捌 失くしていた探し物
ねえ、また僕は…見られなかったのかな。
記憶に残る、幼い少年はそういって涙を流しながら優しげに微笑んだ。
その涙はとても切なく。
微笑んだ少年の表情の奥は痛々しかった。
何かしてあげたい。
寄り添う彼はそう強く思うけど、何も出来ないのは必定で。
ただそれが身を切られるよりもとても悲しい。
何を、とは、少年は流石に言えなかった。
† † †
時計塔から見える景色ははっきりいって絶景だった。
元々水路が多い所為か、きらきらと太陽の光を受けて水面はきらきらと光り、町全体が宝石箱か何かのようだった。
そして人々は上を見上げて歓声を上げる。
どこかの国の王にでもなった気分になりながらディオスはゆっくりと後ろを振り返った。
「で…オレは。何をすればいい…」
まさか自分が聖なる人に選ばれると思っていなかったディオスは面倒臭そうに聞いた。
二人もディオスの護衛についている中、フィルティーンを探すのは困難に思えた。
(本当、面倒臭い…)
ただ時計塔で済ませること、それさえ教えてもらえればディオスは護衛なんていらないのに。
そう思いながら返答を待った。
するとすぐに一人が自身の後ろを指差した。
「…?」
「ここに更に上へと続く階段があります。ここより先へは一人で行って頂く事になります。そこで、正式な神託を、神より受け取ってください」
そういうと二人は頭を垂れた。
「……」
ディオスはそちらへと目を向けていたが、直ぐに視線を逸らして、彼等の言う階段へと足を向けた。
階段を上りながらディオスは思う。
どうして、こんなことになったのか。
何もかもくだらないと思っているはずだった。
神託なんて、受けるつもりも、従うつもりも、無かった。
例え選ばれたのだとしても、くだらない世界の決めたルールなんかに縛られるつもりは無かった。
それなのに、今、こうしてここにいる。
それは、彼の心にある感情と相違していた。
「……どうして…俺今こんなことしてんだろ…」
彼の問いに答える者はいない。
逆に、自分でも分からない答えを答えられる者がいるとも思えなかった。
一番、知っているはずの自分でさえ出せない疑問。
どこかネジが抜けてしまって壊れてしまったように、今、ディオスは自分が分からない。
それは、ずっと前。捨ててしまった「心配」という感情を抱いているのに気付けないまま、ディオスは階段を上りきった。
そこは、下で見るよりも綺麗な町並みが広がっていた。
ディオスからは町がとてもよく見えるが、下の人々にはおそらくディオスの姿は見えていない。
ディオスからも人々は見えなかった。
上の様子が見られないよう、巧妙な造りをしているらしい。
そこには太陽の光もとても届いていて、さらに風が少し穏やかに吹いていて気持ちいい。
前のディオスなら何とも思わなかっただろう景色は、今のディオスにはとても綺麗だと感じた。
それにディオス自身気がついていた。
いつ、自分は変わったのだろうか。
そう思うと一つ、思い当たる節があった。それは。
「フィルティーン…お前に会ってからだ……」
それは、ずっと見失っていた、一つの答えだった。
そして、それをディオスが呟くように言った瞬間、ディオスを優しく撫でていた風は変貌し、強い風が辺りを巻き上げた。
「…っ!」
ディオスは飛ばされないように近くにあった手摺に掴まる。
辺りを風が巻き上げ、眩しい位の太陽の光が集まって一つの形を形成する。
「……!!」
光が徐々に強さを失い、風が穏やかに戻ったとき、静かに目を開いたディオスの瞳に写ったのは、紛れもない、彼が先刻呟いた名前の人だった。
「…フィル…ティーン…か?」
ディオスは確かめるように言うと、フィルティーンは別れてから寸分違わぬその格好で言った。
「そうだよ…他に誰に見える?」
「……いや、誰にも。そもそもそんな目立つ格好、誰もいないし」
「…あははっ言うと思った!」
ディオスの冷静な判断にフィルティーンは予想をしていたらしい。
的中したのを見てけらけらと無邪気に笑った。
不思議なことに、その光景をディオスは優しげな表情で見つめていた。
今までの彼ならありえない行動だった。
ひとしきり笑ったフィルティーンを見て、ディオスは言った。
「…探したんだぞ、お前を」
「うん…」
「どうして、お前がこんなところに…」
それはフィルティーンが現れてからずっと思っていた疑問だった。
上に行って神により正式な神託を受ける、それがディオスのやるべきこととなった。
それなのに、上にいたのは探していたはずのフィルティーンだった。
考えなかった可能性はあった。
でも、それは即座に否定された。
ありえない、とディオス自身思っていたのだ。
なぜなら、正式な神託を下すのは、ほかならぬ神自身だ。
それなら。
「…お前が…神って…ことになる…!!」
どうしても、信じられなかった。ただ少し、フィルティーンは不思議な人だとは思った。
いつの間にか世界なんてくだらないと思っていたディオスの心を変えていた。
今、全くくだらないと思っていないとは言えないにしろ、人のことなんてさらさらどうでもいいと思っていたディオスが人に自ら関わった、それだけでも凄いことだった。
それをやってのけたのはフィルティーンだ。
少ししか一緒にいなくても、話さなくても。警戒してささくれだっていた心に優しく触れて、相手が気付かないうちに打ち溶け合ってしまう。
それがフィルティーンの性格、そして心なのだろう。
神だとしたらなんでもできる、そんなのはわかりきったことだ。けれどきっとフィルティーンは神でなくても相手を優しく、そして暖かに変えることが出来る。そんな確信をディオスは抱いている。
だがしかし、普通に冷静に考えればフィルティーンが神だという考えは即座に否定されよう。
普通、神が、一介の人間と関わること自体ありえない。
神は至高の存在。
人の世界に下りてくることは絶対にありえないのだ。
「……言ったでしょ?僕は逃げていた」
「……」
「先に視える未来が変わらないものなら。嫌だった」
「……」
「……ねえ、知ってる?天使って残酷なんだよ?」
「……」
「…細かく言えば、僕は真の神ではない」
「…?」
フィルティーンを見上げれば、彼は少々俯いていた。
ディオスは何も言えなかった。
「…真の神は、此の世にはいない。…本当は、僕たちがなるはずだった」
ディオスの表情が僅かに変わる。
「神と呼ばれるのは、僕だけじゃない。他に三人いる。称して四伝説って呼ばれてる」
話すのはフィルティーンばかりだった。
ディオスは沈黙を脱そうとしない。
「本来神となるべくして生まれた魂が四つに砕け、それぞれ確立した自我を持って行動を始めた。それが僕たちだ」
それは途方もない話だった。聞いても信じられなかった。
「これを聞いて、君は何を思う?」
「……?」
ディオスは何を言われているのか分からなかった。
ただただ眩しい位の光に包まれているフィルティーンを仰ぎ見ることが出来ただけだった。