第6話~今日子6歳~後編
7月末には、お泊まり保育があった。その日はみんなでスイカ割りをしたり、包丁を手に野菜を切って料理をしたり、夜にはキャンプファイヤーもした。
そして、就寝時間になって今日子は保育室に敷かれた布団の上で横になった。
「こうやって一緒に寝てると家族みたいだね」
今日子は隣にいる利秋に言った。
「そうだね。家族みたいだよね。僕、いっつもお母さんと一緒に寝てるから、今日子ちゃんと一緒に寝てるとお母さんと一緒に寝てるみたい。大人になったら本当の家族になれたらいいね、今日子ちゃ……」
利秋は一人で喋っていた。今日子はいつの間にか寝てしまっていた。
季節は過ぎて年が明けた1月半ば。仕事から帰ってリビングでくつろいでいる父の咲也に今日子は話しかけた。
「今度のお遊戯会ね、今日子のクラスはかぐや姫をやることになったんだよ。そこで問題! かぐや姫は誰がやることになったでしょう?」
咲也はあごに手をあてて考えた。
「うーん……、そうだなー? 誰だろう? あっ! 分かった! かぐや姫は竹の中からでてきたから、竹中って子だ!」
咲也はさも、自信満々なように答えた。
「違うよ!! あきくんは帝の役。それに、あきくんは男の子だし」
「男の子でも女の子の格好することあるだろ、土曜の朝にやってる『パラパラ』ってアニメでも男の子なのに、女の子の格好して芸能人になった子がいただろ」
『パラパラ』とは、パラパラダンス界のトップを目指す女の子達の物語だ。
「違うよ! 『パラパラ』は土曜の朝じゃなくて夕方だよ!」
なお、ネットでは主人公が真顔で踊るオープニングがシュールだと話題だ。
「それに、あれは芸能人だし」
「学校の劇でもあったぞ。お父さんが子どもの時に、お父さんと同じ誕生日で名前に『さくら』とつく名前の子が主人公のアニメがあったんだけど、その話の中に男の子が女の子の役をする話があったんだぞ」
「へー」
今日子は利秋が女の子の格好をする姿を想像した。顔は女の子っぽいので、少し似合ってるような気がした。今度、制服を交換して着てもらおうと今日子は考えた。
「って、そうじゃなくて! かぐや姫だよかぐや姫! あのね、かぐや姫は今日子がやることになったんだ!」
今日子は嬉しそうに言った。
「そうかー、今日子かぐや姫好きだもんな。本番に向けて、練習がんばらないとな!」
「うん! 絶対見に来てね!」
そしてお遊戯会当日。
年少組、年中組、年長組と順番に行い、いよいよ次は今日子達のクラスの番となり、今日子は母の桜井佳子が祖母の花木時子と共同で作った衣装を身にまとい、劇が始まるのを待っていた。
この1ヶ月、今日子たちは一生懸命に劇の練習してきた。長いセリフや動き方など、とにかく覚えるのがいっぱいで何度も間違っては何度もやりなおしてきた。
今日子は今までにないくらいの緊張感を覚えていた。客席をのぞくと大勢の観客がいるのが分かった。今からその人達みんなが自分を注目すると考えると、失敗してしまったらどうしようと怖かった。
「今日子ちゃん、緊張してるの?」
ナレーション役の夏海が今日子にたずね、今日子は首を縦に振った。
「お兄ちゃんから聞いたんだけど、緊張してる時は手のひらに人って書いて3回飲み込めばいいんだって」
夏海はそう言うと、手のひらに指をなぞって、口に持っていく動作をした。今日子も見よう見まねで手のひらに『ひと』と書き、その文字を飲み込む動作を3回行った。
「ほんとだ、少しよくなった」
「よかったー! うまくいくようがんばろうね!」
その後すぐに夏海は準備するように言われ、舞台の端へ移動した。
ふと、今日子が振り向くとそわそわと落ち着かない様子の利秋がいた。
「緊張してるの? 緊張したら手にひとを書いて3回飲めばいいんだって」
