サイドA 世は事も無し だったらいいな1-1
天明三年の浅間山の大噴火で引き起こされた冷害や、洪水被害などで未曾有の諸国大飢饉が起こる。物価高騰に触発された農民一揆や打ち毀しが各地に蔓延した。
各地に反乱の波が広がる最中、奇妙な噂が流布する。神通力を持つ「天の御子」なる者が民衆を率いているという話だった。
天明上信越騒動の折り、それは明るみになった。
この騒動は、安中藩から始まり信州方面にむけ、勢力を伸ばしつつ押し寄せていた。上田領に押し入る頃には二千人程に膨れあがり、そこで武力衝突が起きた。
闘争は終始幕府側の優勢だった。
しかし、幕府の軍勢の前に現れた少年により事は大きく揺れた。
少年は不思議な力で相手に触れることなく、次々と軍勢をなぎ倒していった。彼一人に三百人以上が犠牲となった。
少年を止めたのは相馬中村藩主、相馬家の分家にあたる響羽という一人の青年だった。
響羽は襲い来る少年をいとも簡単に取り押さえた。そう…響羽もまた間か妙な力を有していたのだ。
少年を拘束した事により、民衆の勢いは一気に衰えた。そして騒動は集結した。
本当の問題はここからだった…
同じような力を持った人間が各地の現れ、藩や幕府を相手に騒動を起こしていた。
響羽は幕府の命により、各地で反乱の沈静に当たった。その功績が認められ「護天人」という称号得たのだ。
護天人の始祖である相馬家始まりだった。
そして時は流れ――幾度かの季節を巡り。
春も麗ら。四月も中頃に差し掛かり、教室の窓から散り始めた桜を眺めながら、相馬日和はアンニュイな溜息を吐く。
その姿は余りに絵になっていた。背中でまで伸びる髪がそよ風に揺れめき、意志の強そうな瞳は朧気に揺らめいている。頬に手を添え、外を眺める姿は深窓の令嬢かくやといった風情を醸し出していた。
私立秋水学園中等部。四限目を終え、丁度昼休みに入った所だ。
この学園には給食が無いため、学食に行く生徒達はいつもなら我先にと教室を飛び出していく筈である。が、皆日和の様子を固唾を飲んで見守っていた。
「これは何の前触れだ?」
「この前溜息を吐いた時は暴走族が攻め込んで来たらしいぞ」
「まさか、今度は宇宙人でも攻めてくるのか?」
などと、荒唐無稽でありながら、無下に否定出来ない歯がゆさを飲み込み、もう一度深い溜息を吐く。
そのたびに、教室の空気は重たく張り詰める。
(あのね…人をなんだと…)
事の始まりは半月前、入学式での大立ち回りが原因だったりする。
本人にとっては不良に絡まれていた女の子を助けるという有り触れた事をしただけだった。
その時倒した人間がその筋では有名で、辺り一帯を締める不良グループのリーダー。
あとは成り行きで日和はそのグループを数日で壊滅させ、気がついた時には高等部を含む全ての生徒のヒエラルキーのトップに君臨してしまった。
そんな空気などと無縁と言わんばかりに、眼鏡を掛けた女子生徒が日和に歩み寄る。
日和の特徴を凛とした恰好良さならば彼女は人なつっこい可愛らしさといった感じである。小柄で幼さを残す顔に、ストレートのショートカットがよく似合っている。
「どうしたの。日和ちゃん?」
彼女に微笑まれるだけで、日和は毒気を抜かれた気分になる。
司祥紗英未。日和とは小学生の時からの付き合いで、日和の数少ない理解者であり、あらゆる意味で日和の対極に位置する少女でもある。
「どうせ鬼の霍乱とでもいいたんでしょ」
やさぐれる親友に紗英未は微笑みを絶やさず
「日和ちゃんがあまりに綺麗だからみんな見とれてたんだよ」
「バカ。何寝言いってんのよ」
意にも止めない日和。
「そんなこと無いと思うけどな」
紗英未は教室を見回すと、何人かに意味ありげな笑みを送る。
「それより、お昼食べよ」
手に持つ弁当箱を日和の机の上に置く。
「……」
苦虫をかみ殺すような表情のまま微動だにしない日和。
「どうしたの日和ちゃん。お弁当は?」
「忘れたのよ」
「ああ、だからあんな憂鬱そうな顔してたの?」
「いや―それだけならよかったんだけど…」
その時、女子生徒の一人が外に向かい、
「ねぇ、あれだれだろう」
その声に教室中の生徒が窓際に寄ってくる。気づけば他のクラスも同じような状況で、軽く騒ぎになりつつあった。
「何々、ちょっと格好良くない?」
「ほんと、誰だろあれ」
教室内(主に女子)が色めく中、日和は頭を抱える。
「ったく、あの子は…」
「あ~なるほどね…」
紗英未は入ってきた青年を見て全てを納得した。