サイドA 世は事も無し だったらいいな1-2
さかのぼること1時間前。
相馬家本邸にて。
「日和ちゃんたら」
美浦佐奈は日和が忘れたお弁当に目を落とす。
佐奈は日和の叔母、冴子を師事する内弟子の一人。この家には、彼女のように一族の誰かに弟子入りし、住み込をしている人間が三十人ばかりいる。
指南をする代わりに、家事や掃除などの雑務をこなしてくれている。
佐奈は殺伐とした相馬家本邸で日和が心を許せる一人でもある。料理が壊滅的な母の代わりに毎朝お弁当を作ってもらっていた。
「困りましたね」
「どうしたの佐奈お姉ちゃん」
やってきたのは170センチほどの背丈の少年だった。
目筋の通った凛々しい顔立ちは日和に近いものがあるが、屈託の無い笑みが親しみやすさを滲ませていた。
「ああ、陽一君。日和ちゃんがお弁当を忘れちゃって。まぁ、最近慌ただしかったから無理も無いかな」
陽一は少し考える仕草をすると、パァッと良い笑顔で、
「なら、僕が行ってくる」
「えっ」
佐奈が何かを言う間も無く。気がついたら手から弁当箱は消えていて、ついでに陽一の姿も消えていた。
「これは…不味いかな…」
佐奈は唯一の出入り口の山門を潜ると携帯電話を取り出すと、日和にメール送る。
『ごめんなさい日和ちゃん。陽一君が貴方のお弁当を届けると本宅を飛び出していってしまいました』
そして現在。
日和は携帯電話のメールを再度確認しながら、今起きている騒動をどう収めようか考えていた。
「この騒ぎ、どう納めればいいのよ」
「はは」
頭は抱える日和に流石に紗英未も苦笑する。
「えっ、あの人日和の知り合い?」
色めきならが日和に話しかけてきたのは、桐谷命だった。良くも悪くも軽い性格で日和と割と気の合う一人だった。
「私にも紹介してよ」
騒ぎ立てる周囲をよそに、日和はため息を吐きながら、
「知り合いと言うか…」
外を見やる陽一はこちらの方に真っ直ぐと歩いてくる。
そして雑踏の中から日和を見つけると満面の笑みを浮かべる。
少年の姿が消えた。と、日和以外にはそう見えただろう。
次の瞬間には日和の居る二階の教室の、ベランダの手すりに着地した。
突然の出来事に固まった一同を、気にも掛けない様子で少年は二十センチ程の箱を布でくるんだ物――もとい、弁当箱を差し出した。
「はい、お弁当」
「…ありがと。陽一」
疲れたよう口調で日和は言った。
それを訊いた陽一は、また無邪気に笑った。 端から妙に映ってるんだろうな…と気が重くなる。
「お姉ちゃん何時、学校終わるの」
「「お姉ちゃん?」」
どう考えても陽一の方が年上にしか見えない。その事が場にさらなる混迷を来す。
一方、陽一は辺りの事など一切気に掛けず、にこにこ笑っている。
その言動は風貌にそぐわず、明らかに不自然だった。周囲からの訝しげな目線か背中に刺さってる。
「あと、二時間ほどで終わるから、その辺でで遊んでなさい」
「うん。分かった」
陽一は人間離れした身軽さで、二階から飛び降り校門を出て行った。
まだ、固まってる一同を見ないようにして、弁当を食べる事にした。
「…あの人、日和の弟さん?」
「…うん、まあ」
目をそらしながら日和は答えた。
「あー何か勿体無いわね。ルックスは抜群なのに、シスコンじゃあね」
茶化すように言う命。
「無理言わないの。あの子はまだ五歳なんだから」
「そう…って、五歳!?」
「あはは、最初は驚くよね。やっぱ」
習知の紗英未以外は当然のことながら皆驚いている。日和は携帯を取り出し、、
「修行の一環でね。あの子の十年後を投影してるの。本当の姿は…」
携帯のディスプレーに日和と小さい姿の陽一が写っている画像を出し、命に見せた。
「ほら」
「なるほど、そういうこと。能力者って何でもできんのね」
命の言葉に日和は眉をひそめる。
「そういう言い方やめてよね…只でさえ誤解が多くて困ってるんだから」
日和が能力者である事は周知の事実である。今の時代、能力者への偏見は大分減ったがそれでも、根強いものがしこりのように残っているのが現実である。この学校にも能力者はいるが圧倒的に少数である。殆どが能力者の専門校に通っているからだ。
持つ者と持たざる者に依然として見えざる溝がある。
お互いが相容れないのだから、お互い知り合うなど出来るはず無く。
これがこの世界の現状。
だからこそ、互いの相互理解を深める為に作られたのが私立秋水学園の起こりでもある。
この学園こそがイレギュラーであり、能力者と無能力者を同じ学校に制限なく入学させている学校は圧倒的に少数である。そのためなのな何なのか、この学園には色々とピーキーな人材が集まっていたりする。
「ふーん。なんか色々大変なんだね」
命の身も蓋もない一言に日和が苦笑する。そう、結局その程度の問題でしか無いである。
「しかし、やっぱりあの子…今から仲良くなっておけば…私好みに育てる事も…」
日和はボソボソ呟く、命の頭軽く殴る。
「人の弟で不穏当な事考えない」