は思った。
「ただ、大学に入ってから咲也さんと出会ってね。そしたら、あの時、振られてよかったって佳子が言ってたわ」
「何で? 何で、振られたのによかったの?」
「だって、もしチョコレート渡した子と付き合うようになったら、咲也さんと付き合えないでしょ。そしたら、今日子ちゃんだって生まれてこなかったかもしれないしね」
「えっ……」
今日子は佳子を振った人をひどいと思ったが、もし付き合うことになったら今日子が生まれてこなかったということが分かって驚いた。そんなちょっとの差で人生は変わってしまうものなのかと。
「でも、佳子おばさんにとって咲也おじさんは運命の人だから、もしその時に佳子おばさんが振られてなかったとしても、最終的には咲也おじさんと結ばれたと思う」
朝陽は言った。
「そ……、そうだよね」
今日子は朝陽の言葉に少しだけ安心した。
バレンタインデー当日。今日子は先日、作ったチョコレートを持って登校した。
問題の味のほうだが、味見係の聖夜が「まずい! これもこれもまずい! こんなの誰かにあげるわけにはいかないから、俺が全部食べてやる!」と言っていたので安心して夏海たちに渡せると今日子は思った。
「はい、これなっちゃんの分」
今日子は手作りチョコを入れた袋を夏海に手渡した。夏海も袋に入ったマシュマロチョコを今日子に渡した。
「おいしそー。いいの? こんなに?」
袋には今日子一人はすぐには食べきれなさそうな量のマシュマロチョコが入っていた。
「作りすぎちゃったんだよね。それに、今日子ちゃんは一番の親友だもん。食べきれないようだったら、聖夜くんにもあげて」
「うん。そうするね。聖夜も喜ぶよ」
その後、今日子は春樹の席に移動した。
「はい、これ。春樹にも」
今日子は春樹にチョコレートの入った袋を手渡した。
「な……、なんだよ……。変なもん入ってるんじゃないだろうな?」
春樹は戸惑うように言った。
「そんなわけないでしょ。味だって保証済みだよ。いらないなら別にいいけど……」
そう言って今日子は袋を引っ込めようとしたが、あわてて春樹は袋を手にとった。
「いらないならもらってやるよ。ほら、さっさと自分の席戻れよ」
春樹は今日子から目をそらしてそう言うと、すぐに袋を机の中にしまいこんだ。
――何その言い方! もっと、素直に喜べばいいのに!
今日子はムスッとして言われたとおり、自分の席に戻った。
放課後、帰ってすぐに今日子は聖夜の家に行った。夏海からもらったマシュマロチョコを聖夜と食べるためだ。
「なっちゃんからマシュマロチョコいっぱいもらったから聖夜も一緒に食べよ」
今日子はそう言ったが、聖夜はすでにリビングで誰かからもらったであろうチョコレートを食べているところだった。
「今日子の友だちまで俺にチョコレートを作ったのか。モテる男はつらい」
「いや、別に聖夜のために作ったわけじゃないから。聖夜は何個もらったの?」
「1個だよ」
聖夜は言った。
「なんだ1個か。どうせ、みんなに渡してるうちの1つでしょ?」
「確かにそうだ。確かに。だがな! 今宵ちゃんは俺になんて言ったと思う?」
聖夜は自信満々に尋ねた。
――まさか、みんなには義理チョコで聖夜には本命だったの!?
今日子は言葉にはださないが、心の中で驚いた。
「分からないなら教えてやろう。今宵ちゃんはな、『みんなには2倍でいいって言ってるけど、聖夜くんは3倍ね』って言ったんだよ! 3倍だぞ3倍!」
今日子は思わずツッコミそうになったが、喜んでいる聖夜を見て、やめた。
「ただいま……」
しばらくして朝陽が帰ってきた。今日子は朝陽がチョコレートを渡せたのかが気になって朝陽に駆け寄った。
「おかえりなさーい! どうだったどうだった? キウイ君にチョコレート渡せた?」
「一期ね。チョコレート……、残念だけど受け取ってもらえなかった……」
朝陽はポケットからチョコレートの入った袋をとりだし、暗い声で言った。
「もしかして、手作りだとダメだった?」
今日子がそう尋ねると、朝陽は首を横に振った。
「他の女の子が作ったチョコは受け取ってたんだ。だから、私の手作りチョコも大丈夫だろうと思って渡そうとしたんだけど……、『僕より頭のいい人のチョコは受け取れない』って……」
今日子は一期の言った言葉が理不尽だと思い、怒った。
「何それ! 差別だよ差別! 女性差別!」
「女性差別ではないと思うけど……。まあ、一期くんがそういうなら仕方ないかなって……。でも、でもなんで頭がよかったらダメなのかなって……。もっとバカだったらよかったのかなって……」
そう言いながら、朝陽の目から涙があふれていた。
今日子はなんと言えばいいか考えたらいい言葉が見つからなかった。
「えっと……、その……、何ていえば分からないけど、だいじょ……」
「知ってる?」
今日子の後ろから聖夜の声が聞こえて振り返った。
「チョコレートにはリラックス効果があるんだってさ」
聖夜は言った。
「それ、私が言ったことでしょ」
朝陽は暗い表情のまま、呆れた口調で返した。
「じゃあ、泣いてないで手に持ってるチョコレート食べたらいいだろ! 俺のはあげないからな!」
聖夜はそう言いながらマシュマロチョコを口にいれた。今日子は、それは今日子のものだけど、という言葉がでかかったがなんとか飲み込んだ。
いっぽう、聖夜の言葉を聞いた朝陽は勢いよく袋を開け、チョコレートを放り込むように口に含んだ。
「よし、これでもう忘れた。佳子おばさんみたいに、私だって絶対、今日のことはよかったって言える日が来るようになってやる」
朝陽は空になった袋を掲げてそう言った。表情はすっかり笑顔になっていた。
「そうだよ! 絶対、朝陽ちゃんにはもっといい人があらわれるよ!」
今日子も笑顔になって言った。
その後、今日子と朝陽と聖夜はそれぞれもらったチョコレートをだして三人で一緒に食べた。先日、今日子たちが作った残りのチョコレートも含まれている。
今日子は朝陽の顔を見ながら、自分もそのうち好きになる男の子ができるのかなと考えた。
――でも、振られるのはちょっとやだな
そんなことを思いながら食べたチョコレートはほろ苦かった。
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