今日子は先ほど夏海から教えてもらった緊張克服法を利秋に伝え、利秋は手のひらにひとを書いて三回飲み込んだ。
「ありがとう今日子ちゃん。僕、大丈夫かな?」
「大丈夫だよ! いっぱい練習したんだよ!」
今日子は先ほどまで自分が緊張していたことを忘れ、利秋をはげました。
今日子たち演じるかぐや姫の劇はもちろん、かぐや姫の話のお芝居であるが、そのままだと面白くないということで、園児たちが提案して一部ストーリーを改変している。ただし、中には、最近ニュースで『女児連れ去り事件』という言葉をよく見聞きするので、「かぐや姫を連れて帰る」という言葉を「かぐや姫を連れ去る」にしようという提案など、先生によって却下された案もあった。
そうして、カーテンの幕があけ、かぐや姫の演目が始まった。
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おばあさんが川へ洗濯にいくと、ドンブラコドンブラコと大きな桃が流れて来ました。しかし、おじいさんがポケットにティッシュを入れたままにしていたため、怒りながら洗濯していたおばあさんは桃に気付きませんでした」
夏海の言葉で観客席からは笑いが溢れた。つかみはバッチリだった。
「一方、おじいさんは山へ竹を取りにいきました。するとそこに、光り輝く竹がありました」
「おやおや、光る竹なんてめずらしい。これは高く売れそうだ」
おじいさん役の児童はそう言って竹を切る動作をした。
「おじいさんが竹を切ると、中には9cmほどの光輝く小さくてかわいい女の子が入っていました」
おじいさん役の児童はかぐや姫に見立てた人形を抱きかかえた。
「光る女の子とは……、よしよし、一人で寂しかっただろう。家に連れて帰って育ててあげよう」
そうして、ようやく今日子演じるかぐや姫の出番となった。
「女の子はすくすくと育ち、かぐや姫は美しい娘になりました」
そこで今日子は舞台上に登場し、おじいさん役の子とおばあさん役の子の横にすわり、化粧をするような動作をした。
「ああ。時がたつのは早いなぁ。こないだまで赤ん坊だと思っていたのに……、まだ3ヶ月しかたっていないようだよ」
「おじいさん、本当に3ヶ月しかたっていませんよ」
「そうじゃったか」
おじいさん役とおばあさん役のやりとりでまた客席から笑いが聞こえた。
「それより、大きくなったことだし名前を付けなければいけないな。竹からでてきたからバンブー子なんてどうだろう?」
「いやよそんな名前。ブーコブーコっていじめられるわ。光輝く女の子だから、かぐや姫にしましょう」
「うん、それがいい」
今日子は観客席の様子が気になり、演じながら観客席をチラチラと見ることがあった。そこにはカメラを構えてニヤニヤしている咲也の姿があり、その隣には佳子、さらにその隣には時子の姿もあった。思わず手を振りそうになったが、ぐっとこらえて今日子は演技を続けた。
「美しく育ったかぐや姫に世の男たちは惚れ惚れしました。そして、かぐや姫をお嫁さんにしたいと言う婚活中の5人の男性があらわれました。5人の男性はみな身分が高く、イケメンで金持ちでした。それと、サッカーも上手でした」
最後の言葉は、結婚するならサッカー選手がいいと思っている夏海が望んで付け足した言葉だった。観客はなぜサッカーなのだろうかと疑問に思っているようだった。
「美しいかぐや姫よ。僕と結婚してください」「いや、かぐや姫と結婚するのはこの僕です」「僕と」「僕と」「僕と」
「分かりました。では今から5人に世にも珍しい宝物をお伝えします。その宝物を持ってきたお方のところへお嫁に行きたいと思います」
「こうして男たちは言われた宝物を探しに行きました。そうして一人は山へ、一人は海へ、一人は町へ、一人は海外へ行き、一人はパソコンの前でネットオークションに出品されないかチェックしていました」
舞台上では5人の男の子たちが必死で宝物を探す演技がつづけられ、しらばくすると5人が宝物を持ってくる場面になった。
「……なんとその宝物は3Dプリンタで作られた偽物だったのです。結局、誰一人かぐや姫をお嫁にすることはできませんでした。そして、かぐや姫のうわさは帝の耳まで届きました」
そこでようやく、利秋の出番となった。利秋は緊張した面持ちで舞台上にあがり、おじいさん役の子と対面した。
「お嬢さんを僕にください」
「日本で一番偉くてイケメンでお金持ちで、意外とサッカーが上手な子ならきっとかぐや姫も喜ぶだろう。かぐや姫に聞いてみるよ」
おじいさん役の子は言った。先日、幼稚園でサッカーをやると利秋が意外とうまかったのでこのようなセリフとなったのであった。
「かぐや姫、帝の者が結婚したいと申しておるよ」
「私は誰とも分からない人と結婚するつもりはありません」
「じゃあ、手紙の交換から始めたらいいのではないか」
「分かりました」
「こうしてかぐや姫と帝は手紙を交換する関係になりました」
そこで舞台上では黄色い画用紙を丸く切り取って月に見立てたものが登場し、今日子はそれを見上げて泣くフリをした。
「エーン、エーン」
「どうしたんじゃかぐや姫? どうして泣いているんじゃ?」
「お父様、お母様、私はこの世界の者ではありません。月の世界から来ました。今度の満月の日に月から迎えがくるので月に帰らなければいけません。それが悲しくて、泣いているのです」
今日子がそう言うと、おじいさん役の子は驚く演技をした。
「月に……月に帰る……だと! そんなことはさせてたまるか! 必ずお前を守ってみせる!」
「そしておじいさんは、かぐや姫を月に帰さないために、帝にお願いすることにしました」
今日子はいったん舞台袖に戻った。舞台上では利秋とおじいさん役の子がやりとりする演技が続けられていた。すぐにまた出番が来るが、少し落ち着くことができた。
「今日子ちゃん、お疲れ様。もうすぐだからがんばろうね」
舞台袖にいた藤宮が小さな声で言った。
――ここまでくれば大丈夫。もうすぐで終わりだもんね
今日子は舞台袖で、舞台上の演技を見ながら次の出番を待った。
「分かった。では軍隊を用意することにしよう。軍隊で月からの迎えを追い返すのだ!」
利秋は先ほどの緊張の面持ちはどこへやら、練習の時以上にはっきりと大きな声で言った。
「どうか、よろしくお願いします」
おじいさん役の子はそう言うと、舞台袖に戻った。
「かぐや姫は必ず私が守ってみせる!」
舞台上で一人になった利秋は威勢よく叫んだ。
「よし、ではさっそく指示を出さなければ!」
利秋はそう言うと、舞台袖に向かって走りだした。
その時だった。
利秋は舞台の真ん中で盛大にコケた。利秋の手が床についた時の音が舞台上に大きく響き渡った。観客席からは、笑い声が聞こえた。
しかし、利秋はコケたまま、大声で泣き始めた。観客席も何かがおかしいと分かったようで、少しざわつきはじめた。舞台上には利秋一人だけだった。
利秋がコケたのは演技ではない。走って舞台袖に戻ろうとした利秋は勢い余ってコケてしまったのであった。
今日子はその姿をみて思わず、自分の出番ではないが、利秋の元へ走りだした。
「今日子ちゃん……」
今日子に気づいた利秋はつぶやいた。
「しっ! 今はかぐや姫」
今日子は利秋にしか聞こえないであろう小さな声で言った。
そして今日子は利秋に手を差し伸べ、観客席にも聞こえるぐらい大きい声で話を続けた。
「あなたに最後の手紙を渡しにきました」
このセリフはもともとの台本にはなかった。今日子はそのままアドリブで演技をつづけた。
「今までありがとうございます。私と離れてしまうのが悲しくて泣いていたのでしょう? でも、月に帰っても私はあなたのことは忘れません。今はまだ無理でも、そのうち月から手紙を送れる時がくるでしょう。その日になったらまた手紙を交換しましょう。だから、もう泣かないでください」
利秋は泣き止み、立ち上がった。
「でも、私を引き留めようとするのはやめないでください。もしかしたら月に帰らなくてよくなるかもしれないので……」
今日子は先ほどのセリフだと次の場面とつながらないと思って言葉を付け足し、二人で舞台袖に戻った。
その後は予定通りの演技が続けられた。今日子は再び舞台上に戻ると月の迎え役の子たちと共に、また舞台袖に戻っていった。
「こうしてかぐや姫は月へ帰ってしまいました」
夏海が言って、劇の幕が閉じた。観客席からはこれまでにないほど大きな拍手の音が鳴り響いていた。今日子達の演目は無事、終わりを迎えたのだった。
「やったね! 大成功!」
今日子は利秋の両手を握って言った。
「今日子ちゃん、ありがとう。僕、強くなってどこかに連れて行かれることになったら、今日子ちゃんを守るよ!」
「うん、がんばってね!」
そして時はすぎて3月になった。
「桜井今日子さん」
「はい!」
今日子は自分の名前が呼ばれると元気よく返事をして舞台にあがり、卒業証書を受け取った。
この日は卒園式だった。3年間通い続けた幼稚園も今日をもって最後となる。
「今日子ちゃんと別れるのイヤだー」
卒園式終了後、家に帰る前に今日子と佳子は、最後のお別れということもあって利秋とその母親の竹中亜紀と話していた。そこで、利秋は今日子と通う小学校が違うと知り、泣きだした。
「ほら泣かないで、小学校にいったら新しい友だちもできるんだから。全く、誰に似たんだか……」
亜紀は涙を流しながら言った。
泣いている利秋とは対照的に、今日子は笑顔で利秋の頭をなでた。
「大丈夫だよ。今日子がいなくても、今のあきくんならいっぱい小学校で友だちできるよ。それに、強くなるんでしょ? もうすぐお兄ちゃんになるって聞いたよ」
利秋の母のお腹はふっくらとしており、もうすぐで子どもが産まれるところだった。
「お兄ちゃんになるんだから、泣き虫じゃダメだと思う。今日子も小学校がんばるから、あきくんもがんばろうよ!」
今日子が言うと、利秋は腕で涙をぬぐって泣き止んだ。
「僕、強くなる。強くなって、みんなを守れる男になる!!」
「そうだよ! あきくんならできるよ!」
その後、今日子は幼稚園の正門前で卒業証書を広げて写真を撮り、幼稚園を離れた。父の咲也は午後から抜けられない会議があるとのことで、途中で抜けてしまったため、今日子は母の佳子と二人だった。二人は幼稚園から坂をくだり、近くの駅で電車に乗った。
「そうだ。帰る前におばあちゃんちに寄っていこうか。卒園したこと伝えなきゃね」
「いくいく!」
電車を降りた今日子たちは家に帰る前に祖母の時子の家にむかうことになった。駅を降りて15分ほど歩いて、祖母の家の前までくると、道路を挟んだ向かいのアパートの駐車場に三人の少年少女が喋っているのが見えた。三人はフォーマルスーツを身につけており、左胸にはリボンで作った花飾りがついていた。そして、三人はランドセルを背負っていた。
「そっか、今日は小学校も卒業式だったのね」
佳子は三人の姿を見て言った。
「えっ! あの人達、小学生なの!?」
今日子には三人が非常に大人びて見えた。しかし、彼らは小学生であると佳子の言葉で分かった。来月の自分と、駐車場の三人が同じ小学生だという、そのギャップに今日子は驚いたのだった。
――今日子も、小学校に行ったら大人になれるかな……
今日子は、小学校に行く不安と楽しみだという思いを心に抱きながら、時子の家に入った。
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